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Review
No.010 for Concert
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2006.01.20 19:00 Suntory
Hall, Tokyo |
| Tokyo
Philharmonic Orchestra - Vladimir Fedoseyev |
| No.715
Subscription Concert at Suntory Hall |
| アーティスト: |
ウラディミール・フェドセーエフ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団 |
| ソリスト: |
福井 敬(テノール) 牧野 正人(バリトン) 東京オペラシンガーズ(合唱) 東京少年少女合唱隊(児童合唱) |
| 演奏会場: |
サントリーホール(東京 赤坂) |
| プログラム前半: |
カリンニコフ作曲 交響曲第1番ト短調 |
| プログラム後半: |
ショスタコーヴィッチ作曲 オラトリオ「森の歌」 (フェドセーエフ版 日本初演) |
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<フェドセーエフが振る唾えんのプログラム>
フェドセーエフが東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でカリンニコフの交響曲第1番を取り上げ、ショスタコーヴィッチのオラトリオ「森の歌」も演奏するという唾えんのプログラムに大きな期待を持ってサントリーホールへ出かけました。カリンニコフの交響曲第1番はアマチュアオーケストラの演奏会では時折取り上げられるようですが、プロのオーケストラではめったになく、有名なところでは今は亡きスヴェトラーノフが1993年2月にN響を振って以来のことではないかと思います。座席は2階後方の真ん中から右寄りで、ステージ全体が俯瞰できるところでした。「森の歌」の合唱団用に半楕円形に台が用意されており、ステージ左側のヴァイオリンの後ろにハープ、その横にティンパニーが並び、正面中央には木管、その後ろに金管、右側は前面にヴィオラ、その奥にチェロ、後方にダブルベースという配置でした。
<実演での新たな発見>
憧れと夢に満ち溢れた曲を作ったカリンニコフは、極貧のため健康を害し、1901年わずか35歳で早逝しましたが、今も彼の作曲した交響曲に胸を打たれます。フェドセーエフは第1楽章第1主題から終始遅いテンポで運んだのには少し驚きましたが、ヴィオラ、チェロ、ホルンによる第2主題は伸びやかで響きは柔らかでした。彼は恐持てで爆演指揮者のイメージを持っていたのですが、その指揮ぶりはこの演奏と同様、流麗で柔らかく、受けた印象はイメージとはまったく違っていました。展開部のフーガにおいて、旋律が第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→チェロとダブルベース→ヴィオラ・・と並んでいる配置のとおり左側から右側へ受け継がれて行く様子が手に取るようにわかりました。楽器の配置を演奏に合わせて見聴きしていると、新しい発見があって楽しくなります。再現部では第2主題にハープが加わり、それは実に効果的です。これまで何度となくこの曲をCDで聴いてきましたが、ハープが第1楽章でも使われることに、遅まきながらこの演奏会で初めて気がつきました。その後、曲想は高まり、クライマックスの高揚感には胸躍らされました。
<幻想的で叙情溢れる楽章>
第2楽章は、イングリッシュホルンと第2ヴァイオリンの出だしが今ひとつでしたが、ヴァイオリンのピチカートの響きや、ナマで聴くハープが醸しだす雰囲気は何とも言えないものでした。また、第1ヴァイオリンが奏でるもの憂いメロディーのバックに、第2ヴァイオリンのピチカートが効果的に使われているのも初めて知りました。それにしても何と幻想的でリリシズムに溢れた楽章なのでしょう‥。
<速いテンポで押し通したフェドセーエフ>
第3楽章はA‐B‐Aの三部形式になっていて、Bの中間部分ではオーボエが哀愁漂う旋律を比較的遅いテンポで演奏するのが通例だと思いますが、フェドセーエフはAの舞曲風のテンポとコントラストをつけず、そのまま速いテンポで押し通しました。ここではじっくり味わい深い表現を期待していたのですが、肩透かしを食わされた感じです。
<感涙に咽んだクライマックス>
第4楽章では冒頭の第1楽章第1主題につづく舞曲をフェドセーエフはそれほど速くないテンポで進めます。伸びやかで心躍らす旋律に続き、金管が加わり盛り上がってきて、段々気持ちも舞い上がってきます。第1楽章〜第3楽章の旋律が走馬灯のように現れては消えて行くのですが、ここはカリンニコフの交響曲の特色とも言えるところで、曲全体に統一感と彩りを与えています。最後のクライマックスは速いテンポで、その盛り上がりは素晴らしく、この曲を実演で聴ける喜びと感動で涙が滲んで来ました。見事な演奏に聴衆の万雷の拍手はなりやまず、フェドセーエフは何度もステージに呼ばれました。前 半のプログラムでこれほど拍手が続くのはあまりないことだと思います。カリンニコフの音楽に惹かれた人には忘れられない演奏会となったのではないでしょうか。次はいつの日かこの曲の陰に隠れた勝るとも劣らないカリンニコフの交響曲第2番が実演で聴けたらなぁ‥。
<フェドセーエフ版「森の歌」>
後半のショスタコービッチのオラトリオ「森の歌」では、オーケストラの背後に向かって左側に少年少女合唱団、正面には女性合唱団と男性合唱団が並び、バリトンとテノールの独唱者は合唱団の前に並んでいました。これにパイプオルガンの両脇に配置された金管群が第7曲「賛歌」で加わりました。第1曲「戦争が終わって」は静かに始まり戦後、戦い守った国土を緑の大地に変えていこうという決意をオーケストラとバリトンが交互に演奏していきますが、柔らかな響きで聴かせました。第2曲「祖国に緑を着せよう」では女性合唱が溌剌と速いテンポで建設意欲を力強く示しますが、第3曲「過去の記憶」ではバス独唱と混声合唱が過去の干ばつについての暗い思い出を重々しく歌います。第4曲「ピオネールたちは木を植えている」は子供たちが植林に勤しむ姿を歌ったもので、少年少女合唱団の出番で元気のいい歌声が響いて楽しくなります。引き続き演奏される第5曲「コムソモールたちは前進する」では混声合唱が雄々しく怒涛の勢いを示すところですが、フェドセーエフは手綱を締め、圧倒するような激しさは感じませんでした。第6曲「未来の散歩道」では国土緑化の夢について合唱のボカリーズに合わせテノールが民謡を歌い、静かで叙情性に満ちています。そして第7曲「賛歌」のクライマックスでは第1曲の旋律が再現され、金管が鳴り響き、合唱が加わって、植林の成功とレーニンの党に栄光あれ・・と大きく盛り上がって終わります。明快でわかりやすく、朗々とした合唱と共に音楽を聴く上では純粋に楽しめるのですが、ご承知のようにこの曲をショスタコービッチは権力の圧力に媚びて作曲したとされています。今回の歌詞は「フェドセーエフ版」でスターリン賛美の部分を書き変えた1962年改訂版をもとに一部原典版からの歌詞を持ってきたものとのことで、ロシア語歌詞の意味自体がわからないのですから、改訂と言われてもピンと来ません。ソ連が崩壊し、イデオロギー闘争のない今、スターリン賛歌のままの歌詞でも過去の遺物として捉らえれば、シリアスに考える必要はないと思います。最後に一言、すばらしい合唱でした。
(2006.02.01 UP) |
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