|
Review
No.028 for Concert |
2007.6.22 18:45 Aichi
Prefectual Art Center - Concert Hall |
Nagoya
Philharmonic Orchestra - YAKOV KREIZBERG
Kirill
Gerstein, piano |
| アーティスト: |
名古屋フィルハーモニー交響楽団 第337回定期演奏会 ヤコブ・クライツベルグ指揮 |
| 演奏会場: |
愛知県芸術劇場コンサートホール |
| プログラム前半: |
ベートーヴェン作曲 ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37 (キリル・ゲルシテイン、ピアノ)
Beethoven:
Klavierkonzert Nr.3 c-moll op.37 |
| アンコール曲: |
シューベルト作曲(リスト編曲) 「魔王」
Schubert/Liszt:
"Erlkönig"
ラフマニノフ作曲 幻想的小品集作品3 〜 「メロディ」
Rachmaninow:
Morceaux
de fantaisie op.3-3 e-moll "Melodie" |
| プログラム後半: |
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第11番ト短調作品103「1905年」
Schostakowitsch:
Symphonie Nr.11 g-moll op.103 "Das Jahr 1905" |
|
<迷った上、名古屋フィルの定期演奏会へ>
今回、名古屋フィルの定期演奏会に行くかどうか迷っていました。あまり馴染みのないショスタコーヴィチの交響曲第11番がメインであることと、同じ名古屋フィルによるコバケンスペシャルNo.7(ブルックナー交響曲第7番)も2週間後にあることからです。しかし名古屋ではめったに聴けないショスタコーヴィチの交響曲第11番を生演奏で聴きたいという気持ちが日増しに強くなり、また今売り出し中のクライツベルクさんが、名古屋フィルを指揮するとあって、演奏会の数日前にチケットを買いました。席は3階右寄りの前の方で、楽器の配置を見るのにはいいポジションでした。前半はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番で、その生演奏を聴くのは久しぶりでした。
<ピアノの音が大きく響いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番>
ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、この3番で飛躍的な進歩を示したと言われています。オーケストラは、前作の第1番と同じく2管編成ですが、第5交響曲と同じハ短調で書かれていることもあって、陰影が感じられます。完成は交響曲第3番「英雄」とほぼ同時期です。
[第1楽章]アレグロ コン・ブリオ:
まず弦楽器→管楽器→管弦楽全体の順で第1主題が演奏されます。伸びやかな感じの第2主題が第1ヴァイオリンとクラリネットにより奏された後、第1主題の動機が戻ってきて、ようやく独奏ピアノの登場となります。主要主題をフォルテで弾き、オーケストラと掛け合いながら進んで行きます。展開部もまずオーケストラだけで開始され、独奏ピアノが入ってくる組み立てになっています。ベートーヴェン自身が書き残したカデンツァの後、短いコーダでこの楽章を締めくくります。
[第2楽章]ラルゴ:
三部形式で、独奏ピアノが静かに祈りを込め、情感豊かに主題を弾きます。オーケストラは弱音器を付けてピアノを引き立たせます。中間部では、ピアノの夢幻に満ちたアルペッジョの部分に弦のピチカート、フルート、ファゴットが美しく飛び交います。やがて主部が戻り、短いカデンツァが現れます。
[第3楽章]ロンド アレグロ:
ピアノが弾くロンド主題はリズムに特徴があります。中間主題はクラリネットにより現れ、ピアノがからんできます。最後はプレストで、ピアノがその技巧を存分に示し、疾走するように曲を閉じます。
※ 伴奏のオーケストラは2管編成ですが、重厚さを出すためか、コントラバスは7本並んでいました。しかし、オーケストラの響きは何となくもやもやした感じでした。ピアノの音は大きく聞こえる一方、指揮者の指示によるのでしょうか、オーケストラは音を抑え気味で、特にヴァイオリンの音が小さく感じられました。第2楽章は夢幻的なところですが、ピアノ、オーケストラともにしみじみ聴かせるところまでには至りませんでした。オーボエがなかなかいい音色を出して印象的でした。第3楽章になると、何となくオーケストラの音量が大きくなったような気がしました。クライツベルクさんは長身の体を動かし、堂々とした音を出そうとしているようにみえました。クラリネット奏者が体を動かしながら、表情豊かなソロを聴かせました。そしてゲルシテインさんのピアノは、音が大きく、よく響いて、とくにカデンツァは聴きごたえがありました。
<ピアノリサイタルを味わったような‥>
協奏曲を弾き終え、盛んな拍手に応えてゲルシテインさんがアンコールに弾いたのは、シューベルトの「魔王」でした。弾く前に曲名をしゃべったのですが、聞き取れませんでした。しかし最初のピアノの音が出ると、すぐにわかりました。もちろん歌手はいませんから、ピアノが歌手とピアノのパート両方をピアノだけで表現し、その迫真の演奏に圧倒されました。リスト編曲の「魔王」だったようです。鳴りやまない拍手に2曲目のアンコールがアナウンスされましたが、「メロディー」と言ったのは聞こえました。初めて聴く歌謡的な旋律で、誰の曲かわかりませんでしたが、後でロビーの掲示により、ラフマノフの曲だと知った次第です。ロマンチックなメロディーで始まり、ピアノの技巧も楽しめる小品でした。この演奏会の前半では、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番よりもアンコールの方の印象が強くて、まるでピアノリサイタルのようでした。盛大な拍手が長く続きました。休憩時に後半の交響曲を聴くため、ゲルシテインさんは客席に現れましたが、そこでも拍手で迎えられていました。
<「血の日曜日」の惨劇を描写した交響曲第11番「1905年」>
交響曲第11番は1957年10月、革命40周年記念として作曲され、翌年、ショスタコーヴィチはレーニン賞を受賞。「1905年」という副題は作曲家自身により付けられました。題材となった「1905年」とはロシア第1次革命が起こった年です。ロシア暦1月9日の日曜日、ロシア皇帝ニコライ2世がいるペテルブルクの冬宮をめざして改革要求の嘆願のため行進していた十数万人の労働者とその家族に向かって軍隊が発砲しました。「血の日曜日」と呼ばれるこの惨劇の死傷者は数千人を越え、その憤激はまたたく間に他の都市にも広がり、ロシア帝国崩壊のきっかけとなりました。この作品の各楽章には、この事件に沿って具体的な表題が付けられ、それにふさわしい革命歌、労働歌など6曲が引用され、描写的な表現にも事欠きません。ショスタコーヴィチは、この作品において、国家による民衆の迫害の歴史は、体制が変わっても存続し続けるということを示そうとしました。この抑圧というテーマは、この作品が完成する直前に起きたハンガリーへのソ連軍の武力介入とも繋がっていると考えられています。
<交響曲第11番の楽器編成と配置>
ショスタコーヴィチの交響曲第11番の演奏では、木管がフルート、クラリネット、ファゴット各3本、オーボエ2本とピッコロ、イングリッシュ・ホルン、バスクラリネット、コントラファゴットが各1本の編成。金管はホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、打楽器は、ハープ2、チェレスタ、鐘、タムタム、木琴、シンバル、小太鼓、バスドラム、ティンパニ(各1)がずらりと並んでいました。弦楽器群は通常配置で、舞台正面左側から第1ヴァイオリン16、第2ヴァイオリン14、ヴィオラ12、チェロ10、そしてコントラバスが10本並んでいました。名古屋フィルでコントラバスが10本並ぶのを見るのは初めてのことでした。
<第1楽章>「王宮広場」アダージョ:
ペテルブルクの冬宮殿前の広場、「血の日曜日」の夜明けを描写しています。弦とハープによって、その広場の様子が描かれます。朝の夜明けを告げているかのように、弱音器をつけたトランペットのソロが響きますが、これは第2楽章の《1月9日》の予告でもあります。その後、低弦とティンパニの三連符にのって、2本のフルートが革命歌《聞け、人々よ!》を吹きます。第1の革命歌が展開された後、第2の革命歌《夜は暗い》がコントラバスで重々しく奏されます。その後、木管に移り、第1の革命歌とともに発展します。最後は冒頭の部分の不気味な静けさが戻り、この楽章は閉じられますが、途切れることなく第2楽章へ続いていきます。
※ この楽章は、いわばこの曲の序章で、静かなところが長く続くため、初めてCDを聴いた時には、あまり印象がありませんでした。この生演奏では、そこにエモーショナルなものを強く感じました。嵐の前の静けさの中に緊張感が漂い、重く響くティンパニの三連符が帝政の重圧、不気味さを感じさせます。トランペットとホルンの吹く旋律が、ふとマーラーの交響曲のメロディーラインのように聞こえました。第1の革命歌が拡大するところも、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」を思い起こさせ、所々でマーラーの影響を感じました。クライツベルクさんは、名古屋フィルから綿密かつ繊細な音を引き出していました。
<第2楽章>「1月9日」アレグロ:
全曲の中心となる楽章で、悲劇の場面です。弦が目まぐるしく動く中、木管が民衆の哀歌《おお皇帝、われらが父よ》を歌い、次第に盛り上がります。民衆の行進が徐々に高まり、長大なクレッシェンドの後、民衆の哀歌がおさまる直前に、別の哀歌《脱帽せよ》が金管でコラール風に挿入されます。この交響曲の重要なモティーフとなり、この後、度々現れます。再び民衆の哀歌《おお皇帝、われらが父よ》がヴァイオリンとティンパニのリズムに乗って再提示され、展開していきます。ここでは民衆の不平不満が至るところで爆発している様子が描かれています。そして、いよいよ宮殿前広場での場面を迎えます。第1楽章の序奏の主題が再び現れ、静けさの中に極度の緊張が全体を支配します。突然、けたたましい小太鼓の連打と荒々しい低弦のフガートが始まります。無防備の民衆に向かって軍隊の一斉射撃が始まり、その惨状が威圧するような金管や荒々しいリズムの打楽器、そして悲鳴にも似た弦楽器の3連符とトゥッティにより描き出されています。ここで、逃げまどう民衆の描写と思われる部分のほとんどが、交響曲第10番と同じく
、ショスタコーヴィチのサインであるDSCHの音型をもとに書かれていると言われています。静寂が再び訪れ、チェレスタとティンパニの3連符でこの楽章を閉じます。
※ この曲の圧巻は何と言ってもこの楽章で、演奏も凄いものでした。圧倒的な音の響きに、身体中に衝撃が走り、鳥肌が立ち、目の前が曇ってしまうほどでした。ここでのティンパニの乱れ打ちは見事の一言。そして名古屋フィルの統率された演奏、そのヴィルティオーゾぶりには驚嘆しました。バスドラムとティンパニが響き、金管も朗々と鳴り響きます。斜めに傾けたバスドラムから打ち鳴らされる音が体にズシンと響きわたり、生演奏の迫力に圧倒されました。
<第3楽章>「永遠の追憶」アダージョ:
第2楽章の余韻を残しながら、続いてこの悲劇の犠牲となった人々への葬送の音楽となります。低弦のピチカートの上に、革命歌《同志は倒れぬ》が弱音器をつけたヴィオラにより悲しげに歌われます。続いて金管が重苦しく暗い旋律を吹きます。中間部では、ヴァイオリンにより明るい旋律の革命歌《こんにちわ、自由よ》が歌われます。ティンパニの三連音のリズムを伴って高らかに歌われ、クライマックスを築き、死ぬことでしか自由を勝ち取れなかった犠牲者を悼みます。それは発展して《脱帽せよ》の音型に変容し、第2楽章の悲劇を回想します。最後は冒頭のヴィオラによる革命歌《同志は倒れぬ》が再現され、このレクイエム楽章は閉じられます。
※ 《同志は倒れぬ》がヴィオラで重々しく演奏されるところでは、バックの低弦のピチカートの響きによって、この歎きの旋律の表情が浮かび上がって聞こえてきます。その後の金管による重苦しく暗い旋律〜ヴァイオリンにより歌われる光が見えてくるような旋律《こんにちわ、自由よ》〜クライマックスへと刻々と移り変わっていくその自然な流れが、深く心に残りました。その根底には、つねに張り詰めた空気が漂っていました。
<第4楽章>「警鐘」アレグロ・ノン・トロッポ:
悲劇の「血の日曜日」事件をきっかけとして立ち上がり、革命に向けて前進を始めた人民の姿を力強く描いた楽章です。管のユニゾンによる革命歌《狂乱した暴君》で始まり、激しく鋭いリズムの音楽が繰り広げられます。曲はアッチェランドしてアレグロとなり、勇壮な楽想へと発展します。そして革命歌《ワルシャワの労働歌》が、弦楽器によりリズミックに示され、変形していきます。ここはコントラバスが大活躍するところです。その後、教え子スヴィリドフが作曲したオペレッタから取られた《雷鳴の夜はなぜつらい》の行進曲風の一節をトランペットが吹きます。この3つのモティーフが中心となって、一大クライマックスへ‥。力強いイントネーションにより《おお皇帝、われらが父よ》が提示され、続いて《狂乱した暴君》の終結部が鳴り響きます。ドラが鳴って再び静寂が戻り、コーダのアダージョでは《脱帽せよ》のテーマを中心としたこの悲劇の回想が、イングリッシュ・ホルンによって歌われていきます。打楽器群のトレモロがその静けさを破り、バス・クラリネットが第2楽章の導入的モティーフで登場し、それが木管群に受け継がれます。ホルンが将来の闘いを促すかのように吹かれ、打楽器の三連音のリズムが重々しく響きます。フルオーケストラにより、《脱帽せよ》が高らかに歌われ、勝利を告げるような鐘の音を伴いながら、高揚して曲は終ります。
※ クライツベルクさんの統率の下、名古屋フィルの合奏は整然としているのですが、その張りつめた集中力から生まれる響きには戦慄を覚える程でした。惜しむらくは、悲劇の回想場面のイングリッシュホルンが、やや乾いた音色だったことです。もう少し潤いや切々とした表情があれば‥と思います。全曲を通じ、無いものねだりではありますが、ロシアのオーケストラに聴かれるような低弦の重量感、突き抜けるような迫力ある金管の響きが聴けたら、もう本望です。
<稀にみる凄い演奏のクライツベルクと名古屋フィル>
鐘を伴ったコーダにおいて、最後の音が響いた時、クライツベルクさんは左手を高く振り挙げたまま動きませんでした。そしてその手をゆっくり下ろし、徐々に拍手が拡がっていき、ブラボーの声が飛び交いました。拍手に応え、クライツベルクさんはソロで活躍したイングリッシュホルン、ホルン、ティンパニ、小太鼓、そしてヴィオラ群を立たせました。何度も呼び出されるクライツベルクさん、次はオーケストラの各パートごとに立たせます。聴衆からは盛大な拍手が続き、会場はなかなか興奮が冷めやらない様子でした。ショスタコーヴィチの交響曲は生演奏で聴くと、その迫力や緊迫感に圧倒されます。名古屋フィルの打楽器群はキリッと締まった叩きぶりで、金管楽器ともども耳をつんざくような大音響がホールに響き渡りましたが、その中で弦楽器もしっかり音が聴こえてきました。以前の名古屋フィルではとても考えられなかったことです。これまで幾度となく聴いてきた名古屋フィルですが、初めて生で聴いたこの交響曲は稀にみる凄い演奏で、二度と聴けない名演だったと思います。
<由々しき聴衆のマナー>
SINFONAIRの管理人から「名フィル定期のショスタコ11番、終演後の拍手で醜態があったとか?」とメールが届きました。インターネットを見て確認したところ、定期演奏会2日目、6/23(土曜日)の出来事だったようです。それは、大熱演のこの曲の幕切れで、鐘の音が消える前にフライング・ブラボーが起こり、突然、「まだ鐘がある!」と女性の叫び声がして、フライングの輩が拍手を止め、指揮者もオーケストラも固まったまま、騒然とした中で再び拍手が起こったそうです。すばらしい演奏も一部の非常識な聴衆によって台なしになることを物語る変わったケースだったかと思います。SINFONAIRの管理人いわく「フライングの拍手やブラヴォーは自己顕示欲が強い輩の作為的なもので、本当に迷惑この上ないもの」。その考えに全く同感で、余韻を楽しむことなく、我先に拍手をする輩には憤りさえ感じます。幸い、私が聴いた定期演奏会1日目では、こんなハプニングは起こりませんでしたが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の第2楽章の演奏中に携帯電話が鳴り響きました。演奏中に携帯電話が鳴ったり、余韻を楽しむことなく、性急に拍手したがる悪し
き傾向が名古屋の演奏会で多いのは、本当に由々しきことです。
(2007.07.31 UP)
《参考にしたCD》
♪ ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
☆ ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)、シュミット・イッセルシュテット(指揮)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[DECCA
433 891-2]
♪ ラフマニノフ 幻想的小品集 Op.3から「メロディー」
☆ ゾルタン・コチシュ(ピアノ)
[PHILIPS PHCP‐5344](1994年12月19‐21日 録音、ライトシュターデレ、ノイマルクト、ドイツ)
♪ ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 ト短調 Op.103
☆ エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
[MELODIYA BVCX‐4025](1959年2月2日
ライブ録音、モスクワ)
☆ ウラディミール・アシュケナージ(指揮)サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
[LONDON POCL‐1659](1994年9月23、24日
録音、フィルハーモニーホール、サンクトペテルブルク)
☆ マリス・ヤンソンス(指揮)フィラデルフィア管弦楽団
[EMI TOCE‐13190](1996年12月8日
録音、アビーロードスタジオ、ロンドン)
※ ムラヴィスキーのCDは緊張感漂う迫真の演奏ですが、モノラルで、音も割れてしまっているのが残念です。それに比べると同じオーケストラを振ったアシュケナージのCDはあまり緊迫感が感じられません。しかし、あのレニングラード・フィルの名残が残っていて、バスドラムを始めとした打楽器、金管、低弦の響きがよく捉らえられています。一方、ヤンソンスはフィラデルフィア管弦楽団と普遍的とも言える演奏を繰り広げています。
|
|