エアチェックレビュー11
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Disc No. 409  Title No. CDR-YSHD-251A/B-00
Disc No. 410  NHK Symphony Orchestra - Charles Dutoit
251A 251B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-251A/B-00
シャルル・デュトワ
1996.12.25
:
NHKホール、東京
:
BS/VHS
オネゲル:クリスマス・カンタータ
on air 1996.12.25
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」
31'27|78'30
:
★★★★☆
共演: 佐藤しのぶ(S) 永井和子(A) 吉野浩之(T)  直野 資(Br) 東京放送児童合唱団  国立音楽大学合唱団
Disc No. 411  Title No. CDR-YSHD-252-00
 NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy
252
NHK交響楽団
CDR-YSHD-252-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.12.14
:
NHKホール、東京
ベートーヴェン
BS/VHS
交響曲第9番「合唱付」
on air 2005.12.17
:
77'03
:
★★★★☆
共演: 森 麻季(S) シャルロット・ヘルカント(MS)  ミカ・ポホヨネン(T) セルゲイ・レイフェルクス(Br)  二期会合唱団
NHK交響楽団 「第九」公演1996  シャルル・デュトワ指揮
NHK交響楽団 「第九」公演2005  ウラディミール・アシュケナージ指揮
◆ベートーヴェンの第九交響曲は・・日本の音楽界では特別待遇の楽曲だ。日本中の主要なオーケストラが年末ともなれば「第九」を演奏するのだから、その演奏回数たるや・・日本国外で一年間に演奏される「第九」と比べたらどれ程の倍数となるのか・・想像もつかない。。そんな中にあって、唯一日本全国津々浦々まで「第九」の演奏を披露できるのがNHKのオーケストラなのだ。クラシック音楽を愛する人々の100%が必ずしも聴くわけではないものの・・やはり年末の「第九」ともなれば・・普段の定期公演のオンエアよりも格段に高い視聴率らしい。これが、低調と言えども・・紅白歌合戦のようなオバケ視聴率ともなれば・・N響「第九」公演のソリストと指揮者・・そして、合唱団の選定はオンライン人気投票も加わって、視聴者の好みも少しは反映される機会が増すかもしれない。(?) 年末の「第九」は・・お祭りなのだ。コンサートホールへ足を運ぶ客層は一気に一般化?する。そう・・、普段全くクラシック音楽など聴かない人たちも・・なんとなく・・ふらふらっとチケットを買ったりするんじゃないかと思うのだ。お客の関心は、「第九」ではなく、「喜びのメロディー」のみに集中する。1960年代・・9科目での高校受験の勉強に喘いでいた頃、音楽(当然にして受験科目の一つにもかかわらず)の授業は唯一安らぎの時間だった。一家に一台だけの白黒テレビの画面でカラヤン先生(1967年のベルリン・フィルとの来日公演TV中継)と初めて出会った頃で、元祖御三家と若大将・・それにグループサウンズに明け暮れて・・他のクラスにいた女神2号さん(1号女神は小学校のクラスにいたが私立中学へ進学していた)へ想いを馳せて生徒手帳に書き込んだ唄の文句を宿願成就?のお守り代わりにしていた。エレキベースの躍動的なリズムで始まるヴィレッジ・シンガーズの切ない片思いの楽曲。。題名は今となっては恥ずかしい限りに気持ちに響く。^^; いやいや・・しかし、当時には、○○だから・・しかたないじゃん!^^・・の世界だったのだ。問題は、気持ちの伝達だ。スッパリと伝えてしまえばサッパリとするのだが、スッパリと伝える勇気が無い。。サッパリとすることもなぜか怖い。。なにせ・・相手は学年一の美貌の女神なのだ。女神を彼女とする(できもしない)魂胆を浄化したのが、当時ベルカントで鍛えたテノールが嫌味?だった(美空ひばりの唄を大いに貶された)音楽の先生だった。いや、先生というよりも、先生が聴かせた「第九」の第4楽章だったのだ。盲目の指揮者だと思い込んでいたカラヤン先生が「第九」のバリトンの入りでガバリ?と御眼を開けた時の強烈な衝撃から間もない頃だったような気がしているが、音楽の先生の見せたLPレコードがカラヤン&ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集の中の2枚のLPだった。交響曲第8番全曲がLP片面にスッポリと入っていて、「第九」はなんと3面にも渡っていた。第4楽章だけで第8交響曲全曲と同じく片面を占領して・・先生曰く・・凄く長い交響曲なのだが君たちが聴く(教科書に載っている)合唱付きの部分は20分にも満たない僅かな時間だ。・・この楽章のテーマ(ピアノで弾いて・・)が君たちの気持ちの中に膨らんで・・人に優しく・・そして・・喜びに満ちた人生を歩んでいってもらいたいと願っている・・・てなことを仰ったような記憶があるのだ。ひょっとすると・・当面の目標である志望校合格の喜びの前祝に・・といった感じだったのかもしれない。だからこそ、興味のない者は、寝ててもよし・・他の教科の勉強をしてもよし・・といった雰囲気で、歓喜のメロディーを強制されたわけではなかったのが救いだった。要するに、「喜びの歌」を主題とするベートーヴェンの作曲した楽曲の正式名称は?・・・といった入学試験問題に答えられれば、「第九」の終楽章など真面目に聴かなくともよかったわけだ。歓喜のメロディーは不思議にも我が気持ちに染み込んで、グループサウンズの甘いメロディーとも気持ちの中で同居するに至り、瞬く間に女神を彼女とする野望が消え失せたことを覚えている。心的変化の原因は今もって解らないことなのだが、「第九」=「第4楽章」との関係はその後丸十年も続いて、特に第3楽章などはへたに聴いてしまうと爆睡へと陥る危険も孕んでいた。。だから、全曲聴こうと意気込んでも、第2楽章が終ると針を上げて第4楽章へと進めたものだった。(チャイコフスキーの悲愴交響曲では当初第3楽章で打ち止め?としていた。) ベートーヴェンさんは、だからこそ、せっかくの歓喜のメロディーを夢うつつの中聴き逃す不幸な聴衆を救済するために・・ハイドンのびっくりシンフォニーにも引けをとらない第4楽章の出だしを作った。(?) マスタリング中にも・・レヴェルオーバーの心配のない第3楽章で眠ってしまうことが多々あった我が身にあっても・・アタッカで突入する時の第4楽章冒頭ではバッチリと目が覚めるから・・あの凶暴チックな雰囲気は必然的な楽想なのだろう。。
森 麻季さん(ソプラノ)◆さて、昨年(2005年)のN響「第九」公演。・・・あの 森 麻季さん が登場する!というだけの極めて不健全かつミーハーチックな理由だけでテープを回した我が身が恥ずかしい限りなのだが、なんとEXTONもライブ収録していたことを知って(2006年2月23日にライブ音盤が発売される)・・収録日の違いがあるものの・・BS音源のCD(R)と江崎さんの録ったDSD音源のSACDとの音の差を確認できる絶好の機会となり得ることを先ずは悦びEXTONの録ったN響「第九」公演2005たい。NHKの音源は、12月14日・・4日間の「第九」公演初日の一発リアルライブ。EXTONの音源は、12月15・17・18日の3日間の公演を編集したライブだ。多分、3日間といっても、どの日かの一公演が幹となって、「傷」となるような部分のみ他日の公演の音源から差し替え編集したんじゃないかと思うのだが、DGでのバーンスタインや晩年のカラヤンの音盤も、こういった編集ライブでのCDだったわけだから・・一概に非難もできまい。但し、万一EXTONが、演奏終了後の拍手まで収録した音盤としてリリースするならば・・演奏の流れの「嘘」を拍手で誤魔化したということにもなって、じゃぁ・・その拍手は何に対するものなのか?・・ってことが意味不明なとんでもない粗悪なライブ音盤ともなるのだ。この辺が、EXTONの音盤を聴く時のポイントの一つともなろう。。こういった編集ライブ音盤の場合には、きっちりと拍手のカット処理をすることが重要だ。拍手まで収録できるのは、一発リアルライブだけの特権なのだ。ただ・・お祭りだからいいようなものだが、「第九」フィナーレ演奏終了後の拍手は、往々にして間髪入れずに発せられる。終結和音が鳴って・・ホールトーン(余韻)が消えるまでの僅か2秒にも満たない時間を待ちきれないのだ。だから、ライブ収録するにも、拍手カットは簡単じゃないハズ。。従って、止む無くゲネラルプローベでの演奏終了前後の音と差し替えられることになる。(・・ハズだ。) ブロムシュテットさんがN響でブルックナーの第3交響曲(第1稿)の素晴らしい演奏をしたが、この時の拍手は滑稽なほどのフライイングだった。滑稽というのは、憤慨することを通り超えて、呆れてものが言えない状態を示す。生の演奏会で・・特に放送のための収録を意識してのことなのかは定かではないものの・・我先に拍手をするべく演奏中からカウントダウンをしているのだ。楽曲や演奏、余韻(ホールトーン)に浸ることなど毛頭無くて、ただただ「一番乗り」を目指して自己顕示に気持ちを馳せる・・という情けない御仁だ。そういえば・・かく言う我が身も・・近年毛根が無くなり・・極めて情けない有様と成り果てた。^^; 最前列にかぶりつきで座ろうものなら後列のお客には目障りな光源となるのかも?・・・(笑)。 なんでも・・DNAがそんなだから・・・ナヤミムヨオ?に電話しても絶対に復活しない(らしい)のだ。 T _ T;
◆デュトワさんの「第九」公演は、前座にオネゲルの「クリスマス・カンタータ」が演奏されたが、この時もデュトワさんが手を下ろしていない(つまりは演奏が終了していない)のに音が止んだ瞬間に間髪入れず拍手となった。最後にオルガンだけが残って・・弱音で和音を鳴らして終結に至る粋な曲なのだが、「第九」の前の・・そこそこ長い(20数分間)曲が・・先ずはやっと終ったぁ!といった気持ちの表れにしか聞こえない情けない拍手だ。歓喜のメロディーを一刻も早く聴きたい一般的?なお客にとっては、ありがた迷惑な前座の楽曲だったのかもしれない。合唱団が楽譜を見ながら歌っている中で、暗譜(それも原語で!)で歌うNHKの児童合唱団の熱演は身震いするほど感動的だったが、カーテンコールは2回で拍手が消滅した。「きよしこの夜」が絡む凡人にも聴けてしまう素晴らしい楽曲なのだが、年末「第九」公演の大多数のお客には真髄が届かなかったようだ。デュトワさんは、オネゲルとベートーヴェンでは合唱団のパートの配置を変えた。オネゲルでは、男性を奥に女性を前へと二段構えの配置(アシュケナージさんの「第九」での二期会コーラスはこうした並びだった)。その前に児童合唱が並んだ。デュトワさんの「第九」では、男性を中央に・・女性を両脇へと・・両手に花?・・みたいな並びだ。国立音楽大学合唱団の人数は二期会合唱団の倍ほどの人数で、250人を超えて300人に及ぶほどの大編成だ。ソリストはどちらも指揮者の両脇ではなく、オーケストラの後方(合唱団の前)に並ぶ。デュトワさんとアシュケナージさんが振る「第九」は、こうして連続して聴くと、その微妙な違いがよく判る。オーボエの茂木さん、コンマスの堀さん始め、何人かの知ったお顔に9年間という歳月の流れが滲み出ていることも面白かったし、1996年にはN響がステージの奥(本来のステージだが・・)で演奏してピットステージは半分だけ上げたような形になっているのに対して、2005年にはピットステージを本来のステージと面一にして、指揮者と両翼に位置する第1ヴァイオリンとビオラが載るような形となって、ステージが客席へ迫り出したような形になっている。同じNHKホールのN響でも、9年という歳月の中で、より良い「響き」を求めての痕跡が伺えるところに映像のありがたさがある。当然にして、メインマイク(吊りマイク)の位置も相対的或いは積極的な変更となって、管弦楽やホールトーンのバランスが僅かながらでも好転したことは嬉しい結果でもある。録音で聴ける「これって・・本当にNHKホールの音なの?」・・と疑うほどの豊かな響きや見事な管弦のバランスなどは、ステージ設定の変更から出た思わぬ副産物だったのかもしれない。BSのBモードでのサウンドは、ほぼリニアなダイナミクスを示し、第1楽章でのティンパニー炸裂ピークが -6dB から飛び出ようものなら第4楽章で合唱にバスドラムが加わるフィナーレの盛り上がりなど・・簡単に 0dB をオーバーしてレッドゾーンで爆死するハメにもなる。。EXTONの江崎さんによるレコーディングなど、何かの記事で読んだことがあるが、24ビットレコーダーのレヴェルメーターがビュンビュン?とレッドゾーンに飛び込んでいたとか(?)・・・。まぁ、デジタルといえども誤差範囲ってのがあって、レッドゾーンに一瞬飛び込んだくらいでは全く問題ないということも有り得る。プロ用の機器でこんなでは、家庭用の録音機のレヴェルメーターの精度などあってないようなものかもしれない。。事実、デュトワさんの「第九」フィナーレでバスドラムが一瞬片チャンネルだけレッドゾーンに飛び込んだのだが、再生しても聴感上全く歪みとして感じないのだ。聴感を優先させるという作品化への最終決断(大袈裟だが)は、アナログカセットデッキでの録音作業以来の感覚だ。許容限界レヴェルにおいて、Oか1か・・在るか無いか・・無事か爆死か?・・といったデジタルの世界にも、アナログチックにファジーな領域があった(残っていた)ということ・・・つまりは、レヴェルメーターの「誤差」或いは「精度」といったことに恥ずかしながら初めて考えが及んだことは、今回のマスタリングでの大いなる成果ともなった。当初は、片チャンネル一瞬でもレッドゾーンに飛び込んだら、再生モニターすることなく始めからやり直しをしたものだった。。ただ、聴感上で「いいじゃん!」・・となったのも、「第九」のような長い楽曲を・・ほぼ全曲テイク3までやり直す根気が無かった・・というのが本音かもしれない。。
Disc No. 412  Title No. CDR-YSHD-253A/B-00
Disc No. 413  NHK Symphony Orchestra - Lars Vogt - Herbert Blomstedt
253A 253B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-253A/B-00
ヘルベルト・ブロムシュテット
2006.02.08
ラルス・フォークト (Pf)
サントリーホール、東京
:
BS/VHS
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
on air 2006.02.17
ブルックナー:交響曲第3番 [第1稿]
34'16|71'56
:
★★★★☆
NHK交響楽団 定期演奏会  ラルス・フォークト(ピアノ)  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
◆客演コンサートマスターにドレスデン国立管弦楽団のペーター・ミリングさんを迎えてのN響定期演奏会。2006年の1月定期3公演は全てブロムシュテットさんの指揮によるもので、この公演の他・・ブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番・・モーツァルトの交響曲第34番とハ長調の大ミサ曲があった。コンサートマスターがソロを受け持つ楽曲・・例えばリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」やシュトラウスの「英雄の生涯」などがあれば、ミリングさんももう少しやりがい?があったかもしれないのだが・・まぁ、ブラ1の第2楽章も大変に重要なソロがあるわけだから・・これ1曲のためにわざわざドレスデンからやってきたことになる。。(・・んなわけないか?) ブロムシュテットさんはヴァイオリンを両翼配置として、チェロとコントラバスをステージ下手側に置く。楽器配置の変化だけでも・・いつものN響の音とは随分と違って聴こえるのだから、音響バランスの音楽に与える効果も強ちバカにできない重要な要素となる。ステージ正面の一番奥に横一列に並んだホルン軍団や、上手奥にオフセットされたトロンボーンとトランペットの響きも、客席のセンターからステージ上手側の列には直接音が飛んでこないハズだ。従って、サントリーホールの右側と左側の客席では、その響きのバランスが全く異なって・・・ブロムシュテットは金管を炸裂させない上品な指揮者・・とか・・いやいや猛爆状態だった・・・とか・・いろんな聴こえ方がしたハズ。。ピアノ協奏曲などは、こういった・・ステージを客席が取り囲んでいるようなホールでは、反響板を外した方がいいんじゃないかとも思う。実際に聴いたことはないのだが、パイプオルガンの前の席で反響板で隠れたピアノの音はどんな響きで聴こえるのだろう?。。理屈から言えば、スピーカーと同じく・・音は後ろにも回り込むわけだから、それなりの音は聴こえるのだろうが、少なくとも打鍵の瞬間にはじけた音が直接届かないということは確かなのだ。まぁ・・それなりに安い席なのだから文句をつけるほうがおかしなことなのかもしれない。。モーツァルトのピアノ協奏曲では、N響は12型(コントラバス3本)の弦楽器だったが、オーボエがスコアに無いので、クラリネットがピアノとの同調を確かめてオーケストラのチューニングの要になっていた。チューニングはオーボエとばかり思い込んでいたわけだが、なるほど編成にオーボエのない古典楽曲もあるわけだ。。そういったときにはこうするのか!・・と恥ずかしながら初めて知った事実でもある。また、通常、木管楽器は・・下段左からフルート+オーボエ・・上段左からクラリネット+ファゴットとなって、各々の主席がセンターで固まるのだが、オーボエの無い当曲では、下段左からフルート+クラリネット・・上段左からホルン+ファゴット・・といった並びとなって、オーボエの座るべきところにクラリネットが陣取っているわけだから、これもまた面白い発見(たわいもないことですが^^;)だった。フルートさんにとって、普段左耳からオーボエのツーンとした音が聴こえる代わりにクラリネットのノッペリ?とした音が聴こえてくるわけだから、「今日は何か変な気分・・・」みたいに思わなかったかどうか・・(?) まぁ・・どうでもいいことではあるといえよう。。フォークトさんの弾くスタインウェイは確かに素晴らしい音なのだが、モーツァルトにはチト硬質で音もデカすぎるような感じを受けた。もっとも・・マイクで拾ってミキシングでバランスを創った音なので・・あくまでも「録音上」の感触だ。しかしながら・・打鍵は極めて正確で、サイモン・ラットルが惚れこんだだけのことはある。チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニーとシューマンのピアノ協奏曲をオペラシティで演奏したライブ録音もあるが、是非にでもラフマニノフかチャイコフスキーのコンチェルトを一度聴いてみたい・・と思わせるだけの魅力溢れたピアニストだ。モーツァルトらしくない?第2楽章の切々とした情感など、本当に気持ちのこもった素晴らしい演奏だった。
◆さて、この演奏会は、ブルックナーの第3交響曲を第1稿で演奏することで巷の話題にもなっていたハズなのだが、画面を見てみると・・なんと客席は中央エリアこそ埋まっているものの・・両サイドのエリアはガラガラだ。もちろん、パイプオルガン前の客席も半分にも満たない有様。。ブルックナーの3番だから・・一般の音楽ファンには縁の無い(人気の無い?)楽曲なのかもしれない。これが、4番「ロマンチック」や7〜9番ともなれば客足はもっとポジティブになっていたかも?。。 極めて珍しい第1稿での演奏であれ・・第3稿であれ・・ぶっちゃけたハナシ、第3交響曲は気持ちが爆燃しないのだ。。ブルックナーの交響曲の大いなる特徴・・つまりは度々現れるゲネラルパウゼ(総休止)が魅力とも欠陥?ともなって好き嫌いを2分してるんじゃないかとさえ思うのだ。極端に言えば・・バルトークの「管弦楽のための協奏曲」と同じ。。テーマがまるっきり発展せずに寸断されて肩透かしにあったような物足りなさを味わうハメになる。。しかしながら・・これが「芸術」としての妙。バルトークもブル3も・・終り良ければ全て良し!となって、ブツ切れ・・或いはそこそこ盛り上がった魅力的なフレーズが音塊として一つに固まり・・気持ちの中で得も知れぬ重みを持った感銘に化けるのだから不思議だ。そこそこガラガラの客席が功を奏したのかどうか・・この日のサントリーホールの響きは本当に豊かだった。総休止の間にも消えずに漂うホールトーンはそれ自体が「音楽」だ。「新世界から」の終結和音にディミヌエンド+フェルマータがついているが、ブルックナーのゲネラルパウゼは正に・・ホールにそれを託したかのような感じ。。オーケストラの音(演奏)からホールの音(残響)へ・・自然に任せて音を減衰させる。従って、残響感のないドライカスカスな演説用ホールでこれを聴けば・・多分・・第1楽章の途中で席を立たねばならないだろう。しかし・・しかし・・・ブルックナーさんは・・そんなホールもあるかも?・・と思ったかどうか、フィナーレまで我慢して聴いてくれた聴衆に・・残響までは創生できないものの・・オーケストラ自体がサウンド・ディレイ(遅延反響)を創ってしまうという離れ業の音を聴かせてくれるのだ。何かの資料の受け売りなのだが・・マントヴァーニの専売特許?だった「カスケイディング・ストリングス」のようだ・・と書いてあったような。。(?) 神々しい煌きを放つフレーズなのだが・・なぜか感動しない。。ところで、通常演奏される第3稿と比べると・・この第1稿は第1楽章で約100小節、全体では25%も小節の数が多いそうな。。つまりは、ブルックナーが第1稿で助長と感じた部分をカットした形(それだけではないらしいが・・)が通常演奏される第3稿らしい。そこで、手元にあるカラヤン/ベーム/セル/朝比奈のセッション録音CD・・そしてチェリビダッケのライブCD(何れも第3稿に基づく)の演奏時間の比較をしてみた。

演奏者
演奏稿
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
全演奏時間
ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団
第1稿
23'24
16'57
7'02
15'16
62'39
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー
第3稿
21'56
16'21
6'53
11'39
56'39
ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー
第3稿
21'59
14'45
6'54
12'42
56'39
セル指揮 クリーブランド管弦楽団
第3稿
20'06
15'33
7'29
12'22
55'30
朝比奈指揮 大阪フィルハーモニー
第3稿
22'59
16'37
7'51
13'54
61'34
チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー
第3稿
25'07
16'38
7'46
15'04
65'32
DG  413 362-2  カラヤン指揮ベルリン・フィル DECCA  425 760-2  ベーム指揮ウィーン・フィル SONY  SRCR-9865/6  セル指揮クリーブランド管弦楽団 CANYON  POCL-00471  朝比奈指揮大阪フィル EMI  CDC 5  56689 2  チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル

◆ブロムシュテットの第1〜3楽章の演奏時間は次の楽章へのインターヴァルを含めてのCDトラックの演奏時間なので、その他の市販CDの演奏時間と比べる場合には、各楽章10秒〜20秒程度差っぴかねばならないが、まぁ・・そんなにシビアな問題でもないだろう。。ざっと見れば、第1楽章と第4楽章・・特に第4楽章に大いなる差があることが判る。チェリビダッケと朝比奈を除き、ブロムシュテットとカラヤン・ベーム・セルのテンポ感は良く似たように聴こえるので、平均演奏時間差分の音符が元々在った音のようだ。。FM放送でオンエアされた際の解説者が・・全体で第3稿より25%程小節数が多い・・と言ってたことは、演奏時間にすると5〜6分のことなのか?・・・。それにしても、カラヤンと同じ第3稿に基づく演奏でありながら、演奏時間差が約9分にも及ぶチェリビダッケのスローテンポは何と表現したらいいのだろう。。朝比奈隆も相当なスローテンポなのだが、チェリビダッケの・・特に終楽章のテンポなど・・4番でも7番でもそうなのだが、一端スコアの裏側(?)を見て(聴いて)しまったら最後・・対旋律や伴奏音形の中に潜む魅惑の粘液?の毒気が主旋律にも絡みついて・・解毒には数ヶ月からへたをすると数年間を要する重篤な状態に陥ることを覚悟せねばならない。従って、ブロムシュテットのマスタリングを済ませるまでは、「本格的な」リスニングなど以ての外で・・石庭の写真を使ったジャケットをシゲシゲと眺めるだけに留めていた。いよいよ今度の週末にでも、チェリさんの毒気に痺れ捲くることにいたそうか・・(?) <・・・で、早速聴いてみた。。カラヤン先生の録音は極上のブリリアントサウンド。何年ぶりに聴いただろう。。へたすると20年ぶり?かも。小生の如く凡人でも、ブロムシュテットの後で聴くと・・何かが足りない!・・と思ってしまう。マクロ的な見地から逆に申せば、どうせブツ切れフレーズが連なった楽想なのだから、余分?な楽節が混入しても気にならないどころか・・その「余分」な部分にこそ結構魅力的なフレーズがあったりして、第1稿に慣れた後に聴く改訂版は物足りないように感じてしまうのだ。ところが、チェリビダッケのテンポで聴く時の改訂版は、不思議にもそんな不足感を覚えない。第4や第7交響曲のフィナーレコーダほど極端に遅くは感じないものの・・やはりそれなりに音符の一粒一粒が最大限度に拡大された圧倒的な威圧感があるのだ。これには朝比奈先生の録音も敵わない。奇しくも・・手元のCDの指揮者たちは全て故人となってしまったが、あまり聴かないハズの「第3番」が5種類もあったことに自ら驚くことになってしまった。もっとも、ブッチャケたハナシ・・・ベームのCDは第4番との2枚組。セルのCDは第8番とのカップリング。朝比奈先生のCDは格安で分売された交響曲全集の一環。チェリビダッケのCDはブルックナー交響曲集なるボックスセットの中の1枚。・・・「第3番」を聴くために購入したCDは・・「第3番」が聴いてみたくて初めて購入したカラヤンのCDだけだったのだ。しかしながら・・そのお陰?かどうか・・・こうして少なからずあれこれと面白い発見をするわけだから、ラックのお飾りとなっていたCDも役に立つ時がくるもの・・と妙なところで感心したりもする。(笑) 細かい音符の違いなどは全く判らないのだが、そういった時にはブルックナーの研究サイトにて、気儘に勉強させていただいている。本当にありがたい限りだ。^^ なお、この交響曲・・ワーグナーに献呈したとあるものの・・ワーグナーは交響曲の世界ではズブの素人だったハズ。(というよりも・・全く興味のない音楽分野だった?) もし、ワーグナーが逆立ちするほど喜んだのなら、ブルックナーに刺激されて・・、・・そんじゃオレ様もヤツがビックリたまげるような一大交響曲でも作ったろか!・・みたいなことに発展しなかったのだから、その辺が・・案外「第3番」の真価(・・という大袈裟なものじゃなく・・単に世俗の人気?)を物語っているのかもしれない。(究極の凡人的発想ではありますが^^;) 最後に、ライブ録音のオンエアに関して・・カラヤン指揮のブルックナーを研究するConcolorさんより拙サイトBBSに「なるほど・・ガッテン!級」のご意見を賜った。>>ライヴ放送の楽しみは、自宅に居ながらにして・・演奏会が行われた会場の雰囲気も含めて・・曲の始まる前の静寂やオケメンバーのチューニング・・指揮者登場・・拍手・・演奏・・楽章間の時間の流れ・・など、演奏会が丸ごと「何も足さず、何も引かず」に楽しめるということに尽きると思います。オーディエンス・ノイズさえ楽しみになりえるものだと感じています。<<・・・といった内容だが、全く仰る通りだと思う。N響定期での第3交響曲の演奏終了を待ちかねたように・・ほんの一握りの熱心?な聴衆がホールトーンが未だ活きている余韻の最中に拍手を始めて・・それに釣られて周りの聴衆も拍手に参加?したのだが、なんか変だ?!・・と気づいたのかどうか・・すぐに拍手が萎んでしまった。。ブロムシュテットさんは呆れたように客席に向かって・・どうぞどうぞ^^・・みたいに拍手を促したが、なんとも滑稽な瞬間でもあった。どうしてそんなに焦って拍手の一番乗りをしなけりゃならないのか・・その心境はさっぱりと解らないのだが、これが「ライブ」なのだ。もはや、達観して、笑ってしまおう。。・・てなことで・・演奏開始前のチューニングを含む4分弱の「時間」と、演奏終了後・・楽員退場からなお暫らく続いたオーディエンス・ノイズまで、番組枠にあった音源はカット無しに全てCDRに収録した。楽曲の頭からすぐに聴きたい時には、トラック2を押せば5秒後に第3交響曲が始まるし、演奏終了後の拍手などは適当な時にアンプのヴォリュームを絞ればいい。。これぞ・・定冠詞"THE"を付けてもいい世界唯一無二の「本物の」ライブCDなのだ。FM放送でも、こんなライブ放送をしてもらいたいものだが。。。とにかくも・・貴重な第1稿の演奏を、かくも優秀な音源(音質)でゲットできたことを慶びたい。
Disc No. 414  Title No. CDR-YSHD-254A/B-00
Disc No. 415  Century Orchestra, Osaka + Tokyo Metropolitan Symphony - Kazuhiro Koizumi
254A 254B
大阪センチュリー交響楽団
CDR-YSHD-254A/B-00
東京都交響楽団
2005.04.09
小泉和裕
ザ・シンフォニーホール、大阪
:
BS/VHS
ハイドン:交響曲第100番
on air 2006.02.24
シュトラウス:アルプス交響曲
27'25|55'46
:
★★★★★
大阪センチュリー交響楽団 第100回定期演奏会(東京都交響楽団との合同演奏)  小泉和裕指揮
◆大阪センチュリー交響楽団は、1989年12月に大阪府が設立・・当初からプロフェッショナルオーケストラとして1990年にデビューをした10型2管編成の小型オーケストラだ。大阪府が設立したといっても、京都市のオーケストラ(京都市響)と違って、職員や楽員は公務員ではなく、財団法人として独立した組織を持つ。合同演奏で参加した東京都交響楽団も全く同じだ。どちらがいいのかは楽員さんに聞いてみないと判らないものの、東京都響では都から財団法人への「蛇口」が絞られつつあるということから・・大阪府も同様に・・と思うところなれど、こちらは必要最小限の楽員しか抱え込んでいないという経済性が功を奏して・・これ以上蛇口を絞られるようなことになれば、金沢のOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)級の超小型楽団(・・決して交響楽団とは名乗れない!)に衣替えせねばなるまい。。そんなセンチュリー交響楽団が、100回目の定期演奏会を迎えた。2003年から常任指揮者の地位にある小泉さんは、東京都響の主席客演指揮者でもあるということからかどうか、100回目の記念すべき定期公演に東京都響をゲストオーケストラとして招き、合同で演奏するという企画を組んだようだ。アルプス交響曲のような大規模な編成を要する楽曲の演奏は、さすがに東京都響の自前の楽員だけでも間に合わないほどの大曲だ。従って、両楽団(特に楽員さん)にとっては、もっけの幸い?だったかもしれない。東京都響の定期(自主公演)にかければ、赤字必至の楽曲だ。もちろん、センチュリー響にとっても、万一エキストラでこれをやれば、自前の楽員の頭数以上の「トラ」が要る。だから・・めったにプログラムに載らない。。ギャラの分配は、「楽団」としてゲストに招いた方が安上がりに違いない。いや・・ひょっとすると・・100回という記念定期へのお祝いとして・・都響は損得勘定を度外視した破格のギャラで参加したかもしれない。。(?)
◆なかなか「生」で聴く機会のないアルプス交響曲だが、エアチェックCDRコレクションには大阪フィル(朝比奈)N響(アシュケナージ)仙台フィル(外山)といった日本のオーケストラを含めて、ウィーン・フィル(小澤)ベルリン・フィル(ヤンソンス)ドレスデン(シノーポリ)という物凄いライブまで揃ってしまった。また「アルプス」かよ・・という・・誠に贅沢極まりない小言を言いつつも・・大阪のザ・シンフォニーホールでの初めての「アルプス」の音源をゲットできたのだ。ザ・シンフォニーホールのパイプオルガンがどんなふうに響く(マイクにのる?)か・・ということが、先ずは楽しみの一つでもある。さらには、ホールの響きが・・同じくマイクにのるかどうか・・・ということも重要なお楽しみの要素だ。まぁ・・ブッチャケたハナシ・・マイクで拾った残響(ホールトーン)は、余程のことが無い限り・・2chでの再生サウンドの中では何処もかしこも同じように聴こえるのだが。。それでも・・それらしく・・然も小泉和裕有げに聴こえた時には・・楽曲や演奏からの感動も倍化して気持ちを熱くするものだ。そして、合同演奏会といえども、センチュリー交響楽団の定期演奏会である以上・・まさに10型2管という小型編成の楽団にピッタリサイズのハイドンの交響曲だけはセンチリー響だけで演奏されるハズのものなので、この楽団固有の響きが100回という記念すべき節目でどんなふうに「果実」となって聴衆を納得させるのか・・・これもまた楽しみなところなのだ。常任指揮者の小泉さんは、1973年に行われた第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位となった逸材だ。1969年に東京芸大指揮科に入学・・とあるので、2006年現在55歳という・・バリバリの中堅指揮者だ。当コレクションに登場するのは、1991年の九州交響楽団東京公演でのチャイコフスキーの交響曲第1番以来15年ぶり2度目となる。その音源では、興味のベクトルはサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を弾いた数住岸子さんの方へ飛んでしまって、指揮者の創る音楽には全く関心を示さなかったのだが、今般映像をフルに見て、小泉さんの指揮姿がそれとなくカラヤン先生に似ているところが多々あって・・小泉さんの気持ちの中では・・相当な比重でカラヤン先生に感化(影響?)された部分がある(あくまでも推測だが・・)だろうことに驚きを隠せなかった。
◆さて、いよいよ・・ハイドンのシンフォニーだ。100回目の記念定期に第100番の交響曲という語呂合わせなのだろう。。「軍隊」という愛称のある交響曲だが、ハイドン自身が付けた「題名」ではない。ベートーヴェンの「運命」、ドヴォッ8の「イギリス」、チャイコフスキーの「ポーランド」などと同じく、何かの特徴や経緯をもっての愛称だ。「軍隊」などという硬派のイメージとは裏腹に、第2楽章と終楽章に軍楽隊で使われる打楽器(バスドラム・シンバル・トライアングル)が編成に加わったというだけで・・「軍隊!」となってしまったらしい。。いやはや・・もしそれが本当なら・・ベートーヴェンの「第九」はもちろんのこと・・ロマン派以降のバスドラ&シンバル付き楽曲の全ては「軍隊!」と呼ばねばなるまい。(笑) まぁ・・ハイドンさんの膨大な交響曲は「実験的」な編成やフレージングの博覧会のようなものだから・・「軍隊」といっても冗談っぽく聞こえるわけで、他の交響曲のろくでもない愛称と同様に笑って済ませられる次元のものといえよう。。しかしながら・・楽曲自体は短いながらも大変に充実した響きがあって、フツウなら滑らかに済ませてしまうハズの第2楽章に軍楽隊の打楽器を炸裂させるところなどは・・「驚愕」との愛称が付いている第94番の後継交響曲として、聴衆を眠らせないためのアイデアとしか思いようがない。ザロモンさんに破格の契約金で世話になるという幸運に恵まれたハイドンさんにとっては、専属作曲家としての演奏会を成功させることしか頭になかったハズだ。何をもって、自作の交響曲に注目を集めさせるかは・・やはり独自の仕掛け?を用意しなければならなかったのだろう。。一番の屈辱は、聴衆が退屈のあまり寝てしまうことだ。だから・・楽想の中に「刺激」を編みこまねばならない。既に、90曲を越す交響曲を書いた実績は・・「仕掛け」を忍ばせることなどわけも無かったに違いない。第100番の初演に立ち会った聴衆は、ステージ奥に置いてあるバカデカイ太鼓を見て・・どこでそれが使われるのか・・興味深々だったかも?・・・それこそ、目をギンギラギンに輝かせて、ステージ上のオーケストラを見つめていたハズだ。
◆第100回記念定期公演の前座のプログラム・・ハイドンの交響曲第100番は14型の弦楽編成での合同演奏だった。コンサートマスターは東京都響の矢部達哉さんが務め、内側にセンチュリー響のコンマスが座る配置だ。後半のアルプス交響曲はともかくも・・ハイドンでの合同演奏は大いに疑問に思う。特別演奏会でもなく、あくまでもセンチュリー響の「定期」・・・それも節目の公演だ。せめて、ハイドンだけでも自前の楽員だけで披露すべきじゃなかったのか?・・・。何のための古典楽曲専用?の編成を持ち、そのアンサンブルや音調を鍛えてきたのか・・という「成果」がまるで棚に上げられたかのようでもある。これは・・常任指揮者たる小泉さんの失態だ。ベルリン・フィルとウィーン・フィルとの合同演奏会とは趣旨がまるで違うのだ。仙台フィルの節目の記念定期公演でも「アルプス」を演奏したが、この時にも前半の「ツァラトゥストラ」共々・・自前の楽員の5割を超えるエキストラを入れての演奏だった。こういったことは・・特別演奏会の枠ですべきことで、定期演奏会・・ましておや節目の記念定期では、少なくとも前半のプログラムだけでも自前の楽員だけで演奏できる楽曲を選ばねばならないんじゃないか!?・・・と思っている。センチェリー響のハイドンの演奏など・・合同演奏自体は極めて優れたものだったが、もはや・・意味無いじゃん!の世界でのハナシでもある。後半の「アルプス」は、18型(コントラバス10挺)の弦楽器を並べて・・いやはや壮観だ。配置は Vn1 - Vn2 - Vc - Va - Cb といった一般的な並びだが、オルガン前の通路にホルンを中心にトランペットとトロンボーンの金管別働隊を並べてアルプスの山彦としてステージ上の金管と掛け合いを演じる。本来なら、バックステージに居るハズの別働隊が表舞台で演奏するということは珍しいことなのかどうか・・(?)。12Hr + 2Tp + 2Tb は 6Hr+2Tp+2Tb へと縮小されたのは、さすがに合同演奏といえども12本のホルンは間に合わなかった数なのだろう。。しかしながら、夜明けから頂上に向かう光景はすこぶるブリリアントで、吸い込まれるようなピアニッシモこそ無いものの・・まぁ、かえって・・聴き取り難さが無い分・・録音で聴く分には良かったかもしれない。肝心要の金管の演奏精度は冷や汗の出るような場面はほとんど無く、特にトランペットのハイトーンとホルンのソロはゾクゾク級の名演奏でもあった。嵐の場面でのウィンドマシンは漫画チック?でどうしようもない??のだが、オルガンのペダルが朗々と気持ちを揺さぶって・・アルプスの自然への感謝を厚く重いものとしていたことは感動的でもある。この曲のメロディーラインは、弦楽器奏者(特にヴァイオリン)にとっては最高度の気持ち良さじゃないか?と思ったりもする。奏者冥利に尽きるといっても過言じゃないほどの素晴らしい旋律は・・そのままリスナーの気持ちの中に溶け込むのだ。終演後、隣り合わせに座った両楽団のメンバー同士が握手やお辞儀を交わして、演奏会の成功を喜んでいる様子が微笑ましい限りだった。「アルプス」での感動は・・ハイドンでの「不満」など帳消しとなって、まぁ・・いいか!・・・てなことに落ち着いてしまったことも「演奏芸術」の確実な成果だったのかもしれない。センチュリー響の主席オーボエ宮本克江さん(往年のアイドル:浅田美代子さんがオーボエを咥えたような面立ちだ。^^)と同じく主席のホルン奏者ドンナ・ドルソンさんのソロは、ホンマ!・・痺れるほどの美音だった。ハイトーンがバッチリと決まったトランペット奏者がどちらの楽団所属か判らなかったことだけが残念だ。関西では、故朝比奈先生の時代において、大阪フィルハーモニーばかりに注目をしていたわけだが、こうやってオンエアながら聴く機会を得ることで、訳の判らなかったローカルオーケストラのびっくりたまげるような実体(実像)を確認できたことは本当に悦ばしい限りに思う。
Disc No. 416  Title No. CDR-YSHD-255-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
255 255(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-255-00
ロジャー・ノリントン
2005.02.18
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第1番ハ短調op.68
on air 2005.10.09
悲劇的序曲op.80
56'36
:
★★★☆☆
Disc No. 417
 Title No. CDR-YSHD-256-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
256 256(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-256-00
ロジャー・ノリントン
2005.04.15*|2005.05.05
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第2番ニ長調op.73

on air 2005.10.09*|2006.02.06

大学祝典序曲op.81*
56'34
:
★★★☆☆
Disc No. 418
 Title No. CDR-YSHD-257-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
257 257(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-257-00
ロジャー・ノリントン
2005.04.15*|2005.06.29
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第3番ヘ長調op.90*
on air 2005.10.09*|2006.02.06
交響曲第4番ホ短調op.98
75'13
:
★★★☆☆
ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR) - ブラームス交響曲全集!
◆ベートーヴェン(サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団)・・・チャイコフスキー(テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー&日本のオーケストラ7団体と7人の指揮者による)・・・シューマン(サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団)・・・シベリウス(ヘルシンキ・フィルハーモニー/オッコ・カム&渡邊暁雄指揮)・・・に続く全曲セット物編集ヴァージョンでのCDR化で今回ブラームスをゲットできたことで、コレクションにほんの少しながらもズシンと重みが加わったことを慶んでいる。チェリビダッケが一時君臨した南西ドイツ放送所属のシュトゥットガルト放送響の2005年の定期演奏会は、2月から6月にかけて4回に分けてブラームスの全4曲の交響曲がプログラムに組み込まれた。いずれも、演奏会の後半にブラームスの交響曲が置かれ、前半には・・エルガーの「海の絵」、ティペットのピアノ協奏曲、ヴォーン・ウィリアムスの第6交響曲、マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」が演奏された。シンフォネアCDRの基本コンセプトは、一つの演奏会の全てのプログラムをもって一つのタイトル番号とする・・のだが、2曲の演奏会用序曲を加えたブラームスの交響曲全集として纏まってしまうことへの魅力はやはり捨てがたいものだ。ジャケットデザインも統一できて・・これもまた「お手軽?」制作となって時間の節約にはありがたい。。いずれ・・市販CDとしてリリースされるに違いないのだろうが、南西ドイツ放送のライブ録音はすこぶる上等だった。2管編成の古典楽曲なので、ダイナミクスの補正など全く必要の無い自然な抑揚が聴ける。同じオーケストラ(手兵)とのベートーヴェンの録音は未だ聴いていないものの・・・巷の評判では・・やはりピリオッドアプローチでの演奏らしい。。ロンドン・クラシカル・プレイヤーズを率いてのりこんだ「プラハの春」開幕演奏会でのスメタナ「我が祖国」は・・もちろん、ピリオッド楽器のオーケストラだから当然ながらそういったサウンドでスメタナを聴かされるわけなのだが、バリバリのモダンオーケストラにも徹底したピリオッド奏法で弾かせるところなど・・相当なこだわりがある指揮者なのだろう。シュトゥットガルト放送交響楽団 at Beethovensaal
◆さて、しかしながら・・・このライブ録音・・演奏中はもちろんのこと・・楽章間にも咳払いなどのオーディエンスノイズが聞こえないのだ。演奏終了後の拍手は奇声を伴うほどの盛大かつ熱狂的?な感じで聞こえるので、間違いなく定期公演の録音だと思うのだが、ひょっとしたら・・>>本公演はCD録音をいたしますので・・お客様におかれましては・・何卒お静かに息を潜めてお聴きくださいますようお願い申し上げます。。<<みたいなアナウンスがあったかどうか??・・・誠に摩訶不思議な録音でもある。静かなことはいいことなれど・・かくも静かだと「ライブ」という実感が湧かずに・・今ひとつワクワク感に乏しい雰囲気ともなるのだから・・楽章間の咳払いも強ち邪魔なものでもなさそうだ。。シュトゥットガルト放送響がホームグラウンドとするベートーヴェンザールは、リーダーハレという芸術センターの中にある2000席を超す大ホールだ。見たところ・・パイプオルガンは備えていないものの・・録音での響きは至極豊かで悪くない。一番驚いたのは、一階席は全くのフラットのフロアにフツウの椅子が並べられていることだ。ホテルの宴会場・・或いは体育館でコンサートをする時の雰囲気。。折りたたみの椅子じゃないのでまだいいが、このホールでは、コンサート以外に椅子を取り払って何をするのだろうか??・・などと野暮なことまで考えてしまった。もちろん、ウィーンの楽友協会やボストンのシンフォニーホールでも椅子を取り払って舞踏会やポップスコンサートをするらしいのだが。。一方、ステージ上のオーケストラは、ノリントンさんの下では古典対抗配置だ。そして、コントラバスはステージの一番奥に横一列に並んでいる。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでのお馴染みの配置でもある。ブラームスをどれだけの弦楽器で演奏したのか?・・までの情報がFMの番組中解説されなかったので残念なのだが、ピリオッドアプローチでの演奏では、少し小ぶりな弦楽器の人数となるのが常道のようなので・・少なくとも1プルトは減らしての演奏か?・・・。
◆4曲の交響曲の中で一番首を傾げたのは第1番だ。先ずは・・モニターした第1印象は最悪。。ヴィブラート無しのピリオッド奏法などは棚に上がって・・出だし(序奏)のメチャクチャに速く感じるテンポには口ポカ状態でただただ唖然!*_*; なんじゃコリャ!?!級のヘンテコリンなテンポの演奏は・・他の楽曲でも過去何回か遭遇したものの・・そんな中でもダントツ抜きん出た・・スピード違反で即免停?みたいな速度に聴こえたのだ。もし、第1番だけの単独音源だったら・・このファーストインプレッションだけで間違い無くお蔵入りとなったテープだ。単にテンポが速いだけでなく・・ティンパニーの打音に急なディミヌエンドをかけるものだから・・速いテンポに前のめり気味に加速がついて・・おいおいおい!・・てなことにも聴こえるのだから始末に悪いのだ。ノンヴィブラートのピリオッド奏法には一長一短があるようだ。速いパッセージなどはキレが良くて爽快な気分にもなるのだが、ゆったりとしたメロディックなフレーズなどは情感に乏しく・・なにか素っ気ない淡白さを感じてしまう。なにやら・・18/19世紀にまで遡らずとも・・1930年以前には、ヴィブラートをかけないで演奏するのが主流だった(?)・・というノリントンさんの仰せらしいのだが、本当なのだろうか??。まぁ・・ともかくも・・・スーパードライのようなキレ味でブラームスを聴くのも悪くはないか・・・みたいに思えてきたのはマスタリングを始めてテイク2まで至ったとき。(つまりは3度目の正直?) 不思議にも・・少なくともテンポ感だけにはあまり違和感を感じずに聴けてしまったのだ。さらには、速すぎると思われたテンポも・・ちょっと速いかな?・・くらいな感覚で納得できてしまったのだから・・感受性の変貌にも呆れてものがいえない。(笑) それにしても・・極めて珍しい部類に入る特異な表現を持ったブラームスだが、従前の演奏を否定するだけの効力は全くない。ウンザリするほどラックに鎮座するブラームスの交響曲全集だが、倦怠期?に聴くべき刺激満点のサウンドには壮絶なエネルギーがあることだけは事実なのだ。特に要となるティンパニーの満身の叩き込みがダイナミクスのエクスパンション(伸長)に大いに貢献していることは爽快な限りでもある。ロマンチックな第3交響曲では・・ピリオッド奏法が足を引っ張る部分が多々あって、今ひとつ?の感なきにしもあらずなのだが、第1交響曲のように冒頭からとんでもない演奏として耳に飛び込んできても・・フィナーレコーダではもはや興奮のルツボの中で「これもまた・・いいじゃん!」と化してしまうのだから・・楽曲自体の魅力は恐ろしいほどに奏法や表現を超えたところで展開するのだという標本のような音源でもあった。
Disc No. 419  Title No. CDR-YSHD-258A/B-00
Disc No. 420  NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy         Concert in Wien
NHK交響楽団
CDR-YSHD-258A/B-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.10.13
ソイル・イソコスキ (S)
ウィーン楽友協会大ホール
武満徹:「鳥は星形の庭に降りる」
BS/VHS
R.シュトラウス:4つの最後の歌
on air 2006.01.27
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」
45'51|45'44
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲*
★★★★☆ OIDT*
Disc No. 421
 Title No. CDR-YSHD-259A/B-00
Disc No. 422
 NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy
NHK交響楽団
CDR-YSHD-259A/B-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.09.30
ワディム・レーピン (Vn)
NHKホール、東京
:
BS/VHS
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

on air 2005.11.11

ショスタコーヴィッチ:交響曲第8番
47'50|62'30
:
★★★★☆
ウラディミール・アシュケナージ指揮 NHK交響楽団  ウィーン公演&定期公演 2005
◆N響がウィーン楽友協会ゴールデンザールで演奏した!。・・・なんと1972年以来35年ぶりのことだという。。2005年のN響ヨーロッパツァーはベルリンからマドリードまで1週間で6公演をこなすというハードスケジュールだったらしいが、ウィーンだけは2日間に渡ってA/B2つのプログラムを演奏した。・・・ということは・・・目的は他でもなく「ウィーン!」にあったのだ。そして、Aプログラムの公演にTVカメラが入って、その模様は日本に居ながらにして・・その時空を遡って・・チューニングからアンコール演奏(フォーレ作曲パヴァーヌ op.50)・・そして楽員退場までの全ての時間の自然な流れに立ち会うことができたことを先ずは悦びたい。ショスタコーヴィッチを演奏したBプログラムの公演にも・・みたいな欲も出るわけだが・・同じプログラム(同じソリスト)の演奏を出発前の定期演奏会で聴けるので・・まぁいいか^^・・てなことにもなるわけだ。その・・「まぁいいか・・」というのには大いなる理由があってのことで、ウィーン公演のBSライブに挿入されたアシュケナージさんのコメントがヒントにもなって・・NHKホールでの演奏とゴールデンザールでの演奏の根本的な違いを同じBS(Bモード)音声の上に確認できたのかもしれない。「かもしれない・・」というのは・・Bモードといえども「録音」による音響故の・・もどかしいほどの推察なのだ。残念ながら・・オンエアで聴くゴールデンザールでの演奏からは・・素晴らしく鮮明な音質であってもゴールデンザールらしい残響感に浸れるまでには至っていなかった。同じオンエアでもNHKホールでの演奏の方がよく響くのだから・・・この辺がやはりマイクアレンジとミキシング担当者の感性なのか?・・・。さて、ホールトーンのことは棚に上げて・・アシュケナージさんが語っていた「音響飽和」のことだ。ゴールデンザールで音の飽和が心配になるのなら・・ミュンヘンのヘラクレスザールや、プラハのドヴォルザークホールなどはいったいどうなるのか??・・・ということなのだが、NHKホールが大きすぎるのだろう。。NHKホールで演奏する時のフォルティッシモをそのままゴールデンザールで炸裂させたら・・ということからのコメントだったように思うのだ。ウィーンでの演奏がオンエアされるから・・といった理由だけで・・定期公演の「ダフニス」を録らなかったことを後悔しても始まらないが、少なくともウィーン公演のオンエアを聴く限り・・「ダフニス」のフィナーレは全く爆列しなかったのだから・・さてはまた・・フェーダーに手をかけたのか?・・てなことを思ったりするものの・・真偽の程は判らない。。しかしながら・・アシュケナージさんのコメントを信ずるならば・・N響の・・特に金管と打楽器は・・相当なストレスをためながら・・抑えに抑えての演奏だったのだろうか??・・・。
◆一昨年(2004年)のヨーロッパツァーでも演奏された武満作品だが、凡人の耳には・・まるでドビュッシーだ。アカラサマな日本情緒の披露がNHKの放送80年記念としてNHK音楽祭で行われたくらいなのだから・・超高尚?な武満作品よりも外山先生の大ヒット作品を持っていってもらいたかった。。アンコールなどの余興?の楽曲としてではなく、演奏会の幕開けに「日本(放送協会)」の交響楽団としての名刺代わりでもってウィーンの聴衆の度肝を抜いたなら・・メリハリの利いたいいプログラムになったのに・・・などと勝手なことを思ったりするのだ。。レーピンとのベートーヴェンのコンチェルトも確かにいいのだが、やはり・・ここは・・喜志康一のコンチェルトしかないんじゃないか・・と考えたりしてしまう。。N響は日本のオーケストラの中でも唯一・・グローバルなシーズン制をとっていて・・官公庁の「年度」ではなく・・世界標準の9月にシーズン開幕を迎える。そして、放送交響楽団としての使命?からか・・どんな楽曲でも満遍なくこなさねばならない性格を持っている。しかしながら・・日本のオーケストラとしての看板楽曲があってもいいんじゃないか!?!・・とも思うのだ。武満さんは確かに日本人の作曲家なのだが、彼の作品には「日本情緒」が存在しない。というよりも・・高尚過ぎて凡人には解らないのかもしれない。。^^; 「鳥が星形の庭に降りて・・」・・・そんでもって・・それがどうした?・・という世界なのだ。N響の演奏精度はおそらくズバ抜けたものだったに違いない。。そして・・洗練された響きもまた・・研ぎ澄まされた究極の美音で鳴っていたのだと思う。しかしながら・・聴き終わった後に何も残らないのだ。この辺が・・音楽の専門教育をお受けになった方との大いなる感覚のズレなのか?。。^^; ・・・そういえば・・専門教育を受けた方でも・・タケミツ作品はサッパリわからへんわぁ^^・・などと・・どこかのブログで仰っていたことがあったような。。。誠に心強いお言葉といえよう。^^ まぁ・・いずれにしても・・・音楽など額縁入りの嗜好品なのだから、「解る解らん」は棚に上げても・・好き嫌いは十人十色の範疇として公言してもいいんじゃないかと・・これもまた勝手に思ったりしている。
◆ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。。本当に久しぶりだ。こうした非常にオーソドックスな演奏を聴いていると・・いつの間にか睡魔に襲われて・・フィナーレのカデンツァでハッと目が覚めることにもなる。聴きなれたメロディへの安堵感なのか・・演奏しているご本人の大変さ加減は棚に上がってしまって・・その絶妙なる抑揚が揺り籠の如く気持ちよく眠りに誘うのだ。少し濃い目のコーヒーを啜って・・始めからもう一回。。コンサートマスターの席には篠崎さんが座っている。堀さんと比べると(比べてすいません!^^;)随分とエキセントリックな雰囲気が漂う。もちろん・・いい意味でのハナシである。(笑) レーピンさんの余裕綽々の妙技には感服の極みなのだが・・N響の絶妙のアンサンブルもまた・・文句の付けようがないほど充実した演奏だ。単なる「伴奏」に甘んじず・・チャッカリ?・・いやキッチリと「N響」を主張している。ヤル気満々の演奏!というのはこういうことを言うのだ。ウィーンへの壮行演奏会のようなものなので、ここでコケたら出鼻を挫かれることにもなるわけだ。ウィーンでは・・天下のウィーン・フィルも真っ青になるような演奏をせねば・・大和の国の親方日の丸?NHKの沽券にかかわる一大事ともなる。N響の楽員さんたちも、それなりの覚悟があったに違いない。ショスタコーヴィッチの第8交響曲では、堀さんをコンサートマスターとして篠崎さんも横に陣取った。なにやら・・他のセクションでも、主席級がトップを固めた最強の布陣だったらしい。アシュケナージさんはN響の音楽監督なので、普段の定期公演でもこういった布陣を発令?できるお立場じゃないかと思うのだが・・実のところは特別なことだったらしい。。カラヤン時代のベルリン・フィルは・・音楽監督カラヤンが振る時には必ずコンサートマスターが2名トッププルトに座っていたらしい。弦楽器の編成を18型まで拡張できたのも音楽監督だけの権限だったと聞く。N響にはそういったシステムが無いのかどうかは判らないが、とにかくコンサートマスター(オーケストラの中では一番偉い?お方なのだ!)が、ソロと第1のお二人雁首揃えてお座りになっている光景を見るだけでも・・演奏への妙な先入観が生まれるのだから・・オーボエを誰が吹く?ってこと以上に凄いことのようだ。そんな中でのショスタコーヴィッチが悪いハズなどあるわけもなく・・いやはや・・N響がこんなにも研ぎ澄まされたサウンドを出すとは思いもしなかった!。アシュケナージさんの十八番ということもあってか・・5番に比べれば非常にシブチン?な終り方をする第8交響曲でも、そしてまた・・内容的にも憂鬱極まりない雰囲気が充満した曲想にもかかわらず・・不思議にも・・なぜか魂が共鳴して1943年という「戦争の時」に想いを馳せてしまうのだ。実際の戦争体験が無い分・・仮想の中にイメージを膨らませすぎてしまうのかもしれないが、我が国においても近い将来起こり得る近隣諸国との紛争が・・世界を巻き込んでの大戦争へと発展しないことを祈るばかりだ。核爆弾など・・持っていても絶対に使えないのだから・・かくなる上は、2足歩行のロボットたちに頑張ってもらうしかない。地上戦は、同じ数のロボット同士の撃ち合いをして、最初に敵のロボットをせん滅させた方が「勝ち!」といった決まりを国連(国際法)で作ったらいいのだ。・・・なんかの映画でも見たような?ないような??・・・。。 ところで、ショスタコーヴィッチがアシュケナージさんの十八番だとしても・・2年連続(2004年は第5番)でツァーのプログラムとして持って行かなくてもいいのに・・と思ったりもしている。。武満さんの「鳥は星形の・・・」も同じく2年連続だ。まぁ、ウィーン・フィルの十八番のモーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスあたりでは勝負?にならん^^;・・と思ったのかどうか・・・ウィーン・フィルの演奏頻度の無いものを見繕ってのことのようにも思えるのだが、もしそうなら・・シュトラウス(アルプス交響曲)に対抗?して・・グローフェの「グランド・キャニオン」とかホルストの「惑星」あたりなど・・「その後」のウィーンでのハナシの種として大いに賑わったに違いない・・・(かも?)。。(笑) そういえば・・・ゴールデンザールでは、音響飽和で演奏上大いに問題となる楽曲でもあった。。ストレスを溜めながらのグローフェなど・・イライラして聴いちゃおれないことも確かではある。。
Disc No. 423  Title No. CDR-YSHD-260A/B-00
Disc No. 424  NHK Symphony Orchestra - Hilary Hahn - Paavo Järvi
260A 260B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-260A/B-00
パーヴォ・ヤルヴィ
2005.05.25

ヒラリー・ハーン (Vn)

サントリーホール、東京
ペルト:フラトレス(1977/1991改訂)
BS/VHS
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
on air 2005.06.22
バッハ:無伴奏ソナタ第3番〜ラルゴ
44'18|54'39
ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番
★★★★★
Disc No. 425
 Title No. CDR-YSHD-261A/B-00
Disc No. 426
 NHK Symphony Orchestra - Truls Mork - Paavo Järvi
261A 261B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-261A/B-00
バーヴォ・ヤルヴィ
2005.06.11*|2005.06.03
トルルス・モルク (Vc)
NHKホール、東京
トゥール:アディトス(2000/2002改訂)*
BS/VHS
シューマン:チェロ協奏曲

on air 2005.06.17*|2006.06.10

カタルーニャ民謡・カザルス編:鳥の歌
48'35|63'38
ラフマニノフ:交響曲第2番
★★★★★
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団 定期演奏会 2005年5月B&C
◆BISレーベルでのシベリウス交響管弦楽作品の一連のシリーズ録音で一躍有名になった巨匠ネーヴェ・ヤルヴィのご子息だが、1962年生まれというから・・まだ43歳とお若い。・・・勝ったぁ!!(?)・・・といって・・・何が??。。 かの・・若くして亡くなったフェレンツ・フリッチャイもこうであらせられたし、シカゴのゴリ押し男?・・ショルティもそうだった。。いやぁ・・なんと・・モルクさんまでが右へ倣い!・・てな有様となって、こういった光景は実に勇気凛々とさせてくれるすばらしい瞬間でもあるのだ。^^ まぁ、そんなことなど・・どうでもいいことなので(ホンマに^^;)・・・音楽に集中することにしよう。。 さて、N響この月の定期演奏会は・・ABCの3種のプログラム全てをヤルヴィさんが取り仕切ったのだが、かくも素晴らしい熱演となろうとは夢にも思わなかったことだった。丁度、2005年の5月〜6月といえば・・前身サイト(THE SOUND DESIGN)の全面リニューアルを決意して、新たなレンタルサーバーと契約。9月初旬のリニューアルアップロードを目指して夜な夜なサイトデザインとレビューの書き直しを始めた頃だった。従って・・・エアチェックをするような精神的余裕などあるハズもなく・・9月初旬に概略完成・・新サーバーへアップロードを果たしてからエアチェック再開(本サイトトップページ→ INFORMATION → エアチェックの予定)するまでの間は、全くテープが無いものと思い込んで、N響のアーカイブなどをシゲシゲと眺めて溜息をついていたのだ。。そんなこんなの中で、「録らなかった!」と思っていたN響2005年5月定期のBS録画テープが全公演分ダンボールからお出ましになった時には、いやはや・・もう・・万歳三唱ものの悦びに浸ることとなったのだ。残念ながら・・Aプログラムとして演奏されたプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の途中で、テープ不良・・或いは伝送上のトラブルか?・・音声に耐えられないノイズ(歪み)が発生し、ホンの数秒(10秒弱)ほどのことなれど・・CDR化を断念せざるを得なかった。しかしながら・・Aプログラムの冒頭で演奏されたエストニアのゲンダイオンガク「トゥール作曲アディトス」 (協奏曲風前奏曲 - 接近/入口の意)だけは、N響打楽器軍団の素晴らしい熱演が聴けることもあってか・・同じNHKホールで演奏されたことでもあり・・シューマンのチェロ協奏曲の前にCプログラムの「前座」の楽曲として組み入れることにした。丁度、サントリーホールで行われたBプログラムにおいては、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の前座に、同じエストニアのゲンダイオンガク「ペルト作曲フラトレス」(仲間、修道士たち の意)が演奏されているので、CDR構成上は・・「対」ともなるようなプログラム構成となって・・なかなかの量感を得ることに成功している。^^ ライブ盤としての本筋(何も足さず・・何も引かず・・)からは外れることになるのだが、同じ月の定期演奏会で・・同じホールで・・同じ指揮者による同郷の作曲家の作品の素晴らしい熱演を「足す」ことに何の躊躇も無かったものの・・・コンサートマスターが誰だったとか・・各楽器の主席は誰だったとか?・・・てなことまでは・・忘れてしまった方が幸せかも。。知らぬが仏?とは・・忘却もまた理なりってことでもあるのだ。
◆さて、先ずはサントリーホールでのB定期。ヒラリー・ハーンがプロコフィエフの1番を弾く。。プロコフィエフなる作曲家は・・その昔には「ピーターと狼」くらいしか知らなかったのだが、カラヤン先生が第5交響曲を録音してから見方がガラリと変わったことを覚えている。同じ「ロシア」という土俵の中にも・・その時代時代においてかくも曲想が変わるものなのか!・・という単純な発想からか(?)・・・ショスタコーヴィッチの第5交響曲・・さらにはチャイコフスキーの第5交響曲・・・いやはや・・もう・・まるで異質な風土を感じさせるのだ。人間も違えば時代背景も違うわけだから当然至極のことなれど、「ピーターと狼」の延長線上に聴いた第5交響曲にはびっくりタマゲタものだった。そのせいかどうか・・プロコフィエフ!・・と聞いただけで拒絶反応が噴き出して、しかしながら・・そんな中でも・・小澤征爾指揮ベルリン・フィルの交響曲全曲のCDだけはキッチリと買い込んでラックのお飾りとしたり、・・・だから、コンチェルトなどには全く無関心を決め込んでいた時期が相当長く続いたようだ。1番のヴァイオリン協奏曲に惚れこむようになったのはいつのことだったのかは覚えていないが、第3楽章のテーマが低音楽器で盛り上がるところなんぞは・・もうゾクゾクの極みだ。よほどのデキだったとみえて・・アンコールに応えた「バッハのラルゴ」も気持ちのこもった超絶的な美演となった。前座に演奏されたペルトの「フラトレス」には心底痺れた。。N響の解説によれば・・当初・・(理屈に染まった)前衛音楽を作っていたペルトだが、30代半ばから中世の合唱音楽の研究に没頭した成果なのかどうか・・「フラトレス」では・・濁りの無い単純な和音を背景とする祈りの旋律を繰り返す。平置きしたバスドラムの皮の上で打つクラベスが同時にドラムの皮を打って・・弱音ながら一定した打音リズムを節目節目で載せるところなんぞは・・なるほど・・宗教的というよりも・・敬虔な「場」の雰囲気を醸し出す。「祈る・・」ということには・・宗派など関係無いのだ!・・・と単純に感激してしまうところなどは・・この上なく凡人冥利?に尽きるといえよう。(笑) まぁ・・とにかくも・・・パッヘルベルの「カノン」に並ぶ癒しの楽曲として・・今後も繰り返し聴きたい「一曲」と遭遇できたことを悦びたい。 同じエストニアの現代作曲家トゥールの「アディトス」は、「フラトレス」とは全く曲想が異なり・・冒頭からいきなりキンコンカンコン・・とベルが鳴る。解説によれば・・恩師の死をキッカケとして作曲されたようなのだが・・「レクイエム」の様相など欠片も無く・・むしろ恩師を讃えてのエネルギッシュな楽想を持つとのことだ。オーケストラは・・クラリネットにバスを含む以外は2管の木管と通常の金管だから・・そんなにも大規模な編成じゃないのだが・・N響打楽器軍団総出演となるほどの音階打楽器を含む種類の多さには・・僅かに10分弱という演奏時間ではもったいないような気分にもなって・・せめて・・20〜30分ほどに楽想を発展させてもらいたかった・・と思ってしまう。。ゲンダイオンガク・・といえども・・・決して前衛手法ではなく・・・気持ちから湧き出た楽想なのだろう。。だからこそ・・「音楽」になっているのだ。ゾクゾクのメロディも無く・・澄み切った和音も無い。。それなのに・・魂を揺さぶられつつ聴かされてしまうのだ。まぁ・・「春の祭典」にも同じようなパターンで感動するわけだから・・・その「路線」の発展形と思えばいいわけだ。一昔前までは・・ゲンダイオンガク全面否定派だったのだが、最近になってようやく・・前衛オンガクとの区別ができるようになったことは、凡人としてのほんの僅かな進歩なのかも(?)。。 もっとも・・NHKの素晴らしい収録あっての感動!ってこともあり得るのだが。。^^;
◆ショスタコーヴィッチの第5交響曲。N響は5年前(2000年4月)にも同じサントリーホールでエリアフ・インバルの指揮により演奏しているが、ヤルヴィさんも優るとも劣らずの壮絶な名演奏を残した。終楽章コーダのテンポもキッチリと落として・・決して勝利の行進と化さないところは「証言」以降の決定的な解釈なのだろう。。インバルよりも幾分遅く・・ムラヴィンスキーのテンポにまで迫ったのは・・よくやったり!といえよう。。それよりもたまげたことは・・ピアニッシモだ。コーダに入る直前の弦楽器などは、もはや・・カンタービレを表出できるような音量じゃない。。蚊の鳴くような・・というよりも・・・すすり泣きだ。精魂尽きて・・朽ち果てる寸前の命の灯り。。走馬灯のように人生を回顧しつつ歪みきったイデオロギーの中で鬱積した感情が疼く。ハープが一筋の光明を投げかけて・・未来(あした)への希望が湧き上がり・・勇気を奮って行進を始めるのだが・・・全ては監視の下に銃口を向けられつつの歩みとなったのだ。。凡人の誤解なのかもしれないのだが・・全てはそういった筋書きの前奏のように聴こえるような恐ろしいほどの緊迫したピアニッシモだった。小太鼓から始まる「入口」のテンポを落とさないが・・まぁ許せる範囲だろう。。本当は・・チョン・ミュンフン(東京フィル)のように・・ここから失速?させてもらいたいのだが、・・・この曲も「終り良ければ全て良し!」となってしまうのだから困ったものだ。。但し、一言クレーム!。・・・ショスタコーヴィッチの第1楽章冒頭から自分勝手に(?)咳を頻繁に発する御仁がいた。風邪をひいているのか・・むせ返ったのかどうかは判らないものの・・どうかしている。。しかも、前方列の多分マイクの近くだ。N響が満身のピアニッシモを奏でている最中にガンガン咳をされる。。演奏中・・咳をしてはならん・・という法律などはあるわけないのだが、1/2000のノイズのために1999(ひいては・・何万人というオンエアリスナー)のマトモな聴衆が迷惑することを思わないのだろうか??・・・。せめて、咳の防音処理(タオルで口を塞ぐとか・・)くらいはやりなはれ!・・と言いたくなる。そもそも・・咳クシャミなど頻繁に出るような風邪の症状持ちの御仁は・・いくら高額のチケットをお持ちでも・・演奏会など出かけてはいかんのだ。こういった自分勝手な御仁など・・主宰者が強権発動でつまみ出せばいい。そして・・チケット代金など返せばいいのだ。ここでの御仁・・・第1楽章冒頭だけ散々咳き込んで・・その後はパッタリとおとなしくなってしまった。どないなってまんネン!Pablo Casals
◆モルクさんとのシューマンのチェロ協奏曲。・・・ブッチャケたハナシ・・積極的に聴きたい曲じゃない。この曲目的にCDを買ったことなど一度もないのだ。しかしながら・・こういった演奏会の流れの中で聴く時には、また違った感銘を受けるのだから誠に不思議な感覚でもある。特に、本来はいきなり始まったシューマンなのだが・・Aプログラムから持ってきた前座としての「アディトス」の後に聴くと・・シューマンのチェロが心の襞を震わすのだから・・本日・・シューマンのチェロコンチェルトに開眼!・・みたいな宣言をしてもいい気持ちになってしまった。仮想コンサートとして編集したCDRも・・こういった形で役に立つとは夢にも思わなかったことだ。後半のラフマニノフが結構長いので、あえて前座を置かなかったんじゃないかと思われるのだが、やはり・・コントラストの妙を味わうには・・それなりの「前置き」があった方がいいかも。。それよりも・・カザルス編曲の「鳥の歌」がアンコールで聴けたことが嬉しかった。 なにやら・・チェロ奏者には曰くつきの楽曲らしいのだが、練習曲同然だったバッハの無伴奏チェロ組曲を至高の名曲にまで昇華させたという「チェロの神様」の分身のような楽曲をアンコールで弾くなんぞということは・・よほどの自信がない限り演奏できないことだろう。。モルクさん・・やったり!。。シューマンのコンチェルトに優る入魂の演奏に・・ただただ襟を正して聴き入ってしまった。凄い演奏だった!。・・気持ち的に。。^^; 後半のラフマニノフの第2交響曲は、CDRコレクション初登場の待望の名曲。ロマンチックを額縁に入れたような甘い楽想には・・繰り返し聴くことに警戒を強いられるようでもある。チェリビダッケの毒素?とは全く違って・・こちらは楽想そのものに罠が散らばっているのだ。子供たちには初恋の夢を・・青年カップルには幻の愛を・・新婚夫婦にはそのままBGMとして・・熟年カップルには青春回帰を・・・老夫婦には刺激的なコースター?として・・絶品のCDRになるんじゃないかと思うほど素晴らしい演奏だったことを先ずは悦びたい。問題は、「カップル」という次元?から遠ざかっておられる御仁にはどう響くかということだ。。夢の中で恋愛のできる器用なお方ならともかくも・・現実の世界はまっこと厳しいのだ。ひたすらに女神を求めても・・書類選考で落とされるようなレヴェルで喘ぐ男性諸氏には非常に酷な楽曲でもある。毎日毎朝大量に届くヴェヌスの世界からのお誘いスバムメールを中身を見ることなく削除ったりするのと同じく・・勝手に惚れこんだ女神へ・・夜を明かして辞書と首っ引きで書いたラブレターを・・中身を見ることなくゴミ箱へ放り込まれるような立場の御仁を憂いてのことかどうか・・・ラフマニノフ先生も皮肉たっぷりに甘味な中にも悲愴感の漂うフレーズを忘れずに織り込んでいるところなんぞは・・ニンゲンがよくお分かりになっている証拠でもある。。幸せの絶頂にあるカップルは・・このフレーズを聴くたびに優越感に浸り、そうじゃない御仁を嘲笑するのだ。。そうじゃない御仁は?と言えば・・・もはや・・ここまでくれば・・・覚悟を決めて白装束に身を固めねばなるまい。せめて・・果てる前に・・精魂込めて書いたラブレターに重しをつけて森の湖に放り込もう。。・・・<<この金色に輝くお手紙は貴方が投げ込んだものですか?・・・<<は・ハイ・・・イ・いや!・・違い申す!!・・・拙者が投げ込んだ手紙は・・鼻水がポタポタと染み付いた汚くて即ゴミ箱行きの運命にあるようなものでござる。<<あなたは正直者です!。・・・それではわたしと一緒に湖の底にある楽園で暮らしましょう。^^<<・・・あぁっーー〜〜〜bukubukubukubuku *_*; 〜〜〜 *_*;; 〜〜〜 >_< 〜〜〜 -_-     ・・・ここは?・・・どこだぁ??・・・目の前におわすは女神様じゃ!^^ おぉ・・・なんとも麗しく・・吸い込まれるようなブルーの瞳。。・・・??・・・あそこにある白いものはなんだぁ?・・・あそこにも・・またあそこにも!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・ガイコツだぁ!!^^; ・・・・・・・・・<<オヤジ!・・おやじッ!!・・・メガネがどこだ?って??・・・ガイコクがどうした??・・・ウィーンに行きたい気持ちは分かるけど・・・寝言もほどほどにしないと剣道合宿にいったら笑われちゃうよぉ。。。・・・こんなCDRかけながら寝てるからダメなんだよね・・・リピートになってるから喧しくて寝られないじゃん!。。 そうそう・・・音楽のテストで「カノン」の作曲者は?っていう問題出たけど・・・・・・ベートーヴェン!だよね。^^・・・<< ・・・・・・・・・・・ @_@; 気絶!!
Disc No. 427  Title No. CDR-YSHD-262A/B-00
Disc No. 428  NHK Symphony Orchestra - Suzanne Hou - Pinchas Steinberg
262A 262B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-260A/B-00
ピンカス・スタインバーグ
2005.09.16

スザンヌ・ホウ (Vn)

NHKホール、東京
:
BS/VHS
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
on air 2005.10.21
シベリウス:交響曲第2番
35'35|54'52
:
★★★★★
Disc No. 429
 Title No. CDR-YSHD-263A/B-00
Disc No. 430
 NHK Symphony Orchestra - Cornelia Herrmann - Pinchas Steinberg
263A 263B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-261A/B-00
ピンカス・スタインバーグ
2005.09.10
コルネリア・ヘルマン (Pf)
NHKホール、東京
:
BS/VHS
モーツァルト:セレナータ・ノットゥルナ

on air 2006.10.14

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
43'50|54'16
ベルリオーズ:幻想交響曲
★★★★★
ピンカス・スタインバーグ指揮 NHK交響楽団 定期演奏会 2005年9月A&C
◆さて・・・こちらは小澤さんの前任としてボストン交響楽団の音楽監督でもあった故ウィリアム・スタインバーグ(1899-1978)のご子息だ。なぜか・・ショルティさんを彷彿とさせるゴツゴツの指揮ぶりからは全く歌心など垣間見えてこないのに・・シベリウスの超絶的な名演奏に遭遇することになってしまったのだから・・男たるもの風貌に非ズ・・心なり!・・・を額縁に入れたようなお方だ。N響の2005/06年シーズン開幕月の3プログラムを全て任されるということから・・それなりのお方なのだろう・・とは思っていたが、御年60歳にもなられていたのだ。すでに1986年から1997年までの10年間に4もはや巨匠格!ピンカス・スタインバーグ回もN響と共演されていたのだが、今回はなんと・・8年ぶりとなる客演指揮をされたわけだ。カルロスさんと同じく・・誰それのご子息!というだけで、まだまだこれから・・みたいな錯誤に陥ることもあって、カルロス・クライバーが亡くなった時・・すでに男子の平均寿命に達しておられたことを初めて認識したようなトンチンカンな意識でCDを聴いていたのだから・・・ピンカスさん(何とも歯がゆい御名ではあるが・・)の親父殿が極めて鮮烈な「惑星」でDGデビューを飾った録音が既に35年も前のことであったということからも・・光陰矢のごとし・・みたいに妙なところで驚いたりしている。。Bプログラム(サントリーホール定期・・モーツァルトの3曲の序曲と関連アリア&交響曲第41番)のテープが見当たらないのがモーツァルトイヤーとなった今年(2006年)においては至極残念だ。まぁ・・Aプログラムで珍しい編成でのセレナータ・ノットゥルナが聴けただけでも良しとせねばなるまい。弦楽四重奏(といっても・・チェロの代わりにコントラバス)と弦楽合奏(10-8-6-4 ・・これにはコントラバスが無い)・・それにティンパニーだけの風変わりな編成なのだが、カラヤン先生のCDで聴いて以来20年ぶりに聴いたのだから・・あらためてそのCDを聴き直したほどだった。「デジタル新録音!」との認識をしていたカラヤンのCDも・・もう20年も前の録音なのだから・・・その事実を認識しようとすればするほど老け込んでいく自分自身が情けなく見えてくる。^^; シベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏したスザンヌ・ホウさんは、当初予定されたドミトリー・シトコヴェツキの代役として登場。中国系カナダ人とのことだが、実にチャーミングな若いヴァイオリニストだ。有名な国際コンクールでの優勝経験もあるらしく、なるほど!・・と唸らせるだけのことはある。テクニック的にはどうだとかこうだとか?・・といったことなどヴァイオリンに触ったことも無いような凡人には恐れ多くて語れないことなど百も承知の上であえて申せば・・実に上手い!。いや・・上手く聴こえる・・といった方がいいのかもしれないのだが、何よりもシベリウスの音楽独特の内へと向かった激情が切々と伝わってくるところがいい。上っ面の音符の流れだけをスマートにまとめたような演奏とは次元が異なり・・演奏者の鼓動の変化までも感じられるような緊迫した抑揚が・・極寒の自然をモロに表出しているようだった。どこかのサイトで・・日本人と欧米人の弾くヴァイオリンの音色が異なる?・・などと・・国産スピーカーと舶来スピーカーとの音調の差を比喩して論じられていたことを思い出したのだが・・中国系カナダ人ともなればどんな音色で響くことになるのか??・・・お尋ねしてみたい気がしている。丁度・・モーツァルトのピアノ協奏曲を弾いたコルネリア・ヘルマンも、ドイツ人(父)と日本人(母)とのハーフだ。ヴァイオリンの音色が違えば・・ピアノの音色も違っていいハズだ。まぁ・・最近は・・昔と違って、フィギュアスケートでも欧米人のスタイルに見劣りしない日本人ばかりだ。日本人とか欧米人とか色分けするような時代じゃなくなった・・ってことをお分かりにもならず・・固定観念だけでものを仰るお方がまだまだ数多おられるということが滑稽でもある。。
◆シベリウスのヴァイオリン協奏曲でのN響は・・ソリストの奮闘ぶりに触発されたのか?・・スタインバーグさんの肝入りだったのか?・・は定かではないものの・・とにかく物凄い演奏だった。コンチェルトでもってこんなに燃え上がった管弦楽を聴いたのは・・リヒテルと競奏!したウィーン交響楽団(カラヤン指揮)のセッション録音盤以来だ。数少ない全合奏のパートでは・・後半に演奏された第2交響曲に迫る爆裂を呈して・・全楽員が一致団結してソリストの尋常ならざる熱気に勝負をしかけたようにも聴こえる。いやはや・・シベリウスはかくあるべし!。中途半端な表現では・・極寒の中で凍死する危険性もあるのだ。メリとハリとの対比・・・内に向かったエネルギーが充填しきって・・バクハツ寸前に防爆弁が開く。。その噴出エネルギーこそシベリウスの書いた数少ないテュッティーなのだ。これが不発の屁?のようでは本人のみならず周りにも大いに迷惑を及ぼすことになる。ここはひとつ・・部屋中響き渡るような瞬時一発パルス型?の大音響をもってスッキリさせた方が・・あとクサれ?が無い分大いに健康的だ。そう・・シベリウスの激情は・・極めて健康的なのだ。下手をすれば・・チャイコフスキーのコンチェルトの方がストレスが溜まる。・・・もっとも・・これとて十人十色の嗜好の問題ではあるのだが。。 シベリウスの第2交響曲。・・・デュトワ以来のN響の演奏だ。何かと中途半端に終始したデュトワさんのシベ2だったが、スタインバーグ見直したり!!。 ミッコ・フランクの天才的表現には一時棚に上がっていただくこととして・・N響はとんでもない名演奏をやってしまったようだ。もちろん・・指揮者のテンポ。。極上の流れだ。全ての聴き所が100点満点の流れ(テンポ感)とダイナミクスを伴って・・・どこを輪切りにしても理想的なシベ2なのだ。凡人評価の根底には・・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の名演奏があることだけは確かなのだが・・・カラヤンのテンポで僅かながら胃もたれ気味だったフィナーレ冒頭の淀みも一掃されたように爽快に響く。第2楽章冒頭のゆったりとしたピツィカートなどゾクゾクもの。トランペットからフルートへ弱奏で連なるフレーズにも味わい深い音香が漂う。ジワリジワリと盛り上がるフィナーレコーダの入口など・・インテンポでコーダへとなだれ込んで・・ティンパニーの打音が控えめなせいかもしれないが・・全合奏の音塊が極めて重いのに実にマイルドなのだ。本当は・・マイルドではなくて・・ワイルドに猛爆裂をしてもらいたいところなのだが・・こういった感情の高まり方もあっていい。。柔らかくも分厚いフォルティッシモ・・ってのは、こういった音なのかと認識を新たにしたほど新鮮な終結だった。N響やるじゃん!!。。^^ ・・・というよりも・・・ピンさん(失礼!)ホンマに見直したぁ!。。>>あなたは・・もう・・フツウの指揮者じゃありません。歴史に名を残す大巨匠となるべきお方です。見栄えのしない指揮姿でも・・暗譜をされてこその完全陶酔の瞬間が垣間見えたことは・・あなたの気持ちの中で「音符」じゃなくて「音楽」が生きている何よりの証拠なのです。本当に素晴らしいシベリウスでしたぁ!^^
◆さて、ヘルマンさんのモーツァルトだが・・・奇しくも5ヶ月後(2006年2月)に同じN響でラルス・フォークトが同じ23番を演奏している。バックのオーケストラの表現自体は、スタインバーグでもブロムシュテットでも大差ないのだが(但し・・ホールと弦楽器の配置が異なるので・・録音上でも若干響きが異なって聴こえる)・・同じスタインウェイでもサントリーホールとNHKホールのものでは響きが違うのか・・マイクアレンジが異なるのか?・・・やはり・・ピアニストの弾き方の問題なのか??・・・ヘルマンさんのモーツァルトの響きはキュートな容姿にも似てスリムで優しい感じがするのだ。フォークトの弾くモーツァルトは・・まるでベートーヴェンのような響きを呈するところもあるのだが・・ヘルマンさんはキッチリとモーツァルトしている。これは・・固定観念などではなく・・・少なくともヘルマンさんはハマリ役だったといえよう。フォークトさんの強烈な打鍵はモーツァルトを持て余して行き場を無くしているような感すらあるのだから・・・確かラフマニノフかチャイコフスキーを聴いてみたい!ってなことをコメントしたように思う。N響によれば・・ヘルマンさんはモーツァルテウム音楽院で学び・・モーツァルト国際コンクールで特別賞受賞・・共演オーケストラは室内管弦楽団級が多いみたいだ。女性にして珍しくも1977年生まれであることを公表されているらしく・・まだ28歳とお若い。ヘルマンさんの打鍵が優しいのは・・未だベートーヴェンやラフマニノフなどを本格的に弾き込んでおられないせいなのかもしれない。。いいことなのかどうかは棚に上げて・・とにかく素晴らしいモーツァルトだったことだけは確かなことといえよう。 ベルリオーズの幻想交響曲は、親父殿の君臨したボストン交響楽団の十八番の曲目だ。フツウに演奏してもそれなりの演奏効果が確実に出る楽曲なので・・オーケストラの音色音調(の差)を楽しむという方向で聴いてしまうことも多々ある。。リピートをするかしないかで演奏時間に相違は出るものの・・基本的なテンポ感は極端なデフォルメを誘発しないほど安定している。まぁ・・録音上(収録上)の操作で特定の楽器をデフォルメしたり・・と歪曲した音響を作った音盤は曲が曲だけに過去あるにはあったが・・ナチュラルバランスが当たり前になったCDの時代となってからは商品価値すら消滅しかかっているような有様なのだ。・・・というよりも・・・数多ある音源(音盤)から抜きん出て目立つ表現力を持った演奏(録音)が存在しないことから・・幻想交響曲という楽曲自体が地盤沈下しているような感も無きにしも非ずじゃないだろうか(?)。(と思っている。。) そんなこんなの中で、N響の華!池田昭子さんスタインバーグさんの幻想交響曲を期待もせずに聴き始めたのだが・・・いやはや・・スタインバーグさん!・・こんなにも「こだわり」を持った指揮者とは知らなかった。。音楽の根底には・・シベリウスと同じようなテンポバランスがあって・・個人的な波動にジャストフィットするのだが、ここでのピカイチは第4楽章「断頭台への行進」だった。なんと・・こんなにもイヤイヤながらの・・引きずるような重い足どりの行進を聴いたのは初めてだ。そう・・・これは・・「断頭台」への行進なのだ。元気ハツラツと歩けるわけなどないじゃん!。。夢の中とはいえ・・正にニンゲンチックな表現だ。ヤル気ないのかぁ?・・といったように聴こえるN響の音も・・緻密な表現の一端なのだ。第3楽章でのコールアングレがまた上手い!^^。 N響メンバー表によれば・・2004年1月1日入団の池田昭子さんのようだ。かつて・・カラヤン先生率いるベルリン・フィルの東京公演のプログラムとして予定されていたシュトラウスの「家庭交響曲」が、カラヤン先生のおメガネに叶ったコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)奏者の都合がつかず・・急遽「英雄の生涯」に変更されたことがあったのだが・・「英雄の生涯」にもコールアングレを使うわけなので・・当時ベルリン・フィルでコールアングレを吹いていた楽員は肩身の狭い思いをされたことだろう。。しかしながら・・・ザビーネ・マイヤーのクラリネットに惚れこんだほどのカラヤン先生ならば・・・池田さんのコールアングレにも必ず惚れこまれたに違いない!(?)。 >>あんまり誉めんといてください・・テングになると始末に困りますっ。。茂木^^;(?)<< フィナーレの「魔女の饗宴」では腰砕けになることなく満身のエネルギーを炸裂させた。ここで・・音を「上品」にまとめよう・・などと思ったら最後・・フィナーレとしての醍醐味を一気に失ってしまうのだ。幻想交響曲のフィナーレでは・・野暮極まるほど野蛮に・・そして・・下品なほど音を割って・・「ある芸術家」を悪夢から覚醒させねばならないのだ。金管が汚い・・とか・・音が割れていた・・などということは・・むしろ名演奏!だった証なのだ。幻想交響曲という楽曲は・・そういう曲なのである。。そして・・従前の一流オーケストラの録音が・・いかに綺麗にまとまっていたか!ということなのだ。 N響・・してやったり!!・・・こんな凄い演奏・・滅多に聴けるもんじゃありまへん。^^ 満足なり!。
Disc No. 431  Title No. CDR-YSHD-264A/B-00
Disc No. 432  Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks - Midori Goto - Mariss Jansons
264A 264B
バイエルン放送交響楽団
CDR-YSHD-264A/B-00
マリス・ヤンソンス
2005.11.26

五嶋みどり (Vn)

NHKホール、東京
:
BS/VHS
ワーグナー:「マイスタージンガー」前奏曲
on air 2005.12.17
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
39'31|62'22
ベートーヴェン:交響曲第7番
★★★★★
アンコール曲: 1. ブラームス:ハンガリー舞曲第6番  2. ビゼー作曲:「アルルの女」組曲第2番から ファランドール
【NHK音楽祭2005】 バイエルン放送交響楽団 演奏会 五嶋みどり(Vn) マリス・ヤンソンス指揮
◆「主席指揮者」という肩書きは・・その役務において「常任指揮者」とはチト異なるんじゃないかと思ったりするのだが、マリスさんはバイエルン放送交響楽団とコンセルトヘボウ管弦楽団という優れものの「楽器」を2つも持ってしまったわけだ。。オスロ・フィルとの腐れ縁?も残っていることだろうし・・・ニューイヤーコンサートの大成功で今後はウィーン・フィルからもどんどんお呼びがかかることになるのだろう。ウィーン・フィルはともかくとしても・・主席指揮者としての契約はどちらか一方のオーケストラとだけしてほしかった。。オーケストラと指揮者との関わりは・・最近においては密度が薄くなりつつあって・・デュトワさんのように一時に3つものオーケストラの音楽監督を引き受けたら最後・・全てが共倒れとなること必定なのだ。まぁ・・マリスさんにとっては・・ミュンヘンとアムステルダムとの往復なので大洋を渡るような時間もかからないからいいようなものなのだが・・それにしても・・指揮者としての歩みは思いっきりフォーカスを絞ったものであってほしいのだ。そして・・理想的には・・指揮者として君臨した「証」を残すべきだ。モントリオールといえば・・デュトワ!。ジュネーブといえばアンセルメ!。ベルリンといえば・・カラヤン!。クリーブランドといえば・・セル!。フィラデルフィアといえばオーマンディ!。シカゴといえばショルティ!。大阪といえば・・朝比奈!!。。。サウンドのグレードや嗜好性などは棚に上げても・・指揮者=オーケストラサウンドの特徴が明確にわかるまでに評価が積み重なって・・100年を超えて語られる「指揮者としての芸術」が残ることになる。こういったコンビネーションこそ・・オーケストラサウンドの極めつけ!といっても過言じゃない・・と思うのだ。カラヤンは最晩年に手兵から三行半?を突きつけられたが・・最愛の女神から献身的な協力を得ることができた。さぁ・・これから・・という時に急逝したのだから正に衝撃的な歿し方だった。スヴェトラーノフも同じく手兵から三行半を突きつけられたが・・カラヤンのような献身的な女神がいなかった。。N響でのスタンダードな楽器配置そのままの(遠慮しながらの?)晩年の公演は痛々しい思いさえさせられたものだった。ムラヴィンスキーは・・ある意味では・・最も幸運だったのかもしれない。。世界最高峰のオーケストラの芸術監督として現役で歿し、その直後に体制変化の影響をモロに受けた形でオーケストラの名称さえ変わってしまったのだから。。ムーティもサヴァリッシュも・・残念ながらフィラデルフィアではオーマンディを超えることはなかった。アバドも・・そして多分ラットルも・・カラヤンを超えることはないだろう。。クーベリックは見事に創設者ヨッフムを越えて業績を遺した。全ては・・商業ベースでのハナシだ。「今」の時代には・・なかなか「昔」のようなシリーズ録音が望めないことから・・オーケストラ自体が自主レーベルを創って演奏会の録音を売るようになったことは不幸中の幸い?な出来事・・発想の転換最もたるところだ。レーベルではなく・・オーケストラが録音の主導権を握れば・・特定の指揮者との歴史が強烈?に刻まれることになるだろう。。そう、「今」がチャンス!・・ということを・・日本のオーケストラも目覚めねばならぬ時だ。ライブ録音盤は大抵のオーケストラが自主制作でリリースしているわけなのだが・・全てが中途半端な企画に沈んでいる。。お抱え楽員の少ない日本のローカルオーケストラが世界に向かって煌きを発信できる企画は・・唯一!・・21世紀の「ハイドン☆交響曲全集」だ。オーケストラ評価の地固め・・基礎工事には名実共にこれほど最適なソースがあるだろうか!。。10型2管の小型オーケストラで必要かつ十分な編成。ハイドンと共に成長しよう・・とする若手研究熱心な指揮者を見つけ出し・・古典対抗配置で定期リリース。2chSACDで100分余の収録キャパを活かし・・1ディスクで1コンサート分のプログラムを丸ごと収録したらいい。。マルチチャンネル+CDハイブリッドなどと余計なことは考えずに・・DSD(SACD)2ch一本に絞ればいいのだ。オーケストラの飛躍を賭けたセッション録音だ。楽員さんは手弁当で参加しよう!!。ギャラは出世払い?でいい。。できることなら(いや・・是非にでも!)・・オーケストラのマネージメントは録音スポンサーを探そう。録音に使うコンサートホールとの共同企画・・といったことにすればなおいい。。但し、相応な「響き」を持つホールでなければ・・オーケストラが笑われることにもなるので要注意だ。
◆バイエルン放送交響楽団(BRSO)は・・かつてはメジャーレーベルの花形オーケストラだった。クーベリックの君臨した時代には、古典対抗配置からのサウンドだけでも貴重な存在だったのだ。マリス・ヤンソンスには、そういった楽器配置でのこだわりがないので・・NHK音楽祭の同じステージに登場した北ドイツ放送交響楽団にお株?を取られてしまった感無きにしも非ずなのだが・・・そういった表面的なサウンドバランスの面白みは棚に上げてワーグナーとベートーヴェンを語るならば・・・そういったことなどどうでもよくなるほどに充実した演奏だったと言わねばならない。バイロイトのピットにも何人もの楽員が馳せ参じているとも聞いているのだが・・バイロイトのピットで弾くのとは奏法大いに異なるにしても・・ワーグナーの管弦楽独特の「色」がなんと上手く香りたっていることか!。。大学のオーケストラが入学式でも演奏する機会多々ある中で・・世界有数の一流どころの演奏がどう違うのか??・・・・・SS席¥21000.-を出しても納得するだけの演奏とは、>さて・・どうなることやら?<・・と思う必要の無い確立された評価の中での安定感を土台として・・凡人の見えぬ聴こえぬところで昇華したプラスα の高度な芸術的表現力をもって瞬間的に弾け飛ぶ音符たちの煌きの度合いなのだろう。。管弦打楽器がお互いに絶妙なバランスを取り合い・・ここぞ!なる時には満身の炸裂を呈し、プルトの最後列までがトッププルトと同じ音量で演奏に参加できるだけの・・全ての楽員個々の自信とヤル気が漲ったサウンドなのだ。どこかのアマオケなどは・・まともに弾いている(弾けている?)のは弦楽器奏者の半分以下??・・・てなことを聞き及んだこともあるのだが、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?みたいなことでウジャウジャと弦楽器の楽員がステージに載る場合もあるという。難しいパッセージは弾くフリをして?アンサンブルに貢献しているところなんぞは・・なかなか当を得た策でもあるわけだ。。いかんイカン!・・・BRSOのこととは天と地のハナシともなってしまった。。^^; BRSOが上手いのは当然至極なわけで・・・ベートーヴェンではヤンソンスさんを語らねば始まらない。。ベートーヴェンの第7交響曲もまた・・指揮者によってまるで違って聴こえる難曲だ。従って・・当然にして・・どんな表現に波長が合うのかが一聴して判ることになる。ここでいう一聴してのインプレッションに大いに関わる要因とは・・先ずはテンポ感。ほぼ同時にサウンドバランスだ。ヤンソンスさんの個性は第4楽章で端的に聴こえた。ダイナミクスのコントラストをより強烈につけるためと思われる抑制された一部フレージング。リズムの昂揚にフェイントをかけるが如くのレガート奏法の一部導入。XY両軸の僅かながらの歪み?を創ることによる強烈な突出エナジー。ティンパニーの効果華々しく・・オーケストラのテュッティーから抜きん出て炸裂する様には鳥肌もの。ベートーヴェンの第7交響曲では・・ティンパニストは皮を破らんばかりに・・覚悟の打音を轟かせねばならないのだ。演奏中に修繕費用のことが気になるようなティンパニストは即刻辞表を書くべきだ。まぁ・・しかしながら・・演奏中に本当に皮を破ってしまったら・・・それこそ爆笑音楽会としてのトップネタとして末代まで語られることにもなるわけで・・・その辺の微妙なところがティンパニストたる者の妙技となるのだろう。。あくまでも・・凡人の考える「意気込み」のハナシなのだから・・これもまた笑われてしまうべきハナシなのだ!・・っちゅう具合に納得してしまうところなどは我ながら大いに感心すべきところといえよう。。^^ 第2楽章アレグレットはゆったりとした葬送基調。第3楽章のトリオではのんびりと呼吸ができる。これがあって初めてフィナーレでの目まぐるしい音符のアップダウンが映えるのだ。第1楽章の提示リピートが実行されているので、その効果が全曲に及び・・一層の重量感を増して大変に聴き応えのある大作交響曲と化している。カラヤン指揮者コンクールの関係でカラヤン先生のご指南を直々に受けたと思われるヤンソンスさんだが・・その後のレニングラードでのムラヴィンスキーの流儀を真似ることもなく・・30余年の歳月の中でヤンソンスさんのオリジナルな発想からのベートーヴェンが熟成披露されたことを祝したい。
◆五嶋みどりさんのヴァイオリンにケチなどつけられるのだろうか。。ヴァイオリニストになるためのプロセスで聞きしに優るストレスを溜め込んで・・心身ともに地獄を見るまでに至った・・とのことを聞き及んだことがある。天才少女として話題になっても・・天分に甘えずに(甘えさせてもらえず?)血の出るような英才教育に神経をズタズタにされながらも乗り越えた精神力を何に例えたらいいのだろう。。そんな彼女の弾くプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。ブラームスやベートーヴェンの協奏曲の第1楽章にも満たない演奏時間の短い協奏曲なのだが、多分凝縮された超難曲なのだろう。。この一年内に急激に惚れこんだ楽曲の筆頭ともなるのだが・・悲しみを隠すように取り繕ったお恍け笑み?のような第3楽章のテーマが低音楽器へと発展する様はゾクゾクの極みでもある。みどりさんがこれを弾くと・・なぜか彼女の歩みに共感するような。。・・・画面を見れば・・体をくねらせながら・・もがき苦しむ様を見るかのようだ。靴で床を踏み鳴らす打音が妙にエキセントリックに響く。極めて透明でピーンと張った音色は世界最高峰のストラディヴァリ固有のものであったとしても・・みどりさん入魂の演奏なくしては生まれ得ない音色だろう。。2004年9月6日にアスコーナ音楽祭(スイス・ロカルノの聖フランチェスコ教会)でのテミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団演奏会でソリストを務めた庄司紗矢香さんも同じプロコフィエフの第1協奏曲を弾いたが、紗矢香ちゃんはアンコールとして8分にも及ぶバガニーニの「ネル・コル・ピウ」による変奏曲を演奏した。聞くところによると・・この曲は超難曲のなかでもウルトラ級の至難の曲らしく・・凡人の耳にも毛が逆立つ(・・ほどは残っていないが^^;)ような凄まじい曲想だった。みどりさんはアンコールをやらなかったが・・プロコフィエフの20数分間で精魂尽き果てたようだった。・・・というよりも・・・プロコフィエフの終結に終結感がないのだから・・せっかくの思わせぶりな後味を濁すことをワザと控えたのかもしれない。その余韻まで「音楽」にしてしまったみどりさんの策略?に感謝したい。確かに時間的には短い楽曲なのだが・・第3楽章から尾を引いた波動が休憩時間中一杯に膨らんで・・聴衆の気持ちの中で鳴り響いていたような気がするのだ。こんなように・・いつの間にか・・スーッと終ってしまう協奏曲など他にあるだろうか?一瞬拍子抜けして・・間を置いて余韻が沸き上がって・・感銘を大きく膨らます。。凡人の考える限り・・これは作曲的マジックだ。幻想の中で走馬灯を見るような・・・そう・・曲の冒頭からしてそんな「入り」だ。起承転結の狂った中で・・波動の歪みが浄化されて・・突き刺さるような悲しみの世界から立ち上がって現実を直視する勇気が湧いてくる。。明日への光明が見える一歩手前で・・後は観念の世界へ放り出されるのだ。悲しみの世界から脱出できるのは・・作り笑いでもなんでも・・微笑を取り戻した者だけが手にすることができること。。即ち・・達観を得た者だけが救われる。。第3楽章の余韻が気持ちの中でどのように進展するのかは・・そのニンゲンの生き様に大いに関わることなのかもしれない。。
Disc No. 433  Title No. CDR-YSHD-265A/B-00
Disc No. 434  NDR Sinfonieorchester, Hamburg - Sayaka Shoji - Alan Gilbert
265A 265B
北ドイツ放送交響楽団
CDR-YSHD-265A/B-00
アラン・ギルバート
2005.12.10

庄司紗矢香 (Vn)

NHKホール、東京
:
BS/VHS
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
on air 2005.12.24
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
52'06|54'57
R.シュトラウス:「薔薇の騎士」管弦楽組曲
★★★★★
【NHK音楽祭2005】 北ドイツ放送交響楽団 演奏会 庄司紗矢香(Vn) アラン・ギルバート指揮
◆2005年のNHK音楽祭は、世界で活躍する日本人若手ソリストと放送交響楽団との組み合わせをテーマとした演奏会が繰り広げられたのだが、録り損ねたフィンランド放送交響楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で共演した小菅優さんを含み・・今や世界のトップクラスのヴァイオリニストとなった五嶋みどりさんや庄司紗矢香さんなど・・天才冴え渡る妙技に信じがたい驚嘆の気持ちさえ持ったものだった。世界最年少でパガニーニ国際コンクールを制してしまった紗矢香ちゃんだが・・本当に物凄い感性と技量の持ち主だ。天才!・・といってしまえばそれまでなのだが・・どうやら同じ「天才」でも色々なタイプがあるみたいだ。凡人16ビット?の世界でも・・少なくともその感性には十人十色千差万別あるのだから・・天才ともなれば32ビットを超えるかも?・・・。 なんのことやら?・・そう・・どうでもいいことともいえよう。。^^; しかしながら・・バイエルン放送交響楽団と共演した五嶋みどりさんとは・・なんという違いなのか!。 ことある度にチューニングに余念がないみどりさんに対して、紗矢香ちゃんは登場から一切チューニングをしない。 ステージの床を靴で打ってリズムをとるみどりさんに対して、紗矢香ちゃんは靴で床を鳴らさない。どっちが良くて・・どっちが悪いか・・のハナシなどライブ演奏にはナンセンスこの上ないものだし、ヴァイオリンに触ったこともないような凡人にはみどりさんの発する芸術表現に伴うノイズ?に文句など言う資格さえないのだが、・・それでも敢えて申せば・・紗矢香ちゃんの演奏は正に「動中静在リ」の典型のように思ってしまう。。第1楽章や第2楽章の管弦楽だけのそこそこ長い前奏部分から・・もう紗矢香ちゃんの気持ちはオーケストラと一体化している様相だ。まぁ・・ほとんどのヴァイオリニストはこの部分でそれなりの表情をしてソロの入りを待つことになるわけだが、紗矢香ちゃんの表情は心身全てからこみ上がった溢れんばかりの音楽が香り立つほどに思わず見惚れてしまうほどだった。。眼前に3千数百人もの聴衆がいるわけなのに・・それを忘れてひたすら「音楽」に集中する姿の美しいことといったら・・本当に言葉を失ってしまうほどに感動してしまうのだ。この辺が・・観客を強烈に意識しつつ口パクだけで赤組の「歌手?」として同じNHKホールのステージで披露されたオンガクと根本的に違うところなのだろう。。いわずもがなであったかも? とにかくも・・音符をまだ一つも弾いていないヴァイオリニストに感動してしまった初めての体験でもあったわけで・・音楽を聴く前に既にもう最良の結果が聴こえてしまったという珍しいことでもあったのだ。
◆さて・・指揮者のアラン・ギルバートさんだが、2005年現在38歳という若さだ。NDR響の主席客演指揮者という肩書きで・・これといった「手兵」は未だお持ちでないようだ。見かけは日本人そのものでも・・アメリカ人(父)と日本人(母)とのハーフとのこと。。母上のDNAが優った結果なのか?。。ご両親共々ニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者らしく・・先般ニューヨーク・フィルにデビュー!とのことから・・ご両親に向かって<<もうちょっとそこんとこ強く弾いてよね!^^<<・・みたいに稽古つけられたのかどうかは定かではない。。しかしながら・・ギルバートさん、古典対抗配置で勝負?してきた。アメリカ人でありながら・・お若いのに・・こういったこだわりを持っていらっしゃるのには・・きっと確たる尊敬される指揮者がおられるのだろう。古典対抗配置で押し通した指揮者・・・クーベリック・・ムラヴィンスキー・・トスカニーニ・・クレンペラー・・さてさて??誰だろう。。NDR響はキュンター・ヴァントのオーケストラとして一時有名になった。それも・・ヴァント最晩年の手兵として来日した時には・・ベーム最晩年を思わせる狂乱的な信奉者によってブルックナーと同じように神格化されていた。。従って、故ギュンター・ヴァントによって名声を得ることができた稀に見る幸運な楽団でもある。LPの時代・・1960年代を中心に前後10年ほどは・・メジャーレーベルの専属契約によってオーケストラも縛られて(いい面もあったのだが・・)、東西分断の状態だったドイツ・・商業ベースにおいては西ドイツのオーケストラが「表」で活躍していた時代だった。そんな中でも・・ベルリン・フィルは「別格」としても・・対抗できるのは当時クーベリック率いるバイエルン放送響だけで・・ミュンヘン・フィルでさえ二流オーケストラの烙印を押されていたのだ。ましておや・・ドイツ各地に散らばる放送交響楽団など・・北であろうが南であろうが・・協奏曲の伴奏しか録音のチャンスが無かったような気がしている。。意味の無いオーケストラのグレードは・・結局メジャーレーベルの販売戦略の中で育まれたものなのだが・・バイエルン放送響もクーベリックがいなければ西ドイツはベルリン・フィルの「一人天下」の有様だったのかもしれない。。そんなこんなの中で・・N響が格段のレヴェルアップを果たして・・バイエルン放送響やNDR響を並べて聴いても遜色のない音が出るようになったことにはただただ驚嘆するばかりだ。その昔には・・少なくとも金管がひっくり返ることなど当たり前のことだったのだ。。ドヴォルザークの「新世界から」のフィナーレコーダへ入るところのホルンの速いアップダウンのパッセージ(意味が通じますかな?)などは・・手に汗握る(勿論!悪い意味で^^;)瞬間でもあって・・ここをほぼ無事に通過することなどほとんどなかったのだ。トランペットなどは・・姿勢からしてナヨッチイ感じがして・・・ロシアものの楽曲などは画面を見てはいられなかったほどだった。。現在でもほんの少しだけ当時の名残?を引きずってはいるものの・・画面さえ見ずに聴けばベルリン・フィルでもかくや!?・・と思うような音が出る時もあるのだから・・なるほど・・ムジークフェラインのゴールデンザールへのり込もう・・と思ってしまうわけか?!?・・・。
◆シュトラウスの「薔薇の騎士」からの管弦楽組曲をメインに据えた後半のプログラムは・・ギルバートさんには些か荷が重いようにも感じた。一連の交響作品とはチト趣が違って・・どれほどの上手い演奏だったとしても・・極めて我儘な感性からの違和感を覚えてしまうのだ。ウィンナワルツを聴くのと同様にして・・もうイメージの世界に満足感を覚える他なし!?との境地にまで陥ってしまっているわけだ。。音符の間からふわぁ〜っと漂うウィーンの香りに固定観念を抱いてしまった以上・・どんな名旋律でも・・なぜがガサツに聴こえてしまう。。^^; これは・・もう・・呪縛の世界だ。いやぁ・・困ったもんだ。。ホンマに!!。。 しかしながら・・せっかくの意気込みでプログラムとしたからには・・ギルバートさんにも勝算あってのことなのだろう。スコアの音符を羅列しただけでは・・特に画像付きで視聴する場合にはすぐにバレてしまうのだから。。ギルバートさん・・大阪のある超一流ホテルに勤める同好の士たる友人に良く似て・・その人柄までもがダブってしまうものだから・・聴いている間には・・>>ここのフレーズはXXさんならどう振るだろうか?<<とか・・・>>このティンパニーの打音に感激してるだろか?<<とか・・いろんな面から気になってしまうのだ。これもまた・・誠に困ったものだ。。 マスタリングに入って音だけのモニターをすると・・不思議なもので・・もうそこにはヤボな固定観念やXX氏への幻影は払拭されて・・いやはや・・なんとも味のある演奏が繰り広げられていたのだ。楽節のつなぎ目で少しだけガサツさが気になったものの・・全体の流れは極めて美しい。元々・・深刻な内容など全くこもっていない楽曲なので・・ただただ音の香りを楽しめばいい作品なのだ。今では・・NDRでなくとも・・N響でも十二分に堪能できるのだが・・ギルバートさんのこだわりの対抗配置が抜群の効果をあげている。ホルンの下手な楽団ではとても聴けたもんじゃなくなる楽曲なのだが・・冒頭から雄弁に吼えまくるホルンは絶品だ。弦楽器は柔らかくも品があって・・さすがに相当「ウィーン」を意識した音調だ。テンポ感にも熟成感が漂って・・極めて気持ちよく楽曲の流れに身を委ねられる。。ティンパニーは締りがあって粒立ちよく・・ここぞのところでは全合奏を突き抜けて炸裂。オペラのピットではともかくも・・ステージ上ではかくありたい。^^ 唯一残念なのは・・オーボエの音調に気品が無いことだけか?。演奏会の前半と後半で主席オーボエが交代したようだったが・・風貌では気品がまるでなかった(誠に失礼!m(_ _)m)前半のステージにいた毛むくじゃら?の主席オーボエさんの音の方がはるかに良かったような気がする。。ウィーン・フィルでも・・最近ではベームの時代とは打って変わって・・そこら辺のオーケストラのオーボエと変わらないような音を聴かされることも多くなった。。ツーンと張ったか細くも気品溢れる音はもう聴けないのだろうか。。これこそがウィンナ・オーボエの音として一聴してウィーン・フィルと判る音だったのだ。(特に・・凡人にとっては・・貴重な特別なイメージトーンでもあったわけだ・・・笑) 救われたのは・・最終場面に近づくにつれて・・オーボエの音調に張りと潤いが漲って・・そこそこ「イケる」音になったことだった。サイトウ・キネンの宮本さんのオーボエだったら・・「薔薇の騎士」でどんなメロウなトーンが響くのか・・・現在の夢の一つでもある。それにしても・・芸術の世界とは・・本当に言い出したらキリのない世界だ。。これを甘んじて受け留めていただける音楽の女神さまの懐の広さこそ「宇宙」そのものなのだろう。。・・・などと思いつつ・・打楽器の効果で見事に決まった終結和音が鳴った。これまた・・終り良ければ全て良し!となってしまったのだ。
Disc No. 435  Title No. CDR-YSHD-266A/B-00
Disc No. 436  Wiener Philharmoniker in Tokyo 2005 - Riccardo Muti
266A 266B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-266A/B-00
リッカルド・ムーティ
2005.10.11
シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」序曲
サントリーホール、東京
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
BS/VHS
ラヴェル:スペイン狂詩曲
on air 2005.10.17
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第2部
43'26|52'47
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
★★★★★
Disc No. 437
 Title No. CDR-YSHD-267A/B-00
Disc No. 438
 Wiener Philharmoniker in Tokyo 2001 - Sir Simon Rattle
267A 267B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-267A/B-00
サー・サイモン・ラットル
2001.10.20
:
サントリーホール、東京
ベートーヴェン:交響曲第2番
BS/VHS
ベートーヴェン:交響曲第5番
Live on Air
ドヴォルザーク:スラブ舞曲 op.43-3
36'48|48'59
:
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 東京公演2005  リッカルド・ムーティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 東京公演2001  サー・サイモン・ラットル指揮
◆いやはや・・初めての感覚だったのだが・・シューベルトの序曲がロッシーニの序曲かと思わんばかりに聴こえてしまったのだ。。思わずディスク番号を再確認したほど・・というよりも・・・これが「ロザムンデ」序曲だったんだ。。と妙なところで再認識するところなんぞは・・いかに日頃「ロザムンデ」を聴いていないか・・という強力な証拠?でもある。^^; 序曲の最後で「ザ・グレート」に良く似た金管のフレーズが出てくるのだが・・これが無ければシューベルトの作品とは思えないほどイタリアチックだ。楽曲が楽曲なら・・ムーティさんのカンタービレもまた濃厚なイタリアの香りが漂ってくる。どこがイタリアなんだ?・・・と聞かれても・・ヴェルディやロッシーニの序曲に聴くワクワクするような躍動感・・としか答えようの無い凡人の浅はかさをお笑いくだされ。。そういえば・・イタリアンのフルコースでメインディッシュが登場する前に必ず食すことになるパスタ料理。。今日はフルコースだぁ!^^・・・とばかりにお昼抜きで臨んでお腹の虫が大合唱をあげる中に登場するスパゲティを無我夢中で平らげて・・結構お腹一杯になった時の妙な満足感。。同じ値段でありながら・・京懐石との余りのヴォリュームの差には愕然とするのだが・・そういえばニューヨークでランチタイムに食したステーキはなんと500グラムもあったっけ。。半分も食べきれずに目を回していると・・隣のテーブルのおばちゃんがステーキ完食の後のデザートに・・ペコちゃんとこで売っているチーズケーキの数倍はあろうかと思うようなのをペロリと平らげていたのを見て腰を抜かしたことがあった。。イタリアもアメリカもよく食うのだ。。底なしの明るさこそ食欲の根源か!?!・・・ 日本人のビジネスランチに付き合ったら最後・・仕事のハナシで胃もたれしきりとなるのだが・・欧米人のランチタイムはストレス発散の場となるようだ。日本人の作曲家がロッシーニやシューベルトのような楽曲を書けないのは・・案外食し方の違いから・・ストレスを発散する場を持ち合わせていないせいなのかもしれない。。(?) 昨年のウィーン・フィルの東京公演だが・・本当に素晴らしい音色だ。NHKの収録も功を奏して・・サントリーホールの残響感がまろやかに絡みついて・・ウィーン・フィルが然も有りげに響く様をモロ聴きできる。ケチなハナシで申し訳のない限りながら・・この公演・・S席なんと!¥31,000.- ・・D席でも¥10,000.-。 こうして見ると・・NHKの受信料など安いもんだ^^・・との結論に達する。払ってないお方は丸儲けだ。(笑) どっちがいいのかは・・十人十色の価値観の問題か?。。4種類のプログラムをぶら下げてやってきたウィーン・フィルだが・・「大曲」はシューベルトの「ザ・グレート」1曲だけ。シュトラウスの「死と変容」が後半2曲のメインなのも解る。・・・ただ・・シューベルトの3番がメインなのがサッパリと理解できないのだ。ムーティさん!・・・¥31,000.- の公演でっせ。もう少し・・分厚いステーキ食わしてよ。。せめて300グラムくらいのを・・(笑)
◆2001/2002のウィーン・フィルは・・オザワさんのニューイヤー初登場を始め・・定期公演ではヤンソンスの「スコットランド」&「ロメジュリ」、ムーティの「シューマン4」&「スペイン狂詩曲〜三角帽子」・・といった超名演奏が続いた「収穫の年」でもあったのだが、ラットルもまた・・21世紀最初のベートーヴェン全曲演奏で勝負に出た物凄いシーズンだった。毎年恒例にもなった日本公演でもバーバラ・ボニーがソプラノで出演する「第9」を含む交響曲全曲とピアノ協奏曲第4番のソリストとしてアルフレッド・ブレンデルまでが同行するという超豪華プログラムが繰り広げられたのだ。ベルリン・フィルはカラヤンの指揮で飽きるほど?全曲演奏会を行ったが・・ウィーン・フィルが日本でベートーヴェンの交響曲全曲を演奏するのは初めてのことだった。18型(コントラバス10挺)でベートーヴェンをバクハツさせた(多分・・?)カラヤンに対して・・・ラットルさんは第2交響曲を 10-10-8-5-3  第5交響曲でも 12-12-10-8-6 という・・何ともこじんまりした弦楽器の編成で演奏したのだ。ベーレンライターの新校訂版によるものとはいえ・・ピリオッドアプローチといってもノリントンのような完璧なものでもなく・・ウィーン・フィルは控えめながらビブラートもしっかりとかけているじゃん。。ヴァイオリンこそ対抗配置なのだが・・チェロとコントラバスは通常配置の向かって右側だ。こういった弦楽器の配置も珍しいといえば珍しい。。通常指揮台左右5プルト並ぶ弦楽器が4プルトしかないので・・第2交響曲では室内管弦楽団・・第5では弦楽奏者の足りない日本の地方オーケストラの公演を見るかのような有様で・・視覚的には些か物足りなさを感じるのだが・・・ウィーン・フィルでもこの編成でとあらば・・日本の地方オーケストラは大義名分を得たわけだ。(笑) N響のように・・16型(コントラバス8挺)を並べるために・・1〜2プルト分の弦楽器奏者を臨時に雇わねばならぬところが・・少なくともベートーヴェンまでの楽曲演奏には自前の楽員だけで演奏できるようになったのだ。聴衆から・・なんだぁ?このスカスカのステージは!!・・などというクレームが押し寄せた場合には・・このラットル&ウィーン・フィルの演奏記録をお見せしたらいい。。そうしたら・・このスカスカ?の中にこそ・・ベートーヴェンの真価が垣間見えるのかも!?!・・・などと納得されること請け合いだ。^^ ウィーン・フィルの演奏するベートーヴェンは・・それほどの「紋所」なのだ。多分・・指揮者お仕着せのものではなく・・ウィーン・フィルともなれば・・楽員全員が納得せねば演奏しないのだから。。恐ろしいオーケストラともいえよう。^^; ・・・ということは・・・ラットルさんの方針に賛同しての・・ウィーン・フィルの新しいベートーヴェンでもあるわけだ。なんやかんや・・と文句を言ってみても・・・ベートーヴェンのシンフォニーは弦楽器の人数で決まるわけじゃない。ウィーン・フィルが室内管弦楽団規模で演奏しようが・・ウィーン・フィルには変わりないわけだ。要するに・・ベートーヴェンに求めるもの(人によって様々なターゲットがあるのだろうが・・・)が音に載るかどうか・・・といったことに尽きるのだろう。。今までクサるほどベートーヴェンを聴いてきたハズの我が身ながら・・・日本公演で全曲演奏された中から2曲だけを聴いて・・これこそ21世紀の新しいベートーヴェンだ!・・などと言えるだけの確証は持てなかった。紛れも無く天下のウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンなのだが・・所詮ピリオッドアプローチなんてものは・・カーディナーやブリュッヘンらの本物を前にしてはフツウの演奏に限りなく近い存在となってしまうのかもしれない。グランドオーケストラで挑戦したピリオッドアプローチならば・・ジンマンとトーンハレ管弦楽団の演奏の方がより効果的に聴こえるし、ノリントンとシュトゥットガルト放送響はさらに徹底した古楽サウンドの模倣?に成功しているといえよう。。ラットルさんのアプローチが・・なぜか中途半端に聴こえるのは・・「本物」から受けた刺激が強すぎたせいなのかもしれない。。しかしながら・・結果的には五つ星を献上するほどの大感激をしてしまうのだから・・・凡人の「運命〜感激症候群?」は未だ直りきっていないらしい。。^^;
◆ムーティさんが定期演奏会(FM)でも聴かせたスペイン狂詩曲から三角帽子(第2部) への流れは・・東京公演ではBS(Bモード)の鮮明な音声のお陰かどうか・・微妙な色合いまで鮮明に浮かび上がって・・スペイン情緒をさらに一層満喫できたことを悦びたい。ただし・・・アンコールで演奏されたヴェルディの「運命の力」序曲によって・・一瞬の内にスペインからイタリアへ飛ばされてしまったような感じがしないでもなかった。ムーティさんの十八番中の十八番だ。ムーティさんでこれを聴くことは・・ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで「美しく青きドナウ」を聴くことと同じようなものじゃないかとさえ思うのだが・・できたらこれは・・「ロザムンデ」の代わりに演奏会の冒頭で炸裂させてほしかった。。そして・・アンコールはシュトラウスの「スペイン行進曲」しかないでしょう。。アンコールで・・とって置きの「運命の力」をやるのなら・・三角帽子の第2部だけ・・ってなケチな選曲は止めて・・「ボレロ」しかないじゃん。。(!) 何のためのスペイン狂詩曲から三角帽子の第2部へ流れを作ったのか解らなくなるようなアンコール曲など演奏すべきじゃないのだ。例え・・それが・・ムーティさんの十八番であったとしても。。・・・といっても・・・日本公演ってのは「芸術展示」などという大それた意識などありまへんわなぁ。。興行としての公演なら・・興行主から>あんたの十八番アンコールでやってよね^^<などと頼まれたら・・やらないわけにはあきまへんさかい。ひょっとしたら・・ムーティさんもお辛い立場なのかもしれません。。^^; 遡ってラットルさんもまた・・前後半共にベートーヴェンで固めた演奏会のアンコールにスラブ舞曲。。最初のキューだけ出して・・後はティンパニーでパフォーマンスを披露された。曲が曲だけに・・さすがのウィーン・フィルも指揮者無しではテンポの変化に追尾できない部分が出現したりしてご愛嬌。。これも「興行」の一端なのか??。。ベートーヴェンチクルスのアンコールはベートーヴェンなんじゃ!!。 何も足さず何も引かず・・がアルバム再リリースの原則的な鉄則条件?なのだが・・チクルスコンサート・・或いはテーマを絞ったコンサートも「テーマ」に対する余韻まで考えてこそ・・初めて「芸術的」なプランとなる。3万円で芸術の中に身を置くか・・或いは興行を楽しむか?・・・といった分かれ目は・・案外・・リスナーの損得勘定の中に存在するのかもしれない。。

訂正(2008.03.09追記):上述の中の斜体アンダーラインの部分は、2008年3月9日シンフォネアBBSでの「AT」さんのご指摘により、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルの東京公演(サントリーホール・オープニングシリーズ)で既に行われていたことが判りました。「AT」さん、ご指摘ありがとうございました。
Disc No. 439  Title No. CDR-YSHD-268A/B-00
Disc No. 440  NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenasy
268A 268B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-268A/B-00
ウラディミール・アシュケナージ
2006.03.03

:

NHKホール、東京
チャイコフスキー
FM/VHS
交響曲第1番「冬の日の夢想」
Live on Air
交響曲第6番「悲愴」
46'03|46'09
:
★★★★★ OIDT
NHK交響楽団 定期演奏会  ウラディミール・アシュケナージ指揮
◆アシュケナージさんはN響とチャイコフスキーの交響曲全集を録音するらしい。。3番と4番を組み合わせた演奏会を最初として・・今度は1番と6番だ。残りは・・2番と5番・・そして・・願わくば「マンフレッド」とピアノ協奏曲第1番。アシュケナージさんの弾き振りで・・というのは無理なのか?どうか・・・ラウタヴァーラのコンチェルトを弾き振りされたくらいなのだから・・是非にでも挑戦いただきたいものだ。しかしながら・・・いかに至難のことなのか・・ってなことを棚に上げて気楽に想いを語れるところなんぞは・・凡人冥利に尽きることでもあるといえよう。。^^ チャイコフスキーの交響曲を生中継のFM音声でエアチェックするのは・・サンクトペテルブルグ・フィルハーモニーの来日公演以来のことだ。悲愴交響曲だけは・・カラヤン最後の来日公演もそうだった。。ホールが違うので一概には語れないが・・今回の生中継の音声はそこそこ良かった。悲愴交響曲だけで比較すれば・・NHKの収録担当者が素直な感性の持ち主だったようだ。もちろん・・それなりの・・物理的な伝送キャパがあるわけなので・・BS音源のようなリニアなダイナミクスを望むべくもないのだが・・少なくともピアニシッモが過大に膨らんでいなかったことには感謝せねばなるまい。第3楽章のバクハツは音源の中では堪能できなかったものの・・OIDTで簡単に蘇生できるだけの魅力的な「素材」としての価値は十二分に残っていて・・CDRで聴くときにはドップリとチャイコフスキー本来のダイナミクスを堪能できるような雰囲気を得ることに成功している。^^ もともと・・BS音源でCDR化をするつもりでいたわけなのだが・・・回したテープに瑕疵があってタイムコードを再生で読み取らなくなっていた。従って・・デジタルトラッキングも働かず・・テープは回るが時間のカウントが止まったまま映像音声ともにNGとなってしまうのだ。。ありゃぁ!^^; ・・・ともなって血の気が引くことになった時・・バックアップで録っておいたFM生中継のエアチェックテープがあったことに気が付いた。地獄に仏・・とはこのことなり。N響のBSライブ放送にはほとんど再放送が望めないことからして・・FM音源をもってCDR化をする他無いわけだ。そんなことから・・大いに落ち込んだ気持ちを引きずってFM音源のテープをモニターしたのだが・・・これがとんでもなく?素晴らしい音源だったのだから恐れ入る。勿論、BSのように・・チューニング前から楽員退場まで・・ノーアナウンスでもってドップリと演奏会場の雰囲気に浸れるような優れものの時間の流れなどは編集後には消え失せて・・演奏終了後の拍手の熱狂度?を後年にまで伝えるわけにはいかなくなるのだが・・・エクストンへの録音がライブ編集版となったとしても・・拍手の処理などケチなものになることは必定だ。さぁ〜て・・・DSD収録のSACDとは・・如何なる勝負?となることか・・・??? 楽しみ尽きないところなり。。
◆第1交響曲「冬の日の夢想」・・・凡人の大好物だ。寒いところには住みたくないが(笑)・・・寒々とした空気に映えるオレンジ色の真昼の夢・・ってのにも憧れる。。この冷え切った空気を切り裂くのが金管のパワーなのだ。ロシア音楽で金管がナヨッチク鳴ることほどストレスの溜まることはないほど重要なお役目を持つ。ウチのじいさんが風呂上りに・・キンカンを塗りたくって・・目が回るほどの強烈な臭いを漂わせる・・・のとはチト訳が違うのだけれども、N響の金管は本当に良く鳴ったと思う。特にトロンボーンとチューバ。。N響らしからぬ?分厚い音が至極心地良いのだ。コントラバスはチト上品過ぎたけれど・・チューバの頑張りがあって許されることとしよう。。(?) 第2楽章でソロを受け持つオーボエとホルンも絶品だ。特にホルンなど・・一昔前のN響なら・・聴衆もろとも目を回したに違いない。。フィナーレの昂揚では待ちに待ったティンパニーが炸裂。皮破れんばかりの強烈なロールアタックは凄みさえ感じさせた。。シンバルとバスドラムが僅かに奥で遠慮してたのが気になるところなれど・・ここぞの一発!が効いていたので演奏上の抑えこみだったかも?。。OIDT効果が見事に決まって^^・・再生ヴォリュームに触る必要なく堪能できる。作品CDR?としての冥利に尽きるという満足感で一杯になってしまうのだから・・手前味噌もどんどんと濃くなって・・・やがては強烈な臭いで嫌気をかうことになるのかもしれない^^;。(笑) さて・・恐怖?の「悲愴交響曲」だ。。この交響曲のダイナミクスたるや・・・下は pppppp から 上は ffff まで途轍もない広大なレンジだ。NHKが軽くリミッターを入れたことはいたしかたないが・・・第4楽章のほんの2ヶ所ほどのみ犠牲になっただけで・・あとは全てフェーダーコントロールもしくはコンプレッサーで音量を絞られながらも炸裂ピークのパルス成分が生き残っていたような・・・フレーズ毎の音量レヴェルを蘇生すれば・・なんとかBS並みのダイナミクスを確保できるまでになったのは・・こと「悲愴交響曲」においては奇跡的な音源素材であったともいえよう。。演奏自体は多少縦の乱れがあるものの・・・これがライブであって決して瑕疵ともならない。楽員の意気込み過多からなのかどうか・・・一部楽員のフライイングなどはご愛嬌だ。アシュケナージさんのテンポは・・特にデフォルメすることもなく・・・最晩年のバーンスタインや若き天才ミッコ・フランクのような「特別な存在?」にはなっていない。極めてオーソドックスな演奏からは・・アシュケナージさんの存在さえ隠れて・・ただただ「悲愴交響曲」だけが鳴り響くのだ。
◆チャイコフスキーの交響曲全集・・・既に・・ロンドン交響楽団(ドラティ)、ウィーン・フィル(マゼール)、ニューヨーク・フィル(バーンスタイン)、フィルハーモニア管弦楽団(ムーティ)、ロンドン・フィル(ロストロポーヴィッチ)、ベルリン・フィル(カラヤン)、フィラデルフィア管弦楽団(オーマンディ)、ゲヴァントハウス管弦楽団(マズア)、ソビエト国立交響楽団(スヴェトラーノフ/セッション&ライブin東京)、ロシア国立交響楽団(スヴェトラーノフ)、日本フィル(コバケン/ライブ)、ロシア・ナショナル管弦楽団(プレトニョフ)、チェコ・フィル(コバケン)・・といった市販CDを始めとして・・・サンクトペテルブルグ・フィル日本公演(テミルカーノフ)と日本のローカルオーケストラ7団体によるチクルス公演のプライベートCDRでの全曲音源がCDラックに鎮座している。。ウィーン・フィルとベルリン・フィルは・・デジタルの時代になってからは全曲録音の機会に恵まれず・・オザワさんがベルリン・フィルで全曲録音のプロジェクトを抱えたとも聞き及んだのだが・・4番と5番だけで頓挫してしまったようだ。。プロコフィエフの交響曲全集を作るくらいなら・・チャイコフスキーの全集を作ってほしかった!!。・・カラヤン先生がやらなかった「マンフレッド交響曲」を含む完全無欠の全集を・・・などと思っていた矢先にDGはモスクワで目玉が飛び出るような?凄い全集を録ってしまったのだから・・特に・・テラークも真っ青となるような大序曲「1812年」の録音では・・オザワ&ベルリン・フィルでさえダジタジとなるほどのド迫力をもって全集の援護射撃?に大成功。。古典対抗配置の絶妙なステレオ効果とともに・・セッション録音盤ではこれを抜く品位の全集が現れる可能性は極めて低いんじゃないかとさえ思われるほどだ。現在・・エクストン(江崎さん)がチェコ・フィルで新しく進めている全集プロジェクトはSACDのための録音だが・・さてどうなることか??楽しみなところだ。ただ・・輸入盤のないこのレーベルは・・今の時代にあっては物凄く割高に感じるのが唯一の欠点か?。。そんなこんなの中へ・・アシュケナージ&N響が切り込むことになったわけだ。。残りの2番と4番を組み合わせた定期公演がいつ行われるのかは定かではないが・・全ては第2交響曲終楽章コーダのティンパニー乱れ打ちのデキ次第にかかってくるような予感がしている。。N響は・・万一・・皮が破れた場合に備えて・・ティンパニーを2組用意するだろうか??(笑)
Disc No. 441  Title No. CDR-YSHD-269A/B-00
Disc No. 442  Tokyo Philharmonic Orchestra - Vladimir Fedoseyev
269A 269B
東京フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-269A/B-00
ウラディミール・フェドセーエフ
2006.01.22
クリストファー・ミロシニコフ (Vc)
オーチャードホール、東京
:
FM/VHS
カリンニコフ:交響曲第1番*
2006.03.05|2006.03.12*
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲
38'02*|38'49
チャイコフスキー:「フランチェスカ・ダ・リミニ」
★★★★☆ OIDT
東京フィルハーモニー交響楽団 オーチャード定期  ウラディミール・フェドセーエフ指揮
◆拙サイトのスペシャルコンテンツとして知る人ぞ知る?MR.ARTのコンサート&CDレビュー♪でも取り上げられているのだが・・MR.ART氏がいなければ未だめぐり合っていなかったのがカリンニコフのシンフォニーだ。俗に「秘曲」といわれるマイナーな存在の楽曲なのだと思って聴くと・・もう何十年も聴き続けているような親しみが湧いてくるのだから・・本当に不思議な感覚でもある。。なぜか・・懐かしく・・ひたひたと心の襞に染み入るようなメロディーラインが聴き終わった後にも脳裏に焼きついて離れないのだ。チャイコフスキーのように・・切々としたメランコリックな情を感じるわけでもなく・・しかしながら上辺を取り繕ったような情緒でもない。。表題こそ付いてはいないものの・・カリンニコフさんの言いたいことが明確に感じられるところなど・・オリジナルティを伴ったカリンニコフの世界が展開しているといえよう。。ただ・・第4楽章で第1楽章のテーマが再度鳴るのだが・・これが素直に発展しないところだけがほんの少しストレスを感じる。チャイコフスキーの第5交響曲は特別な存在だとしても・・主題の変形に重量感を伴わないので大変に立派なコーダをもって聴き応えは十二分にあるものの・・終楽章の冒頭で第1楽章のテーマをそのまま鳴らした意味が判らぬまま別の次元で盛り上がってしまうような感じにもなって・・第1楽章の余りにも素直な情緒との格差に戸惑うことにもなるわけだ。。2管にピッコロ及びイングリッシュホルン・・そしてテューバまでの金管を伴い、1台のハープとトライアングルを加えた楽器編成からは・・シンバル&バスドラムでドシャ〜ン!と空気を揺する必要のないカリンニコフの繊細な気持ちの一端が表れているかのようでもある。。ド派手な「一発効果」よりも・・遠赤外線で気持ちが熱せられるが如くのジンワリとした効能?を狙ったのか??・・・後半のステージのメインとして演奏された「フランチェスカ・ダ・リミニ」は・・それなりに・・やはり凄みの効いた劇的な楽曲だ。オーケストラのテュッティーの真迫力はカリンニコフの交響曲のフィナーレコーダと比べても気持ちに迫るエネルギーが何千倍にも感じるのだから・・・カリンニコフをメインとしなかったフェドセーエフさんのプログラムビルディングは見事なものと感心したりもする。。フェドセーエフ
◆ウラディミール・フェドセーエフは・・その昔・・一時大注目したことがあった。「もう一日遅ければ録音できなかったかも??」みたいな緊迫した宣伝文句に絆されて・・ショスタコーヴィッチの第5交響曲の音盤を購入した時だ。歴史の1ページに奇跡的な無血革命として刻印された旧ソビエトの崩壊。。歴史の中で時の流れに歪みが生じる国家体制の変化の真っ最中に・・その名も「革命」との愛称を持つタコ5を録音するという絶妙なタイミング。。1991年8月19日のことだったらしいのだが・・16〜17日には「森の歌」も録音されていた。その後リリースされたCDの注目度は「森の歌」の方に集まったみたいだったが・・モスクワ放送の玄関先に戦車が現れたという第5交響曲の録音の日付の方が大いに気になるところとなっていたことも事実だった。キャッチコピーが余りにも激烈なものだったせいかどうか・・聴いた後の反動もこれまた愕然となるほどの肩透かしにあったような・・余りの酷い演奏に笑ってしまうほどとなって・・このCD・・翌々日には中古屋の店頭に並ぶ憂目となってしまったのだ。。それにしても・・ノーテンキにして慌しいフィナーレにはどうやっても納得できなかった。時のモスクワ放送交響楽団は・・音符をフェドセーエフのテンポで音化しただけ・・といった感じで・・早く家に帰してよぉ〜・・てな慌しささえ漂って・・それがそのままフィナーレコーダにのっかってしまったようにも聴こえたのだから・・逆に言えば・・確かに戦車が玄関先にまで押し寄せた証拠なのかもしれない。。事情の如何に関わらず・・浮ついた・・ソワソワしたようなタコ5にリリースアプルーヴァルを出したフェドセーエフさんには・・その後ほどんど耳を傾けることなど無くなっていたのだが・・・こんな形でフェドセーエフさんと再会?できるとは夢にも思わなかったことだ。手兵モスクワ放送交響楽団は正式名称「モスクワ放送(所属)のチャイコフスキー記念アカデミー大交響楽団!」・・みたいな仰々しい名称となっても・・すでに30余年間も音楽監督兼常任指揮者として君臨しているのだから・・今の時代にあっては・・現役としての世界最長の円熟した組み合わせじゃないだろうか。。マンフレッド交響曲を含むチャイコフスキーの交響曲全曲も1999年の録音盤がCDリリースされている。なにやら・・相当な評判?らしく・・チャイコフスキー交響楽団の演奏するチャイコフスキーの交響曲全集もオツなものだ・・・と思うものの・・RELIEFレーベルなる輸入CDは結構な値段でもある。。さて・・どうしようか??。。
◆ロココ風の主題による変奏曲は・・60年代後半にロストロポーヴィッチとカラヤンのドヴォルザークの余白にカップリングされていた曲でもある。もう随分と長いお付き合いをしている独奏チェロと小型管弦楽のための協奏変奏曲なのだが・・近年になってやっと・・その渋めの味が解りかけてきたというほど・・なんともお粗末な経過を辿っていた。この曲目当てにCDを購入することなど100%有り得ないのだが・・ドヴォルザークやエルガーのチェロ協奏曲の余白には丁度手頃な演奏時間ということもあってか・・いつの間にか何種類もの同曲がCDラックで冬眠を続けていた。冬眠から目覚めるきっかけを作ったのが・・サンクトペテルブルグ・フィル(テミルカーノフ指揮)の1993年来日公演でのチャイコフスキーチクルスにおけるプログラムに堤剛がソリストとして登場・・その一連のエアチェックテープを2002年になってCDR化する際に・・テイクを重ねてクサるほど聴くハメとなった時だった。特に・・OIDTをもってリマスターした時のテイクの数は・・思い出すだけでもゾッとするほどの数を重ねて・・ヘッドフォンの中で炸裂するシンフォニーや「1812年」の大音響に連日連夜頭痛薬を飲みながら格闘?していた中での唯一ホッとする楽曲がこれだったのだ。堤さんの妙に音程がズレたメロディーラインなど・・逆にニンゲンチック?に聴こえたりして・・・それ以後にはどういうわけか・・上手く聴こえすぎるチェロには拒絶反応さえ出るようになってしまったのだから困ったものである。落差が激しかったせいかどうか・・音程がビシッと決まって・・満身のビブラートにカンタービレをのせるようなフレーズになるとグググイッと気持ちが震えて脳裏に焼きついてしまったりしたのだ。。ミロシニコフさんの年齢は定かではないが・・未だ20代後半か?・・・・。東京フィルのプロフィールページによれば・・ハンガリーの第14回ヤングアーティスト国際コンクールで市場最年少(16歳)の優勝経歴を持つという。。音程はびっくりするほど正確で・・さすが!といえるほどの素晴らしい演奏だった。ただ・・楽曲自体・・メインとして控える「フランチェスカ・ダ・リミニ」の前座としての存在を超えるものじゃないのがチト残念なところだ。サンクトペテルブルグ・フィルのステージにおいても・・前半に第3交響曲と後半のメイン「1812年」との間奏曲のような存在となって・・聴衆の期待は否が応でも「1812年」に集中していたことだけは間違いないのだろう。。(?)
Disc No. 443  Title No. CDR-YSHD-270A/B-00
Disc No. 444  Wiener Symphoniker - Rudolf Buchbinder - Wolfgang Sawallisch
270A 270B
ウィーン交響楽団
CDR-YSHD-270A/B-00
ヴォルフガング・サヴァリッシュ
2005.04.27
ルドルフ・ブフビンダー (Pf)
ウィーン楽友協会大ホール
:
FM/VHS
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
2005.12.20
ベートーヴェン:交響曲第7番
35'39|45'13
:
★★★★★ OIDT
ウィーン交響楽団 演奏会  ルドルフ・ブフビンダー(Pf)  ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮
◆このオンエアを聴くまでは・・ブフビンダーなるピアニストの存在さえ知らなかったのだから・・お恥ずかしい限りの身の上だ。色々と調べたら・・相当な有名ピアニストらしい。。チェコ出身で・・今はウィーンで活躍する・・とあって・・ご自身で弾き振りされた同じウィーン響とのモーツァルトのピアノ協奏曲全集を既に1990年代後半には完成されている。今年(2006年)には還暦を迎えられたようだが・・物凄いエネルギッシュな打鍵だ。FMライブ音源には珍しいほどの鮮烈なサウンドにのって・・サヴァリッシュのゆったりとした冒頭のテンポが重量感に満ちた雰囲気を醸し出す。この曲では・・ライブ演奏の場合・・大抵少なからず笑っちゃうようにキーを外してしまうようなことが間々あるのだが・・ブフビンダーさんの打鍵の意外?な正確さには驚嘆した。意外?というのは単純ながら・・・ニンゲン・・還暦を迎えても・・ここまでやれるのだ・・という憧れにも似た想いからだ。ウィーン交響楽団といえば・・カラヤンとリヒテルとが火花を散らした物凄い録音が遺っている。。会場も同じ楽友協会の大ホールだが・・こちらはセッション録音だ。従って・・両者を比較しよう・・などとナンセンスなことはしないでおこう。。しかしながら・・サヴァリッシュとブフビンダーとのコンチェルト・・・ライブでありながらなんという完成度!。。完璧じゃない(当たり前だ)のだが・・完璧に聴こえてしまうような真迫力を伴って・・演奏上の細かい傷などかえってご愛嬌みたいな雰囲気にまでに演奏への情熱が昇華しているのだ。オーケストラ自体の強烈なエネルギーがマイクにのった甲斐あってのこととも思われるのだが・・エネルギーのみならず音色音調共にいい具合に気持ちを痺れさせる。。何回でも繰り返し聴きたくなるような優れた収録といえよう。。オーケストラに対抗する独奏ピアノ(ベーゼンドルファーか?)の腰砕けにならないメリハリの利いた打音には涎が出るほど魅力的だ。FMでこれほどの音源を入手できるとは夢にも思わなかったことでもある。。ゴールデンザールのホールトーンには残念ながらドップリと浸るわけにはいかないのだが・・オンマイクといってもスーパードライな辛口?の響きでもない。。ORFの収録エンジニアの中でも・・特に優秀な人間が録ったと思われるのだが・・いやはやこれは掘り出し物級の音源と相成った。^^ 今年(2006年)になって引退を表明(ホントに?!?・・)されたらしいサヴァリッシュさんだが・・もしもそうならこの音源はサヴァリッシュさん最晩年の貴重なものだ。N響のレヴェルアップには大いに貢献されたのが・・壮年期における威風堂々とするも・・遊び心?のない厳格な指揮姿を見るたびに・・絶えずカラヤンと比較をしてしまう・・という愚かなことをやっていた。。サヴァリッシュさんはギコチなくはないのだが・・なぜかアカデミックな堅苦しさを覚えてしまって・・音楽までが押し付けがましく威圧的に聴こえたのだから・・今となってはもっと素直に聴くべきだった・・と反省せねばなるまい。。^^; 当時のN響は・・カラヤンがベルリン・フィルを振るようなわけにはいかなかったんじゃないか?・・・と思えば・・サヴァリッシュさんの睨みを利かせた厳格なビートの有り様に納得もできよう。。
◆おそらく・・根本的には・・昔のサヴァリッシュさんとの違いはほとんど無いと思われるものの・・こうして82歳にもなられたサヴァリッシュさんの指揮で聴くベートーヴェンの第7交響曲はやはり何か違う。。オーケストラはウィーン・フィルじゃなくウィーン響なのだが・・これもまたウィーン・フィルに劣らぬ壮麗なサウンドを炸裂させている。リピートの実行とゆったりとしたテンポのためか・・カラヤンの演奏よりも10分も余計に「第7」の世界に浸っていられるのだが・・つまりは・・「ベト7」が「ブラ1」並みの大曲となって・・物凄い荷重で聴き手を圧倒するのだ。ベートーヴェンのシンフォニーほど・・リピートの有無やテンポ・・そして編成規模や演奏法などで・・曲想自体が様々に変化する楽曲は無い。近年流行った古楽器のオーケストラ(ブリュッヘンやガーディナーの指揮による・・)や・・それらの奏法を真似たプルトを削ったモダンオーケストラの演奏などのサウンドが軽薄短小に聴こえてしまうほど・・朝比奈隆やサヴァリッシュのベートーヴェンは重厚長大だ。カラヤンは・・コントラバス10挺を含む18型の弦楽器に加えて管楽器も倍管とするなど物凄い編成でベートーヴェンを演奏したが・・基本テンポが速くリピートもやらないので・・せっかくの大編成のオーケストラでも・・音の重みが・・少なくとも録音では活かしきれなかった。。音符1コに対する時間荷重?の軽さは・・受け留める感性に軋みを生じさせないのだ。ベートーヴェンのシンフォニーは決してスマートなものじゃないハズだ。だから・・感性をギシギシと軋ませながらのしかかってくる・・破天荒なほどのベートーヴェンの音楽への熱情が希薄となって・・カラヤンのベートーヴェンに納得しない御仁も多々おいでになるのだろうと思うのだ。しかしながら・・それは・・それなりに・・独特の快感と凄みがあって・・最高精度のアンサンブルが高速でかっ飛ばすのだから・・聴き終わった後は感動の渦の中へ沈み込む?・・というよりも・・竜巻に巻き上げられた後に地上にたたきつけられた時のような?・・唖然とした痺れの中に固まってしまうことになる。。高校の音楽の科目で・・「ベートーヴェンの運命・・カラヤンvsフルトヴェングラー!」といった極めてナンセンスな作文を書いたことを思い出したが・・・こっちはこうで・・あっちはああで・・などと言ってみても・・結局は聴いてナンボ?の音の世界なのだ。。十人十色の感性があるのだから・・当然にして十人十色のベートーヴェンが演奏される。。その芸術的表現にケチなどつけられようか。。そんな中でも・・人生極まったニンゲンの芸術的感性から表現された入魂の演奏・・というのも滅多に聴けるものではなさそうだ。。フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督として来日公演(ベートーヴェンチクルス)で演奏された「第7交響曲」は・・1997年のことだから8年間の時差があるわけが・・当時はまだ元気矍鑠として・・合唱幻想曲では弾き振りまでされたほど精力的に指揮をされたことを思い出した。。今春引退を表明せねばならぬほどここ一年ほどご体調が悪かったようなことを聞き及んではいたのだが・・丁度引退表明の一年前となるウィーンでの「第7」にはご体調のことなど微塵も感じさせないどころか・・フィラデルフィアに優るとも劣らないほどにウィーン響が爆裂したのだから・・オーケストラも何かを察しての火事場の馬鹿力を発揮したような?・・・そんな感じがしないでもない。。サヴァリッシュさん。。長年の間・・N響を・・ありがとうございました。そして・・近年になってやっと・・遅まきながら・・あなたの音楽の魅力がかけがえのないものへと昇華したことを実感いたしました。極めてプライベートではありますが・・巨匠指揮者の殿堂へお入りいただくことにしました。ご了解ください。^^
Disc No. 445  Title No. CDR-YSHD-271A/B-00
Disc No. 446  Wiener Philharmoniker - Mstislav Rostropovich - Seiji Ozawa
271A 271B
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CDR-YSHD-271A/B-00
小澤征爾
2005.06.20
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ (Vc)
ウィーン楽友協会大ホール
:
FM/VHS
ハイドン:交響曲第60番
2005.12.21
ペンデレツキ:チェロと管弦楽のためのラルゴ
43'06|40'28
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
★★★★★
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会  ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Vc) 小澤征爾指揮
◆オザワさんが過労で倒れて静養を余儀なくされたとの記事を見て・・今年(2006年)のサイトウ・キネン・フェスティヴァルでのショスタコーヴィッチの第5交響曲(オザワさん初挑戦の曲じゃないか?・・と思って楽しみだった)を・・何らかの形にしても・・聴く機会を失ってしまったことを残念至極に思ってはいるのだが・・まぁ・・ここで命の洗濯でもされて・・フル充電のオザワさんが戻って来られる日を楽しみに待ち望むことも悪くはないか・・とも思うのだ。。随分と長い期間に渡って静養されるとのことなので・・相当なダメージが御身に振りかかったのではないか??・・などと懸念をしてはいるのだが・・スクーター持参で船に乗ってヨーロッパへと渡られたことから始まって・・気骨のある音楽人生を歩んでこられたのだから・・もう20年ほど頑張っていただかないことにはオザワファンは納得しないことだろう。。ニューイヤーコンサートへも・・もう2〜3回はご登場願いたいし・・またそうでなければ国立歌劇場音楽監督としての沽券?にもかかわることになるのだ。。ウィーン・フィルが色気を出して?・・ラットルさんと録音したベートーヴェンの交響曲全集は21世紀初のウィーン・フィルによる全曲録音だったが・・次のベートーヴェンは誰が振るのだろうか?・・といった楽しみをオザワさんに託していることも事実だ。サイトウ・キネンという・・歴史に埋没するかもしれないような寄せ集めの臨時楽団とベートーヴェンを全曲録音しちゃったのだから・・復帰記念にウィーン・フィルとの全曲録音プロジェクトなどとても無理なハナシとなって・・下手をすると・・ティーレマンさんあたりに油げさらわれる可能性大なり。^^; 本音を申せば・・ティーレマンでいってもらいたいところなれど・・なんとしてもオザワさんには・・ウィーンで君臨した証として・・まとまった録音を残してもらいたいのだ。オーソドックス過ぎて毒気など全く無い純水無垢のベートーヴェンは・・ある意味では殿堂に輝くお手本的な優れものとなるかもしれない。。ティーレマンさんには・・その次にでもドバ〜っと毒気を撒き散らしてもらえばいい。。唯一の問題は・・十数年後・・ティーレマンさんのベートーヴェンまで我が身がもつかどうか?ということだけに絞られるという極めて情けない現実を納得できるかどうか??・・・。未来永劫続くであろうウィーン・フィルの歴史を思えば・・聴き手がシンクロできる時間は余りにも短い。。嗚呼!!・・・
◆ハイドンの交響曲第60番「うかつ者」は・・2002年6月の水戸室内管弦楽団の定期演奏会ではメインプログラムとして演奏された。オザワさんは・・この曲がお気に入りのようだ。元々「うかつ者」なる劇の付随音楽として書かれた中から・・序曲と4つの間奏曲・・そしてフィナーレから組まれたものらしい。。全6楽章なる交響曲・・と聞けばマーラー級の大作交響曲と早合点してしまうのだが・・そこはハイドン・・当時の聴衆の我慢の限界?をキッチリとわきまえておられたようだ。第6楽章(フィナーレ)など・・演奏時間2分ともたない。そして・・そのフィナーレ楽章こそ・・聴衆をビックリさせる仕掛けが仕組まれて・・正に冗談音楽を額縁に入れたような形態として笑い(どよめき)を誘うのだ。まぁ・・如何に・・当時の聴衆が「形」にはまった交響曲に夢うつつの時を過ごしていたのかが目に見えて判るようでもある。「うかつ者」・・といえば・・凡人管理人もまたそうなのだが・・むしろ・・「うつけ者」としての評価には引けをとらない。(笑) 信長のような破天荒な人生ならば歴史にも刻まれることになるのだが・・ギックリ不発弾完備?の身の上で駄文を重ねているわけだから・・このエネルギーをもっと他で使えばマシな人生を送れたのかもしれない・・などとわけのわからないことで後悔したりもする。。しかしながら・・音楽への愛着がなければ・・確実に「道」を逸れた人生を送ることとなって・・家族や家庭・・仕事などへの気持ちの歪みが限界を超えたところで爆発してたであろうと思えば・・音楽や・・音楽する中で知り合った素晴らしい個性?のお仲間を持ち得たことは・・かけがえのない無形の財産じゃないかと喜んでもいるのだ。所詮・・音楽などは・・個人的な楽しみであって・・仲間を求めて感動を共有できるようなシロモノじゃない。十人十色のニンゲンが・・それぞれの嗜好で己が感性に気に入った波動を呼び込んでいるわけだが・・茶話会などで言いたい放題やりだせば・・感性の微妙なズレにストレスを感じる場合が多々あることも事実だ。楽曲への嗜好を棚に上げても・・演奏論など始まれば・・特定演奏家を愛好するミーハーチックなお方にとっては・・口角泡飛ばすことにもなりかねない。。マニアックなベクトルで音楽を聴いておられるお方のオハナシを聞くこともまた・・とても辛く我慢を強いられるものだ。。音楽を聴いて・・魂が震えるほどの感動を覚えて・・そして・・それを第3者に伝える術ほど難しい技はない・・とつくづく感じる今日この頃でもある。。
◆さて・・極めつけのチェロ協奏曲としてエルガーのそれと人気を二分する(エルガーは・・まだまだマニアックか?)ドヴォルザークの作品をロストロポーヴィッチさんのライブ演奏が・・しかも同じオザワ&ウィーン・フィルのバックで・・2回も聴けることになるとは夢にも思わなかったことだ。。前回(2003.10.06)のウィーン・フィルの演奏会では・・前半にシューベルトの未完成交響曲が演奏され・・ドヴォルザークのコンチェルトはやはりメインプログラムだった。当時76歳になられたロストロポーヴィッチさんだが・・御歳を忘れさせるほどの物凄い演奏をご披露された。。今回(2005.06.20)の演奏会では・・当初シュトラウスの独奏チェロと独奏ビオラを伴う交響詩「ドン・キホーテ」が予定されていたらしいのだが・・演奏会の直前にドヴォルザークのコンチェルトへ変更されたとのことだ。しかしながら・・これは結果的にありがたかった。2年前の演奏もよかったはよかった?のだが・・今回のORFの録った音は以前にも増して鮮烈さをUPして・・カッチリクッキリと音像が迫ってくるような優れものになっていた。。チェロとオーケストラとのバランスもマイクロフォンで捉えたものとしては最高にナチュラルな感じで聴くことができる。そして・・肝心のロストロポーヴィッチさんの演奏も・・78歳というご高齢にもかかわらず・・前回を越える迫真入魂のものになっていた。。78歳といえば・・指揮者でも棒を振るのが遅くなって・・演奏自体が弛緩する場合多々あるのに・・至難のドヴォコンを実際に弾かれているのだから・・本当に信じられない。。オザワさんはテンポを緩めることなく極フツウに独奏チェロと対峙されている。ウィーン・フィルの音の出し方は・・まるで交響曲の演奏だ。伴奏という枠で遠慮しいしい音を出そうものなら・・チェロの巨匠に対して極めて失礼なのだろう。。ティンパニーも金管も・・満身の音を炸裂させているのだから実に気持ちがいい。。前回の演奏では100%これが感じられなかった。それでも・・ロストロポーヴィッチさんがオザワ&ウィーン・フィルと共演されたことだけで満足してしまうという土台でもって聴けば・・即座に痺れきってしまうような境地にもなるのだ。。ドヴォルザークだけで驚嘆していたら・・前半の2曲目・・ペンデレツキの新作初演も独奏チェロとオーケストラのための作品だったのだから・・この演奏会ではロストロポーヴィッチさんの独断場だった。2003年にウィーン楽友協会委嘱として書かれた「独奏チェロと管弦楽のためのラルゴ」だが・・「ため息のモチーフ」を基に独奏チェロと・・オーケストラの中の4人の独奏チェロと管弦楽が絶妙な織り成しを聴かせる。。まったりとした聴きやすいラルゴだが結構な技巧も必要じゃないかと思ったりするものの・・演奏会の前半と後半でロストロポーヴィッチさんの妙技をオザワ&ウィーン・フィルと共に堪能できた当日の聴衆は>儲けたぁ!・・<・・てなことを思ったかどうか??・・・・・そのようなケチな考えが浮かぶのは凡人だからできることなのかもしれない。(笑)
Disc No. 447  Title No. CDR-YSHD-272A/B-00
Disc No. 448  Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks - Maurizio Pollini - Mariss Jansons
272A 272B
バイエルン放送交響楽団
CDR-YSHD-272A/B-00
マリス・ヤンソンス
2006.03.10
マウリッツオ・ポリーニ (Pf)
フィルハーモニー、ミュンヘン
:
FM/VHS
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番*
2006.03.20*|2006.03.21
マーラー:交響曲第5番
46'33|73'16
:
★★★★★
バイエルン放送交響楽団 演奏会  マウリッツオ・ポリーニ(ピアノ) マリス・ヤンソンス指揮
◆1995年12月にアバド&ベルリン・フィルとDGへ録音したブラームスの第2ピアノ協奏曲(リリースは1997年)は未だに「最新録音!」としての思い込みが尾を引いているのだが・・もう10年も前のことなのだ。。10年前のポリーニさんは・・凡人管理人の「今」と同じ歳。その年に購入したクルマが今年ついに寿命を全うした。。延命修理をすれば・・まだまだいけるハズなのだが・・ゾッコン惚れこんだとはいえ・・所詮工業製品だ。。損得勘定から・・背に腹は変えらぬ事態は必ず訪れる。しかし・・世の中・・捨てる神あれば拾う神あり!^^・・・十人十色のニンゲンの価値観の微妙(絶妙?)なズレから・・2歳若返った当時の改良型同型車が即座に見つかったのには恐れ入った。。それでも8年8万キロも走ったクルマだ。少なからずガタはきているもの。。おそらくタダ同然で下取ったクルマに数十万円の値段が付くのは・・ディーラー保証で完全整備をするための費用なのだろうと思うのだが・・・10年間付き合って・・おそらく呆れかえっているハズの担当セールス氏にブッチャケたハナシを聞くところによれば・・たとえ「格安」といえども・・そこそこの金額である以上・・そんなクルマを購入するのはバクチなり!とのご意見。。ウチ(ディーラー)の中古車部ではとても怖くて扱えない年式の車である!・・とのことらしい(?)。。一応・・中古車部に有るか無いか聞いてほしい・・と頼むと・・1台だけ同型車が有るとのこと。。値段を聞いたら・・なんと予算よりも3割も安い!^^ このクルマなら自信を持ってお奨めできる(?)・・とくれば・・ボンネットも開けずに即契約。。自信を持ってお奨めされたクルマが・・少なくとも今後2年間・・如何様に推移するのか??・・・こうなったらただただ信用する他あるまい。。そして・・それが・・妙に楽しみなのだ。。へそ曲がりオヤジのこだわりが「吉」と出るか「凶」と出るのか??・・・ワクワクするような・・少なくとももう2年間を・・惚れこんだクルマ(車型)と共に過ごせる時間を持ち得たことを喜ばずにはおられない。。人生・・十年一昔というものの・・本当に10年経つのは早いものだ。保育園だった息子が高校受験に立ち向かっている。オネエはもう女子大生だ。。自動車学校へ通って・・いよいよ念願の後席VIPシート?で紫煙を揺らしつつふんぞり返って乗せてもらえる時が真近に迫っている。^^ ・・・と思いきや・・いきなり>ワタシがウンテンするときはキンエンだからネ^^<・・と釘を刺される始末。^^; ・・・・・ 嗚呼!!・・・老いては子に従えにゃり。・・ってか?
◆イカンいかん・・・BRSO&ヤンソンスのことを書かねばイカンのであった。しかし・・その前に・・バイエルン放送協会の素晴らしい収録を讃えようと思う。演奏会の行われたミュンヘンのガスタイク文化センターは・・日本でもお馴染みの総合文化施設のようだ。フィルハーモニーとの名称は・・この施設内にある最も大きなコンサートホールのことをいうようで・・2400席もの収容キャパがある。地元の芸術文化センターは・・2500席の多目的ホール(4面舞台設備があるので・・地元では当初オペラハウスと呼んでいた。^^;) と1800席のコンサートホールを中心として・・小ホールや美術館・・そして各種貸し会議室などが一つの建物の中に組み合わされてできている。1980年代のバブル景気全盛期に国の補助金目当てに・・プロオケの存在しないような地方自治体までもが似たり寄ったりの設計思想?で乱立させた箱物だ。大抵の場合・・立派な音楽専用のパイプオルガン備付コンサートホールを大なり中なり?売り物とはしているものの・・開店休業の日数の方が多い・・つまりは膨大な維持費を注ぎ込んで年に何回有るか無いかといったプロオケ公演を開催しているのだ。。ご多分に漏れずに・・天下の東京都も芸術劇場なる複合施設をこしらえたのだが・・ここだけは大いに賑わっているようだ。東京都の交響楽団(直属ではないが・・)がありながら・・都響専用ホールにするでもなく・・100%貸しホールといえどもサントリーホールの影?として甘んじた存在に陥ってしまっている。。文化行政の貧弱さを自ずから宣伝しているようなもので・・こんなことなら都響など無くなってしまっても構わないし・・都響が存在しても芸術劇場など無くても痛くも痒くもないハズだ。仏作って魂を入れないような箱物など・・建てたらダメなのだ。>MPHIL<の略称でオフィシャルサイトのロゴを飾るミュンヘン・フィルの本拠「フィルハーモニー」は・・東京芸術劇場と同じようなコンセプトで建てられた複合施設「ガスタイク文化センター」の中にあるコンサートホールだ。ガスタイク文化センターのオフィシャルサイトには・・サイト内メインコンテンツの一つとしてミュンヘン・フィルのページがある。従って・・文化センターはミュンヘン・フィルと共に在り!・・とのことが一目瞭然なのだ。ここの「フィルハーモニー・ホール」へ行けばミュンヘン・フィルが聴ける。そして・・ミュンヘン・フィルを聴くためにはガスタイクへ馳せ参じねばならない。。世界中の一流と認知される楽団のほとんどは・・コンサートホールとの相互関係を大事にしているわけだ。晩年のチェリビダッケがライブ録音を遺したホールも此処だった。。して・・どんなホールなのか??・・・。 東京芸術劇場など足元にも及ばない優れものの雰囲気が漂う。・・写真で見る限りだから当てにはならないが・・写真で見るだけでほぼ推察できてしまうところがコンサートホールの面白さでもあるのだ。。さすが!・・ドイツデザインだけのことはある。。マンガのようになってしまったメルセデスとは違って・・何よりも重心の下がった落ち着きがあるところ。。響きにこだわった・・視覚的に納得できる・・天井から壁面へと連続させた反響板などなど。。チェリビダッケさんは・・晩年幸せだったといえよう!^^
◆バイエルン放送交響楽団の本拠は・・ホール内部壁面が大理石で覆われたヘラクレスザールなる中型ホールだ。ガスタイクの半分しかない座席数だから・・おそらく100名の楽員がフルパワーで爆裂すれば即座に音響飽和となって鼓膜がビビることになるハズだ。クーベリックの時代には・・ここで8番を除くマーラーの交響曲がセッション録音されたのだが・・演奏会もここだったわけだから信じがたいことでもある。。クーベリック&BRSOのマーラーが絶対に爆裂しなかったのは・・単に当時のアナログ録音システムのせいではなく・・ホールの音響限界だったのかもしれない。オーケストラが牙を剥かず・・丸く収まってしまっていることに・・オーディオ装置が進化?する度にがっかりしたことを覚えている。それに比べてショルティは・・などと比較論をする場合でもないのだが・・ミュンヘン・フィルの本拠「フィルハーモニー」で鳴ったBRSOのサウンドパワーは壮絶なものだった。奇しくも・・クーベリックでは大いに落胆したマーラーだ。700席のコンサートホールを本拠とする仙台フィルの節目の定期演奏会(シュトラウスのアルプス交響曲をメインとするプログラム)を振った外山先生が・・同じプログラムを引っ提げて東京公演(確か・・トリフォニーホール?)へ臨む前のインタビューに答えた時に・・本拠では思う存分音が出せない・・と本音で語られていたことがあった。700席のコンサートホールしかないのなら・・700席のホールでブレンドするサウンドを熟成されたらいい・・そして・・そのための楽団編成規模とプログラムの開発?をされたらいいのに・・と思ってしまうのだが・・全国津々浦々・・オーケストラもないような地方都市に2000席規模のパイプオルガン付き音楽専用コンサートホールがバカバカ?できていることに腹をお立てになっているかのようでもあった。BRSOは仙台フィルとは違って・・小ぶりながらパイプオルガン付きの世界有数の響きの良いホールを本拠として・・いざとなれば同じ市内にある2400席のフィルハーモニーで演奏できる体制にあって・・楽団の規模からして雲泥の差だ。そんなオーケストラが・・とんでもない?プログラムで演奏会を開いたのだから・・近年希な驚きともなったわけだ。。今や・・カリスマピアニスト?としてバリューNo.1たるポリーニさんとのブラームスのピアノ協奏曲第2番。。第1番の虜になってしまうと・・第2番は些か軽量タッチに聴こえてしまうのだが・・その実奥の深い交響的な楽想の連鎖にピアノが絡み・・ターゲットは判らぬままにほのぼのとした憧れの境地を呼び込んで・・交響曲第2番から緊張感だけを取り去ったような・・そう!・・まるで雲上の世界で戯れる如きの開放的な曲想を感じる。ピアノ独奏付交響曲と呼ばれる所以は4楽章からなる楽曲構成だからなのだろうが・・ブラームスのピアノは容赦のない満身の打鍵の連続だ。楽想が軽量タッチに聴こえても・・鳴ってるオーケストラはフルパワーでもある。つまりは・・コンチェルトらしからぬ超絶的な分厚い音がピアノとオーケストラとで合成されるのだ。数多あるピアノコンチェルトにおいて・・テュッティーの音圧レヴェルを計れば・・間違えなくダントツ抜きん出て(第1番と共に)ワンツーフィニッシュを飾ることになるだろう。。だからこそ・・「交響曲」と呼ばれるんじゃないか・・ってなことを一人合点で考えたりもするわけだ。(笑っちゃおう^^) ポリーニさん共々・・物凄い演奏だったとしかいいようのないところなど・・凡人らしくて素晴らしい!・・ともいえよう。。^^; 
◆後半のマーラーなど・・「第九」並の演奏時間だ。まぁ・・もっとも・・我が地元のオーケストラでさえ・・ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の後でショスタコーヴィッチの第4交響曲を演奏するという離れ業?をやってのけたことがあるくらいなので・・BRSOのような腕っこき集団ともなればお茶の子サイサイなのかもしれない。ワーグナーの楽劇などはウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の楽員さんでも本音!・・疲れるぅ!!・・ってことらしいのだが・・大阪フィルはステージの上で指輪を4回に分けてライブ録音してしまったのだから・・2時間弱の演奏などどうってことないハズなのだ。打楽器のインパクトがよく効いた収録の甲斐あって・・BRSOの楽員が顔真っ赤にして演奏する様が見えてくるような素晴らしいオーケストラサウンドだ。マーラーの交響曲第5番は・・全5楽章が3部に分かれて構成されている。従って・・楽章間のインターヴァルは3部構成に応じた咳払いの時間を提供している。LPレコードの時代ではこういった構成の妙を楽しむことができないでいたのだが・・全曲連続演奏可能なCDの時代となっても・・3部構成を考えたインターヴァルを採ったマスタリングにお目にかかったことがない。ライブ録音のありがたみは・・こういったところにも大いにあるのだ。インターヴァルで息の抜ける1分という時間が・・この曲の音楽の流れには如何に必要とされる「時間」であるのかを思い知ることにもなる。。いいじゃん!ヤンソンスさん!!・・・あなたはわかっていらっしゃる。後半へと進むに従って熱気がムンムンと高まって・・すこし軽めのフィナーレでもシッカリとバクレツしているところなんぞは・・思わずバンザイ叫んじゃいましたがな。^^ ホンマに。。それにしても・・いいティンパニでしたぁ^^。 パンパンパンパンパァーンッ!てなティンパニ・・滅多に聴けるもんじゃありまへん。BRSOのティンパニストさんは・・ひょっとしたら・・ザドロさんの幻影に命がけで対抗したのかも?? ペーター・ザドロ・・・ミュンヘン・フィルのティンパニストでした。生で聴いたことはありません。。山口十郎・・・名古屋フィルの名物ティンパニストでした。生で聴いたことは何回もあります。^^ カッコよかったぁ!! (なんのこっちゃ?!?) ヤンソンス&BRSOのマーラー5番。。演奏終了後に沸き起こった歓声(喚声?)を伴った物凄い拍手こそ・・ラットルさんのベルリン・フィル音楽監督就任披露演奏会での同曲演奏に優るとも劣らない演奏であったという何よりの証だった。第3楽章での・・ピチカートに絡むファゴットを始めとする木管のなんとも絶妙なウィットに富む吹奏などは・・マーラーが投げかけた悲しみの影に潜むニンゲンの潜在意識を見事に表出した絶品の味付けでもあったような・・・。鮮烈に浮かび上がったソロ楽器からホールに響き渡る満身の全合奏まで・・FMキャパ&OIDT無しでここまで聴けてしまう収録にただただ唖然。よって・・バイエルン放送協会に座布団5枚!^^ 2週間もかかってここまで駄文を連ねた凡人から座布団△3枚!^^; >>元々座布団が無い?・・・ NEXTレビューできばんなはれ。。<<・・・この金色の座布団はあなたが投げ込んだ座布団ですか?・・・の女神より。。
Disc No. 449  Title No. CDR-YSHD-273A/B-00
Disc No. 450  NDR Sinfonieorchester, Hamburg -  Alan Gilbert
273A 273B
NDR 北ドイツ放送交響楽団
CDR-YSHD-273A/B-00
アラン・ギルバート
2005.12.11
竹澤恭子 (Vn)
NHKホール、東京
ステージ司会:山本美希アナウンサー
BS/VHS(x3)

:

on Air 2005.12.24
曲目詳細下段参照
42'49|47'41
:
★★★☆☆
【NHK音楽祭2005 - こどものためのプログラム】 北ドイツ放送交響楽団 演奏会 竹澤恭子(Vn) アラン・ギルバート指揮
【演奏曲目】 <前半> ブラームス:ハンガリー舞曲第6番 ドヴォルザーク:スラブ舞曲op.46-8 バーンスタイン:「ウエストサイド・ストーリー」から マンボ・チャチャ・出会いの場面 ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第2部 <後半> チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォop.34(Vn:竹澤恭子) ビゼー:組曲「アルルの女」から メヌエット スメタナ:歌劇「売られた花嫁」から 道化師の踊り Joh.&Jos.シュトラウス:ピチカート・ポルカ ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」から 剣の舞 チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」から 花のワルツ <アンコール> ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
◆主役がステージ司会者だった・・という極めて珍しいパターンの演奏会だった。。何を隠そう?・・・司会のNHKアナウンサー山本美希さんは神戸女学院大学で多分英語を専攻して・・結果的に同時通訳もできるほどのスペシャリストとなって・・天下のNHK国際部へ入局した才女なのだ。指揮者のアラン・ギルバートさんは日米の混血でありながら・・外見は日本人と変わらないのだが・・アメリカ人なのでインタビューは当然英語で行わなければならない。。そんなことから・・子供たちからも未だ「おねえちゃん?」みたいに通用する容姿を持ち合わせた美希さんが抜擢されたのかどうか?・・・。 放送番組のアナウンスなら邪魔で邪魔でしようがないことになるのだが・・ステージの司会ともなればマスタリングでカットというわけにもいかないところにライブ録音としての諦め?も必要になる。。まぁ・・>ドイツから来た北ドイツ放送・・<とかの・・凍えてしまうようなカチンコチンのウィットに富んだハイレヴェルのお喋りに免じて・・素直に笑ってしまおう。。「こどものためのプログラム」だったら「青少年のための管弦楽入門/ブリテン」をやったらいいのに・・と思ってしまうのだが・・前半に山本アナとギルバートさんとのやり取りの中・・オーケストラの楽器紹介が行われた。これが見事に中途半端なのだから呆れてものも言えない。。弦楽器はヴァイオリンとコントラバスだけ。木管はオーボエだけ。金管はトランペットとチューバだけ。。オーボエが夜鳴きソバのチャルメラを真似たのは・・きっとN響の茂木さんのアドヴァイスがあったに違いない。(?) せっかくの機会なのだから・・オーケストラの全てのセクション(全楽器)の単独トーンを子供たちに聴かせてほしかった。。きっと台本があったのだろうが・・誰が構成したのかは知る由も無いが・・もっと本気で台本を作らねば・・ヴァイオリンとヴィオラの違いも判らぬままに子供たちがオーケストラを聴くことになってしまうのだ。そしてまた・・普段のN響と異なる楽器配置(弦楽器の古典対抗配置)をとったNDR響についても・・なぜコントラバスがN響とは反対側に居るのかもギルバートさんに尋ねてほしかった。。そういった楽器配置とフツウの楽器配置とではどんなふうに響きが違うのか??・・・ハンガリー舞曲を2回演奏するだけで客席でもマイクにのったサウンドでもはっきりと判るんじゃないか・・などと思ったりする。。楽員さんたちの移動が大変かもしれないのだが・・数分あればできることだ。ファリャの「三角帽子」など・・こどものためのプログラムとして一体誰が選曲したのだろう。。山本アナの楽曲紹介によれば・・>>ある悪い男が大変に綺麗な結婚している女性を好きになってしまいます。そして無理やり浮気をしようよって迫るんですけど失敗します。そして・・町の人々に懲らしめられるというお話なんです。そして・・どうやって懲らしめるかというと・・云々<<・・・いやはや・・ブッチャケ・・冷や汗が出るお方も多かろう。(笑)・・・子供が親に・・>>ねぇねぇ・・うわき・・ってなぁ〜に??<<みたいに聞いてきたら・・中には心拍数倍増血圧上昇となって演奏会どころではないお方も確実に存在したハズなのだ。。子供に向かってご丁寧?にも「浮気」などという言葉を発すること自体・・いや・・このような大人の曲を選定すること自体が・・絶対に間違っている。天下のNHKのアナウンサーが子供に向かって説明すべきことではないのだ。
◆さらに・・後半の「売られた花嫁」なるオペラの題名が気に食わない。子供たち・・特に女の子は・・将来「お嫁さん」になることにバラ色の夢を馳せていること多々あるらしい。。そんな無垢の子供たちの心へ「売られた花嫁」は無かろう!!。親に向かって・・ワタシお嫁さんになったら売られてしまうの??・・などという質問でもあったとしたら・・何のための「こどものためのプログラム」なのか・・ともいえよう。。当日配られたハズのプログラム冊子には・・こういった活字が記載され・・子供たちの目にも触れるハズだ。「三角帽子」がどんなにスペイン情緒を湛えようが・・「道化師の踊り」がどんなにノリノリ快活に響こうが・・疑問符のデパートたる「子供たち」の五感にはもっともっと公序良俗?に収まる事柄や夢のある情報で一杯にしてほしいのだ。こんな演奏会でNHK音楽祭を締め括ったのだから・・2005年の同音楽祭ってのは今ひとつ煮え切らなかったように思えてしまう。せっかくのオザワ&N響も・・「大人のためのプログラム?」での公演がなかったし・・嗚呼!ってなもんだ。。演奏会のプログラムというものは・・そこに「テーマ」があるのなら徹底的に本質を衝くべきだ。単に・・わかりやすく聴き飽きない演奏時間の楽曲を並べただけなら・・「大人のための名曲小品集?」と何ら変わらないことにもなる。「こどものための・・・」といっても・・こういった場合には親が同伴する。教育委員会主宰の音楽鑑賞会とは全く違うのだ。親が同伴する・・といっても・・全ての親がクラシックのオーケストラ音楽に馴染んでいるわけじゃないハズだ。演歌大好きのとうちゃんが・・子供の情操のために肩こり覚悟?で子供を連れてくることだってあり得るわけだ。。たまには一家で「コンサート」と洒落込んで・・ちゃんと聴いてたら帰りに美味しいものご馳走しちゃおうか・・などと・・色々と子供に気を遣って来るパターンもあるだろう。。だからこそ・・「こどものための・・・」ではなく「親子のための・・・」としたテーマでプログラムを作らなければダメだったのだ。眼前のステージには・・N響と違って・・普段見慣れない毛色の変わった外国のオーケストラが並んでいるわけなのだから・・・少なくとも「ハンブルグのこどもたちの音楽的好奇心」がどんなもんであるのか?くらいは楽員にインタビューしたらよかった。。そして・・こどもたちの大好きなハンバーグステーキが生まれた起源を教えれば・・ブラームスを聴かすよりも素直にこのオーケストラに親しみを感じるハズなのだ。また・・同時に・・それはドイツ語と英語との発音の違いを・・単語一つだけの事例ながら覚えられることにもなる。。「剣の舞」では子供たちに太鼓を叩かせたらいい。本演奏の前に・・子供たちと共演する機会を創るのだ。10人ほどの子供たちとその親にステージに上がってもらって・・副指揮者の指示で即興的に叩かせてみるのだ。フレーズ毎に親子が代わる代わる太鼓を叩くのだ。打音が揃わなくたっていい。。子供たちとその親がそれぞれどんな反応で叩くのか・・・ってとこがワクワクするのだから。。ステージ上には・・下手と上手に親子が分かれて・・10台づつの太鼓を並べるのだ。N響に頼んだらわけなく集まる数だろう。。こういったドンチャン騒ぎ?こそ・・ステージと客席とが一体感を持つことができる唯一の方法であることを主宰者はご存知ないようだ。
◆文句ばかり言ってても始まらないので・・シンフォネア企画「親子のためのプログラム」を作ってみた。NHKホールでの公演を想定して・・オーケストラはN響でもいい。。>>>ステージにはフル編成の照明付き譜面台と椅子・・・客席では楽しみにやってきた親子や格安料金を目当てとして紛れ込んだクラオタ?たちがワクワク・・ワイワイガヤガヤと演奏会の始まりを待っている。>>>楽員が登場・・・拍手・・・コンサートマスター登場・・・拍手・・・チューニング・・・>>>突然・・ステージと客席の照明が消える!>>>オルガン奏者が遠隔演奏台のペダルを踏む・・バスドラムをティンパニのバチで弱音ロール・・コントラファゴットが音を重ねる>>>シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」冒頭ファンファーレの開始>>>ボンヤリとスポットライトに浮かぶ3人の奏者と指揮者>>>スポットライトがトランペットへ・・ファンファーレ>>>スポットライトがティンパニへ・・連打>>>ステージ照明が徐々に明るく・・・>>>全合奏!・・・>>>冒頭ファンファーレ演奏終了・・拍手・・・>>>拍手が自然に止んだ頃・・ステージ司会者登場・・・拍手・・>>>皆さん・・こんにちわぁ!・・・司会の山本美希で〜す。^^ すっごい迫力でしたねぇ。今演奏されたのはドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスって人が作った「ツァラトゥストラ・・」という曲の冒頭を飾る「夜明け」を描写した音楽なんですよぉ。。シュトラウスといえば・・ウィーンで活躍した・・「美しき青きドナウ」で超有名な方もいますけどねぇ・・・そちらのお名前はヨハンさんというんです。日本でも佐藤さんや鈴木さんがたくさんいるのと同じですねぇ。^^ さて・・・最初・・真っ暗の中でものすごく低い音を出していた楽器・・・そう・・・パイプオルガンですねぇ。。今日はステージに遠隔演奏台を置いての演奏でした。それと・・ステージ一番奥にある大きな太鼓・・バスドラムとコントラファゴットという管楽器の中では一番低い音の出る楽器も参加してました。バスドラムは普段はこういったバチで叩くんですが・・この曲は横にあるお鍋のような太鼓・・ティンパニという楽器のバチで叩くように楽譜に書いてあるんですよ。・・どんなふうに響き方が違うのか・・単独で叩いてみてもらいましょう。。・・・>>>こうして聴くとよく判りますねぇ。^^ それでは皆さん・・・次の曲を聴きましょう。。イギリスのブリテンという人が作った「青少年のための管弦楽入門」という曲です。この曲は・・初めてオーケストラを聴く人のために作曲者がオーケストラの各楽器を紹介しつつ・・最初に演奏されるメロディーが次々と変奏されていきます。今日は・・大人の方にはお邪魔かもしれませんが(笑)・・・子供たちのためにワタシがナレーションで楽器の紹介を入れていきますので・・きっとオーケストラのことがよ〜〜くわかってもらえると思いますよぉ^^。。それではギルバートさん・・お願いしまぁ〜す。・・・拍手・・・>>>演奏・・拍手・・・>>>皆さぁ〜〜ん!いかがでしたか?・・・それでは今度は・・オーケストラの弦楽器だけで素敵な曲を演奏いたします。もう・・300年も昔・・・まだピアノという楽器が無かった頃・・・日本は徳川さんの江戸時代だったんですねぇ。。丁度・・水戸の黄門さまがお亡くなりになったのもこの頃だったらしいのですが・・・イタリアにパッヘルベルという作曲家が居ました。300年経っても聴き継がれているってことは凄いことなんですねぇ。。ここに置いてあるピアノのような楽器はチェンバロといって・・いわばピアノのご先祖様のようなものなんですが・・・今のピアノと違うところは・・弦をはじいて音を出すんですよ。だから・・あんまり大きな音が出ないんです。因みにこんな音がします。・・・拍手・・・ではパッヘルベルが作った「カノン」という曲を聴きましょう。。このステージには60人の弦楽器奏者がいますが・・・最初は5人で・・そして段々と人数が増えていって最後には全員で演奏しますので・・音の変化にも注目して聴いてくださいね。もちろんチェンバロも活躍しますよ。^^・・・それではお願いしまぁ〜す。・・・拍手・・・>>>演奏終了・・・拍手・・・>>>皆さぁ〜ん!・・いかがでしたか?・・・この曲は通常5〜6分で演奏するんですが・・・今日はゆったりと8分ほどかかって演奏してもらったようです。もう・・メロメロになっちゃいそうな雰囲気でしたねぇ。。おとうさんやおかあさんもロマンチックな想いが募って・・・今晩は是非ともお励み?ください。。(失笑?) >>>ママぁ・・・どういう意味なのぉ??・・・>>>今晩は仲良くしなさいってことなのかな?・・・>>>じゃぁ・・わたしもパパと仲良くしようっと!>>>さて・・・それではお待たせしました。休憩の前に「太鼓叩き・・親子対決!」をしまぁ〜す。本演奏の前に・・10組の親子にステージでオーケストラと共演しつつ・・親子で太鼓の叩き合いをします。^^ 副指揮者の合図で叩いてもらいますが・・ぶっつけ本番で頑張りましょう。でも・・ちょっとだけ・・副指揮者の方とリハーサル?をしましょうね。 先ずは・・先にお渡ししてあります番号札を抽選で選びます。そして・・いやだなぁ・・という方は「やりたいよぉ!」よいう方に交代してもらってかまいませんよ。。それでは抽選・・・・>>>ステージ最前列に左右各々10台づつの大小各種のドラムが並び親子左右に分かれてスタンバイ。>>>副指揮者の合図でこうやって叩く・・といったことをリハーサル>>>・・・拍手・・・「剣の舞」演奏開始。>>>副指揮者の指示で親側子側交互にビートアタック!・・・最終フレーズ親子合同で・・・演奏終了・・・大拍手・・・>>>凄い凄い!!!・・・NHKホールが割れんばかりの凄い音でしたねぇ!^^ ありがとうございました。楽しかったですかぁ?・・・お席の方へお戻りください。・・・・・それでは・・「剣の舞」・・オーケストラの本演奏を聴いて休憩タイムへ入りたいと思います。・・・拍手・・・演奏開始。。
◆後半には・・・「動物の謝肉祭/サン・サーンス」・・「フルートとハープのための協奏曲〜第1楽章/モーツァルト」・・「管弦楽のためのラプソディ/外山雄三」・・・アンコールとして・・「芸術家のカドリーユ/Joh.シュトラウス」で締め括ればいい。。楽器編成の効率?とか・・・ケチなことを考えたらダメなのだ。たった2分にも満たない演奏に膨大な楽器編成を要しても・・それが子供たちの気持ちに残ることならやらねばならん!。3世紀にも渡って聴き継がれてきた音楽には・・それなりの価値があるからなのだろう。。クラシック音楽が「芸術」の枠に入っているのは・・たとえロクでもない冗談音楽ややっつけ仕事で書き上げた駄作・・はたまた判りきったドロドロの欲情が絡んだようなオペラの筋書きにしても・・・それをニンゲンの持てる全てのエネルギーだけをもって聴衆に聴かせるということ自体が「芸術」と呼ばれる所以じゃないか?とも思う。。そうじゃなければ・・浮気の果てに相手を殺してしまう・・といった物騒なオペラなど・・単なるサスペンスドラマでしかないわけだ。。電子楽器の横行する現代社会において・・ニンゲンの発するエネルギーだけでコンサートホールが割れんばかりに鳴り響く音楽を聴く快感は・・ヘッドフォン被ってピアノを弾き・・同じくヘッドフォン被ってCDを聴くのとは次元の全く異なる感動を呼ぶことになるのだ。魂を震わすような・・熱く燃え上がる感動を・・是非とも子供の無垢の心で味わってもらいたい。本物の「芸術」が根付いた心を持つニンゲンは・・絶対に悪いことをしないハズでもある。本物の芸術とは・・・固有の認識であって・・比較せず・・損得を考えず・・最良の結果を求めつつも重箱の隅を突付かず・・魂の望む波動に同調せし時には人生最高の喜びとなり得るもの。。<<<なんちゃてみたいなことをノタマってしまったわけだが・・・これを昇華させれば「人間学」も極まるってことになりそうだ。。かく言う我・・凡人・・・比較しますがな。。損得勘定も絶大で・・・エアチェックのお陰でS席料金儲かった!?・・・などとついつい口走ってしまう。。^^; CD購入も・・輸入盤の方が安い!!・・・輸入盤の無い国産某レーベルなどまとまったタイトルを買うのにも躊躇しっぱなし。。このオーケストラにしてこの値段??・・・みたいに損得勘定からのお値打ち感がなければ滅多にコンサートなど出かけない。。NDR北ドイツ放送交響楽団のS席大人料金¥9000.-。。さて・・高いか安いか??・・・いやはや・・もう・・・芸術性まるでなしのレビューでしたぁ。。^^; ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・切腹!!
Disc No. 451  Title No. CDR-YSHD-274-00
 Orchestre de Paris - Herbert von Karajan
274 274(ケース裏)
パリ管弦楽団
CDR-YSHD-274-00
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1971
:
Film Studio in Paris
ベルリオーズ
BS/VHS

幻想交響曲

on Air 2005.09.26
【Original MONO-Recording】
53'00
:
★★☆☆☆ dbx/OIDT
コスモテル・映像コンサートのための演奏: ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 パリ管弦楽団 ベルリオーズ:幻想交響曲
◆1962年に完成されたベートーヴェンの交響曲全集をもってベルリン・フィルハーモニーとのドイツグラモフォンでの録音活動を本格的にスタートしたカラヤンは、その後・・目の眩むような魅力的な作品群を次々と録音して、「カラヤン&ベルリン・フィル」なるブランドをダントツ抜きん出た確固たるプラチナ級人気ブランドとして世界中に浸透させていったのだが・・、当時・・目を閉じて瞑想チックな雰囲気漂う中、アブラののりきった精悍かつ流麗な指揮姿を一目観て・・魔法にかかった如くに「カラヤン」の虜となった若者は少なくなかったらしい。。俗に言う「カラヤン病?」となった若者たちは・・スピーカーの前で・・割り箸持って目を閉じて・・ベートーヴェンと対峙したのだ。本当か嘘か?判らないものの・・「カラヤンは時としてビートが怪しくなって瞑想(迷走?)し出すとことがあり・・そんな時には私がオーケストラをリードせねばならなかった(?)・・」との某コンサートマスターの証言もあってか・・変拍子のないベートーヴェンのビートは打点さえ合えば結構音楽の流れの中で凡人でも遊べることになるのだが、時として打点がズレた時などには・・正に「瞑想」すれば「カラヤン」になれたのだ。そう・・かく申す拙者もその一人にて(大笑)・・・これが原因かどうか?・・「カラヤン」という井戸から外界を知るのが確実に数年間は遅れたという甚大なる副作用を味わっているのだ。(苦笑) 従って・・少なくとも・・CDの時代に突入するまでは、我がレコードラックの中に鎮座するアナログLPのほとんどは・・カラヤン先生の録音ばかりだった。。・・・ということになる。^^;
◆ベルリオーズの幻想交響曲(のレコード)も、もちろん「カラヤン&ベルリン・フィル」から入門?した。1964年12月の録音なのだが、1954年にロンドンのフィルハーモニア管弦楽団とモノラルながら録音していたということなど全く知らなかった。それよりも・・「フィルハーモニア」などと意味不明かつ可笑しな名称のオーケストラとの録音など・・できることなら無視したかったほどだった。。1960年代には・・カラヤンの録音はベルリン・フィルとのものじゃなければ「カラヤンの音」じゃない・・などと思い込んでいたのだ。ドイツグラモフォンのイエローレーベル(ジャケットデザイン)と「カラヤン&ベルリン・フィル」との組み合わせは・・妙な重量感があって・・醸し出される比重の重みは新譜LPの値段を超えたところで展開していたような気がしないでもない。正に・・見事滑稽なまでにドイツグラモフォン社販売戦略にはまり込んでしまったことにもなるのだろうが・・自分自身の価値観との波動が合致したといえば究極の言い訳にもなろう。。(^^;) そんなこんなの中で、60年代も終りを迎えようとしていたある日・・某音楽月刊誌の新譜情報に「カラヤンがパリ管弦楽団の音楽顧問として就任!」との記事があって・・「EMIにフランクの交響曲を録音!」とあったのだ。フランスが国の威信をかけて、「ベルリン・フィルに優る世界の頂点を目指して伝統ある音楽院の管弦楽団を解体してまで新たに創設した」という物凄い評判を伴って・・既に1967年から音楽監督シャルル・ミュンシュの下で輝かしい歴史をスタートさせていたのだが、ミュンシュの急逝によって楽団の存亡が問われるまで緊迫した状況に追い込まれていたらしい。。ミュンシュの代わりになるようなスター指揮者がフランスに居なかったのか?・・まさかのカラヤン登場となったのだ。音楽監督ではなく音楽顧問という立場での関わりは、ベルリン・フィルとの終身音楽監督の立場を慮ってのことだったのだろう。。シャルル・ミュンシュは既に(名刺代わりに)創設早々のパリ管弦楽団と「幻想交響曲」をEMIに録音。当時のスーパーベストセーラーになっていた。
◆さて、この映像作品だが・・フィルムスタジオでのセッション収録だけあって、人口臭プンプン鼻に付く画像だ。オーケストラの並び自体も、通常のコンサートホールでの扇形(180度)から120度近くに狭められて、モノラルサウンドに合わせてかどうか?・・非常に窮屈な印象を受ける。ベルリン・フィルとのユニテルで撮った「英雄交響曲」は実に滑稽な画像でもあったのだが、それほど酷くないにせよ・・なにかしら違和感があるのは否めない。「カラヤン」を観るための(カラヤンからすれば・・観られるための?)作品であって、決して「幻想交響曲」を聴くための作品ではないのだ。嵌め込みの楽器のワザとらしいドアップなども・・今の時代にあっては笑ってしまうレヴェルでしかない。。だから・・カラヤンの美麗な指揮姿までなぜか虚しさを感じてしまうのだ。どうしてこんなにも酷い映像を後世に残したのか??・・・最近になってやっと日の目を見た作品・・ということは、レーザーディスク(LD)の時代においてもリリースすることに躊躇した版権を持つ会社の心意気が伺えるものの・・出すものを出し尽くしたメジャーレーベルにおいては背に腹は替えられない・・ということか。。ミュンシュによって早々に「幻想交響曲」の録音がなされたので、カラヤンはパリ管弦楽団で同曲のレコード録音ができなかった。。だからこそ・・映像なら・・と意気込んでの収録だったと思われるのだが、残念ながらこのフィルムのサウンドトラックはとても1971年の音とは思えない酷いものだった。モノラル録音ということはともかくとしても・・ダイナミクスは有って無いようなことになってテュッティの炸裂などあきらかにマイクの中で飽和しきっている。。テュッティの爆裂が聴けないような「幻想交響曲」などリリースしてはアカンのだ。リスナーを舐めきったメジャーレーベルの姿勢には・・例えこの作品?が「アーカイブ」といっても許されることではないのだ。幸いにして、NHKのBSで放映されたことから・・格安になったといえども・・DVDを購入するに至らなかったことは幸いの限りである。
◆しかし・・しかぁ〜〜し・・である。。ここには紛れも無く・・カラヤン指揮パリ管弦楽団による「幻想交響曲」の音源がある!。 音楽顧問在任中僅かにLP3枚分の録音しか残さなかった斬新稀少な組み合わせだ。映像など一回観たらそれでいい。。なんとか・・このサウンドをマトモな雰囲気で楽しみたいのだ。・・てなわけで、CDRに満身入魂のOIDTマスタリングを施すことにした。絶対的なDレンジの不足を補ったのがdbx(ダイナミックレンジエクスパンダー)。これを補正30%で通しながら核心部分をさらにマニュアル録音ボリュームで補正するという二段構え。ブリリアントな当時のパリ管独特のサウンドが僅かながらの誇張を伴いながらも結構な迫力で音楽が流れていく。楽器バランスはオリジナルのサウンドから変えようがないが、ダイナミクスの伸張によって突き抜けるエネルギーが楽器によっては微妙に変化するのだ。特に打楽器と金管はその傾向が顕著に表れて、クライマックスの怒濤の饗宴においては体が固まってしまうようでもある。もっとも・・DSP6chによるモノラル音源の擬似コンサートホール化サウンドでのハナシだ。フルトヴェングラーの音で味をしめた聴き方なのだが・・ステージから30M以上離れた響きの良いホール最後列での視覚的に肩幅程度に集まったオーケストラの「アコースティックモノラルサウンド!」が聴ける。全体的に比重の軽いサウンドのせいか・・フルトヴェングラー&ウィーン・フィルのブルックナー第4交響曲(DG/.POCG-3795(427 403-2)(1951年10月22日シュトゥットガルトでの南ドイツ放送局のライブ録音)の方がいい音がする。まぁ・・所詮、映像作品のサウンドトラックなんてものに期待をする方が野暮なのかもしれない。。
Disc No. 452  Title No. CDR-YSHD-275-00
 HIROYUKI IWAKI  -  Tokyo Philharmonic(FM Live)& Japan Philharmonic(Live-LP)
275 275(ケース裏)
東京フィルハーモニー交響楽団
CDR-YSHD-275-00
岩城宏之
2005.10.23
:
東京オペラシティCH
ベートーヴェン
FM/VHS

ウェリントンの勝利 (戦争交響曲)

on Air 2006.04.16
:
15'52 (+27'20 Japan Phil.)
:
★★★★☆ dbx/OIDT
岩城宏之&東京フィル【ベートーヴェン:ウェリントンの勝利】
岩城宏之&日本フィル【レスピーギ:交響詩「ローマの松」 外山雄三:管弦楽のためのラプソディ】 1980.04.05 Live at Narashino Bunka Hall
Recording for 45rpm 30cm LP of Daiichi-kateidenki Audio Member's Club (DOR-0078)
◆ベートーヴェンの作品の中に「ウェリントンの勝利 op.91」という曲があることを知ったのは、60年代末にカラヤンが録音をしてからのことだったような気がする。ベートーヴェンの生誕200年という節目を迎えてのメジャーレーベルの企画セット(ベートーヴェン大全集)のために、当時のプラチナブランド「カラヤン&ベルリン・フィル」も一役買って・・通常では録音しないような楽曲まで録音をしたのだ。「コリオラン」「フィデリオ」「レオノーレV」「エグモント」しか録音していなかったカラヤンも・・この契機に「序曲全集(2LP)]へと発展し、「エグモント」は全曲録音・・そして、なんと!・・「ウェリントンの勝利」まで(ことのついでに?)録音してしまったのだ。演奏時間15分程度の短い楽曲なのだが・・2部構成となって・・第1部は完全な描写音楽だ。1813年スペインのヴィットリアでのウェリントン将軍率いる英国軍とフランス・ナポレオン軍との戦闘の模様がステージ上でもステレオチックに再現される。。ここに登場する両軍大砲(大太鼓)の掛け合いの絡みから・・チャイコフスキーの序曲「1812年」とカップリングされたLPが過去にあった。ユージン・オーマンディの指揮するフィラデルフィア管弦楽団は、大砲を電気合成サウンドで重ねた。「エレクトリック・キャノン?」とかいうハイカラなキャッチコピーがオーディオチックな興味も誘って・・スピーカーから飛び出る大砲の音を固唾を呑んで待ち構えたものだった。丁度・・カラヤンが「ウェリントン・・」を録音した翌年(1970年)ということもあってか・・オーマンディの戦争モノの企画LP?がそこそこヒットしたのを見届けたドイツグラモフォン(というよりも当時の日本グラモフォン独自企画だったかも?)は先にリリースされていた「1812年」を「ウェリントン・・」とカップリングして2匹目のドジョウを狙って市場に放ったのだ。カラヤン&ベルリン・フィルでの大砲は本物のサウンドらしかったが・・両曲共に全く腰砕けでグワ〜ングワ〜ンと上っ面で鳴るだけで・・相応な大音量再生でもスピーカー(ウーハー)の飛ぶような心配もなく(?)・・今となってはその音に全く真価は見出せない。。チャイコフスキーはともかくも・・ベートーヴェンは本物の大砲をぶっ放せとはスコアのどこにも書かなかったのだから・・つまらない細工などせずともスコア通りの大太鼓をもって「描写」してほしかった。。・・・とはいっても・・当時のレコード会社が大太鼓をマトモに録ったことなどほとんど無かったのだから・・ベートーヴェン生誕200年目の記念イヤーがデジタルの世ではなかったことが本当に悔やまれる。。
◆ライブでは滅多に聴けない「ウェリントンの勝利」を岩城さんが東京フィルを指揮した!・・とのインフォメーションをFM-CLUBという番組誌で見つけたときには本当にうれしかった。市販CDは・・別収録の効果音を弄繰り回し重ねて・・それらしく編集された「嘘」の塊のような演奏ばかりだ。生のステージで演奏される本物の時間の流れで聴く「ウェリントン・・」は一体どんな曲なのだろうか??・・・という単純極まる興味が湧いたのだ。結果的にカラヤンやオーマンディなど足元にも及ばないような物凄い「ウェリントン・・」を聴く(w/音源入手)ことになったのだから・・エアチェックというのは恐ろしい世界でもある。。^^ ハッキリ言って・・東京フィルの金管はパワーが無いし上手くない。ライブなので当然至極のことなのだが・・それを補って余りある打楽器(大太鼓)のバクハツが随所で聴ける。第1部の「戦闘」の描写は当たり前としても・・第2部「勝利の交響曲」後半での大太鼓の真迫力など・・こういった打楽器を第九交響曲以外では常用しなかったベートーヴェンの当時の特別な心境がありのままに感じ取れたりして・・「英雄交響曲」完成後の経緯が尾を引いて・・ここに慶びバクハツ(ザマぁみろってか?・・笑)といった雰囲気が支配する。ベートーヴェンの駄作と言われつつも、カラヤンも録音したことからその後に色々と録音され・・今では結構な種類を聴き比べができるようになった。しかしながら、市販CD(旧LP時代の録音を含めて)の録音は全てオーディオ的な視点から収録が行われ、「音楽」が置き去りにされているような気がしてならない。岩城さんの指揮するこの曲のテンポ設定は実にいい。特に第2部の抑揚と昂揚感は脱帽モノだ。「炎の指揮者」といえば・・今ではコバケンさんのことなのだが、その昔岩城さんは噴火型の指揮者だった。情熱渦巻く音楽への心意気は、そのまま身体の動きの激しさを極め抜いて首の骨に大損傷を与え、その後の身体的波乱万丈を乗り越えてこられたことは奇跡的!といっても過言はないだろう。。オーケストラアンサンブル金沢という超小型の2管オーケストラに腰を据えられてからは・・フル編成のグランドオーケストラを振る時よりは身振りもそんなに大袈裟にされなくても済んだのではないかと拝察をしたりもするが、内に籠もったマグマの噴出は・・やはりこういったフル編成の大オーケストラから発せられる特大のサウンドにシンクロしてバクハツさせておられたのかもしれない。
板起こし・・「ローマの松」演奏中・・・なんとなく・・ノスタルジック(?)◆今年(2006年)の6月4日にも東京フィル「午後のコンサート」で・・今度はチャイコフスキーの序曲「1812年」を指揮されるハズだった岩城さんだったが・・・結果的には重篤なご体調からキャンセルとなって・・そんなことを知らぬままNHKが必ず収録するだろうことを信じてオンエアされる日を心待ちにしている最中の6月13日に亡くなられてしまった。。最晩年の岩城さんの大バクハツを聴くにはピッタシの曲でもあって・・ブッチャケ「ウェリントン・・」とのカップリングCDRを作れることが何よりの楽しみでもあったわけだ。。残念無念・・そんなこんなで意気消沈していた中・・レコードラックに眠っていた特別製のLPレコードがあることを思い出したのだ。そう・・若かりし頃、隣家の弟分から横取り(?)(ひょっとしたら貰ったのかも?・・もはや経緯は忘却の彼方だ。^^;)した岩城&日本フィルのライブLP。レスピーギの「ローマの松」と外山雄三の「ラプソディ」を45回転の30cmLPに収録した第一家庭電器(今でもあるのかどうか?わからない??)のオーディオメンバーズクラブ会員だけに限定配布されたLPだ。もう、20年以上も聴いていないLPだが・・盤面にはカビ一つ無く・・ピカピカで新品同様。45回転盤なので・・音はそれなりに結構な迫力がある一方、片面収録時間の関係から・・このLPの最大の難点は・・「ローマの松」の第4楽章「アッピア街道の松」からB面へ飛んでいること。。A面最後は「ジャニコロの松」で終っているわけだが・・「アッピア・・」の出だしに繋がってフェイドアウト・・・B面最初は「アッピア・・」から始まるのだが「ジャニコロ・・」最後のフレーズからフェイドインという編集がされている。アッピアの爆裂サウンドを歪みの少ない外周部分にカッティングするというオーディオチックな感覚を優先した編集なので・・楽曲の流れが寸断されるという芸術的な瑕疵には言及しない方がいいかも?。。そんな訳で・・俗に言う「板起こし」と呼ばれるデジタル化の作業は、単にA面とB面とを接続するということではなく、フェイドアウトとフェイドインの余分な音をカットし、寸分の狂いなくピッタリと「ジャニコロ・・」から「アッピア・・」への連続した流れを作らねばならないのだ。HDD内で編集可能な最小フレーム単位は1/75秒だ。・・・悪戦苦闘?七転八倒??の末に、やっとの思いで接続完了できた時には・・いやはや我ながらアッパレ^^などと勝手に喜んでしまったりして・・即座に缶ビール(といってもビールのような飲み物^^;)を取りに冷蔵庫へ直行。・・・半ドアだ!!・・おぉ〜〜いっ!・・我が家のガキンチョ共!・・・ビールが汗かいとるやんけぇ。。いつから半ドアやねん?!開けたら閉めるっちゅうことくらいキチンとしなはれ!<<まりぃ〜・・ちゃんと閉めとかんとアカンよぉ^^・・・<<なんでもまりぃ〜のせいにしとったら・・そのうちにホンマ・・マリア様からお叱りを受けることになりまっせぇ!
DOR-0078 LPジャケット◆さて、日本フィルとのスペシャルライブは1980年4月5日に千葉県習志野市の習志野文化ホールで行われた。岩城さん48歳という活火山ギンギラギン(!?)の時の音だ。丁度・・メルボルン交響楽団と札幌交響楽団の音楽監督として多忙を極める中で・・オーケストラアンサンブル金沢は8年後からの仕事となる。習志野文化ホールは音楽専用のコンサートホールではないのだが、当時としては珍しく・・NHKホールのように客席(ステージ上手側)壁面にパイプオルガンが備わっている。まだ、大阪のザ・シンフォニーホールも・・もちろんサントリーホールも存在しない時代にあって・・首都圏といえどもこういった設備のある公共ホールは貴重な存在だったに違いない。収録はセクション毎に林立したマルチマイクから毎秒76cmという超高速で回るアナログテープレコーダーへリミッター無しで録音されたそうだ。デジタルレコーダー(多分16ビットor18ビット)も並行して同時に回されたとのことだが・・プレイバックモニターの結果アナログ収録のサウンドの方に軍配が上がったとか。当日の日本フィルハーモニー特別演奏会のプログラムは・・前半にチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」&ピアノ協奏曲第1番(渡辺康雄)・・後半にアルビノーニの「弦とオルガンのためのアダージョ」とレスピーギの交響詩「ローマの松」・・そして・・アンコールとして外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」が演奏されたようだ。後録(修正のための・・)無しの本番一発勝負という緊迫した雰囲気での収録は・・正真正銘の「ライブ録音!」なのだ。演奏破綻につながるような重大な吹き損ないが無かったという幸運?を得て・・ほぼリニアなダイナミクスを持った「ローマの松」がLPレコードに刻み込まれたことは・・アナログの時代にあっては奇跡的とも言える。これに順ずるアナログLPは・・米国テラーク社がリリースしたチャイコフスキーの序曲「1812年」の大砲の音のノンリミッターサウンドだけかも。。(?) 当日の日本フィルは・・14-12-11-8-8 という変則14型の弦楽器で臨んだようだが・・こういったリアルかつナチュラルな録音になればなるほど弦楽器のひ弱さは単に「数」の問題ではないようにも思える。。皮肉にも・・当時の日本のオーケストラが抱える諸問題(弦と金管の弱さ)が誠にクッキリとフォーカスして現れたことは・・正に「時代の証言」そのものでもあるのだ。だからこそ・・相対的?に打楽器の音がダイナミクスのピークを絶対的に支配して・・欧米の超一流オーケストラでは絶対に聴けないサウンドバランスで「ローマの松」を堪能できる悦び(?)を味わうことができたのだ。(笑) まぁ・・もっとも・・マルチから2ch76cmのカッティング用マスターテープへのトラックダウンの時には・・オーケストラの楽器間バランスなど簡単に操作できるのだろうが・・ミキシングエンジニアの耳は当日のホールに響いたバランスがこびりついていたのかもしれない。。(?) ホンマかいな。。・・・最後に・・朝比奈先生とはまた違ったベクトルでベートーヴェンに挑戦し続けた岩城さんが・・OEK(オーケストラアンサンブル金沢)で全集録音を晩年に完成されたことは慶ばしい限りなのだが・・・「朝比奈&大阪フィル」に対抗できる和製全集を今のN響と録音の企画さえしなかったニッポンのレコード会社には幻滅せざるを得ない。デュトワさんに音楽監督の打診をする前に・・岩城さんに打診があったのかどうか判らないものの・・「岩城&N響」のコンビが例え10年間でも歴史に残れば・・N響の浮ついた発展など見なくても済んだかもしれない。。合掌。。
 
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