エアチェック☆レビュー(4) SINFONAIR(シンフォネア)
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Disc No. 107  Title No. CDR-YSHD-076-00
 Wiener Philharmoniker - Mariss Jansons
076
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-076-00
マリス・ヤンソンス
1998.11.15
:
ウィーン楽友協会大ホール
ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲
FM/VHS
シュトラウス
1999.08.03
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
43'12
:
★★★★☆ OIDT
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会(前半のみ)  マリス・ヤンソンス指揮
◆「ツァラトゥストラ」と言えば・・序奏での壮大な「夜明けのファンファーレ」が超有名になってしまったために・・数多の市販CDジャケットには「夜明け」をイメージした画が使われることが多々ある。その中でもダントツなのが・・「ダイヤモンドリング」と呼ばれる皆既日食からの脱出の瞬間だ。真昼に襲う一時の暗闇の世界から光を取り戻す瞬間は・・何時でも何処でも見られるものではないだけに・・新年の「初日の出」にも優る・・大いなる感動を誘う。若かりし頃・・「紅白」をしっかりと見てから・・お寺に参じて・・百八つのどれかの一つを撞かせてもらって(最初と最後は住職の担当なので・・先着106名様まで・・となる)・・次に神社へ詣でて・・後方から飛来した五円玉の後頭部への命中に感激?しつつ柏手を打ち・・その足で海へと向かって新しい夜明けを待つ・・といった徹夜の行軍をしたこともあるのだが・・幸運にも好天に恵まれ・・アポロが月面上に立てた米国国旗のように・・砂浜に立てた「日の丸」を新年の陽光が照らした時の感激もなかなかのものだった。。恥ずかしいからやめてくれぇ・・と素直な気持ち?を口にした連れたちがクルマに戻って眠りこけた後にも・・暫しの間・・陽光に包まれた海の音色に浸っていたものだった。。日の出の瞬間・・「ダフニス」と「ツァラ」が混じり合って気持ちの中に響いた絶妙なBGMは・・帰途のクルマでも繰り返し気持ちの中で響き渡って・・居眠り一歩手前で覚醒を保つのに役立ったのだ。 帰宅後・・ニューイヤーの聴き初め(ききぞめ・・と発音する^^)は・・勿論・・「ツァラ」の夜明けのファンファーレのみ!・・に始まって・・どういう訳か・・チャイコフスキーの「冬の日の夢想」・・最後に・・「春の祭典」で締め括るという定番プログラムともなって何年間も続くことになるのだが・・LPの時代だったので・・徹夜明けからの睡魔に襲われて・・チャイコフスキーA面の途中から・・何時間?もの爆睡タイムへ突入し・・全プログラムを演奏?し終わったのは・・おせちを肴に一杯(相当?)飲った挙句の泥酔から覚めた翌日の午前中だった。。
◆LPの時代から・・オーディオチェックの定番ともなっていたこの曲の序奏(夜明けのファンファーレ)部分はSF映画にも使われて・・今や・・格闘技での選手入場から・・結婚披露宴での新郎新婦入場まで・・BGMで使われるほどにもなって・・作曲者や曲名も知らない人々の耳にさえ馴染んで・・その壮大な雰囲気が盛んに楽しまれている。。残念なことには・・我が身を完全に棚に上げつつ・・CDとなった今の時代でさえ・・冒頭の序奏部分(僅か1分半前後)だけ聴いて・・後は聴かずじまいにされておられるパターンが多々あるらしい。・・・なにせ・・この部分だけを抜粋してアルバムの中の一曲(?)としたCDさえあるほどだ。従って・・この交響詩の結末(夜な夜な流離わなければならないような・・)はご存知ないのだろう。。ワーグナーの「ローエングリン」(結婚行進曲が定番のように披露宴で使われている)もそうなのだが・・ハッピーエンドで終らない楽曲・・という認識がない(知らぬが仏?)ので・・お互いに目の眩んだまま神仏に誓いを立ててしまったりして・・不吉な未来を含んだ曲の呪い?を引きずりながら・・我慢に我慢を重ねつつ・・新婚生活から耐え忍ばなければならないようなカップルさえ結構多いようだ。(実生活では・・本性丸出しにしたらアキマセンヨ!・・・ほんの少しの恥じらいと・・ほんの少しの遠慮心を持ち続けて・・そして・・事ある度に大袈裟なくらいの心からの感謝の気持ちを表し・・人生のパートナーとしてお互いの立場を認め合い・・一生懸命生きていけば・・・・必ず不吉な曲の呪いから逃れられます!? ・・・本当です!)
◆この日のエアチェックは・・演奏会後半のプログラムに盛大な電磁波ノイズが混入した。お蔵入りとなるべきテープだったが、余りに素晴らしいシュトラウスの演奏を道連れにするのももったいないことから・・単独にCDR化するべくマスタリングに臨んだ。(レコード会社はほとんどこういったポリシーでCD化している)・・その白熱した雰囲気たるや・・序奏から既に猛爆状態(一般的には余力を残すことが多い)で・・金管奏者の真っ赤な顔面が目に浮かぶようだ。肝心のティンパニーもゴールデンザールのホールトーンを従えて100満点に炸裂し・・パイプオルガンも柔らかくも分厚い音を聴かせている。出だしのペダルは思ったほど空気を揺すらないが・・収録プロセスでの強調がないのだろう。生で聴いても、サン・サーンスの第3交響曲第1楽章第2部のペダルのようには響かない(ハズ)だ。。シュトラウスの場合は・・ベダルと共に・・バスドラム(ティンパニーのバチを使っての弱音ロール)、コントラバス、コントラファゴットが重なって・・微妙な夜明け前の色(蒼?)を出している。。LP時代のオーディオチェックにこの曲を使われたお方は・・本当にチェックすべき部分などクリアには聴こえなかったハズで・・オーディオグレードならどんな装置でも爽快な音がでるトランペットのファンファーレ以降の壮大な雰囲気を・・オーディオ再生での至高の瞬間として・・悦に入っておられた?のではないかと・・想像したりもするのだ。CDでの「トラック1」から先に進んだことの無い・・クラシック音楽のお好きなお方は・・是非にでも・・ニーチェの哲学(哲学を死んだ学問のように思っているお方も多いが・・いつの時代にも活性対応できる・・究極の学問なんです・・・多分・・ハイ!)にでも想いを馳せながら・・全曲のウネリの中に漂ってみるのも・・オツなもんですぞ。。・・チュウハイ(シルエット+C.C.Lemonで4:6)か・・ワイン(ギンギンに冷やした甘口)なんぞを肴にして・・・
Disc No. 108  Title No. CDR-YSHD-077-00
 Wiener Philharmoniker - Alfred Brendel - Sir Simon Rattle
077
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-077-00
サー・サイモン・ラットル
1997.12.07
アルフレッド・ブレンデル (Pf)
ウィーン楽友協会大ホール
:
FM/VHS
ベートーヴェン
1998.11.22
ピアノ協奏曲第1番
71'29
ピアノ協奏曲第4番
★★★☆☆
Disc No. 109
 Title No. CDR-YSHD-078-00
 Wiener Philharmoniker - Alfred Brendel - Sir Simon Rattle
078
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-078-00
サー・サイモン・ラットル
1998.02.15
アルフレッド・ブレンデル (Pf)
ウィーン楽友協会大ホール
R.シュトラウス
FM/VHS
組曲「町人貴族」
1998.08.12
ベートーヴェン
76'46
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
★★★☆☆
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会  アルフレッド・ブレンデル(ピアノ) サー・サイモン・ラットル指揮
◆指揮者にとって・・ベートーヴェンの9曲の交響曲を全集として録音できる機会を持てることは・・最近の安直な録音業界にしても名誉なことでもあるのだが、ピアニストにとっては・・やはり・・ベートーヴェンの5曲の協奏曲を録音できることは・・それなりの実力を認められた証拠ともなって誉れ高い仕事ともなる。。たいていは・・そこらへんのオーケストラを使って・・ピアニストと息の合った指揮者だけを特別に手配するのだが、然るべきオーケストラを手兵に持つ指揮者だったら・・ピアニストとしては幸運至極にもなるのだ。従って・・将来ベートーヴェンの5曲の録音を夢見る若きピアニストは・・将来然るべきオーケストラを手兵に持てるような有望な指揮者を探して・・仲良くする努力を惜しんではならないのだ。そんなこんなの中でも・・ウィーン・フィルをバックに協奏曲が弾ける・・ましておや・・録音できるといった機会に恵まれたソリストは・・世界広しと云えどもホンの一握りだろう。。そしてまた・・ベートーヴェンの5曲をまとめて録音するといったことには・・宝くじに当たる確立のようなものとなる。バックハウス(イッセルシュテット指揮)に始まって・・グルダ(シュタイン指揮)・・ポリーニ(ベーム指揮⇒1&2のみヨッフム指揮)・・アシュケナージ(メータ指揮)・・ツィンマーマン(バーンスタイン指揮⇒1&2のみ弾き振り)・・と続いて・・録音史上6人目の全曲録音に幸運な機会をゲットできたのがブレンデルさんだ。彼自身・・既に何回か全曲(全集として)を録音したことがあるほどの巨匠ピアニストだ。そんなブレンデルを相手に・・どんなバックをつけるか!?・・結果的には妙な安堵感と・・妙な失望感が入り混じった・・なぜかスッキリと感激できないでいる自分自身を感じて・・ストレスが溜まってしまった。
◆エアチェックといっても・・タイマー録音なのでリアルタイムに聴いてはおらず・・テープをモニターしないまま眠らせてしまう場合も多い。この録音も色々とネガティブな先入観もあってか・・何年間か眠っていたんじゃないかと思う。マスタリングをした時には・・ラットルさんのシンフォニーでの悲惨なサウンドを知った後だったような気がしているが・・あまり乗り気になったアイテムではなかったように思う。市販CDでは、ピアノ協奏曲全集と交響曲全集は全く別々のレーベルからリリースされていたので・・レーベル独自のマイクアレンジなどによる音調の差となって音の厚みやトーンにも影響があってもおかしくないのだが、エアチェック音源は同じORFのマイクが捉えた同じ次元のサウンドのハズなので・・全曲ではなく一部の楽曲の比較ではあるが・・演奏(楽器編成も含めて)からのニュアンスの変化はよく分かるのだ。そうした中で・・ピアノ協奏曲でのラットル&ウィーン・フィルは・・フツウ(と言ってもウィーン・フィル!)のオーケストラサウンドとなって、分厚い弦の響きが独奏ピアノを包み込んでいるのだ。確か・・アバド&ベルリン・フィルでの交響曲とピアノ協奏曲(ポリーニ)の各々の全曲録音盤でも・・同じような関係があった。。どっちが「交響曲!」なのか分からなくなるような感じなのだ。ベーレンライター版が協奏曲にはないのかどうかは知らないが・・ポリーニやブレンデルのようなピアノ界の重臣に・・スカスカの音では対抗できない?・・オーケストラの音に嫌気がさして・・ピアニストに逃げられたら困る?(誰が?・・レコード会社です!)・・とにもかくにも・・余りのオーソドックスなスタイルに巨匠のピアニズムに逆らえない・・因循姑息な伴奏文化さえ感じるのだ。ピアノ協奏曲をプログラムに交えてCDコンサートをやる時には・・音調(同じオーケストラでも)の不一致は非常に困ることなのだ。。実際の演奏会でも・・前半に協奏曲・・後半に交響曲といったベートーヴェンだけのプログラムを作ったら・・どうやって弾き分けるのだろう・・・協奏曲でステージに出た14型の弦楽編成を・・後半の交響曲でさらにプルトを削るのだろうか?・・・また、コンツェルトでこれだけの分厚い響きを出しておいて・・シンフォニーではスカスカの薄い響きとする理由とは・・如何なるものなのだろう??・・・アバドさんとラットルさんには真摯にお答えいただきたい近年最大の疑問でもある。。
Disc No. 110  Title No. CDR-YSHD-079A/B-00
Disc No. 111  Wiener Philharmoniker - Sir Simon Rattle
079A 079B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-079A/B-00
サー・サイモン・ラットル
1999.02.21
:
ウィーン楽友協会大ホール
ラヴェル:「マ・メール・ロア」
FM/VHS
ラヴェル:「ラ・ヴァルス」
1999.08.05
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
39'52|47'27
:
★★☆☆☆
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  サー・サイモン・ラットル指揮
◆「ウラニアのエロイカ」(さも伝説の名盤の如き呼称がついてはいるが・・一種の海賊盤騒動だったのだ)は、ウィーン・フィルよりもフルトヴェングラーに興味が集中して・・フルトヴェングラーの出した真のダイナミクスも音調も録音上合格点に達しないような粗末な条件の中で・・演奏論が賑わっていること自体極めて滑稽なことでもあるのだが・・そのウィーン・フィルはフルトヴェングラーとセッションで、初の「全集」を完成させるハズだった。当時の・・大戦後何年か経った頃の・・時代背景は如何なるものだったのかを活字で読んでも・・実感として知る由も無いが・・復興の槌音も一段落した中での交響曲全曲録音のプロジェクトは・・録音そのものに信頼感のないフルトヴェングラーにとっては・・どうでもいい仕事だったのかもしれない。録音が嫌いだったのか・・といえば・・そうでもなくて・・同じ時期に録音をしたカラヤンの音を聴いて・・なんでオレのはこんなにボケた音なんだ!とお怒りになったこともあるという。。従って、ますます録音に対する不信感が募って・・積極的にスケジュールを合わせるといったことをなさらなかったんじゃないかとさえ思うのだ。結果的に・・2番/8番/9番を残して没してしまうことにもなるわけだが、SP用に録音した7番も・・時代遅れな音ともなって・・新たに録り直しが必要なアイテムともなっていた。もうちょっとで「ステレオ」という時代でもあったのだが、50年代初頭には未だSPのために・・3分から5分毎に演奏を中断して録音せざるを得ないような旧式のシステムが動いていたことになる。そこから数年で2チャンネルステレオでのテープ録音システムが実験的にでも動くことになるわけだから・・フルトヴェンラーさんは本当に時代運が悪い時期に活動していたことになる。タラレバの話など愚言の極みなれど・・万一、今の世の次元で音が録れてたら・・これほどまでに騒がれる存在になってただろうか・・などと考えさせられることもあるのだ。世の中に100%いい物や100%いい人など居ないのだ。フルトヴェングラーさんの演奏にも一長一短があって・・長所が短所を上回れば「これはいい!」となる。蚊の鳴くような音の中にも「音楽」を聴き取れる・・などと仰る御仁もおられるが、波動エネルギー(できればリニアな・・)の無いような・・テンポがやっと分かるだけの音の世界から・・これは「名演!だ」とする根拠は・・伝説の中に蠢く肥大した魔力からの100%全部が長所に見える幻影?・・・身の周りの事例から言えば・・・想いを馳せるものの・・未だ見ぬ「君」を想像する不謹慎な煩悩?・・電話や活字だけで想定してしまう勝手な思い込み・・なんかに似てなくも無い。。
◆フルトヴェングラーの時代のものとは次元の違う素晴らしい「音」の全集が・・値段があってないような超格安での叩き売りの憂き目に遭うような時代となって、愛好家のラックには使い捨ての果ての・・ゴミ?一歩手前のようなバーゲン全集が所狭しと並ぶようにもなった。。CDの売り上げが急降下して・・誉れ高い定番物まで叩き売りに出される始末だ。同じような全集を創ったのでは直に飽きられてしまう・・と危機感を持ったレコード会社は毛色の変わった演奏での新全集に社運をかけたのだ。スーパースター指揮者の壊滅した音楽業界にあって、ベルリン・フィルとウィーン・フィルのブランドだけは唯一信頼できるパラメータでもあったのだ。これが18世紀オーケストラのようなインパクトのあるサウンドを出したら・・先代の全集など即刻陳腐化して・・その穴埋めに同じ数のセットが売れるものと見込んだのだ。。ベーレンライター社の校訂楽譜には・・プルトを削れとも書いてないハズなのだが・・研ぎ澄まされた響きを創生するためには16型では多すぎると思ったのかどうか・・録音は室内管弦楽団といってもいいような弦楽編成で行われた。。同じ編成で来日もして・・新録音を大いにアピールしたりもしたのだが・・喜んだのはN響を含む東京の主要オーケストラと大阪フィルを除く・・弦楽奏者の絶対数不足で悩む地方オーケストラだった。ベートーヴェンなら・・トラを入れなくとも現有編成で間に合う・・間に合うどころか・・プルトが余る団体さえあったりして、ベーレンライターの校訂楽譜を使わずとも・・たとえ旧来のブライトコプフでも・・世界の両雄がそういった編成規模で演奏した実績は大いなる大義名分と化して・・結果的には収支バランスの健全化に貢献することともなったのだ。このウィーン・フィルによるハズの英雄交響曲は・・確かにウィーンの香りは残ってはいるものの、響きのいいゴールデンザールさえ揺するような迫力は無く、古楽器奏法を取り入れたものだが・・古楽器のようなキレも無く、管楽器もティンパニーもインパクトが全く極まらない・・至極中途半端な古楽器風演奏となって・・こんなことならブリュッヘンやガーディナーを聴いた方がマシなような・・なんのためのウィーン・フィルなのか・・分からなくなってしまった。迫力が無い中で・・時として妙に喧しく響くのも・・プルトを削った絶対音量の減少分を取り戻そうとした・・楽器への負荷のかけ過ぎからの濁音のトゲのせいだったのかもしれない。前半のラヴェルは素晴らしかった!が・・英雄交響曲は「英雄的」には響かなかった。。
Disc No. 112  Title No. CDR-YSHD-080-00
 Wiener Philharmoniker - Sir Simon Rattle
080
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-080-00
サー・サイモン・ラットル
2000.12.13
:
ウィーン楽友協会大ホール
ハイドン:交響曲第88番
FM/VHS
ベルク:「ルル」組曲
2001.08.07
ベートーヴェン:交響曲第5番
79'01
:
★★★★☆
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  サー・サイモン・ラットル指揮
◆恥ずかしながら?・・第5交響曲冒頭のジャジャジャジャァーーン!から・・鮮烈極まる超HiFi?サウンド(シャカシャカした・・という意味で)が飛び出して・・腰を抜かすような衝撃で・・意外にも見事に打ちのめされてしまった。前シーズンでの「英雄交響曲」の・・冒頭の2つの和音にはそれほどのインパクトを感じなかったのだが、多分同じようなプルトを削った弦楽編成なのに一層のシャカシャカ感があって・・サクサクのシャーベット(決してジェラートでもなく・・アイスクリームでもない)のような感触でヴァイオリンや金管が鳴ったのだ。いつものウィーン・フィルとは全く違うトーンで進行するフレーズの連鎖には・・元気なティンパニーが楔を打ち込んで格好はつけたものの・・なんか「変・・」なのだ。対抗配置なので・・ヴァイオリンの厚みは左右に分散して・・フツウの編成でも多少のサクサク感を味わうこともあるのだが、FM音源にしてこの尋常ならざるサクサク感は・・ORFでイコライゼーションでも付け加えたのか?・・マイクの変更で高域が大幅に盛り上がった特性変化でもあったのか?・・・マイクアレンジの変更でこういった音の録れるポジションを見つけた結果なのか?・・・・全く分からない。ホールトーンも見事に融合して・・ゴールデンザールでの演奏を実感させるほどなので・・極端なオンマイクでもない。従前に協奏曲で16型から14型へ1プルト削ったN響のサウンドを耳にしても・・録音で聴く限りではその違いがほとんど判らないような有様だったが、万一ウィーン・フィルが12型(ひょっとして10型?)の弦楽編成でやってたとして・・それがそのまま録音に表れた結果だとしたら・・古楽器奏法を取り入れたものだとしても・・もの凄いサウンドの変化となってその効果が表出したことになる。。響きは薄いが・・今回の第5交響曲はなぜか憎めない・・妙な感動を伴ったりして・・じゃぁ前年の「英雄交響曲」へのボロクソの言い方は何だったんだ!?・・と聞かれても・・前のはダメで今回のはいい・・としか答えられないような・・同じ演奏条件だったとしても何かが違っていたのだ。
◆同時期に英国EMIもライブ録音をしているが、ブラームスのヴァイオリン協奏曲とのカップリングでリリースされたCD(輸入盤)を聴いてみると・・なんとこちらは「いつもの」ウィーン・フィルの音がするのだ。弦の厚みもそこそこ有り、ウィンナ・ホルンの粘りっ気もいつもの感触だ。ティンパニーが少しボケるが・・テュッティーともなると締りのある独特の打音が突き抜けてくる。ホールトーンも然も有りげに尾を引いて・・ウィーン・フィルの音としては文句のつけようが無い。FM音源のあの鮮烈極まるシャカシャカ感は・・多分イコライザー!・・と思わざるを得ないほどの違いなのだ。・・ということは・・このCD-Rの再生では、アンプのイコライザーを目一杯絞ったらいいわけだ。変化量が高域へ向かって±4.5dB しかない簡易なイコライザーで最大絞れる -4.5dB まで落として(その代わり低域に向かって同時に +4.5dB 上昇する)再生したら・・なんと市販CDによく似た雰囲気が出現したのだから驚いた。変化量がせめて±6dB あれば・・とも思ったのだが、マイクの特性変化ではこれだけの違いには結びつかないハズなので・・・ということは・・前年の「英雄交響曲」もそうだったのか!?・・・ 英国EMIのアルファベットだけのブックレットの解説には・・ベーレンライター版を使って・・160年の伝統的なウィーン・フィルの響きを打破した革新的な出来事・・云々・・てなことが書かれてはいたが・・弦楽器の編成規模までの言及は無かった。当然ORFも・・ウィーン・フィルのそういった意気込みは承知のハズで・・だからこそ・・「伝統を打破した革新的な響き」をエフェクターによる音の演出で・・そのサウンドインパクトを倍化させようと・・ひょっとして・・やってしまった?ような気がしてきた。。本来なら・・レコード会社がそうして・・放送局はあるがままのナチュラルトーンを収めるのが常道のようにも思うのだが・・今回は珍しくも英国EMIは王道を歩んだことになる。交響曲全集のプレリリースとして発売された音源だが・・こうなったら是が非でもラットル&ウィーン・フィルによる全集CDを聴かねばなるまい。
Disc No. 113  Title No. CDR-YSHD-081-00
 Wiener Philharmoniker - Riccardo Muti
081
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-081-00
リッカルド・ムーティ
1995.10.08
ギドン・クレーメル (Vn)
ウィーン楽友協会大ホール
:
FM/VHS
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第4番
1996.08.06
シューマン:交響曲第2番
75'55
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  リッカルド・ムーティ指揮
◆80年代前半に・・ジュゼッペ・シノーポリがウィーン・フィルとの初セッションでシューマンの第2交響曲を録音した時、盛んに「分析的」という言葉が論評の中に使われていたような記憶がある。精神科医でもあったシノーポリに対する・・完全無欠の「先入観念」に他ならない・・陳腐ミエミエの枕詞なのだが・・シューマンのドロドロの響きには・・分析する必要のない「意味」があることを・・全くお分かりになっていないお方も多々おいでになるようだ。ハ長調という調性のインスピレーションからは想像もつかない・・ニンゲンの魂の奥底を揺さぶるような意味深げな楽想は・・病的な憂鬱の中からの歪みきった気持ちの表れなどではなく・・バイオリズムの自然なウネリから発せられた潜在意識からの叫びなのだ。。同じ第2交響曲の演奏でも・・ドロドロの加減は・・シノーポリとムーティという同じイタリア人でも・・随分と違ったものに聴こえるのだから・・演奏芸術という世界も奥が深い。(そんなこと・・当然といえば・・極当然だ!)・・とはいっても・・同じオーケストラと同じホールで録った音ながら・・指揮者の表現力を超えたところで・・ドイツグラモフォンとORFのマイクで捉えた音が余りにも違っているのだから・・同じ次元で比較してもいいのだろか?・・という疑問も湧き起こるのだ。ラットルさんのベートーヴェン(第5交響曲)でもそんな事例があって・・収録された音質音調から受ける大幅な演奏表現の相違感を一端味わってしまうと・・ドイツグラモフォンの録ったウィーン・フィル(ティンパニーと金管)の寝ぼけた音調こそ「分析」せざるを得ない?ような・・混迷を秘めたものに感じられて・・演奏芸術(演奏表現)に対する「録音」の関わり方の余りの重大さを思えば・・逆に・・録音の中では演奏表現に100%言及できないことを認めざるを得ないことにもなって・・本当の「音」は何だったのか・・本当の「バランス」はどうだったのか・・を見抜かねばならない事態ともなったのだ。演奏家の嗜好・・録音エンジニアの嗜好・・そしてリスナーの嗜好は各々様々だが、理想としては・・演奏家の思いが歪むことなくありのままリニアにリスナーに届くことだ。特に・・放送局の使命は・・ニュースやドキュメンタリー番組にあっては当然にして「嘘偽りの無い」ことが「例外を持たない原則」だ。だからこそ・・放送局の録ったライブ録音は「嘘偽りの無い」本物の演奏記録であるハズと信じたいのであって・・・収録機材固有のキャラクターによって多少なりとも色が付くことは認めても・・少なくとも善意悪意?にかかわらず・・人為的な音質や音調の変更操作・・或いは・・収録機材や伝送(オンエア)キャパシティを超えた部分のダイナミクスの圧縮なら必要悪と認めても・・安直な収録のための人為的過分な操作によるダイナミクスの破壊行為など・・ドキュメンタリー番組でのヤラセ行為にも匹敵する如くの怒りさえ覚えることにもなる。。そんな意味でもこの音源は・・ORFの中でも・・ウィーン・フィルのサウンドを最もよく理解しているベストエンジニアの捉えた・・模範的な収録だったような気がするのだ。酔っ払いの・・チト・・Hi になった超感覚?からの褒めすぎかもしれないが・・・。
◆ORFの捉えたウィーン・フィルは・・・いつもながらの「カチッ」とした音調で・・テュッティーでのオーケストラの本来あるべきサウンドバランスを結構忠実に再現している。ホルンを含む金管の炸裂感も・・ティンパニーの満身の叩き込みも・・ドスの効いたサウンドエネルギーの主役として真迫力に結びついて・・文句のつけようがない。DSPで残響調整が思いのままという贅沢な環境もあって・・勝手な嗜好から言えば・・ドイツグラモフォンの捉えたゴールデンザールの過多な響きは・・2チャンネルで聴いてもオーケストラをボケさせている。ORFの捉えたウィーン・フィルは・・2chで聴いてもそれなりに響き・・6chのDSP音場の中では・・然も有りげなゴールデンザールのホールトーンを満喫堪能することも可能だ。今回の一連のレビューでは・・全てヘッドフォンによるモニターでのインプレッションを含んではいるが、市販CDとの比較モニターも同じヘッドフォンによるもので・・モニター(試聴)してることを忘れてリスニング(鑑賞)の世界へ飛び込んでしまうことさえ多々あった。このムーティさんのシューマンもそうで・・フェイドインでの拍手が被る中に始まる第1楽章のモヤモヤと混迷した序奏からして・・本来ならばすでにドロドロのハズなのだが・・最初のテュッティーでの目の覚めるような炸裂を聴けば・・フィナーレへの道筋がクッキリと浮かび上がったりして・・メリハリの利いたサウンドに思わずのめり込んで聴き入ってしまった。特筆すべきは・・ウィンナ・オーボエのあの独特な音色がニヤっとするほど可憐に響き、ウィンナ・ホルンとティンパニーと共に・・ウィーン・フィルの「三種の神器」揃い踏み?を見事果たしていたのだ。満身の炸裂の後で尾を引くホールトーンもそれなりにしっかりと2チャンネルに含まれているものの・・決してオーケストラに被らないところなど収録の妙を感じる。ムーティさんの個性かどうか・・リズムはダレることなく快活に弾み・・第3楽章でのしっとりと濡れたカンタービレは乾ききった心の襞に潤いが拡がるよう・・・フィナーレの底抜けに明るい響きはベートーヴェンも真っ青なエネルギー感に満ち満ちて・・ホントにこれ・・あのシューマンが作った曲なの?・・と思うほどだ。ホールとオーケストラ・・曲想と指揮者の表現力・・そして録音の・・全ての妙が・・最高点で合体爆裂した壮絶な演奏だった。。パガニーニのコンツェルトは・・もはや何を言わんや!の世界だ。超難曲と言われるパガニーニだが・・ソロを受け持つクレーメルさんの妙技は筆舌に尽くしがたい。。第1楽章後半でのカデンツァなど・・クレーメル自作(多分?)の・・鳥肌が立つほどの超絶技巧を感じさせるものだが・・クレーメルさんはムーティさんと一緒になって結構楽しんじゃってるような錯誤にも陥るほどの余裕綽々の演奏だ。有名であってもなかなか聴く機会の無いこともあって・・バックがウィーン・フィルともなれば・・これもまた文句のつけようが無い。音楽自体も・・イタリアチックな情感に溢れて聴き応えがあり・・存分に楽しめる。
Disc No. 114  Title No. CDR-YSHD-082A/B-00
Disc No. 115  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 1992 - Carlos Kleiber
082A 082B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-082A/B-00
カルロス・クライバー
1992.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 1992
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
33'04|64'10
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート1992 カルロス・クライバー指揮
第1部:
ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲|Joh.シュトラウス:ポルカ「都会と田舎」|Jos.シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」|鍛冶屋のポルカ|Joh.シュトラウス:ポルカ「観光列車」 第2部: Joh.シュトラウス:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲|ワルツ「千夜一夜物語」|新ピチカートポルカ|ペルシャ行進曲|トリッチ・トラッチ・ポルカ|Jos.シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」|Joh.シュトラウス:ポルカ「雷鳴と電光」|Jos.シュトラウス:ポルカ「騎手」|Joh.シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 116  Title No. CDR-YSHD-083A/B-00
Disc No. 117  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 1993 - Riccardo Muti
083A 083B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-083A/B-00
リッカルド・ムーティ
1993.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 1993
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
32'09|76'41
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート1993 リッカルド・ムーティ指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:ワルツ「ジャーナリスト」|ポルカ「外交官」|ポルカ「すみれ」|ポルカ「何か小さなもの」|Jos.ランナー:シュタイル風舞曲|Joh.シュトラウス:シュペール・ギャロップ 第2部: Joh.シュトラウス:喜歌劇「インデイゴと40人の盗賊」序曲|ワルツ「レモンの花咲く所」|Jos.ランナー:ハンス・イエルグル・ポルカ|Joh.シュトラウス:クリップ・クラップ・ポルカ|エジプト行進曲|Joh.&Jos.シュトラウス:ピチカート・ポルカ|Jos.シュトラウス:ワルツ「トランスアクション」|Joh.シュトラウス:常動曲|ポルカ「狩り」|ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 118  Title No. CDR-YSHD-084A/B-00
Disc No. 119  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 1994 - Lorin Maazel
084A 084B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-084A/B-00
ローリン・マーゼル
1994.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 1994
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
32'21|69'19
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート1994 ロリン・マゼール指揮
第1部:
Joh.シュトラウス: カルーセル行進曲|加速度円舞曲|Jos.シュトラウス:ポルカ「遠方から」|鍛冶屋のポルカ|Joh.シュトラウス:愛唱歌のカドリール|Edu.シュトラウス:ポルカ「粋に」 第2部: Joh.シュトラウス:喜歌劇「ベネチアの一夜」序曲|Jos.ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」|Joh.シュトラウス:ポルカ「子供っぽい大人」|ポルカ「心と魂」|喜歌劇「こうもり」〜チャールダーシュ|ワルツ「ウィーンの森の物語」(ヴァイオリンソロ:ロリン・マゼール)|Jos.シュトラウス:ポルカ「憂いもなく」|Joh.シュトラウス:ルチファー・ポルカ|ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 120  Title No. CDR-YSHD-085A/B-00
Disc No. 121  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 1997 - Riccardo Muti
085A 085B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-085A/B-00
リッカルド・ムーティ
1997.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 1997
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
39'03|76'03
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート1997 リッカルド・ムーティ指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:モーターワルツ|ポルカ「皇帝の都」|Jos.シュトラウス:ポルカ「競馬場」|Joh.シュトラウス:パトロンのポルカ|ワルツ「宮廷舞踏会」|ポルカ「可愛い曲」|ポルカ「インドの舞姫」 第2部: スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲|Jos.シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン」|ポルカ「女心」|ヘルメスベルガー:ポルカ「軽い足取り」|Joh.シュトラウス:新ピチカートポルカ|マズルカポルカ「蜃気楼」|ロシア行進曲|ワルツ「人生を楽しめ」|Jos.シュトラウス:ポルカ「前進」|ポルカ「ことづて」|Joh.シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 122  Title No. CDR-YSHD-086A/B-00
Disc No. 123  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 1999 - Lorin Maazel
086A 086B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-086A/B-00
ロリン・マゼール
1999.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 1999
BS/VHS
Joh.シュトラウス没後100年記念
Live on Air
第1部|第2部
38'32|77'01
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート1999 ロリン・マゼール指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:ワルツ「格言詩」|冗談ポルカ(ヴァイオリン・ソロ:ロリン・マゼール)|ポルカ「心と魂」|Joh.シュトラウス(父):熱狂ギャロップ|Joh.シュトラウス:ワルツ「ウィーンの森の物語」|トリッチ・トラッチ・ポルカ 第2部: Joh.シュトラウス:皇帝フランツ・ヨゼフ解放祝典行進曲|ワルツ「ドナウの乙女」|ホプサー・ポルカ|ポルカ「偏屈」|Joh.シュトラウス(父):パガニーニ風ワルツ(ヴァイオリン・ソロ:ロリン・マゼール)|Joh.シュトラウス:「こうもり」のカドリーユ|ワルツ「芸術家の生涯」|山賊のギャロップ」|ポルカ「どういたしまして」|ポルカ「雷鳴と電光」|常動曲|ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 124  Title No. CDR-YSHD-087A/B-00
Disc No. 125  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 2000 - Riccardo Muti
087A 087B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-087A/B-00
リッカルド・ムーティ
2000.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 2000
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
33'48|75'34
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート2000 リッカルド・ムーティ指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:入り江のワルツ|ヘレーネン・ポルカ|アルビオン・ポルカ|ワルツ「愛の歌」|喜歌劇「騎士バズマン」〜チャールダーシュ|Edu.シュトラウス:ポルカ「速達郵便で」 第2部: スッペ:喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲|Edu.シュトラウス:ポルカ「プラハへの挨拶」|Joh.シュトラウス:ワルツ「酒・女・歌」|ペルシャ行進曲|Jos.シュトラウス:ポルカ「とんぼ」|Joh.シュトラウス:訴訟ポルカ|Jos.シュトラウス:ポルカ「芸術家の挨拶」|ワルツ「マリアの思い出」|Jos.シュトラウス:ポルカ「ハンガリー万歳」|ポルカ「ドナウの川辺で」|ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 126  Title No. CDR-YSHD-088A/B-00
Disc No. 127  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 2001 - Nikolaus Harnoncourt
088A 088B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-088A/B-00
ニコラウス・アーノンクール
2001.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 2001
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
36'48|77'45
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート2001 ニコラウス・アーノンクール指揮
第1部:
Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲(オリジナル版)|Jos.ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」|ギャロップ「狩人の喜び」|Jos.シュトラウス:ワルツ「朝の新聞」|電磁気ポルカ|ポルカ「起電盤」 第2部: Joh.シュトラウス:喜歌劇「ベネチアの一夜」序曲|Jos.シュトラウス:ポルカ「道化師」|ワルツ「オーストリアの村つばめ」|Jos.ランナー:シュタイアー舞曲|Joh.シュトラウス:ポルカ「観光列車」|ワルツ「もろ人手をとり」|ポルカ「いたずらな妖精」|ポルカ「暁けの明星」|Jos.シュトラウス:ポルカ「憂いもなく」|Joh.シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
Disc No. 128  Title No. CDR-YSHD-089A/B-00
Disc No. 129  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 2002 - Seiji Ozawa
089A 089B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-089A/B-00
小澤征爾
2002.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 2002
BS/VHS
第1部|第2部
Live on Air
:
36'32|79'54
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート2002 小澤征爾指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:行進曲「乾杯!」|ワルツ「謝肉祭の使者」|Jos.シュトラウス:ポルカ・マズルカ「おしゃべり女」|Joh.シュトラウス:ワルツ「芸術家の生涯」|Joh.シュトラウス(父):お気に入りのアンネンポルカ|Jos.シュトラウス:ポルカ「前へ!」 第2部: Joh.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」序曲|Jos.シュトラウス:ポルカ・マズルカ「手に手をとって」|ワルツ「水彩画」|ポルカ・マズルカ「とんぼ」|ポルカ「おしゃべりな可愛い口」|Joh.シュトラウス:常動曲|ヘルメスベルガー:悪魔の踊り|Joh.シュトラウス:エリーゼ・ポルカ|ワルツ「ウィーン気質」|チック・タック・ポルカ|Jos.シュトラウス:ポルカ「飛ぶように急いで」|Joh.シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
◆ヨハン&ヨーゼフとその親父の作った曲を中心にしたウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、毎年正月の定番お楽しみメニューとなっている。1990年にBS付TVとHiFi-VTRを導入してからは、これを「録る」ことから正月が始まるようなものだ。こういった種類のコンサートは、FM放送はバックアップにもならない。頻繁に出入りするアナウンスが大いに気分を損ねるのだ。曲目の並びなど事前に判っているのだから・・「演奏会」としての世界にドップリと浸らせてもらいたいものだ。ありがたくもテレビは(バレエというお節介がほんの少々ウザッタイが・・)少なくともプログラムの流れの中に・・ナレーションという悪魔が割り込まない。正月元旦の午後は、ほろ酔い気分で・・大晦日の深夜(日付は元旦)にタイマー録画をしたベルリン・フィルハーモニーのジルベスターコンサートで年始早々の「聴き初め」をする。聴き初め(ききぞめ・・と発音する)といっても・・厳粛さなど微塵も無く・・テレビのスピーカー(といっても外付けの・・)だったり・・オーディオ経由だったり・・その時の酔っ払い具合?によって極めて適当な雰囲気の中でのこととなる。。新年にジルベスター?・・という矛盾は、ほろ酔い気分の中でジルベスターもニューイヤー・・へと変化して・・「ベルリン・フィルのニューイヤーコンサート」となるのだ。肝心のウィーン・フィルは、元旦夜7時というゴールデンアワーの放送だ。不測の事態に備えて事前にタイマー予約をする。朝から昼へとアルコールで満たされた揚々の気分は、夕方のアルコールで決定的に決断力を失うことになり・・・予約だけしてセットボタンを押すことを忘れたり・・タブーを侵してリアルタイムに画面を見てしまったり・・・と酔いが醒めた時に血の気が引くことになる。正月2日目の恒例行事(ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのテープを再生すること)は台無しとなり、ライブCDの発売をひたすら待つ身となるのだ。コンサートの性格上、指揮者による「新年の挨拶」が行われる。アンコールとして必ず演奏される「美しく青きドナウ」の直前だ。生中継でのこの部分は、指揮者が何を喋るのかに注目が集まる。単にノーテンキなものから政治的なご発言まで・・何が飛び出すか判らないスリルの一瞬なのだ。「美しく青きドナウ」の序奏で・・お決まり事となった聴衆の拍手の割り込みは・・止む無く演奏を中断して「仕方なく」指揮者は聴衆へ顔を向けるという「手筈」へと繋がっている。わかっちゃいても面白い。長年の慣習とは恐ろしいものだ。・・・しかしながら・・いつから「序奏」を中断させて指揮者に挨拶を「要求」するようになったのだろうか?・・・ある年突然に・・自然発生的におこったのだろうか?・・・どうもテレビ中継が入るようになってからのような気がしてならないのだが・・・もしそうならば・・演奏会を前にして・・「お約束事」として指揮者に内緒の「謀(はかりごと)」だったのだろうか?・・よく分からない。。そんなこんなで・・「際物」となったこの「録音」は・・正月気分が消え失せていつもの生活へ戻ってからというもの・・なかなかテープを回す気分にはなれなかった。。そして・・・「シュトラウス・コンサート」として編集すれば・・年中何時でも聴けるかも?ということが・・何かの資料を見る中に思い浮かんだのだ。^O~``/☆!(?)
◆オザワさんの登板は・・ウィーン・フィルの存在がグググィーッと身近に感じるほどの快挙だった。それは「フィルハーモニカー」の終身名誉指揮者(仮想だが)になったのと同じくらいの重みなのだ。国立歌劇場の音楽監督に内定したことが・・ニューイヤーコンサート初登場の引き金になったことは疑う余地もないことながら・・「歴史に名を残す」一大事件?だったのだ。時世の中でも・・オカネで事が動かない稀な「決定」は・・慶賀極まる最高級の名誉となって・・大和の国の誇るべきウルトラビッグネームと化したのだ。オカネが絡まないウィーン・フィルのスピリットによる決定の後に・・オカネが大いに絡む(ギャラが高騰する?)状況変化が訪れることにもなるわけで・・単純にスピリットだけで事が運ばないところなんぞは・・さすがマネージメントが幅をきかす業界のなせるワザなのかもしれない。。マスコミに影響されたブームに乗って・・オザワさんのライブCDは飛ぶように売れ・・ポップスも真っ青な売り上げ順位にくい込んだ。日本だけの現象ではなかったようなので・・オザワさんとニューイヤーという「奇抜?」な取り合わせが世界中からの注目を浴びた結果なのだろう。逆に言えば・・それだけオザワさんのイメージがその時点でもなお・・「ウィーン」のイメージにオーバーラップしてなかった・・ということだ。そんなこんなで・・こういった「一大記念品」はさすがに無視できず・・輸入盤と国内盤の両方ともCDラックのお飾りとしてでも持っていなければならなくなった。。「悪魔の踊り」(この選曲だけは・・??・・と思ったものの)は、史上初めてニューイヤーコンサートで交響曲を演奏したかのようでもあり・・その爆熱的ド迫力には肝を潰された。オザワが燃えたのか・・ウィーン・フィルがそうだったのか・・はわからない。・・が、とにかく手抜きなしの物凄い演奏が繰り広げられたのだ。・・そんな刺激もあってか、長年眠っていたVHSのサウンドトラックをCD-R化することを決心した。10本ものテープは、ウンザリするくらいの「量」だった。これをコツコツとマスタリングするためには・・数週間を要する「夜な夜な仕事?」と覚悟したわけだが・・正に「引き篭もり」の典型的な生活スタイルとなって・・土日の家庭サービスも棚に上がることになってしまったほどだった。(雨霰の如く飛んでくる非難の声に・・特別オコズを連発したことは言うまでも無い>笑<) 1991年からスタートしたニューイヤーコンサートのBS録画だが・・・初めての年に・・どうも嬉しさの余り(ついに!BSでニューイヤーが見られること)・・画面を見ながらテープを回したようだった。モニターしたHiFiサウンドトラックの音は・・ブラウン管から発生した盛大なノイズの垢にまみれて・・とてもCD-Rの音源にできるようなシロモノではなかった。テレビのスピーカーから音が出ている時には気が付かないようなノイズも・・オーディオグレードでの再生では・・致命的な欠陥となって音的価値を消滅させるのだ。。1995年のテープも然りとなって・・敢えなく戦列を離れた。96年と98年のテープが見つからなかった。多分「不足の事態」の発生で・・タイマー録画したハズのテープが回らなかったのではないかと思っている。・・いや・・ひょっとしたら・・アニメの番組録画用に・・ガキンチョどもの餌食になった可能性も否定できない。その証拠に・・同じ棚に並べておいた映画版「宇宙戦艦ヤマト」全作品のBS録画テープの中の一本も「行き方知れず」となっていたのだ。。ToT;
◆事実上・・最初のエアチェックとなった1992年のニューイヤーコンサートは・・奇しくもウィーン・フィルの創立者オットー・ニコライの作った歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲で始まった。なんと指揮者は・・あのカルロス・クライバーだったのだ。こういった廻り合わせに俄然やる気を燃やすことにもなったのだが・・マスタリング編集の第1の目的は・・「音的際物性」を失くすことだった。せっかくのクライバーの肉声も、「シュトラウスコンサート」としては必要の無いものなのだ。。「美しく青きドナウ」のお決まりの序奏と挨拶部分をカットして前後を繋げるために・・アンコール第1曲ポルカ「騎手」の拍手終了から・・お決まりの「ドナウ」の序奏の間と・・挨拶終了から本演奏の「ドナウ」までの間との・・音的雰囲気の一致ポイントを探した。全てのテープの必須作業だったが・・フェイドアウト/フェイドインで繋げざるを得ないような間(ま)に余裕のない困った?指揮者もいる。。とにかくも・・前後を繋げた曲(プログラム)の流れは自然さを保ち・・世界で唯一のドキュメント・ライブ(非際物化のための一部編集はあるものの)CD(-R)が完成した。曲間の拍手などは一切加工せずに・・放送枠内の音源(演奏開始前の臨場音からラデツキー終了後の拍手まで)は目一杯(最後はフェイドアウト)収録した。因みに・・演奏会第1部「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲の前には・・47秒間のワクワクの臨場音がトラック1としてあって・・演奏が待ちきれない時には・・トラック2の「ウィンザー」を直接呼び出せばいいことになっている。第1部最後のポルカ「観光列車」のトラックは5分32秒にも達し・・拍手は何時でもヴォリュームで絞ることができる。第2部も45秒間の演奏開始前の臨場音を収録して・・最後の「ラデツキー行進曲」は興奮しきった聴衆の熱い拍手を伴って9分12秒にも達している。2枚のCD-Rに余裕綽々で収録した成果でもあった。アンコールでの「ラデツキー行進曲」開始前の打楽器のアドリブは・・メチャクチャ効果的!で・・もっと威勢良くやってもらいたいくらいなのだが・・どういう訳か・・クライバーはこれをやらせなかった。・・なぜだァ!。そして・・毎回のニューイヤーコンサートに必ずある光景(音)ではないものの・・かつてシュトラウスやボスコフスキーがそうしたように・・指揮台でヴァイオリンを弾くマゼールさんは・・何となくギコチなく・・何となくこれ見よがし風?な気もするが・・こうやって音だけで聴くと・・ホンワカしたウィーン情緒がタップリと漂うから不思議な感じでもある。。^◎^v
Disc No. 130  Title No. CDR-YSHD-090A/B-00
Disc No. 131  Wiener Philharmoniker - Neujahrskonzert 2003 - Nikolaus Harnoncourt
090A 090B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-090A/B-00
ニコラウス・アーノンクール
2003.01.01
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニューイヤーコンサート 2003
CD( DG 474 250-2) Edit
第1部|第2部
Original CD  48'47|57'34 (参考)
:
33'18|72'08
☆☆☆☆☆ (つまり0点!:市販CD)
★★★☆☆ (CD-R)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤー・コンサート2003 ニコラウス・アーノンクール指揮
第1部:
Joh.シュトラウス:行進曲「フランツ・ヨゼフT世万歳!」|宝のワルツ|ニコ・ポルカ|冗談ポルカ|Jos.シュトラウス:ワルツ「うわごと」(M.ロット編)|ポルカ「ごちゃまぜ」 第2部: ウェーバー:舞踏への勧誘(ベルリオーズ編)|Joh.シュトラウス:2度のポルカ|ヘレーネ・ポルカ|皇帝円舞曲|Joh.シュトラウス(父):田園のポルカ|Joh.シュトラウス:ポルカ・マズルカ「女性賛美」|Joh.シュトラウス(父):中国人のギャロップ(M.ロット編)|ブラームス:ハンガリー舞曲第5番g-moll(D.ライヒェルト編)|ハンガリー舞曲第6番D-dur(D.ライヒェルト編)|Joh.シュトラウス:ワルツ「戴冠式の歌」|ポルカ「浮気心」|狂乱のポルカ|ワルツ「美しく青きドナウ」|Joh.シュトラウス(父):ラデツキー行進曲
◆2003年のニューイヤーコンサートも「またもや」テープが回らなかった。正確に言えば回すべきテープが無かったというべきか。。年末のゴタゴタで新しいテープを買い忘れ・・使い古しの何かのテープを慌ててセットした。テープは回りきっていて・・つまりは・・巻き戻しをするのを忘れていたのだ。正月2日目の午後・・二日酔いのまま・・おせちの残りを肴に性懲りも無くお屠蘇の残り?をグイッと飲って・・その勢いでニューイヤーコンサート!と洒落こもう・・との・・お正月最大のお楽しみのハズだった。ビデオデッキの電源を入れると・・ディスプレーにはテープの回った時間が出るのだが・・なぜか 0H00M00S なのだ。・・・???・・・の後・・テープを巻き戻すと・・キッチリと巻き戻るのだ。テープ回ってたじゃん!・・てな酔っ払いの鼻歌をフニャフニャうなりながら巻き戻るのを待って・・さぁ!・・今年は確か・・ハンガリー舞曲だぁ!・・とスタートさせるものの・・・ドラえもんだぁ!!・・大晦日だよ!のアレだぁ!!・・ウソぉー!ホンマかいな?!?・・・・・血の気が引いて・・酔いも覚めて・・茫然自失となって・・しょうがないからまた一杯?となって・・意識不明となった我が身は夕食(ゆうげ)も忘れて深夜まで眠りこけるハメになったのである。(偉そうに!?) 年始早々こんなことだから・・この年はロクなことが無かった。(笑)
◆そんなこんなで・・仕方なくライブCDを買うことになってしまったわけだが・・これが「とんでもない」CDだったのだ。2枚組で・・収録時間は余裕綽々のハズなのに・・・拍手はケチって直ぐにフェイドアウト・・・挙句の果てに・・当日の曲順の入れ替えでプログラムの流れがグッチャグチャ!・・。第1部とか第2部とかの概念もなく・・天下のXX社にして・・「策士策に溺れる」ような・・「河馬が逆立ちした」人間が居ることにビックリたまげてしまった。ニューイヤーコンサートのライブ盤ともなれば、第1部で1枚、第2部で1枚。曲順は「そのまま」なのが当たり前!!なのだ。こんなCDでも・・新年の挨拶だけはバッチリと収録してあるのだから・・呆れてものも言えない。。ありのままのCDでも・・脱際物処理のための編集を要するので・・いずれにしてもCD-Rに移さねばならないが・・・原則として・・何も足さず何も引かず・・こそライブ録音だということを全くお分かりになっていない。。HDDで編集し直して・・正規のライブ録音!(と言ってもほぼ定間隔の拍手の時間など超わざとらしいが・・)としてCD-Rに蘇った以上・・元の音盤は獄門打ち首で・・物干し竿の鳩のフン除けに吊るされた。
◆それにしても・・レコード会社も本当に酷いことをするものである。正に・・ここまでするかぁ!といった愚かな編集だった。CDが売れないということは・・逆に言えば・・できれば買いたくない!ということなのだ。。諄いようだが・・何も足さず(編集せず)何も引かず(拍手を間引かず)・・「演奏会」の然も有りげな雰囲気を感じ取れなければ・・そんなCDなど・・ライブ録音盤ではないのだ。このCDなど・・「プログラムにもありますように・・このCDではマスタリングエンジニアが腕によりをかけた>ごちゃまぜ<の編集がされておりますので・・お覚悟の上お買い求めくださいませ。。当日の演奏会とは・・何の関連も無く・・2枚のCDに・・マスタリングエンジニアの好みによって曲目を割り振っておりますので・・合わせてご了承くださいませませ。。・・てな注意書きがあれば・・・そんじゃまぁ・・ハンガリー舞曲だけでも聴いとくか(?)・・みたいなことになって・・使い捨て感覚で買えるのだ。いい加減な「仕事」を額縁に入れた如くの代表作となって・・由緒ある大レーベルの伝統に大汚点を残した歴史的「愚盤」となった。。アーノンクールさんが本当に「これでいい!」と言ったのか不思議でならない。。
Disc No. 132  Title No. CDR-YSHD-091-00
 Wiener Philharmoniker - Mariss Jansons
091
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-091-00
マリス・ヤンソンス
2002.12.19
レイフ・オヴェ・アンスネス (Pf)
フィルハーモニー
:
FM/VHS
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調
2003.08.11
ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番
79'10
:
★★★★☆ OIDT
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 マリス・ヤンソンス指揮
◆「10番」を2回もセッション録音したカラヤンは、ついに名曲「第5番」には手をつけずにこの世を去った。終楽章コータをどんなテンポで振るのかを楽しみにしていたのだが・・ムラヴィンスキーの演奏を賞賛していたとも聞いているので・・多分・・ああいったテンポでおやりになっるのだろうとは察しがつく。。ソロモン・ヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」が世に出て以来・・演奏スタイルの変化はあるにはあったが、未だにこのコーダだけは指揮者によって全く違うのだ。。1979年7月にニューヨーク・フィルハーモニックを率いて来日したバーンスタインが・・珍しくも東京文化会館の演奏会(の後半のプログラムだったタコ5!)のライブ録音(2日&3日両日の合成編集ライブ)をリリースした時には・・その余りにも超怪速?テンポにぶったまげたものだった。そして・・そのレコード(後にCD化)がベストセーラーになったとのことを聞いて・・さらに驚かねばならなかった。。「証言」の原本原稿が完成したのが1979年の6月(日本語版の初版が出たのが1980年10月30日)だから・・レニーが東京で演奏した時に知っていたのかどうか・・非常に微妙なタイミングでもある。。その演奏に接したときには・・確か・・既にムラヴィンスキーがウィーンのゴールデンザールで手兵と演奏したライブ録音(LP・・ゴールデンザールの豊かなホールトーンが仇になった曰くつきの録音)で・・その纏綿たるテンポ感の虜となっていたような気がしているのだが・・とにかくも・・第1楽章から第3楽章へと進んで・・これはいい!このままいけばフィナーレも・・・と大いに期待をして・・いざコーダへ入った瞬間・・おいおいおい・・なんじゃこれは!・・おいおいおい・・x∞?・・みたいな感じとなって・・最後はただただ唖然!・・ウソでしょ!みたいな・・狐に抓まれた如くになってしまったのだ。ムラヴィンスキーの対極を聴いてしまってからは・・絶えず「ムラヴィンスキー型かバーンスタイン型か?」といった単純明快な区別に従って・・いやその中間!みたいに連れと話をするようにもなっていった。
◆マリス・ヤンソンスは・・ムラヴィンスキーの代役として当時のレニングラード・フィルを率いて大阪万博(1970)でムラヴィンスキー張りのタコ5を演奏したした父アルヴィドの息子として・・親父のDNAを受け継いでいるハズだ。ロストロポーヴィッチ・・ムーティ・・ビシュコフ・・そしてムラヴィンスキーを反面教師?とするテミルカーノフでさえ・・ムラヴィンスキー同様若しくはそれ以上の纏綿たる鈍行テンポで意味深く終るのだが・・アルヴィドの息子マリスは遅からず速からずの中庸路線(しかし・・やはり速い!と感じる)だ。ウィーン・フィルとの演奏でもやはりそうだったので・・これが自分の納得するテンポなのだろう。ベルリン・フィルでは既にビシュコフがセッション録音を済ませているので・・カラヤンに思いを寄せてベルリン・フィルの「タコ5」を聴くとしても・・ビシュコフさんの録音でコト足りるのだが・・ライブのベルリン・フィルとなれば・・やはりこの音源から想いを馳せる他はない。ウィーン・フィル盤との音調の違いも・・かくも異なるものかと仰天するほどだ。オーケストラ自体の音調など激しく?異なるが・・同じようにコンサートホールの音場感の違いも顕著に表れる。各々両者共々・・全てのことでこれもまた「対極」の立場にあるが・・結果的にCD-Rで聴く音で大いなる違いを楽しめることは幸せなことだ。マリスの唸り声など・・コバケンを笑えない。金管軍団・・中でもバストロンボーンの威力など・・ホント凄い!・・の単純な一言に尽きるほどだ。それにしても・・マリスの「反抗期」は凄まじかったのではないかと想像している。その成果?こそ・・ムラヴィンスキー直伝の親父のDNAを拒絶したフィナーレコーダのテンポなのだ。。またまた・・タラレバの話などするものではないが(だったら止めたらいいじゃん・・!?・・とよく言われるが・・)・・バーンスタイン最晩年に録音したチャイコフスキーの「悲愴」・・ドヴォルザークの「新世界から」・・シベリウスの「第2」などの延長線上にこの「タコ5」が来なかったことが・・カラヤンが録音を残さなかったことよりも・・唯一無二の残念至極なことなのだ。79年の東京でのライブから・・どんな変貌を遂げたのか!・・「証言」の絡みもあってか・・考えるだけでもゾクゾクするのだ。。マリスさんも・・歳をとってから・・ひょっとしたら・・親父のDNAが復活するのかもしれない。。今のこのテンポは・・「若気の至り」からのものなのだろうか?・・・
Disc No. 133  Title No. CDR-YSHD-092A/B-00
Disc No. 134  Russian National Orchestra - Mischa Maisky - Mikhail Pletnev
092A 092B
ロシア・ナショナル管弦楽団
CDR-YSHD-092A/B-00
ミハエル・プレトニョフ
1997.04.14
ミッシャ・マイスキー (Vc)
ウィーン楽友協会大ホール
ハイドン交響曲第87番
FM/VHS
チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」
1997.11.29
プロコフィエフ
58'05
チェロと管弦楽のための交響的協奏曲
★★★★★ OIDT
ロシア・ナショナル管弦楽団 ウィーン公演  ミッチャ・マイスキー(チェロ) ミハエル・プレトニョフ指揮
◆ソビエト連邦崩壊後の新生ロシア国内は・・市場経済が津波となって襲い掛かった。旧国立オーケストラは安泰ではなくなり・・路頭に迷う一歩寸前まで待遇が下落した。楽器の修理さえままならないほどの苦渋の生活が待ち受けていた。オーケストラとしての団結意識などは風前の灯となり・・個々の楽員は当然にして・・「花より団子」の世界で気持ちが動くようになっていった。。そんな国立オーケストラを尻目に・・強力なスポンサーが高待遇で楽員を集め・・ロシアで初めての「民間オーケストラ」が誕生したのだ。プライドなどと言っている場合ではなくなっていた国立オーケストラの主席級超優秀な楽員は・・プルトの末席・3番奏者でもと応募した。あっという間に席が埋まり・・ロシア製スーパーオーケストラが一夜にして(んなわけないが?)誕生した。。モスクワの3大オーケストラ・・旧ソビエト国立交響楽団/モスクワ放送交響楽団/モスクワ・フィルハーモニー交響楽団などはガタガタとなって・・特に「国の威信」を背負ってのプライドで固まっていたハズのスヴェトラーノフのオーケストラなどは・・楽員の余りの変わり身の早さに音楽監督の激怒が重なって・・その後には一層拍車がかかった楽員への締めつけがあったかどうか?・・・後年(晩年)オーケストラから「三行半」を突きつけられる大いなる原因になったかもしれない。。時すでに・・国宝ムラヴィンスキーは鬼籍に入り・・世界一の研ぎ澄まされたビブラートを発したヴァイオリンセクションを持つ旧レニングラード・フィルハーモニーにも「魔の手?」が及んだのは言うまでも無い。補充する優秀な奏者は余るほどいたものの・・後任の音楽監督の下でのヴァイオリンセクションのサウンドは・・勿論素晴らしいアンサンブルを持つものの・・あの一種独特の香り立つ音調は見事消滅した。オーマンディが没した後のフィラデルフィア・・セルの没した後のクリーブランド・・そしてカラヤンの去った後のベルリン・フィルも・・楽員の入れ替わりや音楽監督の意思で何年もかけて徐々に音調が変化してはいるが・・こうして一瞬にして音が変化したスーパーオーケストラの事例は極めて稀だ。ベルリンの壁から旧ソビエト連邦の体制崩壊は・・民主化という波に乗って世界が歓迎した歴史的な変革だったが、ことオーケストラに限って言えば・・大いなる歴史的な犠牲を被ったことにもなったのだ。正に革命に流される「血」の如く・・・。
◆そんなこんなで誕生したロシア・ナショナル管弦楽団(RNO)だが・・・アシュケナージやバレンボイム並み?にバリバリのピアニストでもあるプレトニョフさんを音楽監督に据えた。 安くて超優秀なオーケストラを探していたドイツグラモフォンは・・その時点で新生ロシア最高のオーケストラとして意気盛んなRNOを見逃すはずもなかった。早速チャイコフスキーの「マンフレッド」を含む全交響曲と主要な管弦楽曲の録音プロジェクトを用意してモスクワへのりこんだのだ。元気バリバリのスーパーオーケストラは、デジタル技術の恩恵も手伝って・・脳天直撃の激烈サウンドで勝負に出た。珍しく・・番号付きの交響曲6曲だけは・・5枚組CDのボックスセットのみで・・カラヤンの全集に継ぐ本格的な本家本元の録音として自信たっぷりにリリースしたのだ。その後・・輸入盤でさえ・・単発でのリリースには随分と時間がかかったが・・番号毎の単発CDにカップリングされた管弦楽曲は超魅力的で・・結局交響曲だけの5枚組セットがありながら・・カップリングの管弦楽曲のためだけに・・今度は6枚の単発CDを追加購入させられるハメになってしまった。。レコード会社の戦略の罠に・・天晴れ見事!嵌ってしまったわけだ。良心的なレーベルなら・・交響曲だけの全集セットの後には・・追加録音した管弦楽曲だけのCDをリリースするのが「常識」だ。マンフレッド交響曲だけは・・どういう訳か単発でリリース(確かデビュー盤だったか?・・)されていた。こういう卑劣な売り方をするものだから・・数多の名盤を世に出したレコード会社への畏敬の念が年々歳々なくなっていくことにもなるのだ。。
◆しかしながら・・このチャイコフスキーだけは・・オカネの問題など吹き飛ばしてしまうほど素晴らしかった!。万一市場から姿を消して・・第2交響曲のフィナーレでのティンパニーの壮絶な叩き込みや「1812年」の驚異的な爆裂を知ってのことなら・・オークションで金十万円でも入札するだけの価値がある内容だ。対抗配置の弦楽編成は・・悲愴交響曲を筆頭に・・そうでなければ!というほどの効果を随所で発揮する上に、プレトニョフさんの・・ロシアンセンチメンタリズム?に溢れた満点の歌心からの感情の抑揚がタップリと詰まった・・そんな気持ちを音として最大限に発したオーケストラのネイロもさることながら・・・モスクワ音楽院大ホールに響くサウンドを・・人為的なミキシングコントロールを感じさせずに・・広大なダイナミクスと共に極自然に捉えた超優秀な録音は・・セッション録音での「全集」の中ではダントツ抜きん出たトップ1の地位に君臨したのだ。この音源はゴールデンザールでのライブだが、豊かなホールトーンに包まれて多少牙を殺がれた感もあるものの・・テュッティーでは抜きん出て炸裂し・・オーケストラサウンドとしての醍醐味は十分満たされるいい収録だ。物理的な特性はセッション録音には敵わないが・・対抗配置の弦楽器の効果も満点で・・第2交響曲フィナーレのドラの後の昂揚感も・・ライブチックな白熱感さえあるセッション録音の超優秀な雰囲気を彷彿とさせて・・ティンパニーの極上の叩き込みを伴って興奮の極みの中に終結した。マイスキーとのプロコフィエフ(この音源で初めて聴いた楽曲でもあった)は一聴の価値が十二分にあって・・気持ちに響く楽想に溢れた素晴らしい曲だ。同じプロコフィエフでも・・7曲のシンフォニーにもない感動的な雰囲気を持つのだが・・これ全て独奏チェロあってのことなのかもしれない。。単に協奏曲とせずに交響的と冠した意味は・・チェロを「ニンゲン」と捉えて・・純粋無垢ありのままの作曲者の心境が乗り移っての・・実直な気持ちのウネリのようでもある。。マイスキーさんの心の泉から沸き起こった「歌」は・・飛び散った松脂がゴールデンザールの窓から射し込む陽光の煌きを浴びた光の粉と化して・・オーケストラとホールを埋めた聴衆に降りかかり・・ドヴォルザークのコンツェルトにさえ優るとも劣らない・・癒しと興奮との間に揺れながらも・・だからこそ!のディープインプレッションを誘ったのだ。
Disc No. 135  Title No. CDR-YSHD-093-00
 Nagoya Philharmonic Orchestra - Hiroyuki Iwaki
093
名古屋フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-093-00
岩城宏之
1998.02.21
:
愛知県芸術文化センターCH
黛 敏郎
FM/VHS
パッサカリア(未完・絶筆)
1998.03.29
饗 宴 (バッカナール)
59'57
涅 槃 交 響 曲
★★★★☆
名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会(抜粋) 東京混声合唱団&東海メールクワイヤ   岩城宏之指揮
◆その筋では「右」に出る者が居なかった?とさえ言われ、1997年4月(皇紀何年・・とか・・せめて平成何年とか書かないとお怒りになるかも?)に亡くなった黛さんの遺作を含む代表作が演奏された。「題名のない音楽会」という日曜朝の民放TV番組では・・クラシック音楽の常識を覆すような「実験」も行われて・・こんな体験が地元のオーケストラでできるのだったら・・毎回通ったのに・・と思ったほどだ。本当は・・交響詩「立山」がプログラムに入っていたら・・文句のつけようのない演奏会となるのだが・・涅槃交響曲の前には俗世の自然など無いほうが・・未練?がなくていいのかもしれない。FMシンフォニーコンサートという1時間枠の放送なので・・プログラムが中途半端になって・・エアチェックをする気にもなれないのだが・・地元のオーケストラが涅槃交響曲を演奏したということから・・演奏会全部のプログラムではないものの・・やはりこれは録っておけねばならない貴重な音源だ。元音楽監督だった外山先生の解説なので・・番組のテーマ音楽から始まって外山先生のナレーションまで・・番組自体を丸ごとCD-Rに入れた。外山先生の解説によれば・・黛さんのご健在の中で計画されたらしく・・結果として追悼演奏会のようになったとのことだ。多分、この演奏会で初演するハズだったパッサカリアは・・62小節(演奏時間にして僅かに4分強ほど)で絶筆となり・・補筆も何も行われず・・そこで演奏は終っている。バッハ(ブランデンブルグ)やモーツァルト(40番)そしてベートーヴェン(第7交響曲のフィナーレ)がパロディーとなって・・パッサカリアの重苦しいテーマに載っかるようにして然も有りげに登場するが・・ベートーヴェンが登場してすぐに絶筆となる。続くバッカナールは3管+5サックスという珍しい編成だ。10分強の小型の作品だか・・これは面白い!。幾多の打楽器の迫力はもちろんだが、サクソフォンが随所で味な音を添える。メロディックに・・とはいかないが、ジャズ(ロック?)のビートに包まれるところもあってりして・・まともな音量で聴くと手に汗握る炸裂感が味わえる。何かに似てるような感じがしたのだが・・その後の外山さんのナレーションで・・バーンスタインの「ウェストサイドストーリー」のような・・とのことを聞いて・・思わず相槌を打ってしまった。外国公演などで日本のオーケストラが演奏会の冒頭でやるには・・3管はともかく・・5サックスの手配が面倒なことになるだろうし・・何よりも・・バーンスタインの猿真似?との悪評が立つ恐れもある。やはり・・外山さんの「ラプソディー」に限ることになるのか??・・チェコ・フィルハーモニーがスメタナやドヴォルザークを引っ提げて・・同様にロシアのオーケストラがチャイコフスキーやショスタコーヴィッチをぶら下げて世界中を股にかけるように・・日本のオーケストラにも「定番メニュー」があっていいのだが・・管弦楽だけで演奏会後半のメインプログラムを飾れるような充実した作品が全く無いということは・・淋しい限りでもある。。
◆さて、涅槃交響曲だが・・初めて聴いたのは外山さんがN響を振った音盤(購入はCDとなってから)だった。このCDが毎年お盆になると大活躍をするのだが・・・近年(2002年)・・岩城さんと東京都響との高評判のデジタル録音盤(1995年録音:もちろんCD)がウソみたいに安くなって再発売されたので買い求めた。これには奈良の薬師寺の本物の僧侶(気安く呼べば和尚さん・・10名の合唱)の声明(しょうみょう・・と発音する)が同じホール(東京芸術劇場CH)で収録されている。大法要の時などに・・大本堂の空間一杯に響き渡るだろう「薬師寺の声明」が・・2000席の大ホールの空間を満たす雰囲気がよく録れていて・・やはり「本物」はどこか違うものだと感心する。。これを聴いてから涅槃交響曲を聴くと・・ なるほど!ガッテン!! となるわけだ。。黛さんが取り入れた「声明」のエッセンスは・・管弦楽の響きに交差して・・頂点では気持ちの奥底にまで達して体中を揺さぶるのだ。これにパイプオルガンでも加わったら・・マーラーも真っ青な「宇宙を揺する?」響きと化す。もっとも・・この「宇宙」とは・・心の中のことを言うんじゃないかと思ってはいるので・・オルガンが入らなくとも既に「宇宙」は震えたことにもなる。。そういえば・・パイプオルガンというシロモノは・・キリスト教の楽器だった!・・涅槃交響曲にパイプオルガン?・・なんぞとぬかしたら・・それこそお釈迦様に怒られるかも?(・・信仰心の無い証拠でもある) 因みに「声明」を国語辞典で調べたら・・「僧によって唱えられる声楽」・・とあった。仏教にも・・正統的な「音楽」があったのだ。だからこそ・・黛さんが書いた管弦楽のスコアに見事にもハーモナイズして・・宗教観を超えたところで気持ちを揺さぶったのかもしれない。。ところで・・我が家のお盆は・・浄土宗の慣わし?で・・お供えものをきらさずに供養が三日間続く。先祖のお歴々が「迎え火」でお越しになり・・2泊された後に「送り火」にのって極楽浄土へとまたお帰りになるのだ。なにやら・・家人の世話にも気遣ってか・・二日目の午後には買い物?へとお出かけになるらしい。。その間家人は・・お世話から解放され一時の休息に与れることにもなるわけだ。買い物からお帰りになって夕食(ゆうげ)を召し上がると・・家人は極楽浄土へとお戻りになるための舟を作り・・お供えした団子などをお土産に・・茄子の馬と共に舟着場たるお寺へとご案内をするのだ。この間・・我が家では歌舞音曲禁止となり・・聴きたいときにはヘッドフォンで密かに・・という雰囲気になる。しかしながら・・勝手な思い込み?から・・唯一オーディオスピーカーからの大音響に浸れるのが「涅槃交響曲」だった。丁度・・和尚のお経と・・知らない間に重なって・・漏れた音が和尚のお耳に達した(らしい)。。お経が終ってお詫びを申し上げると・・・浄土におられるお方々は・・地上の宗派など関係おまへん・・・とのありがたいお言葉を賜り・・天台声明の荘厳な響きは・・お墨付きで鳴らすことができるようになったのだ。実際にあの世に行かなければ分からないことなれど・・地上で起こるあらゆる紛争などを・・天上の世界でのニンゲンの魂たちは・・人種や宗派などを超えたところで・・手をつなぎながら苦笑いしてるかもしれない。。そうは言っても・・今なお・・レクイエムでさえ・・スピーカーから鳴らす勇気はないのだから・・凡人の偏った宗教観も・・かなりいい加減なものと・・笑って誤魔化すことにしている。。
Disc No. 136  Title No. CDR-YSHD-094A/B-00
Disc No. 137  Kirov Orchestra  -  Marinsky Theatre, St.Petersburg  -  Valery Gergiev
094A 094B
キーロフ管弦楽団
CDR-YSHD-094A/B-00
ヴァレリー・ゲルギエフ
1995.11.28
ストラヴィンスキー
東京芸術劇場CH
バレエ音楽「春の祭典」
FM/VHS
バレエ音楽「火の鳥」
1996.09.09
ワーグナー
35'11|53'30
歌劇「ローエングリン」 第3幕への前奏曲
★★★★★ OIDT
Disc No. 138
 Title No. CDR-YSHD-095A/B-00
Disc No. 139
 Kirov Orchestra  -  Marinsky Theatre, St.Petersburg  -  Valery Gergiev
095A 095B
キーロフ管弦楽団
CDR-YSHD-095A/B-00
ヴァレリー・ゲルギエフ
1995.11.29
:
サントリーホール
ワーグナー
FM/VHS
舞台神聖祝典劇「パルシファル」前奏曲
1996.09.10
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
34'02|48'21
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
★★★★★ OIDT
サンクトベテルブルグ・マリンスキー劇場管弦楽団(キーロフ管弦楽団) 東京公演  ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
◆「春の祭典」を演奏会の前半に据えるという・・猛爆かつキテレツチックなプログラミングだ。・・という印象も、このオーケストラにとっては日常茶飯事の範疇に入って・・心配ご無用!まかせてチョ!・・となるのだ。オペラハウスの座付オーケストラは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」を始め・・4時間を超える作品を「当たり前」のように演奏する。オーケストラピットと呼ばれるステージと客席に挟まれた暗闇の窪みの中で・・譜面台を照らす薄明かりに目をしょぼつかせながら黙々と・・・といった雰囲気だ。オペラハウスは専属バレエ団も抱えているので・・当然にして・・「バレエ音楽」と名の付く