ミスター・アートのコンサート&CDレビュー♪
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 Review No.020  for Concert
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 1973.5.21 19:00  Kyoto-Kaikan Large Hall
 Leningrad Philharmonic Symphony Orchestra - Yevgeni Mravinsky
アーティスト: エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 京都公演
演奏会場: 京都会館 第1ホール (1973年5月21日)
プログラム前半: ショスタコーヴィッチ作曲 交響曲第6番ロ短調作品53
プログラム後半: チャイコフスキー作曲 交響曲第5番ホ短調作品64
アンコール曲: リャードフ作曲 「バーバ・ヤーガ」作品56  グラズノフ作曲 歌劇「ライモンダ」第3幕への間奏曲
<ムラヴィンスキーのレコードから始まる>
若かりし頃、夜更けに机に向かって、ロシア女性が描かれているレコードジャケットを見て、もの想いにふけりながら聴いていたのは、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルによるチャイコフスキーの交響曲第5番のレコードでした。そしてこのコンビによりこの曲の実演を聴ける日をずっと心待ちにしてきました。1958年にムラヴィンスキーとレニングラード・フィルとの初来日が予定されていましたが、ガウクなど3人の指揮者に変更になり、それ以降は録音だけで知られる「幻の指揮者」と言われていました。1970年の大阪万博の時、ソ連の威信をかけ、文化使節としてボリショイオペラ、リヒテルとともにムラヴィンスキーの初来日が予定され、私も名古屋での演奏会のチケットを購入しましたが、結局、彼は来られませんでした。健康上の理由とされましたが、実際は彼と軋轢を起こしていたレニングラード州共産党(通称スモーリヌイ)から出国許可が得られなかったということが真相だったようです。こうして私自身が最初に体験した生演奏は、ムラヴィンスキーの代わりに指揮したアルヴィド・ヤンソンスとレニングラード・フィルとなったのです。(その時のショスタコーヴィッチ 交響第5番のすばらしい演奏はAltusの大阪公演のライブCD[ALT094]で聴けます。)

<初来日公演の日、幻の指揮者との握手>

その3年後の1973年5月、ムラヴィンスキーが来日することが急遽決まり、直前の3月にチケットが発売されました。しかし、大阪万博時の来日中止による失望感が残っていて、またいつ中止になるかわからないという不安感をぬぐいきれませんでした。それでも聴きたい一心から、彼の指揮による演奏会が名古屋で予定されていなかったため、来日最初の公演が行われる京都会館での演奏会のチケットを手に入れました。大の飛行機嫌いで、シベリア鉄道と船を乗り継いで9日間かけて来るとあって、70歳という高齢で病身の彼が、長旅に耐え来日できるかどうか祈るような気持ちで、その日5月21日を待ちました。この幻の指揮者を一目、間近で見たいと、開演の何時間か前に疎水べりにある京都会館の楽屋出入口付近で待っていました。やがてハイヤーが来て、長身のムラヴィンスキーが降りてきました。私と同じようにムラヴィンスキーを待ちかまえていた若い男性が、サインを求めたところ、やんわりと断られていました。その傍にいた私は「ズドラーストビーチェ(ロシア語でこんにちは)」と言って握手を求めると、ムラヴィンスキーは手を差し出してくれました。その手は大きく柔らかだったことを今でもはっきり覚えています。

<圧倒され衝撃を受けたショスタコーヴィッチの交響曲第6番の演奏>

レニングラード・フィルが舞台に勢揃いし、聴衆ははたしてムラヴィンスキーが現れるかどうか気をもんでいたと思います。この張りつめた緊張感はこれまで経験したことのないものでした。最初に演奏されたショスタコービッチの交響曲第6番は緩‐急‐急と楽章を追うごとにテンポが早くなっていく構成になっていて、ソナタ形式の楽章がない点からもユニークであると言われています。第1楽章の出だしから厳かな雰囲気が漂い、木管や弦が内省的に静かに響きます。途中ソロトランペットが突き抜けるように響きますが、再び木管や弦により暗く沈静していきます。その響きは悲痛にも幻想的にも感じられます。第2楽章は一転して明るくのびやかなスケルツォで、洗練され厚みのある弦に乗って木管が動き回り、金管が時折畳み掛けるように加わります。第3楽章はスピード感と快活さに溢れたギャロップ調の主題が楽章が進むにつれ熱く沸き立ってきます。統率のとれたオーケストラの完璧で見事な演奏に完全に圧倒されてしまいました。この曲の巨大かつ繊細な響きはしばらく頭の中で鳴り響いていました。この第6番のシンフォニーは1939年にこのコンビにより初演されましたが、好評を博すまでには至らなかったようです。しかしこの曲を初来日の最初のプログラムに載せるのはムラヴィンスキーがいかに重要視しているかを示しています。ちなみに1956年のショスタコーヴィッチ生誕50周年記念コンサート、1976年のショスタコーヴィッチ追悼ツィクルス、1981年のショスタコーヴィッチ生誕75周年記念コンサートといった節目の度に、この曲は必ず演奏されていました。この後の東京公演で絶賛を博した交響曲第5番の陰に隠れて、あまり話題になりませんでしたが、私にとって、初めて接したこの交響曲第6番は、最も衝撃を受けた曲であり演奏であったと今にして思います。

<魅了されたチャイコフスキー交響曲第5番の演奏>

後半のチャイコフスキー交響曲第5番の演奏はこれまで幾度となく聴いてきたこのコンビによるウィーンでのドイツグラモフォン1960年録音のレコードとそのフォルムは同じで、過度な感傷や感情を表に出すことなく、理性的なものでした。そこに実演での緊張感とオーケストラのリアルな響きが加わわるのですから‥その凄さは何と表現したらいいのでしょう。客席側から見て、コントラバスやチェロを左側に、金管を右側にした伝統的な対抗配置のオーケストラから、ムラヴィンスキーは整然としたテンポで、スタイリッシュな中に凝縮した力強さと叙情性が感じられる音楽を引きだし、魅了されました。ムラヴィンスキーは次のように語っています。「ロシア古典の中ではチャイコフスキーを一番愛している。そして、常に作曲家が今生きている人のように思って演奏する。これまでのチャイコフスキーの演奏では感傷的な要素が強調されすぎてきた。私はむしろパセティックな面を重視する。もちろん私は西欧作品もできるだけ手掛けるようにしている。チャイコフスキーもショスタコーヴィッチも原則的にはベートーヴェンのあとを継いでいるからだ。」

<ムラヴィンスキーの想いをこめたアンコール曲>

ムラヴィンスキーはアンコールはやらないと言われていましたが、思いもかけず2曲アンコールをやってくれました。ともに当時初めて聴く曲で、演奏会終了後、ロビーでの貼紙を見てその曲名を知りました。ロシア国民学派の作曲家であるリャードフとグラズーノフの作品でした。とくにグラズーノフはムラヴィンスキーの幼年時代を導いてくれた優しい人で、その想いもあって、彼のバレエ音楽から間奏曲をアンコールに選んだのかもしれません。1曲目のリャードフの「バーバ・ヤーガ」はロシア民話に出て来る妖婆を描いたもので、デュッカの「魔法使いの弟子」を思い起こさせます。木管、金管そして打楽器が不気味かつ何となく愛嬌のある雰囲気を表現し、最後はピッコロがヒュッと鳴って曲は終わります。この後の東京公演がNHKテレビで放映され、同じアンコール曲の最後でピッコロが鳴った時、厳しい顔つきのムラヴィンスキーが茶目っ気ある表情をちらっと見せたことを今も覚えています。アンコール2曲目のグラズーノフ「ライモンダ」第3幕への間奏曲は、出だしがトゥッティでその大きな音に驚かされました。ロマンティックな雰囲気の美しいメロディーが奏でられ、最後は力強い金管も加わって盛り上がり、夢心地のうちにコーダとなりました。終わった後は聴衆の歓声と熱い拍手の嵐でした。

<幻のごとく聴衆を覆いつつんだ京都での初来日公演>

当時の「音楽の友」誌の特集ではムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏会を次のように記述しています。「京都での初公演は、アンサンブルの緻密さ、つまり彼によって統率されたレニングラード・フィルの最高度の音楽が、幻のごとく聴衆を覆いつつんだ。」 この後、すっかり日本が好きになったムラヴィンスキーは、1975年、1977年、1979年と3回も来日を果たし、私は名古屋と大阪で4回その演奏会に接することができました。その中でムラヴィンスキーの稟とした指揮ぶりによる緊張感に満ち溢れたレニングラード・フィルの京都での演奏は私にとって生涯忘れることができないでしょう。そして遺されたムラヴィンスキーの来日ライブのCDを聴くたびにあの時代の熱気が想いだされます。

エフゲニー・ムラヴィンスキー
《参考にしたCD》

♪ ショスタコービッチ 交響曲第6番 ロ短調 Op.53
☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[ICN‐9404‐2](1983年3月12日ライブ録音、モスクワ)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 Op.64
☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[DG CR‐031](1960年録音、ウィーン)

♪ リャードフ 「バーバ・ヤーガ」 Op.56
♪ グラズーノフ 「ライモンダ」第3幕への前奏曲

☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[ALT‐001](1973年5月26日ライブ録音、東京文化会館)

《参考にした本》

∇ 『音楽の友』1988年3月号(高柳守雄)
「ひとつの時代の終わりを告げる『ロシアの巨人』の死/エフゲニー・ムラヴィンスキー追悼」


(2006.12.28 UP)
 
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