エアチェック☆レビュー(6) SINFONAIR(シンフォネア)
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Disc No. 192  Title No. CDR-YSHD-128-00
 Tanglewood on Parede 1998  -  Keith Lockhart - John Williams - Seiji Ozawa
128
ボストン交響楽団
CDR-YSHD-128-00
小澤征爾
1998.08.04
ポストン・ポップス管弦楽団
タングルウッド
キース・ロックハート|ジョン・ウィリアムズ
BS/VHS
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番
1998.10.10
チャイコフスキー:序曲「1812年」
71'35
ガーシュイン|バーンスタイン|J.W.
★★★★☆ OIDT
タングルウッド音楽祭1998  タングルウッド・オン・パレード    小澤征爾 キース・ロックハート ジョン・ウィリアムズ
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番(小澤征爾&ボストン交響楽団)|ガーシュイン:弦楽オーケストラのための子守唄|バーンスタイン:「オン・ザ・タウン」より「グレートラヴァース」「ロンリータウン」「タイムズスクエア」(キース・ロックハート指揮ボストン・ポップス管弦楽団)|ジョン・ウィリアムズ:「プライベート・ライアン」より「戦死者への聖歌」|「フック」より「バンケット」「パンの顔」「ネバーランドへの飛行」(ジョン・ウィリアムス指揮ボストン・ポップス管弦楽団)|チャイコフスキー:序曲「1812年」(小澤征爾指揮ボストン交響楽団+タングルウッド・ミュージックセンターオーケストラなどの260人編成合同オーケストラ&タングルウッド・フェスティヴァル合唱団)
有名なクーセヴィツキーシェード(ホールとは呼ばない)でのお祭り騒ぎである。客席後壁が無くて広大な芝生へとつながっている。従って・・シェード内の客席で聴くと・・後ろから鳥の声やピクニック気分の家族連れなどの環境音?が聴こえてくる。なんとも開放的で気楽な雰囲気だ。音楽祭期間中は敷地内の数々の施設で数多の催しものがあるらしいが・・メインはシェードでのコンサートだろう。シーズン中・・ボストンのシンフォニーホールで行われる演奏会と同じようなプログラムがこういった環境の下でも演奏される。この「オン・パレード」と称するごった煮のようなコンサートが毎年のように行われるかどうかはわからないが・・とにかく1998年の「オン・パレード」は・・正にお祭り騒ぎだった。ボストン・ポップスはボストン交響楽団から各セクションの主席奏者が抜けただけの「同じ」オーケストラだが・・ボストン響のシーズン終了から次のシーズン開幕までの夏休み中のみ活動する。クラシックの楽曲(小品を中心として)から専属編曲家によってオーケストラスコアとなったジャズ・ロック・ポップスまで・・あのシンフォニーホールで一杯ひっかけながら聴けるらしい。。なんでも・・ホールの椅子を取っ払って・・平土間にテーブルを並べての雰囲気らしいのだ。ホールの床が階段状の日本のホールでは逆立ちしてもできっこないことなれど・・ホテルの大宴会場ならいける!。ディナーショーや結婚披露宴みたいにフルコースのフランス料理なんぞはいらないので・・演奏会の前半と後半に1杯づつの好みのドリンクさえあればいいのだから・・ホテルチャージ弐千円&オーケストラチャージ五千円ほどで毎年夏の期間何日か定期的にやりまへんかぁ!?・・・。おまかせくだされ!・・当ホテル夏のスペシャルイヴェント・・内々に教えまひょ。・・・休憩中どないしますの?・・・ホテルに予約してもうたら金参千円也でポップス弁当(洋風or和風)をお席までお届けしまんがな。中身は毎回変わりますよって・・お楽しみになれまっせ。ほんでもって・・ポップス弁当ご予約しはったお客はんに限って・・演奏会後半のドリンクはナンボでも注文しておくれやす。お薦めは当ホテル自慢のジンフィーズでんけんど・・天然レモン汁をぎょうさん混ぜ込んでまっから・・悪酔いなどさせまへん!。。万一歩けんようにならはったら・・当ホテルに泊まっておくれやす。ルームサービスで朝食もつけて・・半額でよろしおます。・・・ここだけのハナシでっけどなぁ・・・ホンマ・・・長いこと世話になったオッサンのツテ頼って・・いま交渉してまんねん。お客はんは・・ちっちゃいこーからじいさんばあさんまでワイドレンジでっからなぁ・・・やっぱりアニメから浪花節までやらんとあかんみたいでんねん。いやぁ・・びっくりしましたけどなぁ・・・アニメっちゅうの。・・オーケストラのスコアがありまんねんでぇ!そのまんまやれるような立派スコアでんがな。・・・ほんでな・・・いま浪花節を4管のスコアにどないして書いたらええかっちゅうこと・・もめてまんねん。
◆ジョン・ウィーリアムスの映画「フック」(ピーターパンに出てくる海賊船の船長の名前だったような?)からの音楽は・・JW節丸出し?の壮大な音楽だ。「ネバーランドへの飛行」では「E.T.」でのあの雰囲気を思い出す。ウィリアムさんは・・本当にホルンを上手く使う!。これがないとウィリアムさんの映画音楽にならないのだから・・・ホルンの下手なオーケストラでは演奏ができない「難曲」でもあるのだ。一度でいいから・・ウィーン・フィルか・・テミルカーノフさんのオーケストラで聴いてみたいものだ。さて・・なんやかんや言っても・・この日の白眉は「1812年」の演奏だった。オザワさんの前にいるのは・・ボストン交響楽団を中心に・・タングルウッドのミュージックセンターオーケストラやボストン大学のタングルウッドインスティチュートの学生オーケストラなど合計260人の管弦楽・・そしてタングルウッドのフェスティヴァル合唱団(多分学生コーラスも含む特大編成)。シェードの外(といっても芝生の上ではなく・・芝生広場の横?)には州兵部隊が本物のキャノン砲(もちろん空砲)を構える。そんな光景を見ただけで・・もうワクワクの興奮状態に陥ってしまう。合唱を交えて序奏が始まった。いいテンポだ。・・オザワさんは「1812年」が大好きらしい。ベルリン・フィルで3回も録音の機会を得ているのだ。EMIとDGへのセッション録音・・そしてワルトビューネでの野外ライブ録音だ。音的にはそれぞれ問題を抱えて・・今ひとつスカッと抜けないが・・演奏自体は極上だった。曲の途中に2箇所・・民謡調の休戦部分?があるが・・ここがいいのだ!。本家ロシアのオーケストラでも・・チャッチャカチャッチャカと気忙しく早いテンポで駆け抜けるような・・歌心の全く無い野蛮な演奏(録音)をすることが多々あるが・・オザワさんは本当にツボを心得ていらっしゃる。カラヤン先生が若かりし頃・・フィルハーモニア管弦楽団と録音した額縁入りの名演奏(録音も結構イケル)が蘇ったような感じで・・血飛沫も凍る厳寒の最前線で故郷の春の自然を思い出すような・・地獄の中にニンゲンの「命」を感じる一瞬でもあるのだ。デジタル初期に米国クリーブランドの新興レーベルが「1812年」の大砲のもの凄い録音で大躍進したが・・大砲の壮絶なエネルギーの前に肝心の管弦楽は萎え萎えとなって・・管弦楽を相応なレヴェルで再生すると確実にスピーカーが吹っ飛ぶという恐ろしい音盤でもあったのだ。・・260人の合同オーケストラが爆裂する中・・もの凄いパワーで合唱が加わり・・州兵部隊のキャノン砲が僅かなタイムラグで炸裂した。音波は340メートル進むのに1秒かかるわけだから・・シェードからの距離を340で割った秒数だけ音が遅れることになる。当然・・キャノン砲専用の集音マイクが近くにあるハズなので・・ミキシング上は問題にはならないのだが・・・おそらくシェードの中の・・100dBを超える大音響の中にいた聴衆の耳には・・外でぶっ放された大砲の炸裂が聞こえていたのだろうか?・・・コーダでは野外で打ち上げらた花火の音も加わって・・あのストコフスキーさんも真っ青!な大演出の中・・興奮しきった聴衆の拍手は・・終結和音の10小節も前から盛大に始まって・・演奏が終ると同時に怒濤の勢いで爆発した。チャイコフスキーの書いたスコアには・・フォルテ記号4つものダイナミクスが指示されており・・なんとキャノン砲にも ffff と書かれている。・・ということは・・一番デカイ音の出る大砲を使え・・という指示なのだろうか?。もちろん・・連発ができないので・・何門もの同じ大砲を並べておかねばならない。幸い?にも・・大砲の音にはスピーカーを飛ばすほどのエネルギーは載ってなかったので・・許せる限りの音量をもって・・管弦楽&合唱主体(シェードの中のサウンドバランス)での超ド迫力を体感できる。SWを加えると・・キャノン砲の地響きと打ち上げ花火の音(低周波)が五臓六腑を揺する。・・絶品なり!!^^v
Disc No. 193  Title No. CDR-YSHD-129A/B-00
Disc No. 194  Osaka Philharmonic Orchestra - 50th Anniversary - Yuzo Toyama - Takashi Asahina
129A 129B
大阪フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-129A/B-00
外山 雄三|朝比奈 隆
1997.04.26
中島 慎子 (Vn)
大阪フェスティヴァルホール
R.シュトラウス:祝典前奏曲
BS/VHS
大栗 裕:ヴァイオリン協奏曲
1997.06
:
41'23|61'13
R.シュトラウス:アルプス交響曲
★★★★☆ OIDT
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立50周年記念定期演奏会 外山雄三(前半)&朝比奈隆(後半)指揮
◆朝比奈先生ご健在のうちに50周年という大変な節目を迎えられたことは何よりのことだった。大阪フィルは朝比奈先生のオーケストラだった。もちろん朝比奈先生個人のものではないが・・朝比奈&大フィルのコンビネーションは・・アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団・・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団・・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルハーモニー・・スヴェトラーノフ&USSR/ロシア国立交響楽団・・セル&クリーブランド管弦楽団・・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー・・クーベリック&バイエルン放送交響楽団・・・そして最近までは・・デュトワ&モントリオール交響楽団・・オザワ&ボストン交響楽団・・などなど・・指揮者とオーケストラとが堅固に結びつきを保った上での相応な評価として揺るぎ無い存在でもあったのだ。但し・・音楽監督としての在任期間から言えば・・アンセルメを筆頭にムラヴィンスキーやオーマンディと同列(それ以上)の長きに渡るスーパーコネクションとなって・・特に朝比奈さんの場合には創設者でもあるのだ。従って・・オーケストラの創立50周年というのは・・即朝比奈さんの音楽監督としての歴史ともなる。半世紀という時間は半端じゃない!。・・そして・・面白いのは・・半端じゃないほどの長きに渡って育て上げたオーケストラが・・レニングラード・フィルハーモニーやフィラデルフィア管弦楽団のようなウルトラスーパーオーケストラへと変貌しなかった!・・という事実だ。アンセルメさんもスイス・ロマンド管弦楽団の創設者だ。だから・・スイス・ロマンドもまた・・スーパーオーケストラとしての評価はまるで無い。創設者というのは・・「ゼロ」をご存知だから・・それに比べりゃよくぞここまで育ったこと・・と妙なところで感心したりするものなのか?・・どうだろう?。。朝比奈さんにとっての大阪フィルは・・我が子同然。。年月を重ねるうちには孫や曾孫の世代も入団してくる。雷くらいは落ちるだろうが・・オーケストラから放り出すようなことは絶対なさらなかったハズだ。そこのホルン君!・・あんたなぁ・・もうちょっと体力つけんと音がのびまへんのやでぇ!・・わかってまっか!!毎日なに食べてまんねん・・ちゃんと食うもん食わんと・・来月のアルプス登れまへんでぇ!・・・セカンドとヴィオラの諸君らはしっかりと刻みなはれ。コントラバス・・・もっと重く遠慮せんと弾きなはれ!・・・先生!今度の「ベト1」でっけど・・ワテらどないしまひょ?・・・何ゆうてまんねん!・・みんなでワァーッと弾かんことには勉強になりまへんやろ・・・後ろのプルトの諸君!楽屋で油売ってたらあきまへんでぇ!!・・・今度サラのパート譜もってきますさかいになぁ・・ワシのいうことシッカリと書き込んで家でさらってきなはれ。
◆創立50周年を迎えた大フィル定期演奏会は・・前半が外山さんの指揮だった。外山さんも還暦を越して御歳66歳となっておられたが・・御大は御歳なんと89歳にもなられていた。翌年は「卒寿」を迎えられるという・・なかなか到達できない年齢でもある。23歳の差は・・物理的?には親子関係が成立する。従って・・外山さんは朝比奈先生にとっては子供同然なのだ。外山君!・・ワシャぁアルプス登るだけで精一杯じゃけん(どこの言葉だぁ!)あんた前半やってんか。。・・お任せくだされ!・・先生の最高の記念定期・・汚すようなことはいたしません。先ずは・・前半でお客さんを痺れさせておきますので・・後半はお気の召すままごゆっくりとアルプスをご散策くださいませ。・・・そんなこんなで・・シュトラウスの「オルガンと大管弦楽のための祝典前奏曲」(ウィーン・コンツェルトハウス落成記念で作曲された)のオルガンが鳴り響いた。。フェスティバルホールにはパイプオルガンが無いので・・当然電子オルガンなのだが・・これがまたいい!。ズッシリとした分厚い音でオーケストラと対等に渡り合ったのだ。オーケストラのサウンド自体も十分に伸びており・・ティンパニーがいい打音でパンパン鳴る。もう1〜2分コーダがあれば・・聴衆は放心状態に陥るかも?・・続く小栗裕のヴァイオリン協奏曲は・・貴志康一のとは違って・・出だしの雰囲気は浪速情緒などほとんど感じない。トコトントコトンという小太鼓(和太鼓?)の音が日本製のコンツェルトであることを微かに感じさせるものの・・全体の流れはバルトークのような雰囲気がある。これでは・・痺れるどころか緊張してしまう。外山さん!ここはやっぱり貴志康一のコンツェルトでっせ。・・それでも・・やはり・・日本製のコンツェルトだけあって・・聴き進むうちにしっかりと和音階が登場するところなんかは・・・特にフィナーレに至るとホンの少しだがホッとするものの・・あまりにもエッセンスが凝縮されている(和旋律にも)ので・・聴く方は肩が凝る。NHKの収録とは別に・・ライブ録音を前提とした第2部での御大の意気込みは・・御歳を忘れさせるほどの意気込みと熱気がこもっていた。本来は日帰り登山のできる程度の山のハズが・・御大にとっては眼前に聳えるマッターホルンのような存在だったのかもしれない。トラを入れた100人を超えるサポーターは・・御大の足取りを一歩一歩確認しながら・・なんとかかんとか頂上までたどり着いたのだ。喜んだのは御大で・・ワシもまだまだ若いもんには負けてへんでぇ・・とばかり・・急な嵐もなんのその・・下界に着くまで気を抜くな!・・とサポーターに渇を入れた。御大への気遣いと嵐に翻弄されクタクタになったサポーターは・・やっとの思いで無事に御大を下山させたのだ。記憶の中には・・御大の足元の道の様相しか残っていなかった。(?) ^^;
Disc No. 195  Title No. CDR-YSHD-130A/B-00
Disc No. 196  Osaka Philharmonic Orchestra - Takashi Asahina   Beethoven 9.Symphonie
130A 130B
大阪フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-130A/B-00
朝比奈 隆
2000.12.29
:
大阪フェスティヴァルホール
ベートーヴェン
BS/VHS
交響曲第9番「合唱付」
2000.12.31
第1〜2楽章|第3〜4楽章
37'50|46'46
:
★★★★★ OIDT
大阪フィルハーモニー交響楽団 第9シンフォニーの夕べ  朝比奈隆指揮
共演: 菅英三子(ソプラノ) 井原直子(アルト) 福井敬(テノール) 多田羅迪夫(バリトン) 大阪フィルハーモニー合唱団
◆この演奏会(恒例の年末の第九)が行われたのは・・二十世紀をあと2日残すだけとなった年末押し迫った12月29日だ。普段はN響の第九をやるだけのNHKが・・どういうわけか・・この年にはフェスティヴァルホールにもカメラを据えた。そして・・21世紀の幕開けとなった翌年の同じ日が御大の命日となってしまったのだ。2001年の秋から体調を崩され・・数ヶ月のうちに命の炎が燃え尽きてしまったようだ。御歳93歳!・・大往生だった。それにしても・・なんという奇遇だろう。。大フィルの年末は・・29日と30日の2日間だけ。日本の年末の「第九」の中では・・最も遅い時期・・つまりは「本物の年末」「大トリ」での公演だ。丁度・・結果的には御大の最後となってしまったベートーヴェン交響曲全集の録音の一環として江崎さんのレーベルもマイクを立てていた。NHKと違って・・こちらは30日(「第九」の後に「蛍の光」が演奏される)の公演も録音していた。9曲の交響曲を番号ごとに1タイトルとして・・2公演分のライブ録音を無編集のまま2枚のCDに収めて・・それぞれ単発でリリースするという前代未聞のやり方だった。幸いにも・・御大のご健在のうちに9曲全部がライブ録音完了となり・・9セット18枚のCDに2種類の演奏が収まった無編集ダブルライブによる全集が完成したことになる。一応・・繰り返して聴くに耐える音盤とするための必要最小限の継ぎ接ぎ編集を経たボックスセットでの全集が2005年7月現在リリースされていない・・ということは・・無編集ありのままの音源こそ朝比奈先生の真の芸術として・・ひょっとしたらご遺言かなんかでそのようなご指示があったのかどうか?・・・真相を是非とも知りたいものだ。このCDがリリースされ始めた頃だったと思うのだが・・江崎さんにメールで苦言を申し上げたことがあった。。朝比奈先生のベートーヴェンでの「結論」ともなるかもしれないのに・・こんないい加減な(録音に聴くオーケストラはなんとも精度が良くなかった)出し方をされて・・残念至極です!!・・・とか書いたように覚えている。。このサイトのポリシーが・・ありのままの嘘の無い時間の流れこそライブの命!・・みたいなことになっている手前・・当時の心境は赤面ものだ。正に・・江崎さんは・・NHKも真っ青な「本物」のライブ録音で朝比奈芸術を世に問うたのだ。当時のご無礼をここにお詫びしたい。・・・江崎さんの録音は・・このNHKの収録の音源と共に・・20世紀最後に演奏された世界に誇る遺産となったのだ。「交響曲第9番」だけにターゲットを絞るなら・・編集すればCD-R1枚に余裕を持って収録できるのだが・・結果的に超記念碑的演奏会となった以上・・放送時間枠目一杯の音源を全てCD-Rに収めるために・・2枚のCD-Rに分割収録をした。これぞ・・レコード会社には絶対に真似のできない・・プライベートな余裕?の極みでもある。
◆さて・・ニッポンの風習ともなった「年末の第九」は・・全国津々浦々・・いったいどれほどの量になるのだろう。。年末かどうかは忘れたが・・「一万人の第九」とか「五千人の第九」とか・・体育館のような会場でマーラーも真っ青な規模で演奏されてもいるようだ。聴衆よりも演奏する数の方が多いなんてことも有り得るのだ。何千人ともなる合唱団(もちろん参加費用を払っての応募)の一人一人が聴衆としての立場も兼ねているようなパターンもあるんじゃないかとも思うほどで・・多けりゃいいってもんじゃない。こうなると・・もう第1楽章から第3楽章などは・・スコアを辿るだけの仕事と化す。大合唱団はもちろんのこと・・一般聴衆までもが・・早く歌わないか!とソワソワの心境で・・「堅苦しい」時間の通り過ぎるのをじっと耐えるのだ。年末の第九にしても・・ベートーヴェンの9曲を全部振ったことの無い指揮者が譜面を見ながら第九を振る。グレードが下がるに従って・・意味もわからないカタカナ独語の棒読みみたいな発音で・・参加することに意義がある!とか言って・・聴衆に駄音を聞かせて悦に入っておられるのだ。もちろん・・演奏するな!という権利などあるわけがないので・・少しでもクラシック音楽へのご興味が増していただけるのなら・・といった大義名分でみんなで盛り上がっているようなところがあるようなないような?・・・しかしながら・・みんながやるからオレラもワタシラモ・・といった赤信号的発想で参加されるのなら・・これこそ・・当日ホールへ足を運ぶ聴衆に対して極めて無礼な行為でもあるのだ。音程さえ満足にとれないガクダンなどが一緒なら・・お客を呼び込んで演奏会を開くこと自体が野蛮極まることになる。こういった場合にも・・ホールの賃貸料くらいはお客に負担させよう・・くらいの魂胆は必ずあるものだ。正に・・「音楽」を舐めきった・・冒涜行為!そのものなのだ。プロと名の付くオーケストラにとっては・・楽員のボーナス稼ぎのためにあるようなものだ。これもまた・・因循姑息な時の流れの中に胡坐をかいて・・芸術的目的意識の全く無い公演を重ねている。シラーの詩の中には・・人類皆兄弟仲間などと単純に喜べない血の気が引くような一節もあることを忘れて・・ただただ「喜びのメロディー」に浮かれているだけなのだ。ベートーヴェンが自分自身の生涯を・・奥底で抉るように皮肉った毒気は・・ほぼ同時期に作られた「ミサ・ソレムニス」で解毒されるような仕組みになっていることをご存知のお方はどれほどおいでになるのだろう・・・。勇気を持って横一線から抜け出すオーケストラはどこなのか?・・・年末に「第九」をやらないオーケストラは衝撃的な話題となって・・TV各社ワイドショーから新聞雑誌週刊誌に至るまで取材が相次ぐことにもなって・・オーケストラと「第九」に関するあらゆる問題が議論を呼び・・遂には国会で「日本における・・第九とオーケストラに絡む諸問題と・・プロオーケストラの諸事情のための調査詰問委員会」が設置されるに及んで・・実体明るみに出た後は・・マスコミ各社の強力なバックアップもあってか・・「年末第九演奏禁止法案」として審議され・・プロオーケストラ楽員のボーナス国庫負担と「第九交響曲」芸術性の復活が実現することになるのだ。(!?) 次の年度には・・芸術文化省が設立されて・・都道府県庁所在の全ての都市に現存のプロオーケストラの1団体を・・今後10年間の活動実績と芸術的評価に照らし・・相応と認められる団体に16型4管編成100名の楽員を賄う年間人件費相当額の80%を国庫より助成する旨の通達が出され・・一部都道府県では複数のオーケストラ間の激烈な競争が始まることになる。。なお・・恐縮ながら・・本文には一部フィクションを含んでおりますことをご了承ください。^^;
Disc No. 197  Title No. CDR-YSHD-131-00
 Wiener Philharmoniker  -  in St.Florian  -  Pierre Boulez
131
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-131-00
ピエール・ブーレーズ
1996.09.21
:
聖フローリアン教会、リンツ
ブルックナー
BS/VHS
交響曲第8番
1997.05.23
:
78'58
:
★★★★☆
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 リンツ公演  ピエール・ブーレーズ指揮
◆1975年の大阪フィルハーモニー初の海外(ヨーロッパ)公演の一環として・・御大はブルックナーの聖地リンツの聖フローリアン教会で特別演奏会を行った。Expo70(大阪万博)が大成功して・・OSAKAの名が一躍世界中に轟いた勢いもあったのだろうと思う。。当時録音契約があった日本のレコード会社の録音スタッフも同行しての大掛かりなツアーとなったらしいが・・ここ・・聖フローリアン教会でのライブ録音が・・「ホールの響き」という・・それまではほとんど感心のなかった要素にベクトルの矢を生じさせた衝撃的な音盤(LP)として・・後年手にすることになったのだ。マルモアザールと呼ばれる大理石で造られた大広間は・・想像するだけで音がなかなか消えない空間だ。マルチチャンネルで再生可能な現在なら・・積極的に空間に漂う残響音を専用チャンネルのマイクで拾ってリヤスピーカーから放射すればいい。しかし・・当時は未だ2チャンネルのデジタル録音さえ実用化されていないアナログ全盛期だ。ホール空間に相当なエネルギーで漂う残響音がオーケストラのサウンドに被らないようにと・・録音スタッフは勘を頼りにマイクをセットしたのだろうと思う。そして・・もう一つ。レコードの解説には・・録音スタッフのコメントが載っていた。それによると・・>最大音圧がテープぎりぎりに入るようにレベル設定をし、後日エコー処理などする必要の無いように、パースペクティブな効果を重点にアッテネーターを固定した<・・とある。また・・>作品が要求している響きがあり、その響きが演奏を触発して大きな効果を上げるのをまのあたりにして・・<といった記述から・・当日の演奏がいかに感動的に再現されたのかが良く分かる。おそらく録音スタッフは鳥肌が立つほどのショックを受けたに違いない。そして・・帰国後の録音プロジェクトでは・・ブルックナー⇒石造りの音響空間⇒東京カテドラル教会マリア大聖堂でのライブ録音・・ということになったんじゃないか?・・と思っている。ホールの「響き」と共に・・ありのままの「ダイナミクス」を収めるためにアッテネーター(要するに録音ヴォリューム)を固定した!という記述は・・ブルックナー独特のゲネラルパウゼで尾を引く残響音の元となる炸裂テュッティーを腰砕けにすることなくテープに収めたということだ。やるじゃん!平澤さん!・・この録音がなければ・・ブルックナーなど・・いまもって聴いていなかったかも?^^
◆さて・・御大が7番を演奏した場所と違って・・同じ聖フローリアン教会でも・・こちらはお寺でいう「本堂」での演奏だ。大聖堂と呼ばれる石の空間は・・マルモアザール以上に音が消えない空間でもある。そして・・地下にブルックナーが眠っている本家本元の「聖地」なのだ。ウィーン・フィルがどんな響きを呈するのか!・・・この収録は放送局(ORF)によるものではなく・・商品として売るためにレコード会社の専門スタッフが録ったもののようだが・・さすがにこういった環境下でもオーケストラ自体の鮮烈なサウンドを維持している。演奏中のサウンドは・・ほとんど大聖堂での収録とは感じないほど・・空間に漂っている(ハズの)残響が被らない。弦楽器も金管も眼前で演奏するかの雰囲気だ。ティンパニーだけが打音に余韻を残して・・テュッティーの後のゲネラルパウゼで初めて大聖堂の空間が姿を現す。これを見事!というべきか?・・・疑問を呈するべきか?・・・大いに悩むところとなっていた。5番と共に・・ブルックナーの交響曲の中では最大規模(時間的に)を誇る超大曲なのだが・・なんとなくスリムな感じにも聴こえる。大伽藍とも称されるのに・・そういった雰囲気が響きの中に感じられないのだ。鮮烈極まるオーケストラのサウンド自体は・・ダイナミクスについても不満がないほどの優秀な収録なのに・・どうしてだろう?。。ブーレーズさんの少し早めのテンポがカラヤン以上に重量感を削いでいるのか?・・ヘッドフォンを被ってのマスタリングの間・・なんともかんとも腑に落ちないサウンドを憂いていた。。後日・・出来上がったCDRをDSP経由で創生サラウンドとして聴いてみた。大聖堂の諸データの中でも・・残響時間は8秒!にセット。メイン2chとエフェクト4chとの音量比を7対3とした。通常は8対2程度でDSPエフェクトをかけるので・・エフェクトの分量は多めとなる。同時に簡易イコライザーで・・鮮烈過ぎる高域端を3dBほど絞り込んでみた。(自動的に低域端は3dB上昇する)・・・そして・・普段絞り込んでいるホールトーンの音調(イコライゼーションによって)をフラットに戻して・・ホールトーンの中の高域成分を増量?した。・・・出てきたサウンドにわが耳を疑った。テュッティーの後に尾を引く元々収録されていた音源の残響を核としてDSPによる創生残響が見事に重なり・・演奏中のヴァイオリンや金管セクションにもホールトーンがオブラートのように優しく包んだのだ。ベールを被せるのとは違って・・サウンドの熱気でふわーっと溶ける・・といったイメージだ。正に・・我が身を大聖堂の中に置いた空間の感じがよく出て・・大聖堂の途轍もない高い天井から降り注ぐ感じがするのだから恐れ入る。もうこうなると・・ブーレーズさんのテンポや版の問題など・・ややこしいこと抜きで・・ただただブルックナーの音世界に身を浮かべればいいのだ。第4楽章でのほんの僅かな音的瑕疵(一瞬の変調を伴うドロップアウト)などは・・壮大なコーダでの白熱した雰囲気の中では気持ちに全く尾を引かなかった。
Disc No. 198  Title No. CDR-YSHD-132-00
 Berliner Philharmoniker  -  in Goldensaal  -  Claudio Abbado
132
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-132-00
クラウディオ・アバド
1997.04.03
:
ウィーン楽友協会大ホール
ブラームス
BS/VHS
ドイツ・レクイエム
1997.05.23
:
78'32
:
★★★★☆
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン公演  クラウディオ・アバド指揮
共演: バーバラ・ボニー(ソプラノ) ブリン・ターフェル(バリトン) スウェーデン放送合唱団 エリック・エリクソン室内合唱団
ブラームスの「ドイツレクイエム」は・・死者のためではなく・・生き地獄で喘ぐ現世のニンゲンに慈悲を伝え・・渇を入れ・・希望を与える・・稀に見る傑作だ。宗教曲であるハズなのに・・十字架の存在が気にならず・・宗派を超えて感銘に浸れる貴重なガッキョクでもあるのだ。カラヤン先生も「ドイツ・レクイエム」は十八番として・・ステージでも何回となく演奏して・・録音も3回もしている。60年代にベルリン・フィルと「ドイツレクイエム」の初録音をした場所が・・この音源と同じウィーン楽友協会大ホール(ゴールデンザール)だった。主役のウィーン楽友協会合唱団の移動の手間を省くということからだったのかもしれないが・・ベルリン・フィルハーモニーのウィーン公演の合間に手っ取り早く?録音を済ませたようだ。楽友協会合唱団にとっては・・合唱団としての沽券にかかわる最も重要な作品でもあって・・寝てても歌えなければならない存在なのだ。ザルツブルグのステージでは・・通常の密集した合唱団の並びではなくて・・3人から2人を間引きしたような間隔で合唱団員が立った配置を見てびっくり仰天したこともあったが・・一人一人が完璧に出来上がっていなければ・・そういった配置には耐えられないことにもなる。団員一人一人がソリストとなって・・100人各様のニンゲンの叫びが空間で合成され・・管弦楽の響きに融和する。。カラヤン先生のドラマチックな演出だったのかどうかは分からないが・・これもまた素晴らしい演奏となって聴く者の魂の世界まで飛び込んだのだ。おそらく・・ウィーン楽友協会合唱団としての最高峰の演奏だったような気がしている。晩年にウィーン・フィルで再録音した時には・・ご自身の生涯を振り返っての万感の想いが痛切な響きと化して・・楽友協会合唱団の生身のニンゲンの声に感情がモロに載った一面も感じたのだが・・音楽自体の持つ壮絶なパワーは・・合唱団の演奏上の細かな欠陥など覆い隠すかのように・・流れの中に沈めてしまっていた。。そんな「時代」から10年が経って・・アバドさんが時の音楽監督として手兵を率いてウィーンへのりこんだ。
◆ドイツ語で歌詞が書かれているので「ドイツレクイエム」というらしいのだが・・クラシック音楽への扉を開けて間もない頃には・・過去ドイツで起こった不幸な出来事で命を失った人たちの魂のためのレクイエム・・なのだと思い込んでいた時期もあったりした。従って・・「第九」や「聖歌」などのように・・日本語訳では絶対に歌えない曲名なのだ。しかしながら・・オペラやオラトリオ・・そして数多の声楽作品などのように・・対訳を見ながら聴かないとサッパリと面白くないというシロモノではなく・・管弦楽の響きだけでレクイエムとして聴けてしまうほどの充実感があって・・そんな意味では対訳の無い輸入盤で十分間に合っていた。。そしてまた・・当初は・・ラテン語の通常のテキストがそのままドイツ語訳で歌われたものとも思い込んでいたこともあってか・・作品の真髄に迫ろうなどという聴き方は一度もしたことがなかったのだ。^^; ところが・・あるキッカケで・・ここで歌われている歌詞は・・あのマルティン・ルターがドイツ語に訳した新約聖書からのものであって・・ブラームス自身がその中の「聖句」を組み合わせて構成し直したものと知るに及び・・日本語の訳詞を眼前にした瞬間に・・楽曲自体の意味合いが全く別の次元へと昇華したような感じを持ったのだ。なんと・・これは・・ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」と同じ次元で・・生きるニンゲンのための「ヒューマン・レクイエム」だったのだ。。フィナーレ(第7楽章)で・・>人は死するとき労苦を解かれて安らぎを得る・・生きた行いが報われるのだ<・・という聖句は東洋の仏教の世界にも通じるものだろう。新興宗教などは全て排他的な考え方を持つが・・本当の宗教観はそんな見識の狭い世界では育たないハズだ。ニンゲンの五欲五感も・・十人十色千差万別の中に存在して・・そして・・その存在自体など・・宇宙の途轍もない大きさの中では「在って無いようなもの」として自覚するところから始めなければなるまい。しかし・・その「宇宙」は・・ニンゲンの心の中にも存在して・・その無限大のエネルギーが創作意欲を掻き立てるのだ。「創作」は・・コミュニケーションに始まり・・共有共感共生の実現にも重要な役割を果たすハズだ。それを認識できるかどうかによって・・ニンゲンの生き様は全く違ったものになるような気がしてならない。アバドさんの「ヒューマン・レクイエム」は・・ゴールデンザールのホールトーンをほとんど感じさせない(残念!)剥き出しの炸裂パワーが・・不思議にもそのまま魂の叫び声にも聴こえたりして・・実際にゴールデンザールの客席で聴く円やかさにはほど遠いのだろうが・・マイクが捉えた真迫力も案外楽曲の真髄に迫ったものなのかもしれない。。演奏終了後に40秒にも及ぶ沈黙の後拍手が湧き起こったということは・・聴衆全員が放心状態に陥るまでに至ったのか・・又は何か?のための「黙祷」の時間だったのかは全く分からない。。真相はどうであれ・・こういった神がかり的な厳粛な雰囲気もなかなかいいものだ。
Disc No. 199  Title No. CDR-YSHD-133-00
 Kyushu Symphony Orchestra  -  Hiroshi Ishimaru
133
九州交響楽団
CDR-YSHD-133-00
石丸 寛
1997.10.16
花房晴美 (Pf)
アクロス福岡シンフォニーホール
:
BS/VHS
ブラームス:交響曲第4番
1997.12.05
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
79'46
ラヴェル:ボレロ
★★★★★ OIDT
九州交響楽団 定期演奏会  花房晴美(ピアノ) 石丸 寛指揮
◆九州交響楽団というのは・・全く馴染みの無いオーケストラだった。なにしろ・・地元(管理人の)での公演は全く無くて・・とりたてて注目を集める演奏活動など全く風の噂にも聞こえてこなかったのだ。オーケストラの名称自体も「九州」という漠然としたイメージしかなく・・都市名或いは特定のコンサートホールとの相関関係が浮かんでこなかったこともあり・・さらにはコマーシャルベースにも載らず・・購入意欲をそそられるような然るべき音盤も1枚として手元には無かった。。ということは・・地元のオーケストラも・・九州では同じように思われている可能性が大となる。これ即ち・・ローカルオーケストラとしての勲章?なのかもしれない。。そんな中で・・九州交響楽団の普通の(何の記念演奏会でもないのに)定期演奏会をNHKがBSの電波に載せたのだ。NHKにはハゲタカのような嗅覚があるのか!?(いい意味で^^)・・・1994年から癌に侵されて闘病生活に入っていた石丸氏は1995年10月から九州交響楽団の音楽監督に就任されたという。。そして・・九響は1953年になんと!石丸氏によって創設されたオーケストラだったのだ。創設されたものの・・若い石丸氏にとって・・活動の舞台はやはり東京!と思っておられたようだ。僅か3年で上京されるという慌しい時の流れがあったらしいのだが・・・もし朝比奈先生のように腰を据えて九響に留まっておられたら・・と考えたとしても・・僅かな定期演奏会しかできないローカルオーケストラの音楽監督など・・立場を持て余してしまわれたことだろう。。東京オリンピックの年に始まったとされる「題名のない音楽会」という民放の音楽番組(日曜朝の僅か30分枠)で・・確か毎回のように東京交響楽団を指揮されていたことを覚えているものの・・実験的な演奏への協力といったイメージが強く残っており・・石丸氏ご自身の演奏表現(芸術表現)までは全く無関心に終始していた。なにせ・・当初白黒テレビの小さなスピーカーから出てくる音など・・オーケストラのサウンドを味わうには余りにも惨めな音だったのだ。Expo70(大阪万博)を契機にそこそこのスピーカーの付いた家具調のカラーテレビが茶の間に鎮座してからも・・既にオーディオ専用装置で耳に馴染んでいたFM放送のサウンドに比べたら・・全くハナシにならない酷いバランスでしかなく・・とにかくテレビから出る音などは「聴く」というよりも「聞く」という次元だったのだ。それだから・・石丸&東響などよりも・・黛さんのおもしろトーク?こそが番組を見る最大の目的だったとも言える。また・・インスタントコーヒーのブランドそのものが冠された演奏会(冠コンサート)での指揮などは・・正統な芸術活動から外れて脇道を走るようなイメージもあったりして・・今一つ畏敬の念を持ち得なかったのだ。少ない情報の中では・・見聞きするものだけでイメージを固めてしまう。m(_ _)m
◆画面に映った石丸さんのお姿は・・噂には聞いていたものの・・本当に愕然とするほど頬が扱け・・激烈にやつれておられた。正に・・何かを予感させる末期のお姿でもあったのだ。演奏中になにが起こっても不思議ではないような雰囲気でブラームスの第4交響曲が始まった。生中継ではないので・・NHKがオンエアしたということは・・少なくとも演奏会は無事に完結したということだ。せめてもの・・そんな安堵感を持って聴き進んだ。案の定・・響きが薄い。。N響とは全く違う痩せた音だ。・・・しかし!・・・どうしたことか・・想像も出来なかった音楽の推進力。その流れにグイグイと引き込まれて・・・いつの間にか画面を消して音だけの世界にのめりこんでしまっていた。。オーディオスピーカーからは・・滅多に聴けないコントラバスの弦鳴り?(胴鳴りではなく・・弦を擦る音)が聴こえたりして・・オーディオチックに悦んでもいいハズなのに・・なぜか石丸さんのジリジリとした痛みを実感させる。響きは薄いが・・オーケストラの合奏精度は極上だ。曲が曲だけに・・思わせぶりなフレーズに差し掛かると楽器が泣いているようにも聴こえる。楽員全ての石丸さんに対する畏敬の念がのり移ったような・・気持ちに突き刺さる音だ。これに比べたら・・クライバーとウィーン・フィルが録音した同じブラームスの4番など・・ノーテンキなお気楽サウンドにも聴こえてしまうのだから・・ニンゲンの想像を絶する気迫のこもった音というのは恐ろしくもある。九州交響楽団は・・このブラームスのCD(ライブ盤として市販されている)だけで・・後世にまで残る大きな遺産を得たことになる。後半のラヴェルはオマケだ。石丸さんは・・命燃え尽きる前の一番苦しいハズの時期を乗り越えるための爆裂エネルギーをラヴェルに求めたのかもしれない。育ての親とはなり得なかったものの・・生みの親として・・我が子の成長を噛み締めながら・・オーケストラだけでも演奏できるボレロでもって・・楽員の妙技を指揮台から楽しまれたのではないだろうか・・・。花房晴美さんをソリストに迎えたラヴェルの「左手」は・・これ以上望むものが無いほどの優れた音質の中で花房さんの妙技が展開された。オーケストラの響きの薄さは全く気にならなくなって・・コントラファゴットのブルブル震える低周波に痺れつつ左手だけの豪快な打鍵が炸裂するのだ。桐朋学園高校(当然音楽科なのだろうが・・)を主席で卒業の才女らしいが・・相応な苦しみあっての「1番」なのだろうと思う。石丸さんのブラームスが絶品なら・・花房さんのラヴェルは逸品として額縁に入る。
Disc No. 200  Title No. CDR-YSHD-134A/B-00
Disc No. 201  Staatskapelle Dresden  -  450th Anniversary  -  Giuseppe Sinopoli
134A 134B
ドレスデン国立管弦楽団
CDR-YSHD-134A/B-00
ジュゼッペ・シノーポリ
1998.09.22
:
ゼンパーオパー、ドレスデン
ヴィヴァルディ:協奏曲ト短調
BS/VHS
ウェーバー:祝典序曲
1999.01.22
ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
32'41|55'06
R.シュトラウス:アルプス交響曲
★★★★★ OIDT
ドレスデン国立管弦楽団 創立450年記念特別演奏会  ジュゼッペ・シノーポリ指揮
◆450年という年数は半端じゃない。。ウィーン・フィルやニューヨーク・フィルでも150年だ。ヴィヴァルディが生まれたのが1678年なので・・そこからさらに100年以上も遡ることにもなる。従って・・ヴィヴァルディ存命中に創立150年の記念演奏会(をしたのかどうかは定かではないが・・)があったことなるのだ!。まぁ・・音楽史のことなど資料に基づいて然も有りげに書いたところで・・アカデミックなハナシが大嫌いな御仁にとっては「それがどうした?」・・という世界にもなるわけで・・とにかく世界一の歴史と伝統を誇るオーケストラ界の古狸?(失礼!)が粛々と記念演奏会を行ったということだ。これほどの年数にもなると・・四半世紀(25年)で区切っても「意味無いじゃん!」となるかもしれない。次の記念イヤーはやっぱり500年となるのだろうか?。もの凄い数字だ。。まぁ・・もっとも我が身は確実にこの世にないのだから・・知ったことじゃない!?のだが。。このオーケストラは歌劇場のオーケストラだ。ドレスデン国立歌劇場管弦楽団がステージ上のシンフォニーコンサートを行うときには単に国立管弦楽団となるのだ。ただし・・フランス国立管弦楽団の「国立」とは全く意味は異なる。東西ドイツ統一後は・・ベルリンも含めて・・州政府の管理下にあるので・・ドレスデンの場合はザクセン州立(歌劇場)のオーケストラなのだ。日本では・・「国立」という言葉に普遍的な信頼感が根強く残って・・もっとも権威的な象徴ともなっている場合があり・・国立ではないパリ管弦楽団(Orchestre de Paris)まで来日公演では「国立」の二文字が冠される。言葉(文字)から受けるニュアンス(インスピレーション)というものは・・案外と強烈なものを持っているものだ。この記念演奏会には・・歌劇場の関係団体(座付合唱団や専属ソリストなど)さえ共演しなかったとことをみると・・創立当初はオペラなどには全く関係なく(オペラなどは未だ生まれていなかった?)・・器楽だけの小さな合奏団だったのだろう。。創立100年を超えたドレスデンのオーケストラのためにヴィヴァルディが一曲献上しているのだ。従って・・現在のようなフル編成のシンフォニーオーケストラへと発展したのは・・正に時代ごとの音楽(楽曲)の規模に応じてオーケストラも順次膨らんでいったと思われる。ウェーバーやワーグナーはオーケストラの歴史の長さから見たら・・近代の作曲家だ。シュトラウスも含めて・・歌劇場と所縁の濃い作品をもって450周年を祝ったということだ。とにもかくにも・・歌劇場のオーケストラが管弦楽だけで記念演奏会を行ったところなど・・実にユニークな企画でもあった。惜しむらくもシノーポリの・・「最晩年」の晴れ舞台ともなったことに・・感慨無量ともなる。。
◆ドレスデンのオーケストラは・・「古風な・・」とか「燻銀のような・・」とかの枕詞がよくついてまわる。世界最古のガクダンだから「古風な音」なのか?・・450年も経つとピカピカのシルバーが燻されたような音に変化するのだろうか?!・・・。余りにも先入観念に満ち溢れた論評がのさばっている中で・・この音源をお聴きになったお方は・・ヴィヴァルディのキラキラ輝いた快活なサウンドを何と例えるのだろうか。。伝統は「今」に生きるが・・因循姑息な継承では450年ももたなかったんじゃないかと思うのだ。だからこそ・・絶えず新しい細胞を増殖させて・・時代に即応していかなければ・・「時」のゲンダイオンガクには対応できないハズだ。おそらく・・多分・・18世紀オーケストラの響きの次元にも達していなかったと思われる創立当時のオーケストラ(合奏団?)は・・楽器の発展にシンクロして・・現代のモダーンオーケストラへと進化したのだ。ウィーン・フィルやベルリン・フィルなどは・・自分達が生まれる前のオーケストラの響きを今後必須の新しい響きとまで錯誤して・・本来の王道から外れてしまった不幸を背負ったのだが・・ドレスデンのオーケストラは進化の歴史を逆行するような愚かな真似などする理由もない。シノーポリの指揮したベートーヴェンの第9交響曲の録音を聴くと・・ベルリンやウィーンでの最近の録音など・・まるで子供のおもちゃのような響きがする(どんなや?!・・)。音楽監督シノーポリへの先入観念もまた見事なものだった。。精神科医だったこともあってか・・やたらと「分析的な演奏」といった論評が行われた。シノーポリは・・スコアの分析などする訳などない。・・ただただ単刀直入に斬り込むだけなのだ。その直感が「吉凶の差」となって出来不出来に影響する。もし・・分析しなければならないようなことだったとしたら・・短期集中的なマーラーの交響曲の連続演奏会(フィルハーモニア管弦楽団との日本公演)など・・絶対不可能なことだった。あの・・ごちゃごちゃと・・ああせいこうせい・・ああだこうだと・・うんざりするほど書き込まれたスコアの精神的分析だけでも・・最低1曲につき数ヶ月かかるんじゃないかと思うのだ。シュトラウスのアルプス交響曲は・・ほんの少し肌寒い中にもクッキリと澄んだ空気を感じながら山の夜明けを迎えた。緊張感を伴っての登山の開始は「山」に対する畏敬の念の表れでもある。いい雰囲気だ。。日の出のヴァイオリンセクションの伸びの良さなど・・対抗配置なのに・・オーマンディ時代の「フィラデルフィア」かと錯覚するほどの輝かしさだ。金管も打楽器も相応なバランスでマイクに載って・・テュッティーでの迫力は全ての楽器が活きたエネルギーを迫力満点に炸裂させる。何から何まで・・トラばかりのどっかの国の地方オーケストラとは・・やはり違う。トランペットのハイトーンなども眩しいほどに煌き・・決して悲鳴をあげないのだから恐れ入る。先入観念で固まった指揮者とオーケストラへの固定観念は・・450周年の節目をもってめでたく消滅した。
Disc No. 202  Title No. CDR-YSHD-135A/B-00
Disc No. 203  Philadelphia Orchestra  -  100th Anniversary  -  Wolfgang Sawallisch
135A 135B
フィラデルフィア管弦楽団
CDR-YSHD-135A/B-00
ウォルフガング・サヴァリッシュ
2000.11.17
:
アカデミー・オブ・ミュージック
アンドレ・ワッツ (Pf)
BS/VHS
サラ・チャン (Vn)
Live on Air
トーマス・ハンプソン (Bs)
55'51|43'40
:
★★★☆☆ OIDT
フィラデルフィア管弦楽団 創立100周年記念特別演奏会  ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮
プログラム: J.S.バッハ/ストコフスキー編:トッカータとフーガ デュカ:交響詩「魔法使いの弟子」 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番|サラサーテ:カルメン幻想曲 コープランド:アメリカの古い歌 ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」〜組曲
◆珍しくも生中継で送られてきた演奏会の原題は 100th Birthday Concert Gala となっていたが・・ガラコンサートにしては纏まったプログラムでもあって・・ピアノ協奏曲も全曲(全楽章)をキッチリと演奏した。逆に言えば・・ガラコンサートなのに・・何か偏っていまへんか?・・といった疑問も生じることになる。・・・そう・・これは・・あのディズニー映画「ファンタジア」の世界なのだ。。時の音楽監督レオポルド・ストコフスキーはフィラデルフィア管弦楽団と共にミッキーマウスの映画にご出演となって・・ファンタジーの世界でクラシック音楽の数々の名曲を演奏した。クラシックのクの字も知らない赤ちゃん(当たり前!)からお年寄りまで・・総天然色と立体音響の・・夢の世界に酔いしれたのだ。フィラデルフィア圏内の住民は・・オラが町のガクダンがミッキーマウスと共演している!という誇り高き名誉に与って・・実物を見ようとアカデミーへ押しかけた。ガクダンは演奏旅行の手間も省けて映画のフィルムに載って全米の映画館で夢の音楽会を行った。その勢いは・・ワールドワイドに及び・・フィラデルフィア管弦楽団とストコフスキーの名声は揺るぎ無いものになったという。。正にアメリカンドリームの音楽ヴァージョンだったのだ。当時の映画館の音響設備がどんなレヴェルにあったのかは分からないが・・家庭で聴く78回転SP盤の音から比べたら腰を抜かすようなHiFiサウンドに聴こえたのだろうと思う。ひょっとしたら・・観客は・・ピットでガクダンが演奏しているような錯覚にまで陥ったのかもしれない。この大成功は・・後年・・カラヤンがフィルムの中で演奏するという音楽映画やオペラの映画化などに応用継承されたが・・ミッキーマウスの前にあえなく沈没した。・・また・・オーディオ的には・・フィルムのサウンドトラックをマスターテープとして・・超HiFi-サウンドを売り文句にLPレコード用の録音に利用した会社も登場したが・・保存性や膨大なランニングコストの問題山積ともなり・・テープ録音システムの技術が進展するに従って・・フィルム録音は消滅した。フィラデルフィア管弦楽団は・・ストコフスキーからオーマンディへと引き継がれた後・・半世紀にも及ぶ黄金時代を築くことになるわけだが・・ストコフスキーの存在と「ファンタジア」が無かったら・・オーマンディとの膨大なレコードカタログも・・「フィラデルフィア・サウンド!」というキャッチコピーも無かったかもしれない。。
◆オーマンディが没して・・ムーティ・・サヴァリッシュと継いだフィラデルフィア管弦楽団だが・・100周年の節目には・・時の音楽監督サヴァリッシュによって祝賀コンサートが盛大に行われた。世紀の変わり目がオーケストラの節目ともなるというもの凄いタイミングでもある。ステージには司会者も登場して・・プログラムの進行を説明するという・・ニューイヤーコンサートをFMで聴くような些かウザッタイ構成(生中継なので・・当然同時通訳が入る)だったが・・本拠アカデミーのステージを映像で見られる機会などほとんど無いので・・ここはあまり文句を言うべきではないのかもしれない。^^; ただ・・ガクダンの意向なのか・・音楽監督としてのサヴァリッシュさんの意思だったのかは分からないが・・・100周年を祝うのには・・やっぱり「ファンタジア」しかないのかぁ!・・と思ったのも事実だ。まぁ・・「ファンタジア」はフィラデルフィア管弦楽団の紋所のようなものだから・・ストコフスキーに敬意をはらって・・ご自身の編曲作品中最高傑作「トッカータとフーガ」は仕方ない!。しかし・・しかし!!・・・こういった祝賀演奏会では・・ガクダンが伴奏にまわったのでは意味無いじゃん!ともなる。シンフォニーオーケストラとしての・・ありったけのキャパをぶちまけなけりゃならないのだ。ガクダンとしての所縁の作曲家(初演などの絡みで)も多々ある中で・・オーマンディの築いたフィラデルフィアサウンドにも敬意をはらって・・最高傑作グローフェの「グランドキャニオン」を炸裂させるってのはどうだろう。。天才サヴァリッシュさんなら初見でも振れるハズだ。後半にはゲストコンダクターとして・・前任音楽監督のムーティさんを呼んで・・これもムーティ時代の最高傑作レスピーギの「ローマの松」でドカンと一発ホールを揺すればオーマンディさんも草葉の陰で涙するかもしれない。。盛大な拍手でムーティさんを送ったら・・世界ナンバーワンのお笑いに5分ほどチャカしてもらおう。・・・・・オ・イ・ラ・は・ストコフスキー・・世界一ダンディで・・スタイリッシュな指揮姿・・魔法の両手で・・女心を擽りまくってみせまっせ・・っていうじゃない?・・・・でも・・ほんとうにくすぐったいのは・・・映画館の後ろの席でいちゃついてる・・聞こえるか聞こえないかの・・微妙な喘ぎ声ですからぁ!・・ザンネン!!・・・・〜・・・・ねぇネェ・・ミッキーちゃんのぬいぐるみ買ってぇ・・大きいのほしいなぁ・・一緒にネンネするんだもん・・ねぇネェおねがい!・・・・サンタクロースさんにお願いしようか?・・・・いやぁーん・・そんなに待てなぁーい・・ほしい・・ほしい・・ほしいよぉ!・・買ってくれないんだった泣いちゃうんだからね!・・・・おいオイおい・・分かったから静かに観てなさい・・かあちゃんには内緒だぞ!・・・・で・・パパぁ・・ミッキーちゃんのとなりでしゃべってるおじさん・・だれぇ?・・・・知らん!・・・・斬りぃー!!・・・・〜・・・・最後には・・サバリッシュさんの全てが凝縮されたベートーヴェンの「合唱幻想曲」で弾き振りいただき・・フィラデルフィアの栄光の歴史が「今」に爆裂するのだ。問題は・・フィラデルフィア管弦楽団の「未来」だ。ここは・・ジョン・ウィリアムズに委嘱して・・創立150周年記念演奏会の冒頭を飾るべき大序曲をアンコールでプレ初演?しよう。。そして・・50年間封印をする!。これで・・フィラデルフィア管弦楽団の過去現在未来が全て出揃って・・50年後には命の無い世代も「冥土へのいい土産ができた^O^」・・と大満足でホールを後にできるってわけだ。・・・・・えぇ・・拙者・・本サイトでオーケストラを斬りまくっておりますが・・・今朝まな板の上で指を切りましたぁ!・・・・切腹!!!
Disc No. 204  Title No. CDR-YSHD-136A/B-00
Disc No. 205  Berliner Philharmoniker - Kurt Sanderling
136A 136B
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-136A/B-00
クルト・ザンデルリング
1997.06.10
:
フィルハーモニー、ベルリン
:
BS/VHS
ハイドン:交響曲第82番
1997.09.12
ショスタコーヴィッチ:交響曲第8番
31'16|74'30
:
★★★★☆
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  クルト・サンデルリンク指揮
◆何年か前に・・夏休みを利用して・・35年ぶりにプラモデルを作ったことがある。我が家のガキンチョ息子が未だ小学校の・・確か3年か4年生の頃だったと思う。。夏休みの宿題で・・動力で動くもの?とかなんとかのテーマがあって・・船を作ることにしたのだ。で・・買ってきた「素材」は・・戦艦「大和」と戦艦「武蔵」の兄弟艦。1/600スケールで各々壱千五百円也。ペイントカラーから製作小道具(ヤスリやピンセットなど)を一式揃えたら萬札が飛んでいったことを覚えている。とにかく・・10日間の盆休みには朝から晩まで閉じ篭りだ。クーラーをかけて締め切った室内に充満したシンナーの臭いで頭クラクラ・・幻覚漂う世界へと誘惑される寸前で窓を開けて換気をするのだが・・造船所の塗装工程でもこんなもの?と納得させてサポート役を侍らせた。これは・・もう・・大人のこだわりの世界なのだ。プラモデルというのはこうやって作るのだ!・・と言わんばかりの熱の入れようだった。単三乾電池とモーターとの重量バランスをとって・・艦首から中央艦底にかけて油粘土を敷き詰めて・・水に浮かべてはまたバランスを取り直すといった作業を繰り返した。喫水線にピタリと水面が安定して・・スイッチを入れるとスクリューが回って微速前進を始めた。1号艦の完成だ。・・・この時に「大和」という戦艦の・・世界一の性能の詳細と・・そんな優れた戦艦が辿った悲惨な運命・・・そして・・今もなお・・南の海の底に何千という乗組員の遺骨と共に眠っているということ・・最後の戦闘(対航空攻撃機)では甲板艦内いたるところが血飛沫噴き上がり海となって覆い尽くされたこと・・正に・・地獄の光景(小学生には理解できるハズはないのだが・・)なのだ!と言い聞かせ・・洗面台に浮かんだ「大和」に手を合わせたのだ。2号艦は船体までは完成したが・・甲板上の工事が未完のまま・・箱の中で眠っている。全く同じに見える双子の戦艦なのだが・・細かい装備が微妙に違って・・これが見分けられたら一人前?だ。最近・・広島県の呉市に1/10スケール!という巨大な「大和」が鎮座する博物館ができたらしい。。なにやら・・「宇宙戦艦ヤマト」まで展示してあるらしいので・・息子を連れて見に行こうと思っている。現在は・・新幹線に乗って・・「く」のつくところへ「や」のつくものを見に行くかも・・とだけ言ってあるが・・宮内庁に行って靖国神社へお参りをする?・・とか熊本へ行って山羊を見に行く?とか訳のわからないことを言っている。新幹線の駅には「呉」が無いので・・絶対に判りっこないのだ。^^
◆60余年前・・石油を断たれたニッポンに・・2年半もの備蓄があったことには驚いたが・・石油を奪いに太平洋を南下した後の「経路のリスク」への配慮の無さには愕然とした。駆逐艦の護衛のない裸のタンカーは・・敵の餌食となって海の藻屑と成り果てた。戦時中の民間タンカーの乗組員の「命」は・・重大な命綱であるはずの石油と共に・・かくも軽視されたのだった。なんのための「戦争」だったのか?。・・目的のための最善の努力さえ置き去りにされた結果の敗戦は・・成るべくしての当然至極な結果でもあるが・・軽視された「命」には・・なんと言って詫びるのだろう!・・・。戦艦「大和」による沖縄要塞化に向けた片道燃料での作戦も・・狂乱指導者の幻覚だったのだ。情報からも封鎖された井戸の中には・・一発大逆転への夢が誇大妄想となって渦巻いて・・七万トンの巨大戦艦に乗り組んだ何千人もの「命」のことなど欠片にも思っていなかったのだろう。。防弾機構の全く無い世界一優れた性能の「ゼロ戦」も・・パイロットの「命」は機と共に・・といった有様だった。国民の「命」を粗末に考える国は・・絶対に滅びるのだ。そしてまた・・ニンゲンの「命」を粗末にする国も・・同じ運命にあることを歴史から学ばねばなるまい。・・・同じ頃・・ドイツ軍の攻略をあびていたソビエトでは・・一人のオトコが「歴史」を音符に記していた。それは鮮烈な血飛沫から連想する地獄の光景ではなく・・地獄から見える「ニンゲン」のあるゆる心境を音化したものだった。ショスタコーヴィッチの「重さ」は・・例え7番のような「勝利の交響曲」となったとしても・・嫌味なプレッシャーがまとわりつくのだ。第5交響曲を思わせる第1楽章の序奏などは・・一層深く低いところで感情が蠢く。ショスタコーヴィッチ独特の節回し?なのかもしれないが・・こう似通った雰囲気を聴かされると・・5番のスコアを引っぱり出して再構成したような感じにもとれる(・・んなことなどあるハズもないが・・)。弦楽器の合奏精度が良くないアマチュアオーケストラなんぞが意気込みだけで「第5交響曲」に挑戦したところで・・聴いてる方はズッコケっぱなしの様相を呈するのと同じで・・この「第8交響曲」も弦楽器のスーパーアンサンブルを必要とする。ショスタコーヴィッチの作品だけは・・そして・・その真の「重み」を知るためには・・ナヨッチイ弦楽アンサンブルではダメなのだ。豪腕ヴァイオリン奏者が少なくとも16名揃って・・金管に負けない耳を劈くフルティッシモを発しなければならないのだ。ソビエト連邦崩壊後は・・世界中探しても・・これができるのは・・ベルリン・フィルとイスラエル・フィルだけだろう。。(これも・・固定観念の世界でのハナシだ ^^) しかし・・事実として・・この音源でのベルリン・フィルはもの凄かった!。正に・・ターボで加圧したような弦楽器のパワーなのだ。これがなければ・・気持ちに突き刺さるまでには至らない。弦楽器は金管や打楽器に負けていい時と勝たねばならぬ時とがあるのだ。マイクで捉えた録音の世界だから・・実際にフィルハーモニーホールでは如何に響いたのかは定かではないが・・おそらくステージ正面の一階センターではこんなバランスなのかもしれない。・・・しかし・・オーディオチックにどんな素晴らしいサウンドが出ようが・・演奏自体がどんなに素晴らしいものであろうが・・単純に「オンガク」できない音の意味を考えたら・・第8交響曲などは「御霊」のためのレクイエムとしか思えない。最高傑作とか名演奏とかの次元を超えたところで・・時空を隔てたニンゲン同士が交信を始めるのだ。・・・感動しても・・決して楽しむべからず。。・・・合掌!・・・
Disc No. 206  Title No. CDR-YSHD-137A/B-00
Disc No. 207  Wiener Philharmoniker - Seiji Ozawa
137A 137B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-137A/B-00
小澤征爾
1994.06.10
:
ウィーン楽友協会大ホール
ニールセン:歌劇「仮面舞踏会」序曲
FM/VHS
ストラヴィンスキー:「プルチネルラ」組曲
1995.01.06
シュトラウス:アルプス交響曲
28'46|51'17
:
★★★★☆ OIDT
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  小澤征爾指揮
◆「山ノ神」への畏敬の念は・・何も山に登る時だけじゃない。家庭でのくつろぎの間にも忘却は直ちに災難となって降りかかるのだ。大蔵大臣とも厚生大臣とも喩えられて・・どういうわけか赤鬼?とも呼ばれることもあったりして(?)・・しかし・・やっぱり「カミさん」というのが日本の平均的な呼び名?なのかもしれない・・恐ろしくも(これ現実)優しい(これ願望)存在の・・あのお方だ。その畑で育った分身が♀x3 ともなったら最後・・お家断絶の憂き目とオヤジのすねは骨だけになる。また・・万一♂x3 ともなったら・・存命中に家の中は破壊の限りの廃墟同然ともなるかもしれない。ここで・・「カミさん」が女神になれるかどうかで・・行く末が大きく変わることになるのだ。従って・・一家の主人ともなれば・・毎朝毎晩これを拝み・・日々の平和に感謝を捧げ・・人に話すときには決して貶さず褒め称え・・春夏秋冬には温泉地の美肌の湯にお浸けせねばならないのだ。近郊の滝や森林でのマイナスイオンは女神の慈悲の栄養素でもあって・・これが欠乏すればたちまち悪魔にも変貌する。同時に温泉地でのお食事には・・コラーゲンとカルシウムのたっぷり含まれた特別メニューを奮発して・・女神の肉体的精神的な安定を図らねばならない。万一にでも・・夜な夜な・・愛しの君の名?など口走ってはならない。薬局で「寝言防止薬」を密かに購入して・・とにもかくにも熟睡するのだ。従って・・女神からのお誘いがある前に飲んでしまうと・・翌朝には全ての苦労が水の泡となってしまうので注意が必要だ。。人生・・何事も全て「タイミング」で決まる。「しあわせわぁ・・あるいてこない・・だぁからあるいてゆくんだね・・いちにちいっぽ・・みぃかでさんぼ・・さぁんぼすすんでにほさがる・・・」みたいに積極的に幸運のタイミングを計らねばならないのだ。そういった苦労の甲斐あって・・ご機嫌上々な女神であるうちは・・家の中も安泰となる。頑張る者は必ず報われるのだ。^^;
◆山ノ神・・といえばアルプスだ。神々しく壮大な威容は遊び半分の人間などを即座に拒絶する。シュトラウスの描いたアルプスの一日は・・必ずしも命がけで登頂するような絶壁を持つようなものではないが・・急変する山の天候などは軽装の不心得者にとっては命取りともなりかねないこともあってか・・それなりの「自然の厳しさ」を舐めたらアカン!とする本物の「山の神」からのメッセージでもある。かつて・・ある指揮者のアルプス交響曲の初録音盤がリリースされた時に・・「こういったオンガクを振らせたら敵う者が居ない・・云々」・・とのたまった音楽評論家がいたが・・「こういったオンガク!」だからこそ上っ面だけ飾ってもダメなのだ。次元の深さはベートーヴェンと何ら変わらないということをご存知ではなかったようだ。映画音楽のように凡人でも感動できる楽曲は即「低俗」・・専門教育を受けた者しか理解できないような理屈っぽい楽曲は「高尚」・・などと(はっきりとは仰らなかったが・・)高を括ったような論評だったような記憶が残っている。。その指揮者の来日公演の生中継(か・・録画だったか?)の放送番組の解説では・・ベートーヴェンやブラームスなどでもベタ褒めの賛辞を連発されたのに・・雑誌論評などの活字となるとケチョンケチョンに貶されたこともあったようだ。この頃から・・音楽雑誌などの論評などは全く信用できなくなってしまったのだ。二枚舌(客観的と主観的?・・建前と本音?)はニンゲン誰でも持っているものの・・少なくともプロと名の付く評論家はオベンチャラを言うべきではない。・・・それにしても・・ウィーン・フィルで聴くアルプス交響曲。・・なんという香り立つ音だろう。。ウィンナホルンのためにあるといってもいいような楽曲なのだが・・独特のネバッこいサウンドは一旦耳に入ると絡み付いて離れないのだ。山の散策での爽快感とは裏腹に・・自然の厳しさみたいな張りつめた空気が絶えず緊張感を押し付けてくる。。余裕綽々のハズのウィーン・フィルなのに・・嵐への対抗でヘッドマージンの全てをオザワさんに差し出したかのようだ。4年後には・・アルプス交響曲を献呈された本家のガクダンが創立450年の節目を迎えることを承知のウィーン・フィルは・・おそらく記念公演のメインは「アルプス」しかない!と見込んでいた。同じ歌劇場のオーケストラとして・・そしてシュトラウスとも深い所縁があったということからも・・沽券にかけて録音の中にもの凄いアルプスを描こう!と対決心を剥き出しにした。ウィーン・フィルの殺気を感じたオザワさんは・・遠慮の無い激情をオーケストラにぶつけたのだ。愛弟子の・・しかも存命中にぞっこん惚れこんでいたウィーン・フィルとの「アルプス」を師匠が聴いたら・・何と仰ったのだろう?・・・・セイジ!・・お前もこういった曲を感情こめてやっと振れるようになったんだなぁ・・・てな具合に・・しみじみと。。(?)
Disc No. 208  Title No. CDR-YSHD-138A/B-00
Disc No. 209

 Berliner Philharmoniker - Mariss Jansons

138A 138B
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-138A-00
マリス・ヤンソンス
1998.01.24
ワルトラウド・マイヤー (S)
フィルハーモニー、ベルリン
ショーソン
FM/VHS
ソプラノと管弦楽のための「愛と海の詩」
1998.08.07
R.シュトラウス
31'25|54'55
アルプス交響曲
★★★☆☆ OIDT
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  マリス・ヤンソンス指揮
◆ドイツグラモフォンがデジタル録音を実用化した1979年(LPの時代が続いておりCDは未だ夢の商品だった)以降は・・カラヤン先生にとって待望の時代の幕開けとなっていた。念願だったノイズに埋もれることのないピアニッシモが・・家庭でも再現できる新しい音楽ソフトと再生機器がホームオーディオとして完成間近だったのだ。得意なリヒャルト・シュトラウスの作品の中でも・・ピアニッシモで始まってピアニッシモで終る超難曲「アルプス交響曲」だけは・・そのピアニッシモこそこの楽曲の核心であって・・緊張感を伴ってクリアで力強いピアニッシモとして響かなければ・・録音などする価値も無い・・といった思いを抱いていたらしい。そして・・念願叶い条件相整った1980年12月1日から3日間のセッションを迎えることになるのだが・・演奏会のステージには全く載せないで・・いきなり録音に臨むところなどはいかにもカラヤン先生らしい。。この録音は・・カラヤンの初録音盤として・・ドイツグラモフォンから出る初回のCD新譜用として既に予定されていた超目玉?アイテムなのだ。だから・・演奏会で前もって聴かせるわけにはいかなかったのだろう。。最善の準備を尽くし・・超絶的なピアニッシモを創生するためには・・ほんの少しのノイズも許されなかった。楽員から録音スタッフにいたるまで・・そしてホール空調にまで注意は及び・・耳鳴りがするほどの全くの「無音空間」の中で息を呑みこんでという・・殺人的な雰囲気で演奏が開始されたらしい。かつて耳にしたこともなかった静寂の中に浮かんだ宝石のようなピアニッシモをマスターテープに聴いたカラヤン先生は子供のように悦ばれ・・カセットテープに落として(ひょっとしたら・・ビデオテープによるPCM録再システムをお持ちだったのかもしれない)ザルツブルグの自宅で熟成試聴を繰り返したという。。デジタル録音盤(LP)としての発売は1年後・・新規格デジタルオーディオディスク(CD)での発売は2年後の予定だったのだ。70年代後半に再録音したばかりのベートーヴェンの交響曲全集やストラヴィンスキーの「春の祭典」と同じ手法で「時」を待つおつもりだったらしい。カラヤン先生の演奏会ステージでの「初演」は・・録音してから丁度1年後の1981年12月1日・・ベルリン・フィルのライプチッヒ公演だったようだ。同年10月28日から11月8日までは来日公演(東京のみ)を行っている。ブラームスの4曲の交響曲・・ベートーヴェンの1番/3番/5番/6番/ヴァイオリン協奏曲(ムター)/チャイコフスキーの「悲愴」/ドビュッシーの「牧神」と「海」/ラヴェルのスペイン狂詩曲とボレロ・・などを東京文化会館とNHKホールで演奏した。なにやら・・来日公演の期間中・・公演プログラムを棚に上げて・・「アルプス」の練習をしていたらしいのだ。帰国後・・カラヤン先生は12月1日のライプチッヒ公演まで何も演奏会が無かった。1年間温めた録音にも不満が無く・・音盤(LP)リリースの許可を出した以上・・演奏会での上演は録音に劣るわけにはいかないのだ。ライプチッヒでの大成功に気を良くしたカラヤン先生は・・本拠フィルハーモニーでの12月定期公演と大晦日のジルヴェスターコンサートに立て続けに「アルプス」を演奏し・・翌年の4月と8月のザルツブルグ公演やニューヨーク公演・・そしてまたまた・・2年連続でジルヴェスターコンサートにも演奏するという具合に・・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニーの極め付けの看板プログラムにしてしまったようだ。
◆カラヤンは18型(コントラバス10)で息を呑むピアニッシモを創生したが・・没後10年経った・・時の音楽監督アバドの下のベルリン・フィルは・・そんな緊張感など失くしていた。ピーン!と張りつめなくても・・アバドは優しくヨイショ!してくれるのだ。友だちのようなシェフと・・楽しくオンガクする環境が整備されて・・なにかトラブルが起こりそうになった時にも・・民主的に解決できる雰囲気に満ち溢れていた。。音楽監督だけの権限である18型の弦楽編成を要求しないことから・・弦楽奏者のローテーションは余裕ができ・・結果的に自由な活動ができるオフの時間が増えた楽員の間には活気が漲っていた。。。少なくとも・・ベルリン・フィルの楽員であることの沽券にかかわる・・ベートーヴェンの録音メンバーから大量にはみ出るまでは・・・。ヤンソンスさんは16型の標準編成(ワールドワイドで一般的な)でアルプス交響曲を演奏した。3年間の時空の隔たりはあるものの・・こうしてウィーン・フィルからベルリン・フィルへと聴き進めてみると・・その響きの余りの違いに唖然とする。ベルリン・フィルは確かに上手い!。当然にして文句をいうべき欠陥などは凡人の耳には判別できないのだ。しかしながら・・なんという緊張感の無い音なのかと途中でイラついてしまった。サウンド自体にも期待するほどメリハリがなく・・フレーズの一つ一つが気だるいのだ。これは・・ヤンソンスさんの演出なのか?・・・。日の出のシーンなども・・出たぁ!・・という感動がない。。暗雲垂れ込めた嵐の予感に落ち着き払って切迫感がない。。ピーンと張りつめた山の冷気を感じない。。嵐の最中は山小屋からの眺めに感激したりして・・全身ずぶ濡れになって突風に煽られる恐怖感もない。。ないない尽くしとなってしまったが・・これは・・マイクで捉えたベルリン・フィルの音だ。だから・・実際にフィルハーモニーに響き渡ったサウンドは途轍もないサウンドだったのかもしれない。しかし・・しかし!・・・同じマイクで捉えた前年6月のザンデルリンク指揮するショスタコーヴィッチの第8交響曲の強大な弦楽器の音に比べたら・・この「アルプス」は手抜き?にも感じられる元気のなさなのだ。ベルリン・フィルだから・・それでも・・こんなにも立派な?演奏ができたのだ。でも・・これは・・ベルリン・フィルの音じゃない。なぜだぁ!。。あのね・・これ・・ピクニックなんです。ボク・・客演なんで・・あんまりカラヤンのこと言うと嫌われるんです。それにね・・練習なんかしなくても・・ベルリン・フィルはもう完璧に弾くんです。だから・・みんなと一緒に楽しく山の散策しようと思ったんです。。まぁ・・ボクのガクダンではとってもこんな音出ませんし〜(?) FMの電波は曲の終わりで一瞬乱れ・・大いなる欠陥となってしまった。しかしながら・・あまりにも素晴らしい前半のショーソンのためにも・・後半もマスタリングしておかねばならないのだ。オンエアの音源である限り・・伝送上のノイズ混入は避けられないことでもあり・・といった大義名分で。。^^;
Disc No. 210  Title No. CDR-YSHD-139A/B-00
Disc No. 211  London Symphony Orchestra  -  Japan Tour 1996  -  Myung Whun Chung
139A 139B
ロンドン交響楽団
CDR-YSHD-139A/B-00
チョン・ミュンフン
1996.11.17
:
サントリーホール
プロコフィエフ
FM/VHS
バレエ音楽「ロミオとジュリエット」抜粋
1997.01.10
サン・サーンス:交響曲第3番
44'04|41'24
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
★★★★☆ OIDT
ロンドン交響楽団 東京公演1996 チョン・ミュンフン指揮
◆2012年のオリンピック開催都市として・・宿敵フランスのパリを蹴倒して堂々の栄誉を勝ち取ったロンドンだが・・パリにとってはまさかの敗退だったらしい。7月14日のフランス革命記念日(パリ祭)には・・オリンピック開催都市決定のお祝いも兼ねて・・恒例の花火大会に使う花火は半端な量ではなかったという。エッフェル塔も花火で飾られるのだが・・ロンドン!との一報で・・骨折り損のくたびれ儲けとなってしまったとんでもない量の花火は・・パリ祭当日ヤケッパチ花火となってパリ市民を慰めたらしい。我が地元においても・・1988年の開催候補として名乗りをあげて誘致合戦に加わったことがあった。80年代に入って間もない頃(だったような?)・・東京に続く四半世紀ぶりの日本での開催を目指してはいたが・・国よりも財界主導でネジが巻かれたようでもあった。当時地元には・・航空自衛隊と共用する三千メートルの滑走路が一本しかない地方国際空港があった。確か・・満席で燃料を満タンにした国際線のジャンボは・・離陸するのに滑走路の長さが足らなかったんじゃないか・・といった有様だった。従って・・アクセスは東京か大阪の国際空港から新幹線経由で・・といったことになる。一方・・クルマはというと・・日本一(今や世界一にリーチ!)の自動車会社の本社工場を近郊に擁する日本でも有数のクルマの街でありながら・・都市高速の高架道路は工事が始まったばかりだった。肝心のメインスタジアムを始め・・数多の競技施設はそのままオリンピックで使えるものなど一つも無かった。全て新しく設計から始めなければならないのだ。だからこそ・・市民の冷めた気持ちとは裏腹に・・財界は一気に白熱のフィーバーと化したのだ。。市民の「冷めた気持ち」というのが面白かった。ないない尽くしの地方都市であるにもかかわらず・・世界一のバブル景気に乗っかった「日本」の看板の下・・対抗できる都市などあるわけ無いじゃん!・・といった自惚れ感覚があったみたいだ。投機目的の土地ころがしが横行して・・ただでさえ庶民には手が出ないような値段になっていた。その上オリンピックの開催などしようものなら・・地価物価の一層の高騰間違いなしとの見方が多かったのだ。反対するにも纏まった組織などあるわけなくて・・どうせ決まるんだから・・といった諦めの境地?だったのかもしれない。・・・ところが・・1988年夏季オリンピック大会開催都市決定の瞬間(生中継された)・・ソウル!・・となった時・・ええぇ!うそぉ!!そんなばかな!・・・となって万歳の気持ちと愕然たる気持ちとが妙な具合で一緒に噴き出したことを覚えている。自惚れの気持ちから目が覚めた瞬間でもあったわけだが・・幻のオリンピックからのリヴェンジとして開催にこぎつけた「愛・地球博」でも・・人気は自国の一部大企業館に集中して・・特大費用をかけたスーパーイヴェントにしか目が向かないようだ。まぁ・・オリンピック自体が理念を失いかけているご時世でもあって・・その裏側で蠢く欲得の絡んだドロドロの渦を想像すれば・・ボランティアでサポートすることになる純粋無垢な開催地の大勢の市民たちが気の毒にも思えてくる。。
◆さて・・そのロンドンだが・・世界有数のオーケストラがひしめく都市でもある。ワールドメジャークラスだけでも5団体!。ロンドン交響楽団を筆頭に・・ロンドン・フィルハーモニック/ロイヤル・フィルハーモニック/フィルハーモニア管弦楽団/BBC交響楽団・・というそうそうたる団体が連なる。最近はBBCお抱えの第2オーケストラBBCフィルハーモニックも商業録音の実績などによってメジャー級にのし上ろうといった勢いだ。これと似た都市は東京しかない。もっとも・・ワールドワイドに認知を受けたオーケストラは今だ一つも存在していない。NHK交響楽団もメジャーレーベルは相手にしない。東京フィルハーモニー/東京交響楽団/東京都交響楽団/日本フィルハーモニー/新日本フィルハーモニー/読売日本交響楽団・・どれもこれもが音色として魅力を感じる部分が全く無い。プログラムの種類によって・・どうしてもこのオーケストラで聴きたい・・という願望が生まれないのだ。従って・・必然的に指揮者に対する興味のベクトルばかりが目立つことにもなるわけだ。東京とか日本とかを冠するオーケストラはまだいいが・・NHKといってもBBCのような英語の略称ではないので・・ワールドワイドで固有名詞化するまでにはまだまだ時間がかかるだろうし・・読売日本は読み方の響き自体に嫌らしさ?を感じてしまう。プロ野球の巨人も・・巨人だからこそ・・子供達に夢を与えてきた。これが読売対中日みたいなことになったら・・単なる新聞社の対抗試合のレヴェルにまでイメージが落ちてしまうのだ。「巨人」に立ち向かえ!という対決イメージこそ・・川上監督が率いたV9時代での夢のシンボルでもあったのだ。強くない「巨人」などは存在しないほうがいい。優勝を争うような成績の時だけ「巨人」ブランド?を使って・・戦線離脱の時には「読売」で消化試合をやったらいいのだ。子供達の夢を壊さないためにも・・・さて・・・なんのハナシだったのか?忘れてしまいそうだったが・・オーケストラの名称のことだった。。自社の名前を冠するようなケチなことをやめて・・ザ・フィルハーモニア(The Philharmonia)を真似て・・「ザ・シンフォニー・ジャパン」のように発想を変えた名称としたらいいと思う。もっとも・・これでは・・大阪のザ・シンフォニーホールのオーケストラと間違われる可能性もあるってもんだ。オーケストラの名付けは難しい。。そこえいくと・・ロンドン交響楽団はロンドン・フィルハーモニックと並んで最高級の名称を持っている。都市名を冠するオーケストラというのは・・その都市のイメージ全てが含有した音香となって固定観念の中にも漂ったりするものだ。ホノルル交響楽団がクリーブランド並みのオーケストラだとしても・・やっぱりイメージの世界では腰みのつけたかわいこちゃんたちがオーケストラの前で踊っている光景を思い浮かべてしまったり・・バクダッド交響楽団なんてことになったら爆裂サウンドどころか本物の爆弾騒ぎに発展するやもしれない。ロンドンもオリンピック開催が決まった途端に自爆テロの攻撃を受けてしまったが・・同じ「右ハンドル」のお国とかの問題じゃないが・・対岸の火事では済まされない複雑な心境ともなる。1996年の来日公演はBSでも放送されたが・・どういうわけかノイズ甚だしく・・FM放送のエアチェックテープがバックアップとして役立った。音質はとりたてて鮮烈というほどではないが・・サントリーホールのまろやかなトーンに融和して・・シンバルなどは2日目のカレーのジャガイモのようだ。オルガンもそれなりに響き・・最後のティンパニーの満身の叩きこみもテュッティーから頭を出す。演奏終了後・・間髪入れずに猛烈な声でブラヴォー!と叫んだ御仁がいたが・・NHKのマイクあってのなせるワザ?なのかもしれない。
Disc No. 212  Title No. CDR-YSHD-140A/B-00
Disc No. 213  NHK Symphony Orchestra - Yoav Talmi
140A 140B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-140A/B-00
ヨアフ・タルミ
2004.06.16
アンドレ・ワッツ (Pf)
サントリーホール
:
FM/VHS
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
Live on Air
サン・サーンス:交響曲第3番
49'40|34'53
:
★★★★☆ OIDT
Disc No. 214
 Title No. CDR-YSHD-141A/B-00
Disc No. 215
 NHK Symphony Orchestra - Yoav Talmi
141A 141B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-141A/B-00
ヨアフ・タルミ
2004.06.16
アンドレ・ワッツ (Pf)
サントリーホール
:
BS/VHS
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
2004.07.09
サン・サーンス:交響曲第3番
57'04|41'53
:
★★★★★ OIDT
NHK交響楽団 定期演奏会 アンドレ・ワッツ(ピアノ) ヨアフ・タルミ指揮
◆ハイビットハイサンプリングPCM或いはアナログチックなDSD品位が当たり前となったご時世に・・FMだの旧態BSだのと低次元な話など・・どうでもいいのかもしれない。しかしながら・・音楽伝送の器として・・コストパフォーマンス的なケチな考えを棚に上げても・・有り余るほどの「魅力」と「真実」がなければ・・自作音楽ソフトとして・・CDラックの一角に加えることもなかったのだ。FMよりBSのBモードデジタル音声がいいことは当然至極なことながら・・「いい」というのは「物理的な特性」とか「先入観念」とかの次元の話であって・・FMとBS両方で同じ内容の放送がある場合には・・当然にしてBSを優先させていた。20KHzで強制カットされた「音が悪い」とされるCDよりも・・さらに低い15KHzまでという制約を始め・・何から何までの特性上の負い目は・・「音楽を聴く」という行為に対して・・本当に「我慢を強いる」ことになっているのか・・!? 絶好の楽曲をもって・・BS品位での再生の後・・続けて直ぐにFMの音を聴けば・・その音が「活きている」のかどうかが一発で判るという・・誠に嫌らしい比較をすることにした。丁度8年前に・・同じホールで同じ曲を演奏したロンドン交響楽団の録音もあり・・オルガンと管弦楽のバランスが「収録上」の問題か「演奏上」の問題なのかも・・同じ電波(FM)の次元の中で比較ができた。
25/31.5/40/50/63/80/100/125/160/200/250/315/400/500/630/800/1K/1.25K/1.6K/2K/2.5K/3.15K/4K/5K/6.3K/8K/10K/12.5K/16K/20K (Hz)
NHK交響楽団 BS/Bモード NHK交響楽団 FM(生中継) ロンドン交響楽団 FM(録音)
◆上のスペアナは・・「オルガン交響曲」のフィナーレコーダ約3分間(終結まで)の入力レヴェルがピークホールドで固まった画面だ。要するに・・経過時間内に・・アンプのライン出力より入力した最高ピークレヴェルが・・周波数毎30チャンネルのレヴェルメーターに表示されて・・それを超えるレヴェルが入力されるまで動かない・・という仕組みになっている。従って・・瞬間毎には・・山の輪郭の中で・・目まぐるしくレヴェルのアップダウンをしていることになる。リアルタイムで見れば・・瞬間毎に山の形が生き物のように変化する。こういった画面があると・・活字でああだこうだと説明する手間が省けて便利この上ないのだが・・正に一目瞭然とはこのことなり^^ということになるわけだ。BSにあってFMにないもの・・全てに共通する出っ張り?・・同じFMでも大いなる音調の違いとなって表れたシンバルの聴こえ方の違い・・コントラバスやバスドラムのバランス・・などなど・・・聴感と一致する全ての要素が物理的なデータとなって画面の中にクッキリと表れてたのだ。BSにあってFMにないもの・・・それは16KHzと20KHzの柱 。これこそBS(Bモード)とFMとの物理的な特性の差そのものなのだ。BSで盛り上がった要因は・・シンバルの倍音。テストトーンでは全く聴こえない領域だ。しかしながら・・これが・・オーケストラが牙を剥いて襲いかかる時の「牙のキラリ感?」の違いとなって・・聴感上FMとの違いを認識することとなる。しかし・・これも・・連続した時間の流れの中での認識となるわけで・・FM音源を単独でリスニングする時には「欠陥」として感じないのだから不思議なものだ。
◆一方・・ロンドン響のサウンドは・・高域での金管とシンバルが奥に引っ込んでしまったように・・或いは・・管弦楽の響きに溶け込んでしまったように聴こえる。もちろん・・聴く気を失くすほどのことではなく・・サントリーホールの席によっては・・あるいはこんなような響きにも聴こえるかも?・・といった程度だ。しかし・・同じFM音源でも・・N響からロンドン響へと連続して聴くと・・愕然とするほど靄(もや)っぽい。そして・・その逆の流れでは・・びっくりするほど鮮烈に聴こえる。収録年月の隔たりによるマイクアレンジ若しくはミキシングの調合の差なのかもしれない。第2楽章第2部冒頭で鳴る豪快なオルガンの全開和音は・・1度目(冒頭)は単独で・・2度目と3度目は1小節四分音符6つ(6/4拍子)の最初の四分音符1つだけ・・・オーボエ・コールアングレ・クラリネット・ファゴット・コントラファゴット・3番ホルン・・そして弦楽5部が粋なアクセントを添える。フツウのスピーカーでは同じように聴こえるかもしれないオルガンのペダル重低音は・・2回目の全開だけが25Hzを盛り上げた。スーパーウーハーの性能がバッチリと分かる音域の変化でもある。そして・・ここでのオルガンは・・フォルテ1つだけなのだ。恥ずかしながら・・スコアを見るまで気が付かなかった。^^; コーダでは当然にして・・フォルティッシモ(フォルテ2つ)となるのだが・・柔らかくも力強い第2楽章第2部冒頭の開始和音は・・「これみよがし」の威圧的な音ではなかったのだ。^^
25/31.5/40/50/63/80/100/125/160/200/250/315/400/500/630/800/1K/1.25K/1.6K/2K/2.5K/3.15K/4K/5K/6.3K/8K/10K/12.5K/16K/20K (Hz)
N響BS 第1楽章コーダ (ピアノ+管弦楽) N響BS 第1楽章・冒頭・ピアノソロ部分 N響FM 第1楽章コーダ (ピアノ+管弦楽)
◆ブラームスのピアノ協奏曲では見事にも互角の勝負となった。上のスペアナで一目瞭然なのだが・・オルガン交響曲で盛り上げた低域と高域が見事に削り取られていることが分かる。バスドラムとシンバルの入らない2管編成のオーケストラの響きは・・ピアノ単体の響きとほとんど変わらないのだ。そしてまた・・16ビット48KHzリニアPCMで届くBSの電波も・・VHFで飛んでくる地上波FM電波も・・ブラームスの伝送に関しては・・スペアナ上ではFMの方が優っているという・・信じられないデータが出た。従って・・あるにこしたことはないものの・・DVDオーディオやSACDなどのハイスペック音盤などは・・オーバークオリティとも言えるのだ。CDなど時代遅れ?などと考えておられる方々は・・FMのキャパでも十二分な音質で欠損のないサウンドを楽しむことができる!ということを・・物理的なデータが証明している。サポートマイクで拾ったピアノの音は・・オーディオ経由の音世界では・・オーケストラと対等の音量(音圧)を持つ。一昔前の録音などでは・・ピアノの中に耳を突っ込んで聴くような協奏曲の録音が多かった。当然オーケストラは・・軟弱な音量で・・伴奏に甘んじたような音と化すことになる。いくらコンサートグランドといえども・・そんなバカなことはないハズだ。この音源でのNHKのミキシングは・・正に絶妙なバランスで・・かつオーディオチック?にまとめられていた。ピアノと・・2管オーケストラとの音域はほぼ同じだ。ピアノの88鍵の最高音域は基音で約4KHz・・倍音エネルギーは3次ともなれば聴感上認識圏外となるほどのナローレンジなのだ。これが「音の塊」の正体だ。そして・・この音域こそが「音楽の核」なのだ。AM放送でもSP盤でも音楽が「聴けてしまう?」ことの何よりの証拠ともなる。勿論・・次元は違ってくる。その次元とは・・サウンドステージのスケール(音圧レヴェル)のことだ。AM放送や78回転SP盤の音などを・・フルヴォリュームで再生することなど絶対に有り得ない。人間の感性は・・音の帯域の幅(周波数レンジ)に応じた・・最適なスケールを知っているのだ。FMのサウンドは・・BSのサウンドと同じスケールで鳴らしても全く問題は生じなかった。えぇ・・万一・・CS-PCM放送で市販CDの不活性な音ばかりお聴きになられて・・FMなんぞ聴けるかよ!・・とのたまっておられる方がおられるなら・・・あなた様ご自慢の「ハイエンド」の超高級オーディオ機器が満足に働いていない証拠です。そして・・同じく・・僅かな年間契約費用で・・金参千円もする国内盤CDを・・CDよりも広い48Kサンプリングで聴けることだけに悦びを感じておられるのなら・・CDよりもいい音で聴こえる・・という幻覚から早急に覚醒いただく必要がございます。・・ということは・・ひょっとして・・あなた様の「感性」に曇りが生じているのかもしれません。。早速にでも・・冥府魔道に想いを馳せて・・瞑想求心の世界に身を置かれることをお奨めいたします。なお・・余談ですが・・<<拙者・・耳鼻科で検査を受けましたら・・先生から・・耳クソ詰まって鼓膜見えてません!・・って言われました。。・・・・・切腹!! (これで何回目だったっけ?・・・) *_*;
Disc No. 216  Title No. CDR-YSHD-142A/B-00
Disc No. 217  NHK Symphony Orchestra  -  Jukka-Pekka Saraste
142A 142B
NHK交響楽団