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Review
No.022 for Concert |
2006.12.15 18:45 Aichi
Art Center Concert Hall, Nagoya |
| Nagoya
Philharmonic Orchestra - TATSUYA SHIMONO |
| アーティスト: |
名古屋フィルハーモニー交響楽団 第331回定期演奏会 下野竜也指揮 |
| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場 コンサートホール |
| プログラム: |
ブルックナー作曲 交響曲第5番変ロ長調 (原典版)
Bruckner: Symphonie
Nr.5 B-dur |
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<ブルックナーの交響曲とのつきあい>
私が初めてブルックナーの交響曲を実演で聴いたのは、朝比奈隆と名古屋大学交響楽団による第8番で、今から30年ほど前のことでした。それ以降、ギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響で第8番、朝比奈隆と大阪フィルで第4番、第8番を聴きましたが、これまで第5番は聴く機会がありませんでした。第5番ではクナッパーツブッシュとウィーン・フィルのLPレコードを持っているのですが、何度聴いても、その良さはわからないまま時が経っていきました。CDの時代になって、長大なブルックナーの交響曲が一気に聴けるようになりましたが、さあ聴くとなると身構えてしまいます。とくに第5番は難解との先入観があり、これまでCDは持っていても、じっくり聴くことはありませんでした。そんな状況でしたが、日本の若手指揮者で最注目株、下野さんが名古屋フィルを指揮し、ブルックナーの交響曲第5番が取り上げられるということから、定期公演2回のうち1日目の演奏会に足を運びました。
<ブルックナーと交響曲第5番《原典版》>
ブルックナーは1824年リンツ近郊の小村に11人兄弟の長男として生まれます。13歳の時に父親が亡くなり、修道院の少年聖歌隊に引き取られます。若い頃は苦学の連続で、ザンクト・フローリアン修道院の臨時オルガニストを勤めた後、ウィーンで和声学と対位法について6年間にもわたる研さんを積みます。初めて交響曲を書いたのは38歳になってからのことでした。ウィーン音楽院で教鞭を取るようになりますが、経済的にはかなり苦しく、その俸給だけでは不十分なため、ウィーン大学の講師になるべく請願を繰り返します。ブラームス派の批評家ハンスリックの反対で難航しましたが、文化教育大臣などの後押しもあり、和声学と対位法を教える許可がやっと得られました。しかしふたをあけてみると無給の講師で、苦しい生活は続きました。この頃、交響曲第5番の作曲にアダージョ楽章から着手し、およそ1年かかって、1876年5月に完成しました。さらに改訂を加えて1878年1月に完了し、就職の後援をしてもらったことに感謝を意を込め、文化教育大臣のシュトレーマーに献呈されています。ブルックナーは53歳でした。初演は1878年4月、ウィーンにおいて2台のピアノにより行われました。オーケストラによる初演は完成後16年も経った1894年4月、グラーツ市立劇場でフランツ・シャルクの指揮により行われましたが、69歳のブルックナーは立ち合いませんでした。1896年に出版されたものの、シャルクによる改訂のため、終楽章は122小節も短くされ、管弦楽法の上でもほとんどすべての小節に於いて変更がなされており、トライアングルやシンバルも用いられています。ブルックナー自身の原典版は、1935年、ハースの校訂を経て出版され、初演は同年にミュンヘンで行われました。1951年にはノヴァーク校訂により出版されています。
<第1楽章>アダージョ − アレグロ
この楽章は長い序奏とコーダを持ったソナタ形式で書かれています。低弦のピチカートに導びかれ、ヴィオラ、ヴァイオリンが弱音で対位法的に加わり、静かで瞑想的な雰囲気の中に突如、金管のコラールが鳴り響き高揚します。特徴的な第1主題が、ヴィオラとチェロで奏され、沈んだ感じの第2主題は弦5部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)のピチカートで始まり、ヴァイオリンにより転調を繰り返し奏されます。続く第3主題は管楽器を中心に伸びやかで牧歌的なメロディーで、次第に曲想が高まった後、急速に弱音となり、遠くからのホルンの響きを残しながら弦の静かなトレモロで終わります。展開部では楽章冒頭の導入部が繰り返され、次第に高潮して金管のファンファーレが鳴り響き、拡大されていきます。各主題が短縮された再現部を経て、コーダでは、弦と木管楽器が導入部の冒頭のモティーフを最強音で繰り返し、トランペットが第1主題を高々と吹き鳴らしながら高揚して楽章は閉じられます。
<第2楽章>アダージョ
非常にゆっくりとした緩徐楽章でA‐B‐A‐B‐Aの5つの部分からできています。弦の三連符のピチカートにのって、オーボエが哀愁のある旋律を奏でます。この第1主題はこの楽章を統一するものです。Bの部分は「非常に力強く、はっきりと」と書き込まれ、弦楽器が美しいコラールを奏します。ここには憂愁とも諦観とも言える雰囲気が漂います。この第2主題はホルンの刻みをバックに対位法的に歌われ、ヴァイオリンのリードで金管も加わってクライマックスに達します。総休止の後、再び第1主題、第2主題が提示されます。2つの主題は打ち寄せる大波のように反復し、天国定期な高みへと昇華していきます。第2主題は前とは違う対位法構成で展開し、木管とホルンによって第1主題の最後の提示となり、静かに終わります。
<第3楽章>スケルツォ モルト・ウ゛ィウ゛ァーチェ
この楽章はスケルツォですが、単なる3部形式ではなく、主要部とトリオのそれぞれがソナタ形式という複雑な構成となっています。第2楽章冒頭と同じ形の弦のピチカートの部分がテンポを速めて現われ、その上に木管によって第1主題が登場します。クライマックスが作られた後、総休止となり急激に音が切られます。第2主題はテンポを落としたレントラー風で、第1、第2ヴァイオリンによる対位法的組合せにより構成されます。この2つの主題が交錯しながら進んでいきます。トリオではホルンのゆるやかな下行、上行に対し、遅れて加わるフルートとクラリネットはホルンと逆に上行、下行の順に動き、バイオリンを中心に軽快な楽句が現れます。再現部は提示部と同様に始まり、フォルテシモで盛り上がり、穏やかな動きに戻った後、終止形ではブルックナーが好んで用いたド、ミレド、シ、ドの楽句が現れます。
<第4楽章>フィナーレ アダージョ‐アレグロ・モデラート
3つの主題を持つ大規模なソナタ形式のフィナーレです。第1楽章の序奏とまったく同じ序奏で始まり、クラリネットがフィナーレ主題を奏し、そして第1楽章第1主題、オーボエによる憂いを帯びた第2楽章第1主題が回想されます。これはベートーベンの《第9》の終楽章の手法と同じです。その後、主部はチェロとコントラバスにより第1主題がフーガの形で奏され、続く第2主題は第3楽章の第2主題に由来し、ヴィオラとチェロのピチカートに乗って第2ヴァイオリンにより軽快に奏されます。中間部は弦楽器により流れるように進んでいきます。全休止の後、第3主題が激しい勢いで現れ、金管楽器群によるコラールが奏されます。展開部はコラール主題に基づくフーガに第1主題が加わって大がかりな二重フーガとなって展開されます。(ここはブルックナーがカットの可能性を見越してvi‐deと表記してある箇所です。)再現部は第1、第2主題の後、第1楽章の主要主題が織り込まれた第3主題が大きな規模で奏され、コーダでは雄大かつ荘厳なコラールが鳴り響いて、この長大なシンフォニーの大団円となります。
<ブルックナーの世界に足を踏み入れる‥>
以上、この交響曲の各楽章を詳細に分析するような記述になってしまいましたが、これはCDを繰り返し聴きながら、解説書などを参照してまとめてみたものです。その結果、難解と思っていたブルックナーの交響曲第5番の構成が細部にわたりよく分かり、自然で荘厳なこの曲への理解が深められたように思います。以前はブルックナーの交響曲はただ同じ旋律を繰り返しているだけの退屈な作品だと思っていましたが、これまで朝比奈さん、ヴァントそして今回の下野さんの実演を通して、一歩ずつブルックナーの世界に足を踏み入れるようになってきたと思います。前置きが長くなりましたが、下野さんのブルックナー5番の演奏会は、オーケストラの楽器配置も含めて大変印象に残るものでした。
<1900年当時に回帰したオーケストラの楽器配置>
コンサートホール3階2列目ほぼ中央の席に座って、まず気がついたのは、コントラバス8本がひな壇最上段にずらっと一列に並んでいることでした。これは1900年当時に回帰した楽器配置らしいのですが、現代において、この配置をとる演奏会はめったにありません。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、ムジークフェラインザールの金色の彫像の間にコントラバスが並んでいる光景が、この配置の代表的なものと言えるでしょう。最近ではロジャー・ノリントンがNHK交響楽団とのモーツァルトの交響曲の演奏で、この配置をとっていました。今回のブルックナー5番の演奏会では、唯一の打楽器であるティンパニが右手に鎮座しておりました。弦楽器はステージに向かって左手に第1、右手に第2とヴァイオリン群が指揮者をはさんで左右に分かれる対抗配置で、その第1ヴァイオリンのすぐ右側にはチェロ、そしてヴィオラが並ぶ配置になっていました。2管編成の木管に、金管ではホルンがステージ上に6本(指定された編成では4本)並んでいるのが目を引きました。この演奏会の解説パンフレットには、これまで名古屋フィルの定期演奏会でブルックナーの5番が取り上げられ、演奏している写真が掲載されていました。飯守泰次郎指揮の第172回定期(1992年3月)と十束尚宏指揮の第253回定期(1999年11月)の2回とも通常の配置でした。今回の演奏会でのオーケストラの配置からは下野さんの意気込みが感じられます。
<重く峻厳な音楽という先入観が一掃された演奏>
指揮台に上がった下野さんは、すぐに演奏を始めませんでした。上体を屈め沈黙の後、おもむろに低弦によるピチカートの序奏が始まります。それからはただただブルックナーのこの凄い曲の世界に引き込まれて行きました。ところが重く峻厳な音楽という先入観は一掃され、繊細で透明感のある演奏が繰り広げられたのです。第2楽章アダージョにおいては、奥深い響きというよりは、力を抜いた美しさが感じられました。後半の楽章でのトゥッティにおいても、固まったマスというよりは、拡がりのある音が聞こえてきました。これは最上段中央のダブルベース、指揮者正面真ん中のチェロからの中低音と両サイドから拡がる高音がつくりだす、これまでとはひと味違う響きによるものだと思います。
<オーケストラをその気にさせた真摯な指揮者>
下野さんの指揮の下、曲が進むにつれ演奏も熱くなって行く様子がわかりました。どの楽器のメンバーも一生懸命弾いていましたが、チェロの首席奏者が体全体を大きく揺らしながら演奏しているのが一際目につきました。これも通常の配置では気づかなかったことで、オーケストラ楽器配置の妙だと思います。そしてオーケストラのメンバーをその気にさせる下野さんの手腕も相当なもの‥と感じ入りました。鳴りやまぬ盛大な拍手に応えて何度もステージに出て来る下野さん、オーケストラを何度も立たせようとしますが、コンマスは指揮者を讃えて立ちあがろうとしません。困った下野さんは譜面台からブルックナー5番のスコアを両手で頭上に掲げ、「拍手を受けるに値するのはこの曲です。」というようなポーズを見せたのです。彼の真摯な人柄が感じられました。今度は10月の定期演奏会でラフマニノフの交響的舞曲を振る予定の下野さん、現在空席の名古屋フィル常任指揮者に相応しいと思いますが‥。
<ブルックナーの交響曲第5番から生まれたロットの交響曲第1番?>
この演奏を聴いている時、ふと、ハンス・ロットの交響曲第1番を思い起こしました。ブルックナーはウィーン音楽院でロットのオルガンの先生でした。1878年7月の同音楽院卒業コンクールにおいて、後にロットの交響曲第1番の第1楽章となった作品が演奏され、審査員たちから失笑を買いました。いつもは物静かなブルックナーは立ち上がり、「諸君、笑うのは止したまえ。君たちは今後この人物が創り出すすばらしい音楽を聴くことになるのだから」と言い放ちます。後にロットのために推薦状を書いてやるのですが、それは実を結ぶことはなく、彼は精神病院に入院し、若くして亡くなり、ハンス・ロットの名前は音楽界から100年間も忘れ去られたのです(レビューNo.003&No.012参照)。ハンス・ロットの交響曲第1番の第2〜4楽章は1878年8月〜1880年7月(彼が22歳の時)に作曲されているのですが、ブルックナーは1876年5月に交響曲第5番を完成させ、1878年1月に改訂を完了しています。また2台のピアノでしたが、1878年4月に初演されています。従ってロットの交響曲第1番はブルックナーの交響曲第5番から大きな影響を受けているのではないかという仮説が真実味を帯びてきます。楽器編成について、ロットの交響曲にはトライアングルが加わっていることを除き、ほとんど同じです。またフーガやコラールの使い方などはオルガニストであった両者に共通しています。そして決定的なことは、終楽章において、ともにベートーヴェンの第9と同じく、先行する楽章の主題が回帰されることです。ブルックナーのこの偉大な交響曲があってこそ、彼を師と仰いだロットの交響曲第1番が生まれたと言っても過言ではないでしょう。
(2007.02.05 UP)
《参考にしたCD》
♪ ブルックナー 交響曲第5番
☆ オイゲン・ヨッフム(指揮) ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団
[PHILIPS 426 107‐2](1964年5月30‐31日
ライブ録音、オットーボイレン ベネディクト修道院)
☆ クルト・アイヒホルン(指揮) バイエルン放送交響楽団《原典版》
[CAPRICCIO 10 609](1990年10月4‐5日
ライブ録音、ザンクト・フローリアン修道院)
☆ セルジュ・チェリビダッケ(指揮) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 《ハース版》
[EMI 202632](1993年2月12、14、16日
ライブ録音、ミュンヘン ガスタイク)
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