エアチェック☆レビュー(1) SINFONAIR(シンフォネア)
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Disc No. 001  Title No. CDR-YSHD-001A/B-00
Disc No. 002  Mikko Frank - Japan Debut Concert - Bamberger Symphoniker
001A 001B
バンベルク交響楽団
CDR-YSHD-001A/B-00
ミッコ・フランク
2000.10.13
渡辺玲子 (Vn)
東京オペラシティCH
ラウタヴァーラ:天使たちの訪れ
BS/VHS
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
2001.04.06
シベリウス:交響曲第2番
56'18|62'13
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
★★★★★
バンベルク交響楽団 日本公演 若き巨匠 ミッコ・フランク 日本デビュー!
◆杓子定規なスコアの表現で精一杯の・・N響でいえば・・指揮研究員的超若輩ながら・・晩年のバーンスタインを超えた「こだわり」の表現力でスコアの行間を抉り出した天才指揮者が登場した。身体的難題を克服しての集中力は・・極端に遅いテンポにも緊張感を失わず・・映像の無い「音」だけの世界では細部の響きが際立って聴こえ・・気が付かなかったニュアンスが浮かび上がる。本来なら・・交響詩「フィンランディア」は正規のプログラムとして演奏会の冒頭に置いてもいい(むしろ・・置くべき?)楽曲なのだが・・これをアンコールに隠して同じフィンランドの現代作曲家ラウタヴァーラの秘曲「天使たちの訪れ」(演奏時間20分を要する)からコンサートは始まった。初めて聴くラウタヴァーラの曲は・・ゲンダイオンガクに似合わず・・豊満な情感を湛えて写実的にも響く。凡人の管理人にも十二分に理解ができ・・交響詩としてその内容の起承転結を光景として想像さえ可能だ。天使や女神にはチト弱い?管理人なのだが・・題名からの先入観念も手伝ってか・・その「雰囲気」にのめり込んでしまった。シベリウスには腰を抜かした。世の中にはこのような「こだわり」の表現もあったのだ!。長年積み重ねた結果としてではなく・・ミッコ・フランクご自身持って生まれたDNAから湧き出た固有のものだから説得力がある。常識に捉われることなく・・因循姑息なやっつけ仕事でもなく・・止まる寸前の時間の流れに緊張感を漲らせて・・音符一つの持つエネルギーを昇華させたその手腕は・・チェリビダッケにも通じる頑固一徹偏屈チックな超天才のなせるワザなのかもしれない。。
◆Bモードライブでの素直なサウンドは感動ものだ。市販の嘘だらけのセッション録音や編集ライブ盤とは次元の異なる「本物の時間の流れ」が蘇る。実質2時間にも及ぶトータル演奏時間だったので・・NHKも放送時間枠を10分ほど拡大していたようだった。思い込みとは恐ろしいもので・・2時間のVHS(標準モード)で余裕綽々だった従前のコンサート中継録画番組と同様に考えて・・番組時間枠を確認しなかったために・・アンコールの「フィンランディア」演奏終了後の拍手は無惨にも数秒でテープ末端となって切れてしまったのだ。プッツンといきなり途切れる拍手などは繰り返し聴くべき音楽ソフトの音源としては失格だ。。これを誤魔化す?ために・・演奏会前後半から「拍手」の一部を拝借して繋ぎ合わせ・・フェイドアウトで括った。拍手の音調もレヴェルも尽く相違があり・・接続の前後の「同じ瞬間」を見つけ出すのには相当苦労した。HDDでの編集だからこそできたことで・・正にデジタル技術の恩恵の賜物だ。最後の最後に「本物の時間の流れ」を誤魔化さざるを得なかったが・・演奏の時間枠には触れていないので救われた。
◆ 奇しくもバンベルク交響楽団は・・初めて聴いた「ガイコク」のオーケストラだった。同じ第2番ニ長調でもブラームスの方で・・N響で馴染みとなっていた岩城宏之の担当日だった。カイルベルトのオーケストラが・・「ドイツの音」を響かせるには余りにも貧相なホール(講堂:オーディトリウム)での「初体験」だったが・・プログラム冊子に記された Bamberger Symphoniker とのドイツ語による正式なオーケストラ名称にはなぜか痺れた。。当時には・・ウィーン・フィルは英国デッカの専属オーケストラで・・国内盤LPジャケットには Vienna Philharmonic Orchestra と表記されていた。現在のように大手の輸入盤ショップなどはなく・・ほんの僅かな「マニア」だけが輸入盤を扱う店を知っていた。同じくドイツグラモフォンの国内盤LPのイエローレーベル内に記されたベルリン・フィルも Berlin Philharmonic Orchestra だった。これが、Berliner Philharmoniker へと変わるのは随分と後のことになるのだが・・ウィーン・フィルも Wiener Philharmoniker との表記に変わってからは・・不思議にもオーケストラのイメージまでガラリと変化したものだった。特に・・ベルリン・フィルなどは・・正式名称 Berliner Philharmonisches Orchester 録音名称 Berliner Philharmoniker との理屈がわかってからは・・英語表記の名称は理に合わないものとして・・そのような表記のあるLP(CD)ジャケットを敬遠するようにもなった。。どうでもいいことを額縁に入れた如くだが・・こういったこと一つにも・・オーケストラから・・音楽から・・香り立つ不思議な魅力の一端を感じるのだ。
Disc No. 003  Title No. CDR-YSHD-002A/B-00
Disc No. 004  Nagoya Philharmonic Orchestra - Tokyo Debut Concert - Yuzo Toyama
002A 002B
名古屋フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-002A/B-00
外山雄三
1984.11.15
ジャン=フィリップ・コラール (Pf)
東京文化会館大ホール
:
FM/Casette(DolbyB)
外山雄三:交響曲「名古屋」
on air 1985.02.14
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
44'24 + 42'09
シベリウス:交響曲第2番
★★★☆☆
名古屋フィルハーモニー交響楽団  初!東京公演 交響曲「名古屋」を引っ提げて・・・  外山雄三指揮

◆1966年創立の「名フィル」が・・1981年1月に作曲家でもある外山雄三先生を音楽監督に迎えて・・「プロのオーケストラ」としての本格的な活動を始めてから3年を過ぎた頃(3年間温めた石から降りた頃)・・自作を持ってのり込んだ当時の「メジャーステージ」での演奏だ。地元の定期公演では・・エキストラで拡充した16型の弦楽器が「形だけ」N響と肩を並べる存在となっていた。外山先生就任以前の定期公演では・・ヴィオラのトラを入れても・・14型の弦楽編成がやっとのことで・・諸外国のオーケストラやNHK交響楽団のTVに映った威容を見た後には・・たった1プルト少ないだけの弦楽編成でありながら・・例えばN響などでは・・協奏曲の伴奏編成の規模からくる手薄な感じが否めなかったことを覚えている。ましておや・・サヴァリッシュ&N響が18型(コントラバス10!)でベートーヴェンをやったり・・カラヤン&ベルリン・フィルが同様の弦楽編成(+木管の倍管=4管編成)で来日公演やレコード録音をしたり・・などのことが頭にあれば・・14型(コントラバス6)の陣容はなんともかんとも視覚的には貧弱に見えたものだった。。外山先生の起っての願いから16型の編成へ拡大したことは・・後年に累積赤字を抱える原因の一つにもなったような気がするが・・プロとしてのシンフォニーオーケストラはかくあるべし・・との外山先生の頑なな哲学を垣間見たようでもあり・・事実実際に2階バルコニー席から眺める光景は・・1プルト多いだけでかくも違うものかと・・その威風堂々とした弦楽奏者のウネリの面積に見入ったものだった。。
◆この初めての東京公演では・・トラを入れずに現有編成だけで臨んだらしい。14型にしても・・本来10名居て然るべきビオラなど・・確か6〜7名しか奏者がいなかったんじゃないかと記憶しているのだが・・外山先生としては・・「本当の」名古屋フィル楽員だけで勝負!という建て前だったのだろうが・・予算の都合などの主たる理由からのことだったとしたら・・不本意な東京遠征だったに違いない。。しかしながら・・NHKのマイクロフォンは・・編成上の欠陥を覆い隠して・・厚みとコクのある魅力的なオーケストラサウンドとして見事に捉えていた。サポートマイクからのピックアップを抑えて・・メインの吊りマイクからのマスの響きを主としてバランスさせたようだった。楽員たちは・・やはり相当な意気込みで満身の演奏をしたようだ。緊張感が音にも載って・・おそらく創立以来最高の音色と精度で合奏したんじゃないかと思うほどだ。ひっくり返ることが当たり前?だったホルンを始めとする金管も・・演奏に賭ける熱意が緊張感を上回って・・物理的なギコチなさがほとんど現れない。シベリウス第2楽章の・・あのトランペットからフルートへと渡される弱奏でのほの暗く情感的なメロディラインも安定してクリアし・・その後の爆裂へも・・カセットテープのキャパの中でスムースに盛り上がる。外山先生は作曲家であるためかどうか・・演奏にはデフォルメチックなこだわりの表現はなさらない。だから・・なおさら裸の素材として楽曲自体の魅力がジワリと浮かび上がってくるし、演奏自体の音色や特に精度にベクトルが集中することになるのだ。そんな中で・・これだけの感激を味わうことができたということは・・完璧ではないものの・・初めての東京公演での「演奏」は大成功だったと断言できる。そして・・その記録が・・繰り返し鑑賞に耐えうるだけの音質で残ったことを悦びたいし・・何よりも当時「おのぼりさん?」の公演全プログラムを収録オンエアしていただけたNHKには感謝をしなければなるまい。
◆交響曲「名古屋」は・・熱田の森から木曾の山々などのイメージを含み・・外山先生お得意の民謡チックな流れの中で・・「静」から「動」へと盛り上がるなかなか面白い小型交響曲だ。残念なことに・・再演の機会は全くなく・・その後二度の外国公演でも演奏されなかった。せっかくの「名古屋」を冠したシンフォニーをお蔵入りさせるようでは・・初めての東京公演プログラムの意義さえ無くなってしまうようで忍びない。。この公演の意気込みを忘れないためにも・・是非とも再演を繰り返してほしいものだ。初期のカセットテープデッキでのドルビーNR-Bによるエアチェックなので・・当時のカセットテープ固有のドロップアウトや音揺れなどが・・特にヘッドフォンでのリスニング時にほんの僅か耳に感じるものの・・全体の流れの中では大いなる瑕疵(欠陥)とはならない。これがVHS回転ヘッドでのエアチェックだったら・・多分 ★★★★☆ となって、OIDTでチューニングすればひょっとしたら ★★★★★ となったかもしれない。。

Disc No. 005  Title No. CDR-YSHD-003-00
 Herbert von Karajan - The last Japan tour - Berliner Philharmoniker
003
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-003-00
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1988.05.02
:
サントリーホール
モーツァルト:交響曲第29番
FM/Casette(DolbyC)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」*
Live on air
:
79'05
:
★★★☆☆|★★★★☆ OIDT*    
Disc No. 006  Title Nos. CDR-YSHD-004-00 & CDR-YSHD-904-00
Disc No. 007  Herbert von Karajan - The last Japan tour - Berliner Philharmoniker
004 904
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-004&904-00
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1988.05.04
:
東京文化会館大ホール
ベートーヴェン:交響曲第4番
FM/Casette(DolbyC)
ムソルグスキー
Live on Air
組曲「展覧会の絵」 (ラヴェル編)*|**
77'33|41'23**
★★★☆☆|★☆☆☆☆*|★★★★☆ OIDT**   
Disc No. 008 Title Nos. CDR-YSHD-005-00 & CDR-YSHD-905-00
Disc No. 009 Herbert von Karajan - The last Japan tour - Berliner Philharmoniker
005 905
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-005&905-00
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1988.05.05
:
サントリーホール
モーツァルト:交響曲第39番
FM/Casette(DolbyC)
ブラームス:交響曲第1番*
Live on Air
:
78'24|55'02*
:
★★★☆☆|★★★★☆ OIDT*
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 日本公演  ヘルベルト・フォン・カラヤン・・・最後の来日公演
◆これで最後・・との予感が結果的に当たってしまった待望の来日公演だった。大阪での2公演の後・・東京で3公演だけの短い日程だったが・・幸運にも大阪2公演分のチケットが入手できながら「時の不運」により聴くことができなかった無念極まりない気持ちが・・新しいカセットデッキの購入を決心させた。オーディオ的規格外の往復120分テープに、幾多の問題をかかえた音源ながら・・一応放送の質感を損なわない音を刻み込むことができていた。大阪のザ・シンフォニーホールでの「展覧会の絵」では・・フィナーレ「キエフの大きな門」でパイプオルガンのペダル重低音を加えたと聞いた。なにやら・・プローベの時・・オルガンのピッチがオーケストラと合わずに・・カラヤン先生は電子オルガンを使う旨ホール側に通告したらしい。そんなことをされたのでは・・ホールの面子丸潰れとなり・・末代までの語り草ともなり得ることを恐れたホール側は・・温度差による金属伸縮の原理を応用して・・オルガンのパイプ長を調整すべくホールの空調温度を変えたらしい。ベルリン・フィルのピッチはA=442Hzじゃなかったかと思うのだが・・当時のオルガンは国産オーケストラのピッチ(A=440Hz?)に合わせて室温(空調温度)を設定していたのかもしれない。このたった2Hz(220分の1)・・即ち 0.5% にも達しない僅かなズレが演奏に支障をきたすのだから・・音楽家の絶対音感には恐れ入る。。そんなこんなで難局をクリアできたザ・シンフォニーホールのパイプオルガンを加えた「キエフ」の大団円は・・壮絶極まる音の饗宴だったに違いない。アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団の録音で・・ビクトリアホールのオルガンを加えたサウンドも物凄い迫力だが・・大阪の「生」を聴けなかった時間は戻らない。。東京文化会館では電子オルガンを加えたのだろうか?・・・。生放送のアナウンスは・・その話題に触れることもなく・・音の中にもそれらしい存在も聴こえてこなかった。
◆モーツァルトの2曲とベートーヴェンの交響曲は・・ダイナミクスの流れに全く問題なく・・骨太の低弦に支えられたBPOサウンドが見事に鳴り響いた。ブラームスも・・フィナーレコーダが若干レヴェル落ちするものの・・マスタリングで簡単に補正(OIDT)できる範囲にあった。問題は「展覧会の絵」にあったのだ。・・当時の生放送(今でもよくあることだが・・)は・・バスドラムを含む打楽器群の真迫力を電波のキャパに収め切れなかったのか・・・コンプレッサー処理ならまだしも・・強烈なリミッターと・・さらにはフェーダーによる絞込みをも合わさった「展覧会の絵」では・・牙を剥いて襲い掛かるオーケストラの全力満身のテュッティーから・・さらに抜きん出て爆裂する落雷直撃的な一番重要なオーケストラサウンドが見事に潰されていた。「キエフ」の大団円では・・ホールの後壁どころか・・いつの間にかロビーへと放り出されたような音響エネルギーの衰弱に・・もはや怒りを通り越して呆れ果てるほどのシロモノ?となっていたのだ。これでは・・たとえリアルタイムに生中継のベルリン・フィルを聴いたとしても・・その醍醐味を満喫することなどできないような有様だったのだ。カセットテープのキャパの問題などではなく・・音声送出システム内での過大操作からの「活け殺し?」なのだ。NHKのエンジニアが誰だったのかは判らないが・・こういった行為こそ「演奏芸術」に対する冒涜行為に他ならない。キャパの限界に挑戦する姿勢こそ・・「エンジニアたる者」のとるべき道であり・・楽曲の持つダイナミクスをできる限り忠実に収めてこそ・・プロフェッショナルと呼べるエンジニアじゃないのか!・・安全装置を使いながらも・・さらにフェーダー操作で「音を絞る」ようなボンクラエンジニアなど・・クラシック番組の収録など担当させたらダメなのだ。おそらく・・クラシック音楽の「ク」の字・・或いはオーケストラの「オ」の字も解っていないような・・ミキシングコンソールやエフェクターのツマミを弄くって得意満面になっているポップス感覚の輩が座っていたと思われるのだが・・こんな輩でもNHKで音響のプロとして胡坐をかいていられるのだから・・NHKとは本当にいい加減な人事をするものだ。
◆OIDTに延べ約17時間を要した「展覧会の絵」・・4時間を要した「悲愴」・・そして2時間ほどで仕上がった「ブラ1」では・・多分この放送のエアチェック音源とはとても信じられないほどの「爆裂」が聴ける。さすがに収録時リミッターを多用した「展覧会の絵」だけは・・何箇所かの痕跡が残って残念至極なのだが・・「キエフ」での大団円でロビーへと放り出された感覚は見事に蘇生できて・・リミッターが効かないまでに絞り込まれたフェーダー操作のお陰もあって?か・・全体レヴェルの下がった中でパルス的なピークエネルギーを含めたダイナミクスが活きていて・・本来のレヴェルに蘇生した後のオーケストラの爆裂から突き抜けて響き渡るお寺の梵鐘の如く(だったらしい)の鐘の鋭い打音は・・何回モニターしたのか数えてはいないが・・ヘッドフォンの中で鼓膜を突き刺し・・危うく難聴になりかけたほどの特大エネルギーをもって・・数dBのヘッドマージンを単独で使い尽くしたのだ。多分の推察だか・・当日に文化会館大ホールを埋めた聴衆は・・カラヤンを観るためだけにチケットを買った(招待された?)お歴々を含めて・・腰を抜かすことになったんじゃないか・・と思っている。その壮絶な雰囲気の一端を蘇生できたことは・・お金を出しても買えない ONLY ONE の音楽ソフトとして・・・冒頭のトランペットがひっくり返った演奏上の瑕疵など・ライブの勲章?と思えるほどの貴重な存在となって・・CDラックからオーラを放っている。ジャケットには・・往年のカラヤンのベストアルバム(十指に入る)の「オペラ間奏曲集」のLPジャケットを飾った(これは五指に入る)。ベストショットを丸ごといただき・・国内盤「オペラ間奏曲集」CDジャケットのハレーション気味の失敗作を・・LPの深みのある色調に整えた。演奏会当時の老いたカラヤンのイメージもなかなかのものなのだが・・やはり「KARAJAN」はコレしかない!。60〜70年代(カラヤン60歳代)のショットは・・当時のスーパー指揮者軍団の中でもダントツ抜きん出てカッコ良く・・特に・・「瞑想」のイメージは・・難解な楽曲さえ聴かせてしまうだけの魔力があった。
Disc No. 010  Title No. CDR-YSHD-006-00
 Bayerisches Staatsorchester - Carlos Kleiber
006
バイエルン国立管弦楽団
CDR-YSHD-006-00
カルロス・クライバー
1996.10.21
:
ヘラクレスザール、ミュンヘン
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
BS/VHS
モーツァルト:交響曲第33番
on air 1999.10,21
ブラームス:交響曲第4番
74'21
:
★★★★☆
バイエルン国立管弦楽団 定期演奏会 クライバー!・・・クライバー!!
◆帝王カラヤン没後には、カルロスこそ「視的魅力」唯一無二の存在だったような気がする。。カルロスを前に固まった聴衆は、オーケストラや楽曲の「核心」に触れることなく終演を迎えることになるのだが、こういった「毒気」は音だけの世界には影響されない。純粋無垢のクライバーの表現力だけが、オーケストラの能力を超えたところで開花結実するのだ。カルロスさんの「毒気」の最高潮に達したのは・・1989年にウィーン・フィルのニューイヤーコンサート初登場のプログラムの中で見せた「とんぼ」というポルカの指揮じゃなかったかと思っている。他の指揮者も「とんぼ」を取り上げたが、カルロスのような流麗極まる正にとんぼの浮遊する様相を表現したお方はいなかった。。ヘリコプターのように爆音をたててボバリング(空中静止)するのとは違って、軽々しく音もなくふんわり(小刻みに揺れてるみたいだが・・)と漂う有様が音にも表れて、微かな揺らぎを伴ってゴールデンザールの空間jに広がった時に、カメラは・・カルロスのあの棒の動きを捉えたのだ。この曲だけは・・・ムーティさんでも敵わない。
◆さて、ミュンヘンでの演奏会を収めたこの音源(映像)は、従前にはLD(レーザーディスクというDVDが普及する前のアナログLPと同じ大きさの映像付きディスク)でも出ていたものでもあったように思うが、BS放送でチャッカリ?とゲットできてしまった。現在DVDでも出ているが、確か三千円を超える値段がついていると思う。。こういった場合にはNHKさまサマとなって・・受信料集金人の方にはお茶でも出したい気分にもなるのだ。ニンゲンの気持ちなど・・ゲンキンなものだ。。コリオラン序曲からモーツァルトの33番を経てブラ4へと至るプログラムはカルロスのお好きな構成なのだろう。あっちでもこっちでも・・同じプログラムで随分と演奏されたようだ。モーツァルトの33番の交響曲なんぞ(失礼!)は、名演だの・・どうのこうのと分析できるだけの精神的要素まるでなく・・ディヴェルティメントのようにBGMとして聴いてもいいような曲想だ。後半のブラ4への時間潰し?としても僅か20分で終ってしまう。。ただただ・・ノーテンキに湧き上がるワクワクの躍動感と苦痛の欠片もないメロディーラインは、陰鬱極まるコリオラン序曲からの精神的な解放もあって・・コンサートの流れの中では休憩時間をうきうきの気分にもしてくれる逸曲なのかもしれない。ブラームスの第4交響曲は、ウィーン・フィルとのセッション録音もあるものの、20年を隔てたカルロスの心境の変化?とライブ特有の白熱感もあってか・・こちらのライブの方が聴き応えがする。基本的には同じ組み立てなのだが、当時のバイエルン歌劇場のオーケストラはカルロス専属オーケストラ?とのプライドもあってかどうか・・ウィーン・フィルも真っ青な演奏をしていたようだ。カルロスの「イエスマン」に成りきって醸し出した音香は・・やはり尋常ではなかった。「コリオラン」のゲネラルパウゼなどは飛沫(しぶき)を被って「静中の動」となり、留まり所のない爆熱エネルギーは、最後の最後に「動中の静」となって実体を消した。結果的には後年(晩年)のカルロスそのものの「暗示」のようでもあり・・・心が痛む。
◆亡くなった今・・タラレバを言っても仕方のないことだが、この半ばお決まりのプログラム配列(ベートーヴェン〜モーツァルト〜ブラームス)でもって、レオノーレV〜38番「プラハ」〜ブラ1・・というようなプログラムを聴きたかった。。余りにも少ないレパートリーと半固定的なプログラムは、何時でも必要となった時に即稼げるスコアだったのだろうが・・世間からチヤホヤされた挙句に名声に胡坐をかいた結果のやっつけ仕事にもかかわらず・・天性のセンス(天才ともいう・・)が表に出て、決して本心を悟られなかったことはお見事!と言う他ない。ウィーン・フィルの楽員とケンカ(意見対立)して演奏会もレコード録音の契約もすっぽかして・・その後の損害賠償請求すら行われなかったのだから、いかに世間がカルロスを甘やかしたのかが分かる。ご自身の手記も何もないので全て憶測なのだが・・帝王と呼ばれたカラヤンさえ足元にも及ばない稀に見る超内向的な専制君主であって、状況証拠だけでも十二分にその人間性を論じることが可能にもかかわらず・・美談だけが残った奇跡の人生でもあったのだ。天上の世界では、オヤジ殿(エーリッヒ)にドヤされて・・Heavener Philharmoniker(?)の指揮台には当分立たせてもらえないんじゃないかと思っている。。
Disc No. 011  Title No. CDR-YSHD-007A/B-00
Disc No. 012  Helsingin kaupunginorkestri - Live in Tokyo - Okko Kamu
007A 007B
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-007A/B-00
オッコ・カム
1982.01.12
:
東京文化会館大ホール
シベリウス
FM/Casette(DolbyB)
交響詩「フィンランディア」
on air 1982
交響曲第5番
39'39|43'56
交響曲第2番
★★☆☆☆
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 初来日公演 オッコ・カム指揮  白夜の国フィンランドから・・・ NHK収録音源
◆ヘルシンキ・フィルハーモニー初来日公演のNHK収録音源だ。 Helsingin kaupunginorkestri とは、ヘルシンキ市立管弦楽団の意のことらしいが英語表記ではHelsinki Philharmonic Orchestra となる。韓国のKBS交響楽団(日本のN響に相当)も来日時には、確か Korea Philharmonic と名乗っていた覚えがある。KBSは九州の民放の略称と同じなのだ。オーケストラのインターナショナルでの名称表記というのは難しいものだ。。当時の常任指揮者オッコ・カムに率いられたオーロラのお国のオーケストラは、ベルリン・フィルハーモニーと同じく・・確か創立100周年の節目を迎えていたようだった。オンエア時の解説にも・・盛んにベルリン・フィルと同じ年数の歴史を持つ云々と持ち上げられて「凄い」オーケストラであるように語られていた。しかしながら、音調は・・雲泥の差には至らないものの・・やはり、特にヴァイオリンは柔らかくて、ベルリン・フィルの弦に一枚ベールをかけたように奥ゆかしく響いた。実際に地元公演を特等席で聴いた上でNHKの収録したサウンドを聴いてみると、正に良く似た音調で蘇ってきたことに驚いた。奇しくも民放FM局のライブ放送と重なったことで、2種類の公演の「比較」が可能となったことは正に空前絶後のことでもあったのだ。ホールも違い・・収録方法も異なる・・同じオーケストラの同じ演奏楽曲。NHKの収録は、民放よりマイクが遠く、ライブ感はオーソドックスにして極上のバランスを持っていた。マスの響きか細部の明瞭度か・・その一長一短が同じオーケストラの響き(音調)の違いともなって・・色々と勉強できる極上の音的「教材」にもなったのだからありがたいことこの上ない。。
◆ただし、この当時のNHKは未だアナログテープによる収録だったようで・・DAT(リニアPCM)収録での現在の音源と比べると・・音源自体にも盛大なテープノイズが載って、ドルビーNR(B)でも除ききらないカセットテープのノイズと重なって、まともな音量で聴くときにはそこそこ耳障りな感じがする。「昔」のFMライブ放送の代表的な悩みでもあったノイズの絡みは・・今となっては懐かしくもあり、ノスタルジーに浸れる貴重な音源ともなった。。もし、現在の水準で収録及びエアチェックができていれば・・間違いなく★3〜4・・OIDTで★4〜5級の音源になり得たことだろう。。テープノイズが載った音源はOIDTを使えないのだ。マスタリング時の録音ヴォリュームのアップダウンに従ってテープノイズもアップダウンするので蘇生といっても作為的な嫌味を感じることにもなる。。マスタリング当時のP社最高級?3ヘッドカセットデッキに再生時経由可能なデジタルNR回路がついていたので・・古いカセットテープの蘇生のために購入したが、クラシックの楽曲には全くつかいものにならなかった。。一長一短が顕著に表れて・・テープノイズは確かに感知できないレヴェルになるものの、音調が大幅に変化して特に高弦の音などキンキンした金属質に変化してまともな音量で再生すると頭が痛くなるような感じになったものだ。。(この顛末は下段の民放収録のシベリウス・チクルスにも記した・・)やはり、ホームオーディオ機器の簡易な回路などは「おもちゃ」同然か・・またはポップスなどのシャカシャカ基調の音源に焦点を合わせたものだったかもしれない。レコード会社がクラシック専用のデジタルNRを使ってS/Nアップの目的だけでもデジタルマスターCDを発売してくれないだろうか・・。そんなCDならナンボでも買わせてもらいます。。
◆「フィンランディア」のコラール緩叙部分では珍しくスコアに無いバスドラムの弱音ロールを伴ったが、残念ながら民放収録に比べてサッパリ響かない。これが響けば、この音源でも★3となる。民放収録のこの部分では地鳴りの如く部屋の空気を揺すった。残念ながらNHK収録での唯一のウイークポイントだ。実際の演奏会またはTVの映像を見ていなければ判らなかった・・若しくは疑問に思ったかもしれない「音」でもあった。。ヘルシンキのオーケストラは、ド派手な迫力には縁がなく、ティンパニーもブラスも一歩引いたところで音を出した。弦楽器の温もりの火を消さないように・・北の国の人情が垣間見えるような微笑ましさがあった。初めて聴く弦楽器の無垢の木質トーンは、フィンランドのサウナに充満する木の香り・・そのものでもあった。4管バスドラ強打の入るような音源ではないが、生演奏のダイナミクスには遠く及ばなかったので・・オンエアの音源をもって印象を述べたが、このような編成規模の収録にも安全装置が使われていたのだ。しかし、アナログテープでの収録の時代には、ピアニッシモのS/N確保のためには必要悪としてコンプレッサーの使用は当然のことだったのだろう。。従って・・文句を言うような次元でもない。。
Disc No. 013  Title No. CDR-YSHD-008A/B-00
Disc No. 014  Orchestre Philharmonique de Radio France - Myung Whun Chung
008A 008B
フランス国立放送フィルハーモニー
CDR-YSHD-008A/B-00
チョン・ミュンフン
2001.03.02
ヒラリー・ハーン (Vn)
サル・プレイエル、パリ
:
FM/VHS
ベートーヴェン
on air 2001.12.26
ヴァイオリン協奏曲
43'52|53'24
交響曲第3番「英雄」*
★★★☆☆|★★★★★*
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 チョン・ミュンフン指揮 ・・屈指の「英雄」ここに誕生! 
◆フルトヴェングラーを始めとして、名演奏とされる英雄交響曲の録音は数多在るが、五指の一角にもなろうとする程の超絶的な名演奏を、まさか韓国の指揮者とフランスのガクダンの合作で実現されるとは夢にも思っていなかった。パリの新オペラハウス(バスティーユ)の座付オーケストラとは、メシアンを始めベルリオーズやサン・サーンスなどの作品の数々をDGに録音したチョンさんだが、戦略の一環としての選曲もあってか、オーソドックスな古典作品には一切手を付けさせてもらえなかったようだ。クライバーのように、お好きな作品何でもどうぞ・・てな特別待遇のお方は、録音という仕事が大嫌いな偏屈的天才で、なかなか期待に応えてくれないのが悩みの種でもあったのだが、一方にはこんなの録音したいと要請しても・・今はチョット・・と実質的には門前払いとなるケースの方が多いのだ。指揮者のイメージは、国籍は勿論、シェフとして君臨するオーケストラの国籍や名声などによって先入観念で固められ、特に商業録音ともなれば・・意外性を求めての冒険は大いなるリスクとして敬遠されることになる。演奏者と楽曲との間に何らかの形でつながりがなければ・・グローバルリリースを前提に算盤勘定をするメジャーレーベルには受け入れ難いリスクなのだ。あれほどのベートーヴェンを残した朝比奈&大阪フィルでさえ海の外ではブランドイメージは無きに等しい。。随分安くなったとはいえ、携帯電話会社への支払いが若者のサイフを圧迫しているとも聞いている。30年前はLPの購入がサイフを圧迫したものだった。。まともな音の音楽ソフトからチャチな着メロへとベクトルがシフトして、携帯でオンガクが聴ける!と悦んでいるような世の中に成り果てた。ノイズの塊のようなパソコンでダウンロードした音楽など・・ヘッドフォン被って聴いたら繰り返し聴くに耐えない音質だということもわからないほど新ジンルイの感性は鈍化したのだろうか。。
◆またまた脱線甚だしく・・チョンさんから大いに外れてしまったが、この演奏・・軽いはずのフランスの弦バスはブンブンと唸り、物凄い集中力でベートーヴェンの「凄み」の世界を展開した。通常は「葬送行進曲」を過ぎれば、緊張感極まる深刻な崖っぷちからの開放で・・何かがプッツンと途切れてしまうのだが、最後まで「重圧」なプレッシャーを感じたまま集中力を牽引するのだ。テンポは異なるものの、朝比奈の「こだわり」に通じるもの・・即ち、ベートーヴェンを「なめていない」真摯な挑戦を・・リスク覚悟の演奏表現に託した稀に見るアマチュアチックな心意気からの大熱演となっていた。FM放送の常で、演奏終了後の拍手はほんの数秒でフェイドアウトとなって聴衆と共に熱狂の渦中に身を置くことが叶わず残念至極なのだが、演奏からの痺れ?は音の消えた後も強烈に残って、暫し茫然自失の時を過ごすことになったのだ。ハッと我に返った時、手を叩く自分を笑ってしまったが、そういうことは楽曲に・・或いは演奏にのめり込まない限りありえないことで、年間何回もあるわけもない。。DGへのフランス音楽の録音では特別に抜きん出た演奏上の特質を感じなかったし、ウィーン・フィルとの数少ない録音にも特筆大書きするまでの決定的美質を実感するまでには至らなかったが、バイオリズムのように、ある時期ピタリと三つの山がプラスに重なるような・・そしてなお、楽員一人一人の情熱が全てチョンさんのタクトに集まって、革新的な交響曲を作ったベートーヴェンの「炎」に油を注ぐことになったのだ。指揮者やオーケストラの国籍観念などどこかへ吹き飛んで、唯一「ニンゲン」だけが残って・・ホールを埋めた「ニンゲン」、楽曲を作った「ニンゲン」との時空交信が始まった。。後日となったオンエアでも、解析不能な怪電波が載って・・心の中が加熱された。。ひょっとしたら・・時空交信に使った怪電波はマイクロウェーブだったのかもしれない。。(?) 今の時代にあっては、もはや参考資料としての「記録」でしかない・・前時代からの虚像イメージの中に先入観として固まっているベートーヴェン演奏への最大賛辞は、この瞬間覆されて・・現代の実像の中に確立した。ブラボゥー!チョンさん。。
Disc No. 015  Title No. CDR-YSHD-009-00
 Berliner Philharmoniker - Wynton Marsalis - Claudio Abbado
009
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-009-00
クラウディオ・アバド
2001.03.07
ウィントン・マルサリス (Tp)
フィルハーモニー、ベルリン
with Lincoln Center Jazz Orchestra
FM/VHS
:
on air 2001.07.30
ウィントン・マルサリス
69'07
「オール・ライズ」 <抜粋:8曲>
★★★★★
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  クラウディオ・アバド指揮  ブラボォー!ウィントン・マルサリス!
◆ボストン・ポップスの影響で、近年日本のシンフォニーオーケストラもクラシックのジャンル以外の音楽でパフォーマンス(公演)を持つようになったことは悦ばしい限りだ。管理人の地元のオーケストラも毎年夏になるとオーケストラの名称にも「ポップス」を謳って、色々な編曲ものを集めたプログラムでのポップスコンサートの企画をしている。もちろん、ポップスといっても幅広く・・映画やミュージカルからの音楽がメインにはなるものの・・ジャズやロックまで何でもござれ・・の体制だ。オーケストラの編成は、チャイコフスキーの悲愴交響曲が演奏可能なスコアの段数を持って、そこへピアノ・キーボード(シンセサイザー)・エレキベース・ドラムスといった強烈なリズムセクションがエキストラで加わる。エンターテイメントショーのようにステージ両サイドに巨大なPAシステムをおいて・・鼓膜がジンジン痛くなるような過激な大音響で聴衆の神経を痺れさせてしまうという策略?こそないものの・・やはり電気楽器&ドラムスから発せられるパンチの効いた衝撃波は、二千余席の大ホールを割れんばかりに揺することになって、80名からなるシンフォニーオーケストラのサウンドエネルギーさえマスキングする瞬間があったりする。バッハやモーツァルトが聴いたらびっくり仰天することになるだろうが、時代と共にシンフォニーオーケストラのレパートリーが広がって、クラシックだポップスだ・・などと縄張り意識を持てないほどジャンルの垣根が無くなっていく兆候として・・進化の歴史の長いスパンの中での過渡期のように・・世界中に浸透定着しつつあるんじゃないかと思ったりしている。そんな中で、二十世紀に「芸術」の意味を取り違えて理屈(理論)の世界へ奔ってしまった前衛音楽の作曲家たちは、リスナーにそっぽを向かれて今や見向きもされない。当時の聴衆は、なんじゃこれは!・・と思いつつもブーイングの勇気もなく、斯く斯く云々の理屈で何とかを象徴もしたりして・・てな超アカデミックな説明にでも与れば、さも解ったようなフリをしなければ自身のプライド?に係わって、話の種にでもと・・シュトックハウゼンとかなんとかの「実験音楽」のモルモットになったりしてたのだ。譜面台からはみ出すほどのスコアを置いて、首っ引きでフンニャリホンニャリ?した音を撒き散らした指揮者も、そういった屁理屈極まる音響の世界こそ「未来の芸術音楽」として奨励した芸術大学・・そして見栄っ張りの一般聴衆と同じ次元で然も有りげな評価を下した評論家と呼ばれるお歴々など・・一番重要な哲学として・・ニンゲンにとっての「音楽とは?」を考えることもなく、「革新」の意を錯誤してニンゲンから乖離した世界で胡坐をかいていたのだ。。二十世紀の歴史的事件として名高い「春の祭典」の顛末は、バレエのピットから出たオンガクに対してのものだったらしい。オンガク自体に、ニンゲンへの強烈なメッセージがあったからこそ賛否両論(保守と革新?)の大騒動へ発展したのかもしれない。屁理屈で固めた実験オンガクなど・・ブーイングをするだけの価値さえ無かったのだ。演奏者に対するお義理の拍手で「作品?」が評価を受けたと勘違いしたところなんぞは・・滑稽の限りでもあるが、お金を払ってまで実験音楽のモルモットにされた聴衆は、どこへ怒りの矛先を向ければいいのだろう。。
◆ウィントン・マルサリスという超有名なアーティストを知ったのは、超恥ずかしながら・・このエアチェックでのことだった。ベルリン・フィル定期演奏会のライブ特集番組(確か五夜連続の初日だったような・・)のインフォメーションを見て、なにやらジャズっぽい曲をやるらしい・・といったことしか分かっていなかったのだ。特別にワクワクするまでもなく一応テープを回して後日にモニターしたのだが、同日3回も繰り返して聴いてしまったことを覚えている。マルサリスの名前さえ知らなかったのだから・・ジャズ云々を然も有りげに語るわけにもいかないが、70分に及ぶ演奏時間の中で8つの抜粋楽章に散りばめられた・・ラテン・ゴスペル・ブルース・フュージョン・ロック・ボサノヴァなどのファンダメンタルがビッグバンドとシンフォニーオーケストラの境界線で光を放ち、または正にその世界で炸裂をしたりと・・時間の流れに淀みが無く、あっという間にフィナーレを迎える。ヴォーカル・ジャズ・コネクション・ベルリンという(合唱団ではなく、多分ベルリン在住ジャズシンガーの登録団体?)混声の団体から・・クレジットこそされてはいないが・・ヴォーカルソロを受け持った何人かのシンガーの一人だけ、どうにもこうにも笑っちゃうようなハイトーンを出してはいたが、これもご愛嬌として例えば「第九」のソプラノのような厳格なピッチなど要求さえされないのかもしれない。。マルサリスの興奮しきった顔が浮かんでくるような超絶至極のハイトーンは、もはや譜面の制約を離れて自由奔放に飛び回る音符たちの炸裂そのものであって、フィルハーモニーの空間が興奮のルツボと化した瞬間でもあった。普段の定期演奏会とは全く異なる・・煌く光の粉が眩しいほどの鮮やかな色彩感覚はジルヴェスターコンサートにもなかった雰囲気で、どんな経緯から定期演奏会に載せたのかどうかは分からないが・・こういった「革新?」は日本でもどんどん真似したらいいと思っている。ベルリン・フィルハーモニーの当時の音楽監督クラウディオ・アバド自らのタクトで催された演奏会だが、アバドご自身もお祭り騒ぎ?の如く賑々しく踊るような様相仕草で興奮されていたらしいとのことだが、フィルハーモニーホールを埋め尽くした聴衆の熱狂的な口笛歓声が聞こえる楽章間(どころか演奏中にまで・・)の雰囲気に浸っていると、アバドさんのお気持ちは本当によく分かる。真面目にビートを刻むことなどヤボの骨頂ともなって・・生き物のように伸縮自在な躍動感を萎縮させるだけになることをご存知だったのだろう。。そんなこんなで・・このCDRは、OIDTの必要の無い素晴らしい録音(ジャズドラムスも含めた打楽器の迫力はFM音源であることを忘れさせるほど)もあってか、ベルリン・フィルのライブ録音の中でも十指に入る優れもののタイトルとしてラックの中に鎮座しているのだ。因みに・・マルサリスは、この年の9月に本場ロサンゼルスで全曲をソニークラシカルへセッション録音している。エサ・ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックとの共演。同じくリンカーンセンター・ジャズ・オーケストラも出演している。全12楽章演奏時間106分にもなる超大作だ。
Disc No. 016  Title No. CDR-YSHD-010-00
 Bayerisches Staatsorchester - Live in Tokyo - Carlos Kleiber
010
バイエルン国立管弦楽団
CDR-YSHD-010-00
カルロス・クライバー
1986.05.19
:
昭和女子大学人見記念講堂
ベートーヴェン
FM/Casette(DolbyB)
交響曲第4番
Live on Air
交響曲第7番
66'16
Joh.シュトラウス:ポルカ「雷鳴と電光」
★★★★☆
バイエルン国立管弦楽団 日本公演 クライバー!・・クライバー!!(U)
◆このエアチェックでの録音があったので、巷で噂の海賊盤には全く興味もなく手も出さなかったのだが、アンコールに「こうもり」序曲も演奏されていたという事実を知ってからは・・たった一曲のためだけに・・同じ音源(と思われる?)の裏青海賊盤を探すハメになってしまった。。金六千円也の4枚組裏青盤セットには・・なんとシカゴ交響楽団へのデビュー公演やウィーン・フィルハーモニーとの曰くつき「英雄の生涯」を含む定期公演の音源まで入っていたのだから恐れ入った。全てステレオ録音で、一番古いシカゴでの公演でも★3、「英雄の生涯」は★5級の掘り出し物だ。これに味をしめた結果・・とんでもない超駄盤を手にすることにもなったわけで、つくづく凡人として煩悩の制御?の難しさを思い知らされることにもなったのだ。アンコールに演奏されたハズの「こうもり」序曲が収まっていなかった・・・ということは、よくよく考えたら・・4番終了後テープを早送りしてB面をセット・・そして7番の「出」を待っていた。アンコールが当夜2曲もあることなど想定外(確かFM番組表にも載ってなかったような気がする・・)のことで、片面40分のテープに収まりきれず止む無くカットしたのかどうか?・・覚えていない。。C-80(片面40分)のカセットテープは、ベートーヴェンの4&7番をAB両面でキッチリと収録するためにはピッタリサイズだったのだ。クライバーの快速テンポのお陰で、「雷鳴と電光」だけは収めることができたようだ。とにもかくにも・・エアチェックへの情熱など有って無いようなどん底だった時期に・・これをリアルタイムに録らせたのは、カセットテープの片面にスッポリと収まるサイズの交響曲で、特に第7交響曲ではDGにセッション録音したウィーン・フィルの演奏と比べたかったのかもしれない。
◆エアチェックのマスターテープにVHSのHiFiサウンドトラックを利用するまでは、収録時間の制約からテープデッキのカウンターが限界に近づくと神さま仏さま観音さまと・・日頃の信仰心の無さを棚に上げて・・祈るばかりの一時(いっとき)を何回か経験した。サッカーでいえばロスタイムのようなテープのオマケの時間枠に突入してからというものは・・もっとテンポ上げんかい!・・などと物騒な独り言を呟いたものだった。。それにしても疾風迅雷!の如くのベートーヴェンであり、空前絶後の演奏ともなった。4番の瞑想から爆発への変化も、7番フィナーレ狂乱の迫力も、さらには・・アンコールでのダガッキの破裂的なアタックも・・全てがFMの電波とカセットテープのキャパの中で活きていた。Dolby-B でとりきらず僅かに耳に感じるテープノイズも、LPのスクラッチ同様に「時代」を感じてノスタルジーに浸れる。。最近には幻のライブ録音などと称してベートーヴェンの「田園交響曲」がオルフェオから正規リリースされたが、オーケストラのアーカイブ用に回したオープンリールのマスターテープが使いものにならず、同時にパラレルで録っていたカセットテープ(ご子息に聴かせるための)の音源からマスタリングをしたとのことだった。オープンリールのマスターテープは多分経年劣化で音揺れや転写(ゴーストの発生)・・ひょっとしたらドロップアウトなど悲惨な状態だったのだろう。レコード会社のテープ保管庫でもかなりいい加減な管理をしている場合もあるらしいが、ましておや商品としてリリースすることを前提にしないアーカイブ用のテープなどは・・そこらへんのロッカーか棚に積み上げておくだけで、季節による温度や湿気の影響をまともに受けたのではないかと想像している。昔・・そこそこ作ったエアチェックライブ音源でのカセットテープのほとんどは音揺れ激しく・・マスタリングをしようにも使いものにならない。。生き残った1割に満たないカセットテープでもノイズなどの問題多々抱え、こうしてCDRとなった音源は・・激悪な環境変化の波を乗り越えて・・正に「奇跡の生還」としかいいようがない。
Disc No. 017  Title No. CDR-011-01DDD
 Berliner Philharmoniker - Live in Wien - Claudio Abbado
011
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-011-01
クラウディオ・アバド
2002.05.13
:
ウィーン楽友協会大ホール
マーラー
CS-PCM/DAT
交響曲第7番
on air 2002.07.13
:
78'30
:
★★★★☆
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン公演 クラウディオ・アバド指揮   DDD逸品CD-R:友人よりの贈物 ^O^
◆ベルリン・フィルハーモニーとウィーン・フィルハーモニーがまさかの合同演奏をする以前には、この世界の両雄は正に宿敵同士でもあった。本来オーケストラとしての次元(素性)は全く異なるものの、オーケストラの名声自体が世界を二分して、ピットでの仕事をメインとして自主運営で定期的にコンサートオーケストラへと変貌するウィーン・フィルに対して、純粋なコンサートオーケストラでありながらザルツブルグでは毎年定期的にピットに入るという習慣を身につけたベルリン・フィル。本拠とするコンサートホールも、超伝統的なシューボックスに対して超現代的なワインヤードと・・性格を異にする。特にヘルベルト・フォン・カラヤンが二股?をかけてからは両楽団のにらみ合いは激しく、本妻から三行半をたたき付けられた後の愛人ウィーン・フィルへの熱の入れようは・・ウィーン・フィルとしても「待ってました!」と云わんばかりの凄まじさだったらしい。事実、その後のソニークラシカルでのウィーン・フィルとの録音計画は、ベルリン・フィルと録音した主要な楽曲全てに及び、シベリウスの交響曲全集など涎の出るようなプロジェクトが控えていたのだ。ソニークラシカルへの移籍は幻に終ったのだが、ビデオ作品のディスク化(LD⇒DVD)などで一連のジャケットを眺める限り、このレーベルのジャケットデザインは陳腐甚だしく、ここに「カラヤン&ウィーン・フィル」が登場しても中身の足を引っ張るだけで終ったかもしれない。。カラヤン絡みで因縁を極めた両雄がベルリン・フィルの新音楽監督であり新ジンルイ?でもあるラットルさんの計らいで手を結ぶようになるとは誰が想像しただろう。。因循姑息を打破するには・・もはや爺の固定観念では追いつかない時代に進んでいるのかもしれない。
◆このウィーン公演は、芸術週間への参加だったようだが、この年は楽友協会の担当だった。従って、フィルハーモニカーの本拠にベルリン・フィルがのり込んで挑発的にもウィーンの元シェフの作った曲で勝負と相成った。宿敵を当然至極に意識したベルリン・パワー!の炸裂は、曲想に似合わないフィナーレの狂猛チックな暴発にフォーカスを絞ったかのようでもあり、残響のベールを突き破って抜きん出るオーケストラの猛烈なエネルギーは「夜曲」の残り香など吹き飛ばしてしまっていた。既にアバドの音楽監督としての時代も末期を迎えて、アバドさんの統制も完璧には効かない雰囲気が楽団内にも漂う中、楽団員の気持ちはゴールデンザールの金箔に刺激されてかどうか・・ムクムクと闘志が燃え上がってウィーン・フィルに牙を剥いたのかもしれない。。丁度1年前の本拠フィルハーモニーでのドイツグラモフォンの録音盤とは、やはり「響き」の印象が大いに異なった。楽員一人一人の気持ちの有様で出てくる音がかくも違って聴こえてくるのかが端的に分かる優れもののライブ録音だ。音譜の一粒一粒がハジケルように活き活きと響き渡っている。シンバルの炸裂も突き抜ける如くの勢いがあり、オーケストラの満身のテュッティーなどまともな音量で聴くと腰を抜かすことになる。演奏終了後の拍手は当日の聴衆がいかに熱狂したかを克明に伝えており、3分を超える拍手をフェイドアウトなしにそのままオンエアしたことなどNHKには大いに見習ってもらいたいことでもある。ORFの音源にはきちんと収録してあるじゃないか!と文句が言える根拠となったことでも意味深い音源となった。
◆CD-Rディスクは、然る友人よりありがたくも頂戴した極上の逸品でもある。マーラー第7交響曲におけるこの録音を含めたアバドの3種類、他の3人の指揮者(ベルティーニ・ハイティンク・オザワ)によるベルリン・フィルでの演奏、録音史上最速と最遅の演奏(シェルヘン&トロント交響楽団vsクレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)其々の楽章毎及びトータル演奏時間の記されたデータ表が添付されて、資料的にも非常に価値があるものだ。演奏時間のデータなどは拍手や楽章間のインターヴァルを含まずに実演奏時間で比較するなどのこだわりようだ。本物の比較資料としての意味をこれほど顕著に表したデータは貴重なものだ。CS-PCM放送からDATへの流れは完全なデジタルエアチェックで、そこからCD-Rへとデジタルトランスファーされている。このDDDプロセスでの高鮮度は、エアチェックの最高品位として将来の新たなる目標にもなったのだが、現状の番組表を見てみると、NHKのBSとFM放送でのライブ音源には足元にも及ばないことから・・導入は見送りとなったままだ。少なくとも、BS放送のBモードデジタル音声はCS-PCM放送と全く同じ規格のリニアPCMなのだから・・十二分に互角の品位で聴けていることになる。とにもかくにも、友人のご厚意によって、素晴らしい音源を入手できたことは悦ばしい限りだった。自らマスタリングしたものではないのでYSHDなるアルファベットは付けられないが、作品タイトルの一つとしてコレクションの一角に加えさせていただいた。なお、極めて陳腐なジャケットカードだけは自作だ。(笑)
Disc No. 018  Title No. CDR-YSHD-012-00
 Orchestra of the 18th Century - Live in Tokyo - France Bruggen
012
18世紀オーケストラ
CDR-YSHD-012-00
フランス・ブリュッヘン
1988.05.27
:
サントリーホール
モーツァルト
FM/Casette(DolbyC)
歌劇「フィガロの結婚」序曲
1989.02.08
交響曲第38番「プラハ」
74'11
交響曲第39番
★★★★★
18世紀オーケストラ 日本公演 フランス・ブリュッヘン指揮 古楽器オーケストラ 初体験!ベールを脱いだ潜在リズム
◆正直なところ、モーツァルトは鬼門だった。レクイエムを除いて・・全ての楽曲が過度に聴き易いがために自分の中ではBGMとして「ながら聴き」の音楽となってしまっていたのだ。モーツァルトだけでプログラムを組んだシンフォニーオーケストラのコンサートなどは、楽員節約?のコストダウンコンサート?みたいな感覚で捉えて、例え後期3大交響曲を演奏するにしても足が向かなかったのだ。大いなる原因は、セレナードでもディヴェルティメントでもシンフォニーでも区別のつかない気楽な楽想からか・・真面目に聴かねばならない肩のこる演奏会で「お気楽音楽」なんぞを聴かされることの精神的矛盾に耐え切れなかったのかもしれない。。神童から湧き出た無垢の楽想だからこその現実とのあまりにも乖離浮遊した音世界にはストレスさえ感じるほどだったのだ。幾多の楽曲の録音盤などは必要以上に買い込んだりして、気持ちを素通りしてラックの飾りにもなっていた。ベームが・・ワルターが・・などの議論にも加わるだけの興味もなく、ただひたすらベートーヴェン!の世界にハマっていた。。
◆この18世紀オーケストラなるヘンテコリンな名称の小型オーケストラの存在を知ったのは・・やはりベートーヴェンとの絡みでのことだった。当時シンフォニーオーケストラで演奏されるのが当たり前だったベートーヴェンの交響曲だが、室内管弦楽団規模の小編成で・・しかも楽器が全て作曲された当時の仕様のものを使って「その時代」の響きを現代に蘇らせた云々との評判があって、第1交響曲とモーツァルトの何番かの交響曲とのカップリングで既にリリースもされていたのだ。当然、音楽雑誌などで目にすることにもなってはいたが、購入して実際に聴こうとするだけの意欲が湧かなかった。。カラヤン&ベルリン・フィルが演奏しても「あの程度?」の第1交響曲を・・カビの生えたような古楽器の音色で聴いても仕方ないという先入観の塊で拒絶していたようだった。ブリュッヘンという名前も・・かつてリコーダーの名手としてLPが発売されていて・・ベートーヴェンを聴くべき指揮者のイメージからはほど遠かった。
◆FM放送で、噂の(ヘンテコリンな名前の)オーケストラ来日公演ライブをオンエアされる旨のインフォメーションが目に入った時、ケチな話で恐縮至極なれど・・タダで聴けるなら話の種に・・とテープを回したのだ。ところがどうだろう!・・プラハ交響曲の第1楽章は衝撃的な表現力だった。展開部へ入ってからの低弦の躍動するリズム感にすっかりとハマってしまったのだ。。従前どこのオーケストラからも聴こえてこなかった「ゴリゴリ」と押し捲るコントラバス(僅か2〜3挺)の音は、この演奏でしか味わえない貴重な音源ともなったのだ。古楽器独特の音調が、因循姑息なモーツァルトの既定概念を一気に打ち破ったのか?・・。モーツァルトなんぞ・・と高をくくっていると、そのピーンと張って突き刺さってくるような音符の鏃の総攻撃を受けることになる。レクイエムを除いて、軟弱音楽?としてのポジションにあったモーツァルトの作品は、これを契機にベートーヴェンと同格となって、潜在的なワクワクのリズムにノリノリで聴くことができるようになったのだ。この後、数多の所蔵CDをとっかえひっかえ聴いてみたが、同じコンビの同曲市販ライブCDでさえ・・これほどのワクワクのリズム感は無かった。演奏自体の音的表現やマイク等の収録上のアレンジ一つで、同じリズムが見え隠れするということは・・モーツァルトだけに限ったことではないのだが・・偶然にも幸運の女神が好条件を合体させたときの凄みなどは、正に千載一遇と呼べる「幸運の瞬間」だったのかもしれない。。慢性中毒になるほどの強烈な「毒気」はベートーヴェン全曲へと発展して、ハイドン・モーツァルトを含む一連の古典楽曲の再認識へ貢献したことは勿論、アーノンクールの刺激的な表現にも共感して・・暫らくの間フツウのシンフォニーオーケストラが聴けなくなってしまっていた。。この解毒にはその後何年もかかったのは言うまでも無い。
Disc No. 019  Title Nos. CDR-YSHD-013-00 & CDR-YSHD-014-00
Disc No. 020  Helsinki Philharmonic Orchestra - Sibelius Symphony Series 1982 Japan
013 014
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-013/014-00
オッコ・カム
1982.01.22|1982.02.04*
:
東京厚生年金会館|大阪フェス*
シベリウス
FM-Aichi/Casette(DolbyB)
交響詩「フィンランディア」
on air 1982
交響曲第3&6番
70'20|74'25*
 交響曲第2&5番*
★★★☆☆
Disc No. 021  Title Nos. CDR-YSHD-015-00 & CDR-YSHD-016-00
Disc No. 022  Helsinki Philharmonic Orchestra - Sibelius Symphony Series 1982 Japan
015 016
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-015/016-00
渡辺暁雄
1982.01.28
:
福岡サンパレス
シベリウス
FM-Aichi/Casette(DolbyB)
交響曲第1番
on air 1982
 交響曲第4番*
38'53|55'47*
 交響曲第7番*
★★★☆☆
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 初来日公演 シベリウス交響曲連続演奏会 空前絶後の民放FMオンエア
◆民放FM各局(FM-Tokyo FM-Osaka FM-Fukuoka FM-Aichi)空前絶後の大型合同企画だった。TDKオリジナルコンサートと題された民放FMクラシックライブ番組あってのことだった。スポンサーがマスターテープを抱え込んでいて、現在盛んにCDとしてリリースをしているのだが、この音源も同様に既にリリースされている。当時は確か・・PCM収録を謳っていたと記憶しているのだが、CDとなった音源は、同時に回していたオープンリールのアナログテープによる音源からマスタリングしたものらしい。キングレコードもデジタル初期には、バックアップで必ずアナログ収録を並行して、近年にはデジタルマスターとは別のアナログテープからマスタリングしたCDをリリースしている。テープノイズもデジタルNR処理がされており、ほとんど感知できないレヴェルで・・音調の悪化も全くない優れものだ。朝比奈&大阪フィルの一連の録音は、この方式で当時のデジタル音源にはないアナログチックな「粘り」が出た。このCDRのエアチェックテープはカセットだが、NHKオンエアでの同じエアチェックテープに比べたらはるかにテープノイズは少ない。もっとも、ノイズたる原因はオンエア音源には無く、ドルビーNR(B)で除ききれなかったカセットテープのヒスノイズだけが残ったものだ。僅かに耳に感じるが、演奏が始まればほとんjど気にならないレヴェルとなる。音調もNHKよりもクリアで分離もよく、ダイナミクスにもほとんど不満を感じない。推察だが・・ホールトーンを犠牲にしてでも・・弦楽器の各プルトにマイクを立てるほどのマルチ収録で、各楽器の音をピックアップしたのが幸運にも?ミキシングの妙で功を奏したのかどうか・・「フィンランディア」の緩叙部分に追加されたバスドラムの弱音ロールも、地響きをたててスーパーウーハーから放出された。この「音」は、別の日に東京文化会館でNHKが収録したサウンドとは次元の違う迫力(あくまでも弱音での)で、マイクアレンジやミキシングの違いによって、かくも演奏表現が変わって聴こえることに驚いたものだ。PCM音源による放送の品位は、音源マスターのテープノイズに邪魔されることがなくなり、格段に透明感と静寂感が増したものとなっていた。当時はマルチトラックのデジタルミキサーは無かったと記憶しているので、アナログミックスダウン後の2つのチャンネルをPCM収録したものと思っている。時代とともに「音環境」が変化する兆しが・・実際に「音」として実感できた初めての瞬間でもあった。
◆オッコ・カムは70年代初頭のカラヤン指揮者コンクールでの優勝のご褒美として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を使ってシベリウスの第2交響曲の録音を許された。カラヤンのアドヴァイスで、特にテンポ感など「カラヤンの新録音」と思える程の素晴らしい仕上がりとなっていた。結果的には、後年のカラヤンのデジタル録音よりも数段上をいく演奏となり、「愛聴盤」としての一角を占めていたのだが、カラヤン色から見事脱却した今回の演奏は、ベルリン・フィルハーモニーとの録音とは全く違った渋い音色も手伝って、暖炉端で聴いているような・・柔らかな温もりのある雰囲気が醸し出されていた。オーロラの見える極寒の地で100年の歴史を重ねたオーケストラは、古蔵地酒の如くの音香を漂わせて聴衆を魅了心酔させたのだ。渡辺暁雄の大判振る舞いともいえる一夜のプログラムには、シベリウスの「静と動」が凝縮されたものとなって激情・変容・達観の境地が一望できる贅沢なものだった。日本フィルとの全曲録音や京都市響との2番の録音盤もあるものの、半分フィンランドの血が混じったマエストロ・ワタナベにはやはりもう一方の「お国」のオーケストラがよく似合う。レコード会社は無理をしてでも、このオーケストラとの全曲録音を残すべきだった。。唯一の「残念」は、大阪フェスティヴァルホールでの「フィンランディア」が福岡と重なって割愛された(放送されなかった)ことだ。結果的に演奏会の完全チクルスではなくなってしまったオンエアだが、この辺が「余裕無駄厳禁」の民放らしいところでもあった。この音源のマスタリングの際に、Dolby-B で残ったテープノイズを完全に除去するために、新型カセットデッキのデジタル・ノイズ・リダクションを経由してもう一つのマスターディスクを作ったが、テープノイズはほぼ完全に除去できた代わりに音調が大いに変化して・・まともな音量で聴く時には・・刺激的な中高域が鼓膜を刺す。バランスの変化はアンプの簡易なイコライザーの調整範囲を超えており、カラヤン&ベルリン・フィルが70年代初頭にDGに録音した「スコットランド交響曲」の如く、ヴァイオリンセクションは金属的なキツイ音調に変化した。ところが、ラジカセでは・・こじんまりとするものの・・ジェラート(アイスクリームの中に氷の粒が混じった口当たりの良いデザート)のような耳当たりの良い素晴らしいサウンドと化す。。音源の持つ特性の暴れ(一長一短)は、再生装置固有の特性や再生音量によって相殺されたり倍化されたりと・・様々に変化をするのだ。残念ながらデジタルNR経由でマスタリングしたものは、五つ星のトータルインプレッションでは星一つ(★☆☆☆☆)にも満たないこととなり、この新型テープデッキは新品保証期限内にそこそこいい値でセコハンショップへと引き取られていった。
Disc No. 023  Title No. CDR-YSHD-017-00
 Orchestre du Capitole de Toulouse - Live in Wien - Michel Plasson
017
トゥールーズ国立管弦楽団
CDR-YSHD-017-00
ミシェル・プラッソン
1998.03.25
クリストフ・ベルナー(Pf)
ウィーン楽友協会大ホール
:
FM/VHS
マニャール:賛歌
1998.12.02
サン・サーンス:ピアノ協奏曲第2番
77'35
サン・サーンス:交響曲第3番
★★★☆☆
トゥールーズ国立管弦楽団 ウィーン公演  念願成就!ゴールデンザールでのオルガン交響曲
◆サン・サーンスの交響曲第3番は、若かりし頃?当時ズービン・メータが音楽監督だったロサンゼルス・フィルハーモニックのLPで夢中になった楽曲だ。ティンパニーの皮の振動まで見える!と謳われた最新録音盤だった。どういうわけか・・パイプオルガンのことには全く無関心なキャッチコピーでもあったのだが、同じレーベルの旧録音盤(エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団)で16Hzまで聴こえる重低音の迫力!・・などと謳ってあったりして、同じ文句を並べるわけにもいかなかったようだ。。アンセルメのLPは2枚目(2種類目)として後年に購入することにもなるのだが、とにかくメータ&ロス・フィルの「最新録音」はことあるたびに聴きまくったものだった。第1楽章第2部の敬虔な雰囲気には電球の光よりもキャンドル(蝋燭)が似合う!と思ったら・・即座に友人を呼んでサウンドステージをキャンドルの揺らめきで飾ったりして・・ロマンティックな演出を得意満面に自慢したりしたものだった。。その後、月参りの和尚から・・蝋燭ありまへんがぁ!・・てな騒ぎ?にもなって、ストックの無くなった原因究明から逃れるために四苦八苦したことを覚えている。。クリスマス用の西洋キャンドルに切替えたことは云うまでも無いが、キャンドルの淡い灯りを見ながら聴くオルガン交響曲は、100Hz以下はダラ下がりだったハズの当時の再生装置への不満など覆い隠して・・「最新録音」として然も有りげに響いたのだから・・音楽への環境的(視覚的)影響というのは凄まじく絶大でもあるわけだ。。その後、音楽雑誌(というよりもオーディオ雑誌)で評判の高かったアンセルメの録音盤を購入したが、謳ってある32’パイプの16Hz云々など当時のスピーカーからは出るハズもなく、16'パイプの32Hzさえ実感できないまま・・敬虔なあの部分に聴き惚れていた時期が続いた。後年、CDの時代となって本格的なスーパーウーハーを導入した時、日本でも本物の「オルガン交響曲」が生で聴ける環境へとシンクロしたことは、「空気を揺する」という概念が実感としてオーディオ再生にもフィードバックできて、その後の音楽の聴き方が根底から変化したターニングポイントとなったのだ。大阪のザ・シンフォニーホールでの2度の体験は、未だ録音のないパリ管弦楽団(バレンボイム指揮)と学生時代に何回か聴いた懐かしい東京交響楽団(秋山和慶指揮)による演奏だったが、1800余席の大ホールの空気を揺するボッボッボッ・・という超低音は、身体で覚えて時が経っても忘れないのが不思議だ。。
◆ウィーンのゴールデンザールには勿論オルガンがあるが、その性能評価は棚に上げても・・サン・サーンスの第3交響曲の正規録音はおろか演奏会にもなかなか取り上げられなかったようだった。ひょっとして、見落としがあったかもしれないが、エアチェック熱が復活した1990年以降にこのホールでのこの曲の演奏がライブ録音としてオンエアされたことは無かったんじゃないかと思っている。フィルハーモニカーの指揮者たちが、それぞれシェフとして君臨するオーケストラや又は別のオーケストラなどでこの曲を録音したとのインフォメーションを目にすれば、ウィーン・フィルの定期演奏会でも取り上げるんじゃないかと大いなる期待をしたものだ。残念ながら?ウィーン・フィルではなかったが、ムジークフェラインでサン・サーンスのオルガン交響曲を!・・との長年の「夢」が、トゥールーズ国立管弦楽団のウィーン公演で先ずは実現したことは本当に嬉しかった。セッション録音によくあるミキシング卓のフェーダー操作とは無縁の自然なベダル重低音が土台を支えて、仏壇の中のようなゴールデンザールを祈りの境地で充満させた。フランス生粋のオーケストラと指揮者によるサン・サーンスなのだが、オルガンだけはフランスから運びようがないのだから・・ウィーンの殿堂に鎮座する大オルガンとの共演はフランスとオーストリアとの友好的ハーモニーとなって長い残響の中で見事な融和を醸し出していた。フランスのオーケストラ独特の管楽器の音色でのフレージングや最後のティンパニーの連打もそこそこ決まったものの、ウィーン・フィルのティンパニーなら・・オーボエなら・・ホルンなら・・と贅沢にも思いを馳せることにもなっていたが、後年・・ウィーン・フィルの定期演奏会で、まさかオザワがこれをやるとは夢にも思わなかった。パリ音楽院管弦楽団からフランスとパリ市の威信をかけて進化した(ハズの)パリ管弦楽団でも、未だにこの録音をしていない。どこかの国とは全く逆で、・・優秀なオーケストラを創っても、入る器(専用ホール)を造らなかったツケが・・進化創設後20年も経たない間に相当なレヴェルダウンを余儀なくなれたことへつながったのではないかとさえ思うのだ。創設後まもなく、音楽監督ミュンシュの急死によって音楽顧問として在任したカラヤンが、フランク・ラヴェル・チャイコフスキーに加えてサン・サーンスを録音してたら・・などと・・デジタルといえども後年のベルリン・フィルでの・・音場感の全く異なるコンサートホール(フィルハーモニー)のオーケストラと大聖堂(パリのノートルダム)のオルガンとの合成録音の大失敗を悔しんでいる。同じ空気の中でオーケストラとオルガンとがハーモナイズすることが重要なのだ。その後のレヴァインやメータとの録音では、フィルハーモニーホールのオルガンで同時録音されたのだから、当時のカラヤン先生にはご自身の関与したホールにもっと自信を持ってもらいたかった。。定期演奏会で1回だけ・・アシュケナージをソリストに迎えてのベートーヴェンの第4ピアノ協奏曲と共に演奏したことがある。楽団のアーカイヴに録音が眠っていたら是非にでもCD化をお願いしたいものだ。レコード会社のアイデアだったのかもしれないが・・名誉挽回のために・・重ねて是非にでも・・マスターテープを見つけてほしいものだ。。
Disc No. 024  Title Nos. CDR-YSHD-018-00 & CDR-YSHD-019-00
Disc No. 025  Philadelphia Orchestra - Beethoven Zyklus in Japan 1996 - Wolfgang Sawallisch
018 019
フィラデルフィア管弦楽団
CDR-YSHD-019/020*-00
ウォルフガング・サヴァリッシュ
1996.05.16/17/23
:
サントリーホール
ベートーヴェン
FM/VHS
交響曲第1番&第2番
1997.04.21/22/26
交響曲第3番「英雄」*
66'10|60'08
バレエ「プロメテウスの創造物」序曲*
★★★☆☆
Disc No. 026  Title Nos. CDR-YSHD-020-00 & CDR-YSHD-021-00
Disc No. 027  Philadelphia Orchestra - Beethoven Zyklus in Japan 1996 - Wolfgang Sawallisch
020 021
フィラデルフィア管弦楽団
CDR-YSHD-020/021*-00
ウォルフガング・サヴァリッシュ
1996.05.16/21/23
フランク・ペーター・ツィンマーマン (Vn)
サントリーホール
イエフィム・ブロンフマン (Pf)
FM/VHS
ベートーヴェン
1997.04.16/23/24
交響曲第4番・ヴァイオリン協奏曲
78'08|76'39
交響曲第5番・ピアノ協奏曲第5番*
★★★☆☆
Disc No. 028  Title Nos. CDR-YSHD-022-00 & CDR-YSHD-023-00
Disc No. 029  Philadelphia Orchestra - Beethoven Zyklus in Japan 1996 - Wolfgang Sawallisch
022 023
フィラデルフィア管弦楽団
CDR-YSHD-022/023*-00
ウォルフガング・サヴァリッシュ
1996.05.16/23/24
:
サントリーホール
ベートーヴェン
FM/VHS
交響曲第6番「田園」
1997.04.16/24
交響曲第7番*
44'36|54'45
エグモント序曲*
★★★☆☆
Disc No. 030  Title Nos. CDR-YSHD-024-00 & CDR-YSHD-025-00
Disc No. 031  Philadelphia Orchestra - Beethoven Zyklus in Japan 1996 - Wolfgang Sawallisch
024 025
フィラデルフィア管弦楽団
CDR-YSHD-024/025*-00
ウォルフガング・サヴァリッシュ
1996.05.16/24/25
ウォルフガング・サヴァリッシュ (Pf)
サントリーホール
ベートーヴェン
FM/VHS
序曲「レオノーレ」V・合唱幻想曲
1997.04.24/25/26
交響曲第8番
63'06|70'20
交響曲第9番「合唱付」*
★★★★☆|★★★☆☆*
フィラデルフィア管弦楽団 来日公演 ベートーヴェン・チクルス1996 巨匠サヴァリッシュ王道を歩む・・
◆エアチェックで一気にベートーヴェンの交響曲全集が揃ってしまうという恐ろしくもありがたいオンエア企画だった。超短期間に同じホールで同じ演奏者による全集録音は滅多にお目にかかれないし、しかも「おまけ?」がもの凄いのだ。有名序曲はもちろんのこと、ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲第5番「皇帝」・・ソリストも並みの奏者ではない。珍しい「合唱幻想曲」までサヴァリッシュさんご自身のピアノで弾き振りされた。。ニッポンのオーケストラではお客がついてこない。・・オケ自体の魅力の無さ・・指揮者の魅力の無さ・・・体力的な問題は棚に上げても、朝比奈先生のチクルスも月に1回だった。オーケストラというものは、ベートーヴェンの9曲を短期集中型チクルスで出来てこそ・・初めて音楽監督との共同作業の成果を世に問うことが可能となるのだ。9曲の流れが違う指揮者(解釈)でブツ切れになることほど聴衆にとって不幸なことはない。。ましておや・・オーケストラも違う連続演奏会なんてものは「9曲」をやる意味さえ全く無いのだ。そういえば、最近地元で妙なベートーヴェン・チクルスがあった。。地元近郊のオーケストラ4団体をかき集めて、2日間で全9曲を演奏するという・・お客の立場を完全に無視したプランニングだ。初日の夜にはオーケストラ・アンサンブル金沢で1〜3番、二日目にはセントラル愛知交響楽団・小牧交響楽団・名古屋フィルハーモニー交響楽団の3団体分担により午後から夜まで計3回の演奏会が連続する。東京では確か一日で全9曲(これもオーケストラは各団体分担だったハズ)を聴かされるマラソンコンサートがあったようだ。いづれにしても・・こんなこと(ベートーヴェンをおもちゃにしたような・・)をやるようになったということは、芸術なる意味が全く解っていないボンクラプランナーの仕業であることは勿論だか、結果的にはイベント精神丸出しの3大テノールの次元にベートーヴェンを落とし込むこととなって、特に1日3連続で聴かされた挙句の締め括りの「第九」などは、集中力を欠いたお客の居眠りのために第3楽章などはただのBGMに成り果てることになるんじゃないかとさえ思ったほどだ。。一度、定期演奏会2回分を取り止めてでも・・延べ9日間短期集中で・・お客の入りを気にせずに・・「ウエリントンの勝利」「トリプル・コンチェルト」「合唱幻想曲」を含む全序曲、全協奏曲と共に9曲の交響曲+荘厳ミサ曲を・・同じ指揮者とオーケストラのプロジェクトとしてやってみなはれ。。ライブ録音盤の制作を含んだプロジェクトとして、特に駄作と言われる「ウエリントン」での両軍鼓笛隊の登場の仕方や大砲小銃など前代未聞の演出でマスコミ各社各局の注目を大いに集められる可能性もあって、オーケストラの名前が一躍売れまっせ。。このくらいのことができなければ・・「プロ」の看板など掲げる必要おまへんわな。。財界や自治体から訳も分からず財団法人の理事としてお名前を連ねておられるお偉方には、ライブCDやマスコミに軍資金提供の旨(スポンサー by として)ビジネスライクに割り切って載せたらいいんじゃないかと思うのだ。ライブCDの売り上げの何パーセントかを資金提供の割合に応じて何らかの名目でキャッシュバックすれば・・ひょっとして元が取れる可能性だってあるかもしれないのだから。。大きな声では云えませんが・・これをやれば、「日本初」どころか「世界初」のチクルスになりますよぉ・・・。しかしながら、ベートーヴェンを振れる指揮者を見つけることが先決のような!?・・そんな気もしております。。
◆さて、サヴァリッシュさんのベートーヴェンは、かつてN響でのチクルスをテレビで見聴きしたことがある。弦楽器はなんと18型(コントラバス10挺)で東京文化会館のステージ一杯にN響が並んでいた。軽薄短小な最近のベートーヴェンとは次元の違う分厚い響きだったのだろう。(テレビのスピーカーからはブラウン管に映る特大編成のN響の弦の分厚い音など出るわけが無い・・) アバド&ベルリン・フィルやラットル&ウィーン・フィルでのベーレンライター版による軽々しいベートーヴェンは、わざわざベルリン・フィルやウィーン・フィルでなくとも、そこらへんの室内オーケストラで十分な編成だった。あのようなカスカスのベートーヴェンを聴くために、フル編成と同じ超高額料金を払ってまで出掛けるだけの価値観など持ち合わせてはいないのだ。ウィーン・フィルはともかくも・・(音楽監督常任指揮者がいないので責めようがない?)・・天下のベルリン・フィルが「古楽器の毒気」に当たって奏法の真似をするに及んで、進化したグランドオーケストラとしての伝統と誇りさえ無くしかねない状況は何とも切ない気持ちとなる。ベーレンライター版にはプルトを刈り込めとは一言も書いていないハズだ。天下のベルリン・フィルには、下手な小細工をせずに・・堂々と16型の標準編成で「王道」を歩んでほしいものだ。アバドが大失敗の録音を残したが・・新音楽監督たるラットルは、ベルリン・フィルでどんな録音をするのか楽しみなところでもある。サヴァリッシュ&フィラデルフィアのベートーヴェンは、正にオーソドックスの極みのような響きだった。どこにも誇張がなく、流れはスムースでスコア(ブライトコプフ?)の音が分厚く再現された。破綻は全くなく、ゆったりとしたテンポの中でしっかりとした主張があった。弦楽器と管楽器は空間で溶け込み、サントリーホール独特の「熟成感」をマイクロフォンが見事に拾っていた。FM放送/エアチェックでこれだけの品位に与れること自体、アナログ時代では「夢のまた夢」でもあったのだ。サヴァリッシュの演奏は、リピートを伴ったスコア通りのもので、ゆったり目のテンポも相まって演奏時間は長めとなった。CD-R盤への収録は、レコード会社と同様に編集収録を余儀なくされ、ベートーヴェンの交響曲全集を作るための番号順収録とした。チクルス最終日の「第九」の前に「合唱幻想曲」が演奏された。作品番号には開きがあるが、なんという絶妙な繋がりを持っているのだろうと感心した。ピアノソナタ・室内楽・ピアノ協奏曲・管弦楽・オペラなどの断片的楽想が集大成されたようなガッキョクは、マクロなベートーヴェンの中間決算書的回顧録の様相を呈している。最後の合唱付部分のメロディーラインも、第九交響曲の「あのメロディー」と相似形に感じなくもないほどよく似た進行をして、「ミニ第九」的な風格を見せている。70分にも及ぶ巨大な交響曲の前に自らピアノで20分もの「全身運動」(ピアノの打鍵は物凄い体力がいるらしい・・)をされたサヴァリッシュさんは当時御歳73歳になっていた。サービス精神とエネルギッシュな表現力には感服の極みでもあった。。
 
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