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Review
No.011 for Concert
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2006.02.04 16:10 Aichi
Arts Center - Concert Hall, Nagoya |
| Nagoya
Philharmonic Orchestra - Ken-ichiro Kobayashi |
| KOBAKEN
Special - My Favorite No.3 - Saint-Saëns |
| アーティスト: |
小林研一郎指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団 磯絵里子(Vn) 松居直美(Org) |
| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場 コンサートホール |
| プログラム前半: |
サン・サーンス作曲 ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調
op.61 |
| プログラム後半: |
サン・サーンス作曲 交響曲第3番ハ短調 op.78
「オルガン付」 |
| アンコール曲: |
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 交響的間奏曲 |
| サン・サーンス作曲 交響曲第3番ハ短調 op.78 「オルガン付」〜フィナーレ・コーダ |
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<プレトークは必要?>
名古屋フィルハーモニー交響楽団・コバケンスペシャルのマイフェイヴァリット・ナンバーシリーズ3はサン・サーンスの3番の番号を持つヴァイオリン協奏曲と交響曲が取りあげられました。座席は3階2列目真ん中で、ステージ上のオーケストラの様子がよ〜く分かります。土曜日夕方4時過ぎからの開演、コバケンさんの十八番、サン・サーンス3番が演奏されるということで満席でした。演奏前の16時から10分ほどコバケンさんのプレトークがあり、自らピアノで旋律を弾きながら、交響曲のフレーズについて解説。プレトークは不要との考え方もありますが、この交響曲で初めに出てくる主題と後からの主題との関係がピアノの弾き語りによってよく分かり、スコアが読めない者にとってはありがたく、聴き方が広がった気がします。
<彩りと味わいには不足したヴァイオリン独奏>
前半の曲はヴァイオリン協奏曲第3番で長身の女性ヴァイオリニスト、礒絵里子が独奏者で登場。この曲はヴァイオリン協奏曲の中では有名な方ですが、実際の演奏で聴く機会は少ないように思います。ヴァイオリニストで作曲家のサラサーテの頼みにより作曲、献呈されたもので、ロマンチックな味わいとヴィルティオーゾの性格を併せ持ち、ヴァイオリニストの音色と技巧がいちばんの聴きどころとなっています。第1楽章はいきなりヴァイオリンの独奏で始まり、エネルギッシュな第1主題と瞑想的で夢見るような第2主題が交互に現われ、盛り上がって行きます。第2楽章は舟歌で甘美な調べがヴァイオリンで演奏され優雅な気持ちになります。オーケストラではオーボエが細めの素朴な音を出していたのが印象に残りました。第3楽章はロンド主題がヴァイオリンによって強く奏され、サン・サーンスの魅力的な旋律に溢れたフィナーレとなります。主役の独奏ヴァイオリンは鮮やかな技巧を披露して聴衆の喝采を浴びていました。ただこの曲の特徴であるヴァイオリンの彩、味わいといったものが今ひとつ感じられない点は残念でした。経験、年輪を重ねないとなかなか難しいことではあります‥。オーケストラにはもう少し洗練された響きがあったらなあと思うのは、ないものねだりでしょうか。

<大興奮の第3交響曲>
後半のプログラムはお目当ての3番の交響曲です。1998年7月に同じコンビによる東京公演(サントリーホール)のメインプログラムとして取り上げられ、そのライブはCD(G.face)にもなっています。オーケストラは3管編成で、正面オルガンの前には松居直美が座り演奏が始まりました。第1楽章第1部は、弦楽器の伴奏に乗って木管が主題を奏で、金管が彩りを与えていますが、名フィルはコバケンさんのタクトの下、力のこもった充実した演奏を繰り広げました。第2部は通常の緩徐楽章に当たるところですが、オルガンの音を背景に弦楽器、続いて木管楽器が引継ぎ、夢想的な雰囲気に溢れています。大好きなところで、この日の演奏も魅せられました。第2楽章第1部は弦楽器の力強いスケルツォではコバケンさんの力の入った唸り声が響いていましたが、チェロ奏者が顔を真っ赤にして一生懸命弾いているのが大変印象的でした。そして第2部はオルガンが壮麗に鳴り響いてクライマックスを形づくりますが、オーケストラとパイプオルガンが奏でる音の饗宴には完全に圧倒されました。
<アンコールはともにパイプオルガン付き>
アンコールは「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で、コバケンさんは、サンサーンス3番の交響曲で加わったピアノでハープの代わりをさせてもらう旨の断わりを入れて演奏されました。パイプオルガンが入るところで、結構大きな音で鳴ったのにはびっくり。もう少し控え目の音量の方がこの曲に相応しいと思うのですが‥。そうは言っても、パイプオルガン付きの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲はなかなか聴けるものではありません。アンコールは他に用意していないとのことから、サン・サーンスの交響曲第3番第2楽章コーダの部分が再度演奏されて大円段となりました。
(2006.02.14 UP) |
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Review
No.012 for Concert
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2006.02.16 19:15 Suntory
Hall, Tokyo |
New
Japan Philharmonic
- Christian
Arming
Christopher
Hinterhuber(Pf) |
| NJP
No.397 Subscription Concert |
| アーティスト: |
クリスティアン・アルミンク指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 クリストファー・ヒンターフーバー(Pf) |
| 演奏会場: |
サントリーホール、東京 |
| プログラム前半: |
シュニトケ作曲 ピアノと弦楽合奏のための協奏曲(1979) |
| アンコール曲: |
バッハ作曲 フランス組曲からサラバンド |
| プログラム後半: |
ハンス・ロット作曲 交響曲第1番ホ長調(1880) |
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<前月に続きサントリーホールへ>
アルミンクが新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でハンス・ロットの交響曲第1番を取り上げるというので、前月のカリンニコフの交響曲第1番に続き、大きな期待を持ってサントリーホールへ出かけました。細かな小雨が降る中、六本木、アークヒルズのカラヤン広場を通って演奏会場へ‥。午後7時前に着いたのですが、プレトーク(開演30分前からとは知りませんでした)ということで既にアルミンクが舞台に出てきていて、日本語の通訳を介して曲の説明が行われていました。その時点ではあまり聴衆はいませんでしたが、プレトー クの終わった15分後、楽団員がステージに出て来る頃には1階席はだいぶ埋まっていました。私の席は1階10列目右寄りでステージに近いところは久しぶりです。
<混沌と静寂をピアノで鮮やかに描くシュニトケの協奏曲>
前半の曲はシュニトケのピアノと弦楽合奏のための協奏曲で独奏はウィーン音楽大学出身の若い男性ピアニストでした。この曲は、私にはまったく未知のもので、作曲家についても、ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが度々取り上げていたことくらいしか知らない状態でした。この演奏会のプログラムで初めて聴く前にCDで聴いてから、本番に臨みました。そのためか、1979年に発表され現代音楽の部類となるこの曲を、演奏会では違和感なく聴くことができ、さらにCDでは感じられない臨場感に浸りました。1楽章形式、約30分の曲で、バッハ、ベートーヴェン、ストラヴィンスキー、フランス印象派の作曲家を思い起こさせる曲想がちりばめられています。混沌と静寂が交互に現われ、コントラストをなして進んで行き、最後は余韻を残しながら静かに消えて行きます。春の祭典のようなフレーズもあれば、ショスタコーヴィッチばりの動きの速いフレーズもあって、シュニトケの作風は多様式主義と言われるものの、やはり近代ロシア音楽からの影響が強いと思いました。ピアニストには鮮やかな技巧と余韻の味わいが求められますが、若いピアニスト、ヒンターフーバーは見事にそれを表出していました。アンコールにはバッハの「フランス組曲」からサラバンドが演奏されましたが、バッハ風の音楽も取り入れたシュニトケの曲の後としては最適の選曲で、短いバッハの音楽に一時の間、引き込まれました。
<ついにロットの交響曲第1番の実演が聴けた!>
ロットの交響曲第1番は、近年ドイツの演奏会では度々取り上げられ流行っているようですが、日本では2004年11月の沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会が初演でした。バイグレ&ミュンヘン放送管のRTENOVA盤のCDが出て、この曲が馴染みとなってきた頃でした。その時も触手が動いたのですが、叶わず、いつの日か実演を聴けたらなあと思っていました。ところがこの定期演奏会で取り上げられ、思ったよりも早くその機会が巡って来たというわけです。楽器配置ですが、ステージに向かって左側から右へ第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで、その奥にダブルベースが並び、正面中央には木管、その後ろが金管で左側奥にホルンが2列で4本ずつ並ぶというものでした。前の方の席ということもあり、弦楽器群の合間から木管、金管が垣間見えるだけで、全体が見渡せないのは残念でした。
<感動までに至らなかったのはなぜ?>
冒頭のトランペットを皮切りに柔らかくスタイリッシュな響きで金管が鳴り響き、木管も粒立ちよく、弦楽器も揃っていると思いました。しかし上手いことが即満足の行く演奏になるかというと、必ずしもそうならないところが実演の難しいところです。残念ながらこの大好きな交響曲の実演に感動したかというと、そうはならなかったのです。何が原因だったのでしょうか?アルミンクの指揮は中庸でとうとうと流れ、その流れに乗ってこの長大な曲が少しも退屈に感じることはなかったのですが、全体を通して起伏がなく一本調子の演奏になってしまった感がありました。この曲の特徴でもあるブルックナー、マーラー、ブラームスの味わいに不足し、淡々とした印象を持ちました。最っとも不満だったのがティンパ ニで、指揮者の指示か叩き方なのか、あるいはホールの響きのせいなのか分かりませんが、芯のある音でなくて、もやっとした締まりのない音が聴こえてくるだけでした。そして期待していた心に響きわたる力強さ、激しさが感じられず、もどかしさが残る演奏でした。同時に、この交響曲についてもロットの若さ故の未熟さが垣間見えました。まだ若書きということもあって深みには乏しく、個性が感じられないと言えます。また楽器の使い方にしても気になるところがあります。(バイグレ盤を始めとして)録音ではピックアップしないため、あまり気にならなかったのですが、トライアングルがうるさい位、頻繁に鳴り響いているとは‥生で聴くまでは実感できませんでした。
<コーダでの余韻と未知の可能性>
期待が大きすぎたため、辛口の感想になってしまいましたが、一番よかったのはこの曲の終楽章コーダ。ここはワーグナーの「パルシファル」のような響きで静かに終わるのですが、アルミンクがタクトを下ろして暫くの間、し〜んと静まりかえり、余韻を味わってから盛大な拍手がまきおこったのです。この演奏会を聴いた日にセーゲルスタム指揮ノールショッピング響によるCD(BIS、1992年録音)を手に入れ、後日聴いてみたのですが、ゆったりとしたテンポで力強い演奏を繰り広げていました。第1楽章のコーダはシベリウスの「フィンランディア」のコーダのような響きが感じられるのですから不思議です。私のCDレビューNo.003で紹介しましたが、初演の栄誉を担ったザムエル指揮シンシナティ・フィルのCD(Hyperion‐helios、1989年録音)では芯のあるティンパニが捉らえられていて、現在、最も共感を持ってよく聴いています。こうしたCDを聴くと、この交響曲には、まだまだ未知の可能性があるのではないかと思えてきます。2007年3月にはネーメ・ヤルビィがフィラデルフィア管を指揮して定期演奏会でこの曲を取り上げる予定で期待が高まります。(2006.03.01
UP) |
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Review
No.013 for CD
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Vasily
Sergeyevich Kalinnikov: Symphonie Nr.2 A-dur |
| USSR
State Academy Symphony Orchestra - Evgeny Svetlanov |
| 1968
Moscow Rec. by Melodia BMG CLASSIC
74321 49610-2 |
ワシリー・カリンニコフ:交響曲第2番イ長調(約38分)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ソビエト国立交響楽団
[BMG CLASSIC 74321 49610 2(Melodia原盤)1968年録音]
※交響曲第1番とのカップリングCD⇒[Venezia CDVE04242(Melodia原盤)]
<カリンニコフの姉妹、あなたはどちらが好み?>
このように聞かれたらどう答えますか?姉の方はCDが出て、久しぶりにナマも今年2月、サントリーホールやオーチャードホールで聴け、多くのカリンニコフファンの喝采を浴びました(その様子はレビューNO.10)。ところが姉の後に生まれた妹の方はというと、姉と一緒のCDに収まるようにはなったものの、姉の陰に隠れて、その魅力が一般の人にそれほど知られていません。しかしその魅力は姉に勝るとも劣らないものです。ここでは姉は交響曲第1番、妹は交響曲第2番を指しています。今回はこの妹(交響曲第2番)についてご紹介します。
<カリンニコフ姉妹との出会い>
カリンニコフ姉妹を初めて知ったのは1996年発刊の「クラシック・ディスク・コレクション301 隠れた名盤301大発掘」(音楽之友社)というムック本においてでした。2人の音楽評論家がそれぞれ姉と妹を隠れた名曲・名盤として紹介する文章を書いていました。早速、そこで取り上げられた推薦盤で、姉妹2曲が一緒に入ったクッチャル指揮ウクライナ国立交響楽団(NAXOS)を購入し、何度も聴いたものです。姉と妹を続けて聴くと、姉は親しみやすいメロディーと終楽章のスケールの大きな盛り上がりの点で勝っているのですが、妹の方は第2楽章のメロディーラインの美しさと曲の構成力において姉を凌駕していると思います。
<カリンニコフの生涯>
カリンニコフはモスクワの南100マイルのところにある
Oryol に1866年1月に生まれます(シベリウスが1865年9月生まれ、グラズーノフが1865年7月生まれですから、僅か数ヵ月違い)。彼の父は警察官でしたが、家庭は貧窮に喘いでいました。14歳の時、教会の聖歌隊に加わり、18歳でモスクワ音楽院に入学するものの、お金が払えずに退学。志願者が少なく奨学金が与えられたモスクワの音楽学校のファゴット科に入学し、写譜やオーケストラのエキストラで生計をたてていました。1890年に結婚するのですが、この頃、結核を患います。チャイコフスキーの推薦により劇場の指揮者になったのですが、健康が悪化して職を辞し、結核治療のためクリミア地方ヤルタで療養します。そこで姉妹の交響曲や付随音楽が生まれました。姉の方は作曲してから2年後の1897年にキエフで初演にこぎつけ、大喝采を浴びます。この成功により、この年、自信を持って妹を完成させたのですが、カリンニコフは姉妹の演奏会を聴くことなく、1901年に亡くなります。35歳の誕生日の2日前でした。
<妹のベスト盤は‥>
美しい民族的な旋律や主題の展開の仕方、循環形式による点など姉とは共通点が多く、姉の演奏に優れた演奏家のCDが妹の魅力も引き出しているように思います。クッチャル盤は姉と同様、バランスがとれ、過不足のないオーソドックスな演奏で、初めてこの曲の良さを教えてくれました。ムラビンスキーは妹を5回もプログラムに載せ演奏したようです。そのうち1953年のライブ録音盤(Russian Disc)が残っています。姉ではなく妹を取り上げたその粋眼には感服します。ただ古い録音なのがネックと言えます。姉妹ともに録音したネーメ・ヤルヴィ盤(Chandos)は唯一ロシア以外のオーケストラ(スコッティッシュ・ナショナル管弦楽団)による録音なのですが、硬軟自在の表現で、特に第2楽章の素晴らしさが忘れられません。コーダの盛り上がりには力が入っています。演奏と録音トータルではこの盤がベストかもしれません。しかし私にとって極めつきの演奏は何といってもスヴェトラーノフ盤です。これほど共感を持って心を揺り動かす演奏は他にありません。最近やっと姉妹が一緒になったスヴェトラーノフのCDが出ましたが、これを契機にして妹への理解が更に深まることを願っています。

<主題が織り交ざりながら紡ぎだす‥>
第1楽章は厳かに厚い弦のハーモニーで始まり、すぐに軽やかな舞踊曲風の第1主題が現れます。ビオラとチェロが奏でる第2主題が現れ、第1主題と織り交ざり、表情を変えながら進みます。展開部は対位法による処理が施され、金管が除々に加わって、コーダは晴れやかに終わります。速めのテンポによる厚みのある弦の響きと金管のパワーはスヴェトラーノフ盤の真骨頂です。
<憧れと懐かしさに溢れ‥>
第2楽章は第1楽章の導入部の旋律が趣を変え、コールアングレによってしみじみと歌われます。クラリネットに導かれて、ヴァイオリンが流れるように叙情的で美しいメロディーを奏でますが、この憂いのある調べは私がこれまで聴いてきた中で最も美しいもののひとつに挙げられます。金管、低弦に受け継がれた後、ハープを伴ったバイオリンによる音階には体中がゾクゾクさせられます。そして同じメロディーが淋しげにオーボエ、クラリネット、弦楽器で名残惜しそうに鳴り響いた後、最後はコールアングレとハープの調べで静かに終わります。まさに絶品と言えるこの楽章には、ついつい目頭が熱くなってしまいます。
<威勢がいいスケルツォに異国の雰囲気も‥>
第3楽章のスケルツォではクラリネットとフルートが速いパッセージを吹きます。この部分では、スヴェトラーノフ盤での威勢のいい吹きっぷりにいつもニャッとさせられます。トリオではオーボエ、フルート、クラリネットが奏でる異国風の軽やかな調べに心が安らぎます。木管に弦楽器が加わり、ここはチャイコフスキーの大序曲「1812年」の中間部分になんとなく雰囲気が似ているところです。スケルツォに戻り、各楽器が掛け合いながら進み、コーダは金管が鳴り響いて活気に満ちています。
<メランコリーと疾風怒涛の勢いで高揚する‥>
第4楽章はホルンの独奏とコールアングレによるメランコリーな導入の後、疾風怒涛の勢いで第1主題が金管、弦楽器で快活に現れ、第2主題は弦楽器によってカノン風に響いて、その多彩な表現には舌を巻きます。やがて回想部分になり、各楽章のメロディーとこの楽章の第1主題が掛け合いながら進んで行きます。このうち第2楽章のメロディーがヴァイオリン、クラリネットとホルンによって出て来るところでは、胸が高鳴ります。第3楽章の異国風のメロディーが少しだけ顔を出した後、コーダに向かって突き進んで行きます。第1楽章の序奏部の主題をトロンボーンとトランペットが高らかに奏でるのですが、その背後で目まぐるしく奏される弦楽器(特にスヴェトラーノフ盤)には心がワクワク…。最後は金管が熱く盛り上がり、曲は力強く大円団で幕を閉じます。
<夢のまた夢、オール・カリンニコフプログラム>
この妹の実演を聴くことが私の夢ですが、次のオール・カリンニコフプログラムがこの夢の先にある夢です。♪序曲「皇帝ボリス」、交響曲第1番ト短調、(休憩後)交響曲第2番イ長調、アンコールは交響詩「杉とシュロ」♪ (2006.04.30
UP)
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エフゲニー・スヴェトラーノフのページ |
エフゲニー・スヴェトラーノフ公式サイト |
ヴァシリー・カリンニコフ(Wikipedia) |
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Review
No.014 for Concert
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2006.04.11 19:00 Aichi
Arts Center Concert Hall, Nagoya |
Toyota
Master Players, Wien & Nagoya Philharmonic Orchestra
Joint Concert - Norichika
Iimori |
| Maki
Mori (S) Akiya Fukushima (Br) Hans Peter Schuh (P-Hr) |
| 出演: |
トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーン&名古屋フィルハーモニー交響楽団
合同演奏会 |
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森 麻季(ソプラノ)† 福島 明也(バリトン)‡ ハンス・ペーターシュー(ポストホルン)# 飯森範親(指揮) |
| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場コンサートホール |
| プログラム前半: |
「トヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン」のための前奏曲『イントラーダ』 モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」Kv.492より序曲 歌劇「フィガロの結婚」Kv.492より“小二重唱”†‡ 歌劇「フィガロの結婚」Kv.492より“恋人よ早くここへ”† 歌劇「魔笛」Kv.620より“私は鳥刺し”‡ 歌劇「ドン・ジョバンニ」Kv.527より“お手をどうぞ”†‡ セレナード第9番ニ長調「ポストホルン」Kv.320# (前半は
トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーン 指揮者無しでの単独演奏) |
| プログラム後半: |
R.シュトラウス作曲 アルプス交響曲 op.64 (合同演奏) |
| アンコール曲: |
Joh.シュトラウス作曲 ポルカ「雷鳴と電光」 (合同演奏) |
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<マスタープレイヤーズって何?>
トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン(以下、長い名称なのでマスタープレーヤーズと略します)はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン交響楽団などのメンバー30名で特別に編成された室内オーケストラです。今回は飯森範親の指揮によるアルプス交響曲がプログラムにあることから期待して聴きに行きました。
<モーツァルトイヤーを記念した前半のプログラム>
『イントラーダ』はこのアンサンブルのテーマ音楽、イントロのようなもの。短い曲ながらマスタープレイヤーズのどの楽器も加わるように作られ、またモーツァルトの音楽からの馴染みのメロディーが取り入れられており、さあ始まり!という気にさせてくれました。生誕250年を記念し、前半はモーツァルトの曲が演奏されました。指揮者無しで演奏された颯爽と流れるような歌劇「フィガロの結婚」序曲に続いて、モーツァルトの歌劇からアリアと二重唱が4曲。美貌ソプラノの森麻季がいかに歌うかに関心がありました。昨年3月にチョンミョンフン指揮の東京フィルによるマーラー交響曲第4番の独唱者として登場し、清らかな歌声を披露し、爽やかな印象を残したソプラノ歌手です。しかし今回、バリトン福島明也との「フィガロの結婚」小二重唱では2人ともあまり声が通らず、マスタープレイヤーズの素晴らしい伴奏に掻き消された感じでした。2曲目のアリアからは、その透明感のある声が響き始めました。歌声よりも赤いドレスを着た彼女のヘアーバンドの飾りがライトに照らされ、チカチカ輝いていたことの方が印象に残ってます。
<出番前からポストホルン奏者が主役?>
ポストホルンセレナードは、モーツァルトのザルツブルク時代最後の作品で全7楽章からなっています。楽器編成はフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペットが各2本、弦5部にティンパニというものです。第1楽章は荘重な序奏に始まり、活き活きとした躍動感に溢れ、第2楽章は骨太なメヌエットです。第3楽章と第4楽章は協奏曲風で、木管が独奏楽器的に活躍し、オーボエとフルートの掛け合いが聴き所ですが、マスタープレイヤーズの柔らかくエレガントな音色は魅力的でした。第5楽章は一転して暗く内面的な情感を漂わせていて、このセレナーデに陰影をつけています。ここはポストホルンが登場する前の楽章なのですが、その独奏者の緊張した振る舞いに目がくぎづけになりました。この楽章では出番がないのに、唾を管から出すため何度も楽器を振ることを繰り返していました。第6楽章は郵便馬車の御者が発着を知らせるために使ったバルブのない金管楽器であるポストホルンが活躍する楽章です。この楽器の担当はトランペット奏者だそうで、この前の楽章でそわそわと落ち着かない行動をしていたのはウィーンフィルの首席トランペット奏者ハンス・ペーター・シュー。そしてその出番ではポストホルンを片手で持ち朗々と吹いていました。第7楽章フィナーレは快活で華やかなクライマックスを築きますが、ティンパニが芯のある音で引き締めていました。指揮者なしにもかかわらず、マスタープレイヤーズは繊細かつ優雅にこのセレナーデを魅力的に聴かせてくれました。
<楽章ごとの拍手に閉口>
このセレナードの演奏で一部の聴衆が楽章の合間の度に拍手するのには閉口しました。そう批判する小生も久しぶりに聴いたこともあり、途中で現在、何楽章目かわからなくなって、ついつられて第6楽章が終わった時、手をたたきそうになりました。まあ終わって拍手がなかなか湧かないよりは、楽章ごとに拍手しておけば間違いないという確実性?を重んじる地域の聴衆の特性が垣間見えた次第です。マスタープレイヤーズのメンバーは呆れ返っていたことでしょう。裏を返せばこのセレナードがめったに演奏されないということでもあります。
<交響曲と協奏交響曲を複合した画期的なセレナード>
モーツァルトの記念すべき今年は、彼のオペラ、交響曲、協奏曲、独奏曲などがいろいろな場所で演奏されています。ところが、セレナードやディヴェルティメントは「機会音楽」として軽くみられ、演奏機会が少ないのが現状です。ハフナー交響曲については、現存していない2つ目のハフナーセレナーデを改作したもので、交響曲として残った故に現在でもよく演奏されています。仮にポストホルンセレナードの第1、2、5、6楽章だけピックアップして交響曲の形式にしたら、その魅力は、彼の後期の交響曲に匹敵するものになったのではないかと思います。しかし、木管楽器のチャーミングな第3、4楽章は優雅さの極みに達していて、カットするには忍びません。そしてポストホルンが活躍する第6楽章はトレードマークみたいなもので、これまた外すわけにはいきません。このポストホルンセレナードは交響曲と協奏交響曲が複合した画期的な曲であり、もっと頻繁に演奏されてもいいのではないでしょうか。

<壮観な眺めの4管編成オーケストラ>
R.シュトラウスの「アルプス交響曲」をナマで聴くのは、1991年10月、東京芸術劇場で朝比奈隆がオール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラを指揮した演奏以来、2度目のことでした。4管編成の弦5部でステージ上は楽員たちで隙間もない位です。向かって中央右にオーボエ、イングリッシュホルン、左にフルートが並び、上の段にクラリネット、ファゴットが並んでいます。その上の段にはトランペット、トロンボーン各4本が並び、その右側にテューバが2本、ホルンは2段に分かれて計10本、最上段にはティンパニ2台に大太鼓、グロッケンシュピーゲル、ウインドウマシン(突起のある円筒を回し、布との摩擦により音を奏でるようです)、サンダーマシン(トタン板が吊りさげられ、手で揺らすだけ)と、いろんな楽器が所狭しと並び、壮観な眺めでした。それにハープやチェレスタがあり、パイプオルガンも加わります。
<艶やかな音色はウィーン・フィルに似て‥>
曲は22の情景のなかを進行し、続けて演奏されます。序奏の部分で弱音器をつけた弦の下降する音形で始まる「夜」は音程の点で今ひとつ冴えなかったのですが、太陽が昇る様子を金管が輝かしく歌いあげる「日の出」やチェロが力強く主題を奏する第1部の「登り道」あたりからオーケストラのすばらしい音が溢れんばかりに耳に飛び込んできます。「登り道」ではステージの向かって右側の扉が開き、力強い狩りの角笛を表す金管(見えないのですが、12本のホルンにトロンボーン、トランペット各2本の計16本)がステージ裏から鳴り響いてきます。「森に入る」「小川に沿って歩く」では弦の艶やかな響きがまさに絶品でした。マスタープレイヤーズのメンバーが加わわった結果、これほど名古屋フィルの弦の美しさが倍加するとは‥思いもよらないことでした。弦楽器だけでなく、木管、金管からもまさにウィーン・フィル張り?の音色が聴こえてくるのです。コンサートマスター、第2ヴァイオリン、クラリネット、トランペットがウィーン・フィル首席、弦楽器は各パート2〜4名、管楽器はそれぞれ2名とウィーンの演奏者が中核になっているのですから、もっともなことかもしれません。
<山頂に至るまでの情景をさまざまな楽器で巧みに表現>
「滝」「幻影」での飛沫はヴァイオリン、ハープやチェレスタによって表現され、「山の牧場」では木管とカウベルにより、のどかな牛の鳴き声や牛の鈴が聴こえてきます。いつしか登山者は「道に迷い」、「氷河」に出会い、「危険な様子」がトランペット、ティンパニなどで表されます。第2部「頂上にて」「幻」ではトロンボーンが厳粛に頂上の主題を演奏し、ホルンの主題、突き抜けるようなトランペットの音にオルガンのペダル音も加わって大きなクライマックスが築かれます。金管が力強く響きわたるところでは心を高揚させずにはおきません。
<嵐と雷雨をリアリスティックに感じる>
やがて薄暗くなって「霧がたちこめ」、「日が陰り始め」、木管、弦楽器、オルガンが「エレジー」を描き出します。少しずつ不安な空気がただよい始め、第3部「雷雨と嵐」に入り、遠雷が聞こえてきます。山の鳥たちも不安そうに鳴き声をたて、ティンパニの強打から弦のピチカートにより雨が降り出します。ウインドウマシン、サンダーマシン、オルガン、ティンパニ2台と金管群が激しい雷雨と嵐をリアリスティックに描写します。そして嵐も静まり、結尾の「日没」ではテンポを落として日がゆったりと沈む様子を表し、「終結」では「英雄の生涯」のエンデイングと同様しみじみと回想し、「夜」が迫って、眠りにつくように曲は静かに終わりを告げます。飯森範親が指揮棒を降ろした後、少しの間、静寂が続き、やがて大きな拍手が巻き起こりました。アンコールに応えてJoh.シュトラウスのポルカ「雷鳴と電光」が演奏されましたが、アルプス交響曲で使用したウインドウマシンとサンダーマシンも加わり、楽しくこの演奏会は終わりました。
<印象に残る飯森範親指揮の演奏>
飯森範親はアルプス交響曲で大編成のオーケストラの持ち味を活かしダイナミックな演奏を繰り広げ楽しませてくれました。彼の指揮する演奏会を聴いたのは今回が3回目で、1回目に聴いた1994年5月、名古屋フィルとのシベリウスの交響曲第2番は心沸き立つ大変印象深い演奏でした。このアルプス交響曲も同様に決して忘れることのできない演奏になりました。 (2006.05.20
UP)
《参考にしたCD》
モーツァルト:ポストホルンセレナード
ギュンター・ヴァント指揮、北ドイツ放送交響楽団
[BMG‐RCA/74321897172]APR.8‐10,2001ハンブルクLIVE
R.シュトラウス:アルプス交響曲
クリスチャン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[UNIVERSAL‐DG/469519‐2]LIVE
朝比奈隆指揮 オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ
[PONYCANYON/PCCL00155]OCT.30‐31,1991 東京LIVE |
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Review
No.015 for Concert
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2006.05.22 18:45 Aichi
Arts Center Concert Hall, Nagoya |
Nagoya
Philharmonic Orchestra - Ken-ichiro Kobayashi
Taiho Group Spring
Concert No.12 |
| Ayako
Kobayashi, Pf |
| 出演: |
小林研一郎指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団 |
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小林亜矢乃 (ピアノ) |
| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場コンサートホール |
| プログラム前半: |
<モーツァルト生誕250年記念>
モーツァルト作曲 セレナード第13番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」Kv.525より 第1楽章
モーツァルト作曲 ピアノ協奏曲第20番ニ短調Kv.466 |
| プログラム後半: |
<オーケストラの中のソリストたち>
チャイコフスキー作曲 スラブ行進曲op.31
ブラームス作曲 交響曲第3番ヘ長調op.90から 第3楽章
R.コルサコフ作曲 交響組曲「シェエラザード」op.35から 第2楽章《カレンダー王子の物語》
ラヴェル作曲 「ボレロ」 |
| アンコール曲: |
「ダニー・ボーイ」 「ボレロ」からフィナーレ部分 |
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<マンネリ化しても聴かせるコンサート>
このコンサートは地元の民間会社グループが毎年開催し、往復はがき等の応募で、1800名が無料招待されるものです。もう12回を数え、毎回、名古屋フィルと指揮者にはコバケンさんを迎え、毎回、ポピュラーな名曲・小曲でプログラムを構成しています。今回は一部の楽章だけをピックアップして聴かせるものとオーケストラの醍醐味を味あわせてくれる曲、それにモーツァルトのピアノ協奏曲を織り交ぜてのプログラミングでした。何度かこのスプリングコンサートを聴きましたが、毎度おなじみのパターンで進んで行きます。主催者である70歳を越えた社長が挨拶し、コバケンさんがピアノで主題をひきながら曲の解説をし、そしてアンコールはいつも決まって「ダニーボーイ」なのです。「ボレロ」がメインプログラムだったのは今回で2回目。しかしマンネリ化しているとはいっても、無料招待の上、いつもコバケンさんの気持ちの入った演奏によって名曲が聴けるのですから感謝しなくてはいけません。席は招待はがきと引き換えで先着順のため、今回はステージ右側3階、オーケストラを右横から眺める席になってしまいました。

<またもモーツァルトピアノ協奏曲第20番‥>
モーツァルトイヤーで、有名曲「アイネ‥」の第1楽章が最初に演奏されました。機会音楽は最近では演奏されなくなったと(レビューNo.14)に書きましたが、この曲だけは例外で、いろんなところでメロディーが流れています。ここではやや厚みのある演奏が繰り広げられました。次のピアノ協奏曲第20番は昨年10月の名古屋フィル第319回定期演奏会(レビューNo.004参照)にも取りあげられ、半年もたたないうちに同じ伴奏のオーケストラと指揮者、異なったピアニストで聴くこととなりました。ウィーン時代のモーツァルトは3年の間に14番〜25番のピアノ協奏曲を自分自身が予約演奏会で弾くために作曲しました。そのうち、この20番は初めての短調のピアノ協奏曲で、モーツァルト自身はカデンツァを残していませんが、ベートーヴェンとブラームスがカデンツァを書いています。第1楽章は冒頭から低音域の弱奏で示される不安な感じの主題にのって、ピアノが細やかな音色をちりばめてほの暗い緊張感が漂います。ロマンスと表記された第2楽章は、変ロ長調で優しい主題がピアノで表されますが、中間部は一転してト短調でピアノが息つく暇なく駆け巡ります。第3楽章は第1楽章の不安感を漂わせた後、ニ長調の明るい色調に転じ、ピアノは技巧的で厚みのある音でコーダを迎えます。座っている席からピアニストの顔が斜め左に見え、鍵盤はまったく見えないのですが、鍵盤から手を離し、ゆっくり柔らかく手を上げる仕草が、なんとも優雅で印象的でした。演奏は、ふとロマン派のピアノ協奏曲を聴いているかのような気がしました。曲が終わり大きな拍手に迎えられ、コバケンさんと抱き合ったのを見て、あれっと思いました。同じ小林姓なので、もしやと後でインターネットで調べたところ、亜矢乃さんはやはりコバケンさんの長女でした。
<打楽器の迫真の響きは実演ならでは‥>
後半は、チャイコフスキーが民族の愛国心を描いた有名な「スラブ行進曲」で始まりました。この曲は、CDでは結構出ているのですが、実演はというと、これまで聴いたかどうか、はっきり覚えていません。曲はセルビア民謡の東洋的な旋律で始まり、段々盛り上がって行きます。途中、ロシア国歌が弦楽器で強奏され、金管により高らかに歌いあげられ、ティンパニに導かれたクラリネットの軽快な旋律が、金管により徐々に力強さを加えながら、クライマックスを迎えます。大序曲「1812年」のような叙情的な部分はなく、10分足らずの短い曲ながら、見事なオーケストレーションで一気に聴かせます。コバケンさんの気持ちの込もった指揮の下、金管は輝かしい音を出し、何よりもシンバルを始めとした打楽器の迫真の響きが実演ならではのもので、気持ちが自ずと高揚しました。
<楽器の移行がよく分かる楽章を聴く>
ブラームスの交響曲第3番の第3楽章がピックアップされ、楽器の移り変わりの説明をコバケンさんから聞いた後、その楽器を注視していますと、哀愁を帯びたメロディーがチェロに始まり、ヴァイオリン、フルート、ホルン、オーボエ、再びヴァイオリンへと移って行くのがよくわかります。R.コルサコフの「シェエラザード」の第2楽章も同じで、シェエラザードのモチーフがヴァイオリン独奏に始まり、ファゴット、オーボエ、ヴァイオリン、木管、ホルンと移って行くのを目で追いながら聴くことができました。中間部はクラリネットやファゴットの独奏に金管、打楽器が入り乱れ、弦楽器の濃厚な味つけにより展開して行きます。ハープが大変魅力的に奏でられ、コーダは楽器が徐々に加わって、大きな盛り上がりをみせます。オリエンタルムード満点の大好きな楽章がじっくり楽しめました。
<シャイヨー宮の想い出と「愛と哀しみのボレロ」>
「ボレロ」で想い出すのは「愛と哀しみのボレロ」という1981年に制作された仏映画です。第二次大戦で苦難に苛まれた仏独露米の人々とその子供たちがパリで慈善公演を行うに至るまでのエピソードが繋がって物語となっています。そのエンディングがパリのエッフェル塔を望むシャイヨー宮の広場でジョルジュ・ドンにより踊られる「ボレロ」で、その踊りは当時、一世を風靡したもので、CDジャケットにも使われています。そしてちょうどその年に私はパリに行き、シャイヨー宮近くのフランス人の友達のアパートで、家族同様に接してもらい、25年経った今でも、ボレロのメロディーを聴く度にあの時の景色と想い出が蘇ってきます。
<実演で見て聴く「ボレロ」>
「ボレロ」は1928年、ラヴェルが前衛的な女性舞踏家の依頼を受け、スペインのある町の小さな酒場を舞台にして書いたバレエ音楽で、パリオペラ座において初演されました。しかし、現在では不朽の名曲として、フランス音楽のメインプログラムとして取り上げられています。そして、現在、管弦楽曲の中ではもっとも人気がある曲(「音楽の友」誌
2006年7月号アンケートの結果)となっています。全曲を通して169回反復されるタンブールのリズム主題に乗って、スペイン・アラブ風の主題とそれに応答する副主題が、19回反復されるというだけの単純な構成となっています。ピアニシモでの小太鼓とヴィオラとチェロのピチカートに乗って、旋律主題がまずフルートによって吹かれ、クラリネット、ファゴット、小クラリネット、オーボエ・ダモーレ、弱音器付きトランペット、テノールサクソフォーン、ソプラノサクソフォーンへとソロ楽器が次々に移って行きます。次にピッコロ+ホルン+チェレスタが醸し出すなんとも形容しがたい独特の音色が聞こえて来てからは、各楽器が組合わせを変えながら、響きは厚みを増して行きます。金管や弦楽器が加わって、最後はほとんど全合奏となり、頂点に達したところで転調し、なだれ込むように曲を閉じます。舞台右横から聴いた「ボレロ」ですが、管楽器、打楽器の様子が手にとるようにわかり、たいへん面白く聴きました。ソプラノサクソフォーンの抑揚を大きく取った演奏はCDでは聴かれない異色のものでした。また、コーダでドラを全身で叩いている打楽器奏者の様子が鮮明に目に焼き付いています。さらに指揮者のすぐ間近で、曲の最初から最後まで169回も同じリズムを叩き続ける小太鼓奏者は、大変だろうなと思ったりしました。アンコールにはお決まりの「ダニーボーイ」が弦楽器で演奏された後、もう1曲「ボレロ」のコーダ部分が繰り返されましたが、打楽器奏者の再度のお勤めご苦労様でございました。(2006.06.27
UP)

【参考にしたCD】
☆モーツァルト: ピアノ協奏曲第20番ニ短調Kv.466
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
サー・チャールズ・マッケラス指揮 スコットランド室内管弦楽団
[Universal/Philips
PHCP‐1175]
☆チャイコフスキー: スラブ行進曲
レナード・バーンスタイン指揮 イスラエルフィルハーモニー管弦楽団
[Polydor/DG 429366‐2]
☆ラヴェル: 「ボレロ」
アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団
[TOSHIBA/EMI
CE20‐5419・20]
シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団
[英国EMI CMS7699572]
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Review
No.016 for Opera
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2006.07.01 16:00 Salamanca
Hall, Gifu |
Prague Chamber
Opera - Martin Otava,
director
Orchestra & Chorus -
Martin
Mazik, conductor |
| 出演: |
プラハ室内歌劇場 演出:マルティン・オタヴァ
プラハ室内歌劇場管弦楽団&合唱団 指揮:マルティン・マージク
ヴァチェスラフ・ポチャプスキー(ザラストロ)
ダグマル・ウ゛ァニュカートウ゛ァー(夜の女王)
アレシュ・ブリスツェイン(タミーノ)
ヤルミラ・バクソウ゛ァー(パミーナ)
フランティシェク・ザフラドニーチェク(パパゲーノ) |
| 演奏会場: |
サラマンカ・ホール(岐阜県岐阜市) |
| 演目: |
モーツァルト: 歌劇「魔笛」 Wolfgang
Amadeus Mozart: "Die Zauberflöte" Kv.620 |
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<子供たちが大喜びのウィーン・フォルクスオパーでの「魔笛」>
ナマの「魔笛」を見るのは2回目で、1回目はウィーンへ行った時のフォルクスオパーのマチネー公演で、20年も前のことでした。ネクタイをしたり、着飾ったドレスを着た子供たちがたくさん見に来ていました。大蛇の出現やパパゲーノのユーモラスな演技に大喜びしていた子供たちの様子が目に焼き付いて、強く印象に残っています。あの時は、もちろん日本語字幕はなく、細かなあらすじも知らずに見ていましたが、今回は前もってCDを聴いたり、モーツァルトとフリーメースンとの関わりについて、多少なりとも予備知識を得て公演に臨みました。
<注目のプラハ室内歌劇場>
プラハ室内歌劇場による「魔笛」はプラハで5年間も上演が続き、その演出を手がけたのがチェコを代表する演出家のオタウ゛ァです。室内歌劇場の立ち上げは1965年で、68年の「プラハの春」の後、国立歌劇場に所属しましたが、政府の助成金が打ち切られ、経済危機に陥ります。2002年にディレクターとなったオタヴァは、外国からのゲストを含め、いい歌手には、それに見合ったギャラを支払う一方、必要な人材を絞りこみ、外国公演も含めて年に100回を越える公演を行うまでになったそうです。この日本公演にはチェコを代表する歌手が参加し、オペラの楽しさを味あわせてくれました。

<主な登場人物プロフィール>
*タミーノ(テノール):王子。パミーナに憧れ、ザラストロから救い出すため試練を受ける。 *パパゲーノ(バリトン):鳥を捕まえて生活する陽気で愛すべき俗人。 *夜の女王(ソプラノ):夜の世界を支配する女王。娘を奪われた哀れな母親と思いきや第2幕では悪の象徴に‥。 *パミーナ(ソプラノ):夜の女王の娘。タミーノと恋に落ち、彼と試練をともにする。 *ザラストロ(バス):古代エジプトの神に仕える高僧。パミーナをさらった悪者のはずが後に徳の高い叡智の人に‥。 *パパゲーナ(ソプラノ):パパゲーノの恋人で歳は18歳2分。最初は老婆の姿で現れる。 *モノスタス(テノール):ザラストロに仕えるよこしまなムーア人。後で夜の女王に寝返る。 *3人の侍女:夜の女王に仕える。タミーノを大蛇から救い、夜の女王に引き合わせる。 *3人の童子:タミーノを神殿に案内。その後も要所に現れ、ストーリーを導く。
<コンサートホールで見るオペラ>
昨年10月(コンサートレビューNo.1)以来のサラマンカホールですが、パイプオルガン付きのコンサートホールでオペラがどういう形で上演されるか、メルヘン的なモーツァルトの魔笛がどのように演出され、歌手は、オーケストラはどうかと興味は尽きませんでした。このホールにはオーケストラピットがないためか、舞台左側1/4とパイプオルガンがある2階のバルコニーを使ってオーケストラが配置され、残り3/4にセットが組まれていました。両脇にはエジプト風の神殿の柱が立ち、奥は2階建てで、その下には3つの扉があるだけで、簡素な舞台装置でした。向かって右側に椰子の木があり、唯一自然を表しています。縦書きの字幕表示盤が左右ともに配置され、ホールがこじんまりしているため、見やすく、歌やセリフの内容がよくわかりました。

<序曲〜タミーノ、パパゲーノ、夜の女王の登場>
スロヴァキアの俊英マルティン・マージク(イケメン!です)のきびきびした指揮で序曲が始まりました。舞台の1/4からのオーケストラは音が良く聴こえ、とくにバルコニーに配置されたトランペットの音がよく響いてきました。声楽が入ってからのバランスの良さも特筆すべきものでした。第1幕は大蛇に追われて王子タミーノが逃げて来て、気を失うところから幕が開くのですが、この演出では大蛇は姿を現わしませんでした。倒れているタミーノを白い服に黒いドレスを着た夜の女王の侍女3人が助けます。パパゲーノが登場し、お馴染みのアリア「私は鳥刺し」を陽気に歌います。鳥籠を背負ったパパゲーノは、予想に反し意外とまともな衣装でした。タミーノは侍女たちから夜の女王の娘パミーナの肖像画を見せられ、恋心をかき立てられ、アリア「何と美しい絵姿」を情熱を秘めて歌います。そして独特の髪形、袖には星や月の飾りを付けた夜の女王が現れます。その登場の仕方は演出家の腕の見せどころで、宙づりになって天井から下りてきたり、迫りに乗って舞台下から上がってきたりと様々あるようですが、今回は会場がコンサートホールということもあって、何の演出
もなく残念でした。夜の女王はザラストロに奪われた娘の救出をタミーノに託し、アリア「恐れるな若者よ」を切々と歌います。この難しい役をプラハ国立歌劇場のトップソリストが歌ったのですが、ソプラノのハイトーンの技巧は見事でした。
<楽しさにあふれた重唱アンサンブル>
夜の女王が姿を消し、タミーノ、パパゲーノと3人の侍女によって五重唱が面白楽しく歌われます。パパゲーノはタミーノを助けたのは自分だと嘘を言ったため、侍女から口に錠前をつけられていて、「ウ!ウ!ウ!ウ!ウ!ウ!ウ!」としか歌えません。もう嘘はつかないことを約束させられ、錠前を外してもらいます。その掛け合いは楽しくユーモラスでした。そしてタミーノは魔法の笛を、パパゲーノは魔法の鈴(グロッケンシュピール)を与えられ、パミーノを助けるためザラストロの神殿へ向かいます。3人の侍女が「アウフィーダーゼン」と別れを歌う音楽は味わいがあります。
<変身も良し悪し>
神殿ではパミーナを3人の奴隷に連れて来させ、真っ黒な顔の奴隷頭モノスタトスが迫ります。そこにパパゲーノが現れ、コミカルな雰囲気になります。モノスタトスとパパゲーノはその奇妙な姿に、お互い悪魔と思って逃げ出すのですが、その様子は笑いを誘います。そしてパパゲーノとパミーナが出会い、二重唱「愛を感じる人には」で恋の楽しさと幸せを歌います。第1幕のフィナーレで3人の童子に導かれ、タミーノ登場。面白かったのは、先ほどの侍女が黒いドレスを脱いで、白いアラビア風モンペ姿の装いで童子に変わることです。そしてその脱ぎ捨てられた3体の黒いドレスは鎧のように並んでいて、そのまま舞台装飾品となっていました。1ヵ月にわたる日本公演において3人のボーイソプラノを確保するのは大変で、簡素で無駄を省いた演出の智恵と言えましょう。しかし、ただでさえ、筋書きがやややこしいのに、変身されると、夜の女王の手先である侍女が天使のような童子と同じ人物に思えてしまい、ますます頭が混乱してしまいます。
<グロッケンシュピールによる天空の音楽〜第1幕フィナーレへ>
タミーノは3つの扉のうち、左右の扉を叩くと「下がれ」の声。真ん中の扉を叩くとそこから僧侶が現れ、ザラストロが悪魔ではなく聖者だと知らされます。「パミーナは生きている」という啓示を受けたタミーノは神に感謝し、魔法の笛を吹くと、パパゲーノの笛が聞こえてきます。パミーナとパパゲーノが逃げ出し、追っ手に捕まりそうになりますが、パパゲーノが魔法の鈴(鍵盤付きのグロッケンシュピールで演奏されていました。)で天空の音楽を奏でると、モノスタトスたちは、その美しい調べに踊りながら退散していきます。非常に面白い場面で、まるでオペレッタを見ているような感じがします。行進曲とともにザラストロが僧侶たちを従えて登場し、タミーノを捕えてきたモノスタトスの下心を知って、罰に鞭打ちの刑を与えます。タミーノはパミーナと一緒になるために試練を受けることになって、第1幕を閉じます。
<第2幕の舞台、夜の女王の超高音域アリア>
第2幕では舞台上のセットが少し変わって、両サイドにピラミッド、中央に柱がセットされ、椰子の木が真ん中に位置を変えています。また侍女たちの脱いだ黒いドレスが3体並んでいました。ザラストロが男性合唱を伴い「神よ聞き給え」を厳かに歌います。この役はロシアのボリショイ劇場からの客演で、声量のある声は印象的でした。童子3人は再びドレスを着て、侍女に変身し、タミーノとパパゲーノを誘惑し修業を妨害しようとします。モノスタトスがパミーナに近づこうとしてアリア「誰でも楽しく恋が」を歌います。なかなか歌うのが難しそうで、伴奏のオーケストラとズレが生じていました。そこに夜の女王が現れ、パミーナにザラストロへの復讐を命じるアリア「わが怒りの火は」を激しい感情を込めて歌います。夜の女王が登場する場面は全体を通してあまり長くないのですが、このオペラの多彩な登場人物のなかでは、パパゲーノとともにもっとも印象に残る役だと思います。この公演でのコロラトゥーラソプラノは、CDでの超高音域を駆使する有名歌手に引けを取らないすばらしいアリアを披露してくれました。

<パパゲーナ登場、タミーノとパミーナは水と火の試練へ>
試練を受ける2人のところに腰の曲がった老婆(パパゲーナが変装)が登場します。一方、パミーナはタミーノが無言の行に入ったのをふられたと思い、失恋の嘆きと死の決意を込め、アリア「幸せは永遠に帰らず」を歌います。タミーノを見失ったパパゲーノが金も財産もいらない、かわいい恋人か女房がいればいい‥とグロッケンシュピールを伴ってアリア「恋人か女房が」を軽やかに歌います。そこに老婆が再び現れ、渋々愛を誓うと若いパパゲーナに一変し、また姿を消します。3人の童子がパミーナの自刃を救い、タミーノの愛を告げます。タミーノとパミーナは、魔法の笛の力で水と火の試練をくぐり抜けて行きます。その際、青や赤の照明の色がパイプオルガンのパイプに映り、意外な効果をあげていました。
<パパゲーノの自殺未遂〜パパゲーナとのコミカルな二重唱>
一方、パパゲーノはパパゲーナを探し疲れて絶望し、首吊り自殺を試みます。未練がましくステージ前面に座り聴衆に向かって、自殺を思い留まるように言われれば止めると言い、その合図に「1、2、3」と、鳥寄せに使う牧神(パン)の笛を吹くのですが…。(笑い声はするものの)聴衆は何も言いません。パパゲーノは仕方なく椰子の木に縄をかけて自殺しようとします。このように聴衆の反応も劇に折り込んで台本が書かれていたとは驚きです。もう駄目と思ったところにパパゲーナが現れ、人生捨てたもんじゃない、子供をたくさんつくろうと「パ、パ、パ」の二重唱が歌われます。そのコミカルな掛け合いは聴いている方も楽しくなってきます。
<ハッピーエンドで幕>
試練に耐え、タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナの2組の男女は晴れて夫婦になります。復讐に現れた夜の女王とモノスタトスは雷鳴とともに永遠の闇の底に落ち、ザラストロを讃える声が響いてこのオペラは‥幕‥となります。この室内歌劇場の声楽陣には名の聞こえたスターこそいませんが、会場がこじんまりしていることもあってどの役も声はよく聴こえ、三重唱や五重唱でのアンサンブルの良さには感心しました。
<フリーメイスンと魔笛>
近年、モーツァルトとフリーメイスンとの関わりについて研究が進んでいます。フリーメイスンについては秘密結社ということから、特に日本では悪いイメージがありますが、慈善、友愛を旨とする成人男性だけの閉鎖的な団体です。信仰、集会、結社の自由がなかった時代に誕生したため、秘密の厳守を誓わされ、閉鎖的な組織にせざるを得ませんでした。モーツァルトの時代には中世以来の古い社会システムと、全てが前向きで先進的な啓蒙主義とが並存し、軋みを起こしていました。その当時の文化人にとって、フリーメイスンになることは流行の先端を行くことであり、貴族や宮廷要人とネットワークを作る重要な手段だったのです。「魔笛」の台本を書き、興行主、歌手でもあったシカネーダーはフリーメイスンでしたが、モーツァルトもウィーン時代の1784年に啓蒙主義的なロッジ(フリーメーソンが集う場所を意味する)に入会します。その儀式は門外不出ですが、モーツァルトが死の2ヵ月前に作曲した「魔笛」には、儀式も含め多くの点でフリーメイスンの要素が散見されます。その筋書きそのものがフリーメイスンの人間形成の過程を見せようとするもので、タミ
ーノの試練の場は入会式の試練と問答にあたると言われています。椰子の木や神殿などエジプトの風景や3人の侍女、3人の童子、3つの扉など至るところで出て来る3という数字もフリーメイスンのシンボリズムと言われています。音楽上では基本的な調性が変ホ長調=♭♭♭で3を意識し、壮大かつ柔らかく温かい感じで、「人間的なもの」と関連づけられています。こうした謎めいたことを考えながら「魔笛」を見て聴くことも楽しみ方のひとつと言えるでしょう。
<余談ですが‥>
このオペラで印象的だったのはグロッケンシュピールで、その不思議な音に魅了されました。ところで近代において、この楽器を使用したものとしてシベリウスの交響曲第4番イ短調が思い浮かびます。暗い色調の曲ですが、終楽章で使用されるこの楽器の明るい音はミスマッチに思え、何かミステリアスでもあります。そしてシベリウスもフリーメイスンだったとのことから、グロッケンシュピールが何らかの鍵になっているのでしょうか?
《参考にしたモーツァルト オペラ「魔笛」(全曲)のCD》
☆ オトマール・スウィトナー(指揮)ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&ライプチヒ放送合唱団
テオ・アダム(ザラストロ)、ペーター・シュライヤー(タミーノ)、シルビア・ゲスティ(夜の女王)ほか
[BMG/RCA
CLASSICS 74321322402]
☆ ニコライ・アーノンクール(指揮)チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団
マッティ・サルミネン(ザラストロ)、エディータ・グルベローウ゛ァ(夜の女王)、バーバラ・ボニー(パミーナ)ほか
[TELDEC/WPCS‐11932/3]
(2006.08.09 UP)
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Review
No.017 for Concert
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2006.07.21 18:45 Aichi
Arts Center Concert Hall, Nagoya |
Nagoya
Philharmonic Orchestra - MOSHE ATZMON
No.327
Subscription Concert |
Emi
Sawahata, soprano Michiko Hayashi,
mezzo-soprano Green
Echo Nagoya Chor Harmonia |
| 出演: |
モーシェ・アツモン指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団
(第327回定期演奏会) |
澤畑恵美(ソプラノ) 林美智子(メゾ・ソプラノ) 合唱:
グリーン・エコー/名古屋コール・ハーモニア
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| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場・コンサートホール
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| プログラム: |
グスタフ・マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「復活」
Gustav
Mahler: Symphonie
Nr.2 c-moll "Aufersthhung" "Resurrection" |
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<この夏、「復活」一色>
この7月下旬、名古屋はマーラー「復活」一色でした。7月20日には小澤さんの病気が癒え、この曲を振って”復活”を果たし、マスコミの話題になっていました。翌21日、22日にはアツモンが名古屋フィルの定期演奏会で同曲を取り上げ、3夜連続の「復活」と相成りました。小澤さんの「復活」のチケットはすぐに売り切れて手に入らず、名フィルとその名誉指揮者アツモンによる「復活」を聴きに行くことにしました。
<合唱団の構成と大編成オーケストラ>
会場に入ると、合唱団は既にパイプオルガン前の観客席・・いわゆるP席に座っていました。真ん中に男性コーラス60人ほど、その両側に女性コーラスが約80人という陣容でした。オーケストラは金管と打楽器がずらりと並んで壮観でした。ホルンは最初、ステージ上に6本並んでいましたが、舞台裏のバンダのための4本が曲の最後にはステージ上で合流して2列計10本が並びました。打楽器もティンパニ2セットにバスドラム、小太鼓、グロッケンシュピール、タムタム、鐘‥と舞台上に所狭しと並んでいました。

<マーラー「復活」の誕生>
マーラーは、ブダペスト歌劇場の指揮者をしていた1888年から第2交響曲のスケッチに取り掛かっていましたが、第1交響曲の完成とその初演や歌劇場の仕事などでなかなか作曲は進みませんでした。翌1889年はマーラーにとって悲劇的な年となりました。2月に父親、10月には母親を亡くし、年長者として妹や弟の面倒をみなくてはならず、すぐ下の妹もこの年に亡くなってしまいました。こうした不幸の連続は、構想中の第2交響曲の内容に大きく影響したと考えられています。ハンブルク歌劇場の首席指揮者の地位を得たマーラーはハンス・フォン・ビューローから指揮者としては絶大な支持を受けましたが、そのビューローが1894年に病没します。その葬儀の時に響いてきた少年合唱隊によるドイツの詩人クロプシュトックの「復活」の賛歌は、遅々として進まなかった第2交響曲の終楽章に相応しい歌詞としてマーラーに啓示を与えました。その前の年の夏に、第2〜4楽章までの管弦楽総譜が書かれていました。1895年12月、マーラー指揮のベルリン・フィルによって全5楽章の初演が行われます。第2交響曲はハ短調で始まり、変ホ長調で終わります。古典派から中期ロマン派の頃の交響曲では、あまり見られない調性の移行だそうですが、それは「死から復活へ」という一貫した流れと結びついています。この調性の変化はフリーメーソンの儀式の特徴を思い起こさせます。(レビューNo.16参照)
<第1楽章「あくまでも厳粛にして荘重な表現で」>
この楽章はトレモロに導かれ、低弦が力強い第1主題を奏して印象的に始まり、ヴァイオリンによる慰めるような第2主題を経て、呈示部は葬送行進曲で結ばれ、長大な展開部へ移って行きます。この演奏会では、初めのダブルベースが少しラフでしたし、呈示部や展開部ではトランペットの濁ったような音やホルンの音程の外れが気になりました。それも曲が進むにつれ、集中力が増してきたのか、気になるところはなくなってきました。展開部における破局に至るかのような激しさには圧倒されました。コーダでは葬送行進曲が再現され、静かに消えそうになった時、突如半音階風に下降して、この楽章を閉じます。第1楽章はこれだけでも完結した側面を持っていて、マーラーは次の第2楽章との間は少なくとも5分間の休みを置くように指示していますが、この演奏会では、オーケストラのチューニングの時間を含めても2〜3分ほどの休憩でした。
<第2楽章「きわめて気楽に、けっして急がないで」>
この楽章ではレントラー舞曲が用いられて、弦による楽しげな主題が出てきます。ヴァイオリンが細かい動きのスケルツォ風の旋律(ベートーヴェンの第九のスケルツォに似てると思いますが‥)を奏し、静かな第1トリオの後、金管を中心に活発で色彩的な第2トリオが続き、弦のピチカートの後、ハープが消え入るかのようにして終わります。第2楽章が終わったところでソプラノとメゾソプラノが登場。指揮者を真ん中に聴衆から見て左側に淡いブルーのドレスのメゾソプラノ、右側には淡いピンクのドレスのソプラノと優雅な色調は視覚的に好ましいものでした。
<第3楽章「おだやかに流れるような動きで」>
この楽章はマーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」の第1曲《魚に説経するパドヴァの聖アントニウス》の旋律によるもので、教会に人がいないので魚に向かって説経を始めると、魚たちが集まってきたという寓話に基づくものです。ティンパニの強打に始まり、木管や打楽器のリズムの中からヴァイオリンの流れるような主題が現れます。それがいろいろな楽器で扱われていくうちに次第に陰を帯びて来ます。トランペットの憂いを持った音は魅惑的でした。そして明るく雄壮に金管が鳴り響き、不安でグロテスクな様子を示し、静かに切れ目なく次の楽章へ続きます。
<第4楽章:原光「きわめて荘厳に、しかし素朴に」>
前楽章のホルンとコントラファゴットの響きを受け継ぎ、メゾソプラノが「おお紅いバラよ・・」と歌い出します。マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」の第12曲《原光》を転用したものです。遠くからトランペットの吹くコラールが響いてきます。木管やヴァイオリンのソロやハープと絡み、短いながらも美しく、天国・・そして死への憧れが歌われます。悲劇的な人生が第1楽章で示され、第2楽章で開放された素朴さの中の人生、第3楽章では衝動的な混乱の中の人生が描かれ、この第4楽章に於いて、こうした人生を克服した後、人間には死への憧れが迫ってくるという構成が明らかとなります。この演奏会では、メゾソプラノ独唱とトランペットとの掛け合いのところで、トランペットの音が大きすぎて、独唱の声がよく聞こえず、音量バランスには問題がありました。
<第5楽章「スケルツォのテンポで荒々しく放射するように」>
ここは低弦による大地の鳴動で始まります。トロンボーンやトランペットで第1主題が奏され、第2主題は6本のホルンにより静かに示されます。トロンボーンにより復活の主題が姿を現し、次第に緊張感を増しながら盛り上がりと鎮静を繰り返します。第2部ではそれまで示された主題が様々な手法により展開され、見事なオーケストレーションによって「最後の審判」のカオスの世界が描かれてゆきます。第3部は舞台裏から金管が響き、フルートとピッコロがナイチンゲールの鳴き声を模し、静かに合唱が無伴奏でクロプシュトックの「復活」の賛歌を歌い始めます。「怒りの日」の後の荘厳な夜明けであり、メゾソプラノとソプラノ独唱も加わり、ハープに促されて合唱が「生者は滅び、滅びた者は必ず蘇る・・」と歌います。美しい二重唱の後、再び合唱が加わり、次第に熱気を帯び、「生きるために死す・・そして必ず復活するであろう・・」と力強く歌われます。最後はオルガンが加わって、鐘が打ち鳴らされ、壮大なクライマックスを迎え、輝かしいコーダで曲を閉じます。
<ロットの交響曲第1番から得た霊感>
この曲はナマの演奏でもハンス・ロットの影がちらほらしているのがよくわかり、たいへん興味深いものでした。この「復活」の第3楽章はロットの交響曲第1番第3楽章とその構成、雰囲気がたいへんよく似ています。さらに「復活」の第5楽章でのバンダが奏する旋律については、ロットの交響曲第1番第4楽章でホルンやオーボエのソロとその後の展開と双子のように似ています。マーラーと青年時代に寝食を共にし、同じ空気を吸いながら、早逝してしまったロット。彼が既に10年ほど前に書きあげていた交響曲第1番からの霊感が、このマーラー「復活」にはこめられているように感じます。(CDレビューNo.3参照)

<この演奏を聴いて感じたこと、思ったこと>
トランペットとホルンが活躍し、トロンボーンにもソロがあり、金管楽器奏者には気が抜けない大曲ですが、演奏する充実感はたまらないものだと思います。舞台裏に配置されたバンダの音が遠くから聞こえるように、右側の所が開いたりしましたが、何度も中央のバスドラムの後ろの木壁が開きました。これまで幾度となくこのホールで聴いてきましたが、初めて見たこの光景には驚きました。音響の点からは望ましいかもしれませんが、視覚的には目につく真ん中の所が何度も開閉するので、うっとうしく感じた人もいることでしょう。打楽器は思い切りがよく、実演ならではの凄まじいばかりの迫力でした。途中からバチを持った楽員が加わって、2セットのティンパニを3人でたたいていました。弦楽器・・特にヴァイオリンの柔らかな音は印象的で、トゥッティでも金管に負けずに響いていましたし、全体を通してメロウな響きを聴くことができました。合唱については、技術的なことはわかりませんが、感覚的には可もなく不可もなしというところでしょうか。(アマチュア合唱団の人が言うには「復活」を歌うのは難しいとか‥) アツモンの指揮は鮮烈さや鬼気迫る緊迫感こそありませんが、スケール感や情感は感じられ、安心して聴いていられました。このコンビの演奏会にこれまで何度も足を運び、アツモンの誠実な演奏には裏切られることはありませんでしたが、もうひとつ突き抜けた個性がなかったため、メジャーになりえなかったように思います。
<パネル展示に見る名フィル、過去の演奏会>
そのアツモンと名フィルが1988年に名古屋市民会館で「復活」を演奏した時の写真が、ロビーにパネル展示されていました。独唱者には伊原直子の名前があり、会場が異なるためか今回の配置とは違っていて、合唱の前に独唱者が並んでいました。他にアツモンと名フィルが取り上げたマーラーの交響曲第5番と第9番の演奏会のパネルもあり、その時の演奏を聴いた人にとっては、想い出深いものだったでしょう。また先頃亡くなった岩城宏之と名古屋フィルとの最後の定期演奏会(岩城さんには珍しく交響詩「タピオラ」や交響曲第5番等オールシベリウスプログラムでした)の写真もパネルで展示されていて、その演奏を聴いた小生には非常に感慨深いものがありました。 (2006.09.05
UP)

《参考にしたCD》
♪グスタフ・マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」
☆ ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団&合唱団
エディット・マティス(ソプラノ)、ブリジット・ファスベンダー(メゾ・ソプラノ)
[audite23.402]
☆ オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)、ヒルデ・レッセル=マイダン(メゾ・ソプラノ)
[TOCE‐6089
COM 7 696622]
♪ハンス・ロット: 交響曲第1番ホ長調
☆ レイフ・セーゲルスタム指揮 ノールショピング交響楽団
[BIS‐CD‐563]
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Review
No.018 for Concert
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2006.08.02 19:00 Aichi
Arts Center Concert Hall, Nagoya |
PMF
Orchestra 2006 - Valery Gergiev
Pacific
Music Festival 2006 - Performance in Nagoya |
| Daniel
Matsukawa,
Fagott |
| 出演: |
ワレリー・ゲルギエフ指揮 PMFオーケストラ
2006 (名古屋公演) |
ダニエル・マツカワ、ファゴット
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| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場・コンサートホール
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| プログラム前半: |
モーツァルト作曲 ファゴット協奏曲変ロ長調Kv.191
Mozart: Konzert
für Fagott und Orchester B-dur Kv.191
ストラヴィンスキー作曲 バレエ音楽「ペトルーシカ」(1947年版)
Stravinsky: Pétrouchka
(ver.1947) |
| プログラム後半: |
チャイコフスキー作曲 交響曲第5番ホ短調作品64
Tschaikowsky: Symphonie
Nr.5 e-moll op.64 |
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<PMFオーケストラとは?>
PMFオーケストラはレナード・バーンスタインの提唱により若手音楽家を育成するため1990年に札幌で創設されたPacific
Music Festival のオーケストラです。世界各地からオーディションで選ばれた19〜29歳の若手演奏家が、毎年、世界を代表する指揮者や演奏者の指導を受け、その成果をPMFオーケストラの演奏会において披露してくれます。名古屋では昨年の万博記念演奏会(レビューNo.6参照)に続き、2回目の演奏会が開かれ、ペトルーシュカとチャイコフスキーの交響曲第5番をゲルギエフが振るとあって、期待を持って聴きに行きました。
<生演奏を聴いた後にわかったモーツァルト ファゴット協奏曲の魅力>
最初の曲はモーツァルトのファゴット協奏曲で、独奏はフィラデルフィア管弦楽団の首席ファゴット奏者ダニエル・マツカワでした。モーツァルトの最後の協奏曲はクラリネット協奏曲ですが、このファゴット協奏曲はモーツァルト最初の管楽器のための協奏曲になります。どういう事情でこの曲が生まれたかは明らかではありませんが、当時、音楽好きの貴族はチェロやファゴットを嗜んだので、注文を受けたのでしょう。その優雅で洗練された味わいにより古今のファゴット協奏曲の中で抜きん出た位置を占めており、とても18歳の作品とは思えません。3楽章すべて終わりの方にファゴットのカデンツァが現れ、技巧的なパッセージを 味わうことができます。1800人を収容するホールで、この地味な音色のファゴットを独奏として聴くと、音量も小さくて響かず、もうひとつ感興がわきませんでした。PMF室内プログラム主任の出番を設けるため、この曲がオーケストラプログラムに載ったのかなと推察しますが、こうして生で聴いてからCDを聴いてみて、この曲は何と魅力に満ちているのか遅まきながら気がつきました。特に第2楽章でのファゴットとオーボエ(特
に1970年代中頃までのウィーン・フィルのオーボエの音色!)の掛け合いは絶品です。
<「ペトルーシュカ」の成り立ちと楽器編成>
ストラヴィンスキーが「火の鳥」と「春の祭典」の間に作曲したバレエ音楽「ペトルーシュカ」は、当初ピアノとオーケストラのための協奏曲風な作品として計画されました。しかしディアギレフからバレエ音楽に書き改めるよう勧められ、1幕4場からなるバレエ音楽として1911年に完成し、パリのシャトレ座でのロシアバレエ団の公演、ピエール・モントゥーの指揮により初演されました。初版はフルート4本、トランペット2本にコルネット2本が加わったりする4管編成で書かれました。後にそれを改訂し、3管編成に縮小したものが1947年版で、今回はその版で演奏されました。編成が縮小されたとはいえ、モーツァルトのファゴット協奏曲の時とはうってかわって、ダブルベースが10本、チェロ12本で、大太鼓、小太鼓、ティンパニなど打楽器群がずらっと並び、ハープとチェレスタ、そしてピアノが加わります。チューバらしき楽器は2本用意され、ひとりの奏者が持ち替えて吹いていました。
<物語のあらすじ>
このバレエは1830年頃、帝政ロシア時代のペテルブルクの広場での謝肉祭を舞台とした人形芝居の物語です。主人公の道化人形ペトルーシュカ(ロシア農民に多いペーターという名前の愛称)は、バレリーナの人形に恋をしてふられ、ムーア人にいじめられ殺されてしまい、最後にペトルーシュカの亡霊が現われるというものです。
<第1場(謝肉祭の日‐手品師の芸‐ロシアの踊り)と第2場(ペトルーシュカの部屋)>
第1場はフルートのソロを皮切りに謝肉祭の市場の賑やかさが色彩豊かに描かれ、様々な楽器のソロで馴染みあるメロディーのロシア舞曲が出てきます。第1場の中間部と各場の繋ぎとして小太鼓とティンパニ(女性でしたが)のトレモロがあるのですが、意外に大人しく荒々しさに欠けました。第2場はペトルーシュカの心理状態がピアノ、クラリネットやファゴットで表され、ピアノの美しいデリケートな響きが印象的です。物語は恋こがれているバレリーナが入ってきて、ペトルーシュカが自分の思いを打ち明けるのですが、バレリーナは受け付けずさっさと出て行ってしまいます。ペトルーシュカの嘆きと絶望がクラリネットソロで表されます。

<第3場(ムーア人の部屋‐バレリーナの踊り‐バレリーナとムーア人のワルツ)>
第3場は音楽が面白い場面だと思います。「春の祭典」かと思うような荒々しいフレーズで始まり、映画「ジョーズ」の音楽(ジョン・ウイリアムズ作曲)にパクられたと思われる低弦がスタッカートのリズムを刻む不気味なフレーズが顔を出します。バレリーナが登場し、ここはトランペットのソロが大活躍するところです。バレリーナとムーア人が踊るところはヨーゼフ・ランナーのウインナワルツ「シェーンブルンの人々」の旋律からの引用です。ここでペトルーシュカが現れ嫉妬し、ムーア人とバレリーナを巡って争う場面になりますが、敗れて追い出されてしまいます。
<第4場(謝肉祭の日の夕暮れ‐子守女の踊り‐熊を連れた農夫‐ジプシーと陽気な行商人‐御者の踊り‐仮面‐けんか‐ぺトルーシュカの死‐警官と人形使い‐ぺトルーシュカの幽霊)>
管弦楽のトゥッティによる「謝肉祭の日の夕暮れ」の情景は、この曲の白眉と言えるところだと私は思っています。数ある演奏の中で光彩を放つスベトラーノフのライブCDは、非常にゆっくりとしたテンポで、あたかも眼前に繰り広げられる絵巻物であるかのようにこの場面を見事に表わしています。ここをゲルギエフはどういうテンポでいかに表現するか大変興味がありました。残念ながら他の多くの演奏と同じく速めのテンポでさっと流し、期待どおりとは行きませんでした。しかしこの後、終始前へ前へと向かうパワーのある演奏には圧倒されました。いちばん印象に残ったのは「ジプシーと陽気な行商人」の場面です。ここでのうねるような弦楽器群のボウイングはバトン無し(指揮台も無し)で指揮するゲルギエフの腕とあたかも糸で結ばれているかのようにびったり合っていて、動画を見ているような光景でした。金管群は、その鋭い音が、時々耳にキンキンすることや、全奏での濁った音が、最初のうちは気になりましたが、「御者の踊り」「仮面」では覇気のあるすばらしい演奏を繰り広げてくれました。物語は群衆の踊りがクライマックスに達した時、ペトルーシュカはムーア人に追われて飛び出し、剣の一撃で死んでしまいます。人形使いがその屍を引きずって行くと、トランペットが甲高く不気味に吹かれて、ペトルーシュカの幽霊が現れ、最後は弦のピチカートにより静かに曲は閉じます。見事な演奏に盛大な拍手が送られ、特に上手いソロを聴かせてくれたトランペットは大喝采を浴びていました。「ペトルーシュカ」は「春の祭典」の陰に隠れて、あまり話題には上りませんが、PMFオーケストラによる若々しく溌剌とした実演に接し、この曲の素晴らしさを再認識しました。ところで演奏会で聴くバレエ音楽もいいのですが、一度バレエを見ながらこの曲を聴いてみると、もっと楽しめるかなと思いました。
<チャイコフスキー 交響曲第5番でのゲルギエフの表現は‥>
後半のチャイコフスキーの交響曲第5番では打楽器群が抜けて、ステージ後方はぼっかり空きができましたが、弦楽器の数はそのままでした。第1楽章は厚みのある低弦と重々しいクラリネットのソロで始まります。第1主題の終わりのところでアッチェランドをかけるところや第1楽章の終わりでのクレッシェンドを聴くと、ムラヴィンスキーの演奏をふと思い起こしました。しかしそれ以降の表現方法は違っていました。速いテンポに凝縮された力強さを漂わせたムラヴィンスキーに対し、ゲルギエフは若いオケのエネルギーをそのまま放出し、ぐいぐい進んで行きます。休止なしで続けて演奏された第2楽章は、表情豊かで起伏に富んだ演奏でした。弦楽器の序奏の後、ホルンのソロによる長い哀愁のある旋律は、ロシア風のくすんだ音色とは違いますが、完璧な技巧で聴かせました。やがてオーボエのソロと弦を中心にした優しさに満ちた副主題に移り、中間部低弦の響きに乗ったフレーズ(私の大好きなところ!)では、小刻みな低弦がよく響いて聴こえてきました。この後、「運命」を表す主旋律が金管により、けたたましく鳴り響き高揚して行きます。そしてもう一度、主旋律が轟いて、静かにこの楽章は閉じられます。
<ゲルギエフと若い演奏家たちによる燃えあがった熱い演奏>
第3楽章は、これまで通例だったスケルツォではなく、ワルツを用いたことが新機軸と言われています。ゲルギエフによるワルツの味付けは少し濃いめだったような気がしました。楽章の終わりでのワルツに曲冒頭の運命のモチーフがひそかに現れ、現実に引き戻されます。引き続いて演奏された第4楽章は最初に第1楽章冒頭のモチーフが長調に変化した形で弦合奏、次に管合奏で力強く現れ、運命を克服した姿を見せます。主部のアレグロに入る時のテンポは、ムラヴィンスキーの演奏をほうふつとさせました。力強い第1主題と木管の優美な主題が交互に現れ発展し、再現部は弦と金管による壮大なクライマックスとなり、ティンパニの連打、そしてコーダへ。ここでは一気加勢に怒涛のような勢いの演奏で圧倒されました。終わってからの聴衆の熱狂ぶりは近来にないものでした。そういえば、最近の演奏会での聴衆の年齢層は高くなってきていると感じていましたが、この演奏会では若い人も多く、若い演奏家の元気な演奏に熱狂していたのでしょう。あまりこのオーケストラと合わせる時間がなかったようでしたが、ゲルギエフのカリスマ性が発揮され、若い演奏家たちの若々しいエネルギーが燃えあがった熱い演奏でした。(2006.09.27
UP)

《参考にしたCD》
♪ モーツァルト: ファゴット協奏曲 変ロ長調Kv.191
☆ ディートマー・ゼーマン(ファゴット) カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[DG
457 719‐2](1973年録音)
♪ ストラビンスキー: バレエ音楽「ペトルーシュカ」
☆ エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ソビエト国立交響楽団
[Classical Records CR‐031]
♪ チャイコフスキー: 交響曲第5番 ホ短調 Op.64
☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[DG CR‐031](1960年録音)
☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[ALTUS ALT052](1977年10月19日
NHKホール Live録音) |
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Review
No.019 for Concert
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2006.09.15 18:45 Shirakawa Hall, Nagoya |
Central
Aichi Symphony Orchestra - Chosei Komatsu
Subscription
Concert No.81 |
| Yuji
Ishikawa,
Cello |
| 出演: |
小松長生指揮 セントラル愛知交響楽団 (第81回定期演奏会) |
石川祐支、チェロ
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| 演奏会場: |
しらかわホール、名古屋
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| プログラム前半: |
エルガー作曲 2つの小品から 「朝の歌」 作品15-2
Edward
Elger: "Chanson de matin" op.15-2
エルガー作曲 チェロ協奏曲ホ短調作品85
Edward
Elger: Cello Concerto in E minor op.85 |
| プログラム後半: |
エルガー作曲 愛の挨拶 作品12
Edward
Elger: "Salut d'amour" op.12
エルガー作曲 エニグマ(謎)変奏曲 作品36
Edward
Elger: Variations on an Original Theme for orchestra,
op.36 ("Enigma") |
| アンコール曲: |
エルガー作曲 エニグマ(謎)変奏曲から 第9変奏「ニムロッド」
Edward
Elger: "Nimrod"
from Enigma-Variations |
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<しらかわホールとセントラル愛知、小松長生について>
しらかわホールは名古屋の中心街、伏見に民間生命保険会社が建設し、運営する収容人数700名の音楽専用ホールです。セントラル愛知の演奏会をこのホールで聴くのは今回が2回目でした。前回聴いた演奏会は3年前に遡り、飯森範親の指揮によりチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」やカバレフスキーのチェロ協奏曲等が演奏されました。熱演ではありましたが、1983年に発足したプロのオーケストラにしては、技術的にまだまだ未熟という印象でした。今回は、2004年に音楽監督に就任した小松長生の指揮によるオール・エルガープログラムということで久しぶりに聴きに行きました。私が小松さんの指揮するオーケストラを初めて聴いたのは、1993年3月、サントリーホールでの日本フィルの名曲コンサートでした。オルガン側のP席で聴いたアメリカのポピュラー名曲(バーンスタインの「キャンディード」序曲やジョン・ウイリアムズの「スターウォーズ」組曲など)の明快で活き活きとした演奏は今も強く印象に残っています。
<シューボックス型コンサートホールの宿命?>
さて、この日は当日券でしたので、サイドバルコニーのC席(2千円)しかありませんでした。その席は向かって舞台の右側で、指揮者や独奏者を真近に見下ろすことができるのですが、席の前の欄干がちょうど邪魔して、非常に見にくいところでした。さらにシューボックス型のコンサートホールの宿命かもしれませんが、席は舞台や1階平土間方向に直角に固定し設置されています。席の配置をもう少し工夫できないものでしょうか?もう20年も前になりますが、ウィーンのムジークフェラインザール大ホールのサイドバルコニー席に座ったことがあります。その椅子は固定式ではなく通常の椅子で、舞台の方に向いて座ったことを覚えています。日本でもシューボックス型のホールが増えてきていますが、やはりこのしらかわホールのような視覚を軽視したレイアウトになっているのでしょうか?
<エルガーとキャロライン夫人>
エドワード・エルガー(1857〜1934)はイギリスの平民で、ピアノ教師などで生計を立てながら、独学で作曲を学びました。認められるようになったのは比較的遅く、「エニグマ変奏曲」(1899年)、「威風堂々」(1901年)によって、一躍イギリスを代表する作曲家となりました。エルガーの才能を早くから信じ生涯を通して篤く支えた人物がいました。エルガーが31歳の時、出会った8歳年上のキャロライン・アリス・ロバーツです。エルガーは彼女にピアノを教えていたのですが、彼女から自作の詩「愛の恩寵」を送られ、エルガーは「愛の挨拶」を贈り、結婚しました。生涯良い伴侶だった彼女に関わりの深い作品を、今回のエルガープログラムで聴くことができました。
<愛らしい小品「朝の歌」>
前半のプログラム最初の曲、「朝の歌」の原題は”Chanson de matin”とフランス語で表記され、「夜の歌」”Chanson
de nuit”とペアになっている作品です。もともとヴァイオリンとピアノのために書かれた愛らしい3分ほどの小品で、オーケストラ版は1901年に初演されました。ここでの演奏は、まだ弦楽器が揃うに至らず、技術的にもっと精度が欲しいところ。。
<エルガー最期の大作 チェロ協奏曲>
この曲は1919年、エルガー62歳の円熟期の作品で、彼は当時既に2つの交響曲などの作品により近代イギリス音楽界最大の作曲家としての地位を確立していました。全体は4楽章構成で調性はホ短調をとっています。初演は友人で、作曲時に技術上の助言を行ったフェリックス・サモンドをチェロ独奏者として、作曲者の指揮ロンドン交響楽団により行われました。この時のロンドン響のチェロパートのメンバーに若いチェリストがいました。1965年、ジャクリーヌ・デュ・プレを独奏者としてロンドン交響楽団を指揮し、この曲を録音したジョン・バルビローリその人です。第1楽章
Adagio/Moderatoは、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を想わせる荘重な前奏に始まります。エルガーはこの部分を「ノビルメンテ(高貴に)」と指示しています。はじめは憂鬱な空気が漂いますが、続く主部は第1主題、第2主題ともにロマンチックな味わいを持っています。終結部のティンパニは芯のある音を出し、オケも覇気のある演奏でした。チェロのピチカートで第2楽章
Lento/Allegro moltに休止なしで入るのですが、この部分はそのリュート風の独特な響きが印象的なところです。チェロが活躍するところで、速いパッセージの部分はチェロの魅力が十二分に発揮されます。第3楽章
Adagioは独奏チェロが静かに叙情味を漂わせ聴かせます。第4楽章 Allegroは第1楽章の陰鬱な空気と活気が交錯し、チェロと最弱音でのオケの伴奏により第3楽章の静寂が再現されます。そして第1楽 章冒頭のテーマとこの終楽章のテーマによる短いコーダで締めくくられます。
<チェロ独奏者;人は見かけによらぬもの…>
チェロ独奏がすばらしい出来だったと思います。ニワトリのトサカのような髪形に少し茶髪でヤンキーな感じの風貌ですが、人は見かけによらぬもの…。緊張感に溢れ、チェロが私の席に近いこともあって、音がよく聞こえ、暗く重々しい表現のパートはじっくり聴かせました。後で分かったのですが、前回聴いたセントラル愛知の演奏会でカバレフスキーのチェロ協奏曲を熱演した独奏者と同一の人でした。
<馴染みの「愛の挨拶」>
後半プログラムの最初に置かれた「愛の挨拶」は、1曲目の「朝の歌」の演奏に比べて弦が揃うようになり、馴染みのメロディーが心地よく聴けました。ただ弦楽器にもっと艶が欲しいところです。どちらかと言うと管弦楽編曲のものよりも、ヴァイオリン独奏+管弦楽編曲の方が魅力的だと思います。
<エニグマ変奏曲・各変奏のあらまし>
イニシャル付きの謎かけの表題を伴って、エルガー本人と夫人・・そして彼の友人たちとブルドックが、14の変奏曲により、その特徴を捉らえながらユーモラスに描かれています。
〔主題〕 アンダンテ 弦楽器で静かに演奏される主題は、やや哀愁を込めて始まります。
〔第1変奏〕 C.A.E.:Carolyn Alice Elgar(キャロライン・アリス・エルガー)エルガー夫人の肖像画。夫人はその人柄を示すように優しさと温かみをもって穏やかに示されます。
〔第2変奏〕 H.D.S‐P.:Stuart‐Powell(H.D.ステュアート・ポウェル)室内楽仲間のアマチュアピアニスト。ヴァイオリンのせわしないテンポに乗って、主題が低弦で示される短かい変奏です。
〔第3変奏〕 R.B.T.:Richard Baxter Townshend(リチャード・B・タウンゼンド)笑わせるのが得意なアマチュア役者。低い声から裏声への突然の跳躍などが弦のピチカートとオーボエによってマズルカ風に変奏されます。
〔第4変奏〕 W.M.B.:William M.Baker(ウィリアム・M・ベイカー)精力あふれ豪放な田舎の大地主。トランペットとティンパニなどで示される活発で非常に短い変奏です。
〔第5変奏〕 R.P.A.:Richard P.Arnold(リチャード・P・アーノルド)有名な詩人の息子。うわの空の夢見心地で自分の世界に浸るかと思うと、突然快活になる様子を描いています。ゆったりとしたテンポで始まり、低弦とホルンが示すメロディーは「ボルガの舟歌」を思い起こします。何度か出て来るフルートなど木管の軽快で愛らしいメロディーが印象的です。
〔第6変奏〕 Ysobel:Isabel Fitton(イザベル・フィットン)アマチュアのヴィオラ奏者。エルガーにヴァイオリンを習ったのですが、ヴィオラに転向したので、ヴィオラが活躍します。
〔第7変奏〕 Troyte:Arthur Troyte Griffith(アーサー・トロイテ・グリフィス)議論・口論好きな建設家。嵐のような攻撃的な気性がティンパニと金管と弦楽器により特色のあるリズムが刻まれます。
〔第8変奏〕 W.N.:Winifred Norbury(ウィニフレッド・ノーべリー)典雅な老婦人。中間部では貴婦人たちの優雅なおしゃべりと笑い声が木管によって表されます。
〔第9変奏〕 Nimrod:August Jaeger(アウグスト・イェーガー)エルガーを支えた出版社の社員で、よき相談相手だった親友。Nimrodは旧約聖書に出て来る狩人ですが、Jaegerはドイツ語で狩人を意味するため、ニックネームとして使用されています。物静かで誠実な紳士を描き、穏やかな美しさに溢れ、もっともよく知られている変奏です。
〔第10変奏〕 Intermezzo.Dorabella:Dora
Penny(ドーラ・ペニー)間奏曲:いつも言葉つきが愛らしく言いよどむ若い女性の様子をオーボエとクラリネットで表しています。愛称ドラベラは、モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」に登場する人物に由来しています。
〔第11変奏〕 G.R.S.:Dr.George Robinson
Sinclair(シンクレアー医師)愛犬ブルドック「Dan(ダン)」が堤をかけ下りて川へ飛び込む様を描写したといわれています。目まぐるしいテンポによって金管、ティンパニと弦合奏で表現されます。
〔第12変奏〕 B.G.N.:Basil Nevinson(バジル・ネウ゛ィンソン)室内楽仲間のチェリスト。チェロのソロに始まり、チェロと弦楽合奏により内省的でノーブルな雰囲気が示されます。
〔第13変奏〕 Romanza.☆☆☆ 記号は「不在」を意味し、この変奏の中でメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」の旋律が用いられていることから、作曲当時オーストラリアへ航海中だった
Lady Mary Lygon(メアリー・リゴン)と推察されています。最弱音のヴィオラとクラリネット・ソロは海原に浮かぶ汽船の中の婦人に思いをはせるシーンを示しています。
〔第14変奏〕 Finale.E.D.U.:(”Edu”Elgar)終曲。エルガーの自画像。エルガー夫人は彼を「エデュー」の愛称で呼んでいたそうです。行進曲風に始まり、第1変奏C.A.E.や第9変奏Nimrodなどが回想風に現れ、オルガンも加わったコーダで輝かしく曲は閉じられます。
<長らく縁のなかった「エニグマ変奏曲」>
この曲の名前はずいぶん前から知ってはいたのですが、どういう訳か、これまで私には縁のない曲でした。1970年代前半にサー・チャールズ・グローブスとBBC交響楽団が名古屋で演奏会を持ち、この曲がメインプログラムになっていました。食指は動いたのですが、交響曲ではなく、「エニグマ(謎)」という奇妙な名前の変奏曲が、なぜメインプログラムなのか?と、結局その演奏会には足を運びませんでした。この曲のCDは持っていましたが、じっくり聴くことはありませんでした。2004年6月、大植英次指揮ハノーファー北ドイツ放送フィルの演奏会において、アンコールに演奏された曲のひとつが、この「エニグマ(謎)」の第9変奏Nimrod(ニムロッド)でした。その何とも言えない叙情味あふれる穏やかな曲想は強く印象に残りました。そして今回のセントラル愛知の定期演奏会において、やっとナマで全曲を聴く機会が訪れたというわけです。
<セントラル愛知の演奏と今後望むこと>
「エニグマ」変奏曲は、有名な第9変奏Nimrod(ニムロッド)以外の変奏にも独特の個性があるのですが、セントラル愛知はその様々な変奏を充実した演奏で描き出していました。メリハリの効いたダイナミックでスピーディーな演奏は指揮者によるところ大だと思います。オケは金管、木管ともに堅実な響きで、打楽器、特に第7変奏Troyte(トロイテ)でのティンパニの乱れ打ちはバシッと決まっていました。第13変奏Romanza.☆☆☆
ではクラリネットソロの背後で小太鼓の響きのような音が聞こえてきました。しかし小太鼓を叩いている様子はなく、よく見てみるとティンパニを小太鼓のバチでたたいていたのです。オケの編成はホルンが4本、トランペットが3本等と管はそこそこの数なのですが、弦の数は見た目にも少ないことは明白です。また独奏のヴィオラ、チェロにはもっと豊かな響きが欲しいところです。この曲は本来オルガンが入るわけですから、パイプオルガンが備わっているもう少し大きなホールでやってほしいものです。以前このオーケストラを聴いた時と比べると、技術的には格段の進歩が感じられ、特に管楽器は堅実な響きで安心して聴くことができした。これから必要なことは弦楽器の拡充、潤いのある響きと余裕かなと思いました。アンコールは「威風堂々」第1番を予想していましたが、外れで再度「エニグマ」変奏曲からNimrod(ニムロッド)が演奏されました。エルガーの世界にどっぷり浸った一夜となりました。
(2006.10.31 UP)
《参考にしたCD》

♪ エルガー 2つの小品から「朝の歌」 Op.15‐2
☆ サー・エードリアン・ボールト指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
[EMI CLASSICS CDM
7 64013 2](1967年録音)
♪ エルガー チェロ協奏曲ホ短調 Op.85
☆ ジャクリーヌ・デュ・プレ、チェロ
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン交響楽団
[TOSHIBA-EMI TOCE‐7222](1965年録音)
♪ エルガー 「愛の挨拶」 Op.12
☆ ギル・シャハム、ヴァイオリン
オルフェウス室内管弦楽団
[DG UCCG‐3157/8](1995年録音)
♪ エルガー 「エニグマ」変奏曲 Op.36
☆ サー・チャールズ・マッケラス指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
[HMV 5 72138 2](P:1986年)
☆ サー・エードリアン・ボールト指揮
ロンドン交響楽団
[EMI CLASSICS CDM 7 64015
2](1970年録音)
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