エアチェックレビュー11
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Disc No. 409  Title No. CDR-YSHD-251A/B-00
Disc No. 410  NHK Symphony Orchestra - Charles Dutoit
251A 251B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-251A/B-00
シャルル・デュトワ
1996.12.25
:
NHKホール、東京
:
BS/VHS
オネゲル:クリスマス・カンタータ
on air 1996.12.25
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」
31'27|78'30
:
★★★★☆
共演: 佐藤しのぶ(S) 永井和子(A) 吉野浩之(T)  直野 資(Br) 東京放送児童合唱団  国立音楽大学合唱団
Disc No. 411  Title No. CDR-YSHD-252-00
 NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy
252
NHK交響楽団
CDR-YSHD-252-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.12.14
:
NHKホール、東京
ベートーヴェン
BS/VHS
交響曲第9番「合唱付」
on air 2005.12.17
:
77'03
:
★★★★☆
共演: 森 麻季(S) シャルロット・ヘルカント(MS)  ミカ・ポホヨネン(T) セルゲイ・レイフェルクス(Br)  二期会合唱団
NHK交響楽団 「第九」公演1996  シャルル・デュトワ指揮
NHK交響楽団 「第九」公演2005  ウラディミール・アシュケナージ指揮
◆ベートーヴェンの第九交響曲は・・日本の音楽界では特別待遇の楽曲だ。日本中の主要なオーケストラが年末ともなれば「第九」を演奏するのだから、その演奏回数たるや・・日本国外で一年間に演奏される「第九」と比べたらどれ程の倍数となるのか・・想像もつかない。。そんな中にあって、唯一日本全国津々浦々まで「第九」の演奏を披露できるのがNHKのオーケストラなのだ。クラシック音楽を愛する人々の100%が必ずしも聴くわけではないものの・・やはり年末の「第九」ともなれば・・普段の定期公演のオンエアよりも格段に高い視聴率らしい。これが、低調と言えども・・紅白歌合戦のようなオバケ視聴率ともなれば・・N響「第九」公演のソリストと指揮者・・そして、合唱団の選定はオンライン人気投票も加わって、視聴者の好みも少しは反映される機会が増すかもしれない。(?) 年末の「第九」は・・お祭りなのだ。コンサートホールへ足を運ぶ客層は一気に一般化?する。そう・・、普段全くクラシック音楽など聴かない人たちも・・なんとなく・・ふらふらっとチケットを買ったりするんじゃないかと思うのだ。お客の関心は、「第九」ではなく、「喜びのメロディー」のみに集中する。1960年代・・9科目での高校受験の勉強に喘いでいた頃、音楽(当然にして受験科目の一つにもかかわらず)の授業は唯一安らぎの時間だった。一家に一台だけの白黒テレビの画面でカラヤン先生(1967年のベルリン・フィルとの来日公演TV中継)と初めて出会った頃で、元祖御三家と若大将・・それにグループサウンズに明け暮れて・・他のクラスにいた女神2号さん(1号女神は小学校のクラスにいたが私立中学へ進学していた)へ想いを馳せて生徒手帳に書き込んだ唄の文句を宿願成就?のお守り代わりにしていた。エレキベースの躍動的なリズムで始まるヴィレッジ・シンガーズの切ない片思いの楽曲。。題名は今となっては恥ずかしい限りに気持ちに響く。^^; いやいや・・しかし、当時には、○○だから・・しかたないじゃん!^^・・の世界だったのだ。問題は、気持ちの伝達だ。スッパリと伝えてしまえばサッパリとするのだが、スッパリと伝える勇気が無い。。サッパリとすることもなぜか怖い。。なにせ・・相手は学年一の美貌の女神なのだ。女神を彼女とする(できもしない)魂胆を浄化したのが、当時ベルカントで鍛えたテノールが嫌味?だった(美空ひばりの唄を大いに貶された)音楽の先生だった。いや、先生というよりも、先生が聴かせた「第九」の第4楽章だったのだ。盲目の指揮者だと思い込んでいたカラヤン先生が「第九」のバリトンの入りでガバリ?と御眼を開けた時の強烈な衝撃から間もない頃だったような気がしているが、音楽の先生の見せたLPレコードがカラヤン&ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集の中の2枚のLPだった。交響曲第8番全曲がLP片面にスッポリと入っていて、「第九」はなんと3面にも渡っていた。第4楽章だけで第8交響曲全曲と同じく片面を占領して・・先生曰く・・凄く長い交響曲なのだが君たちが聴く(教科書に載っている)合唱付きの部分は20分にも満たない僅かな時間だ。・・この楽章のテーマ(ピアノで弾いて・・)が君たちの気持ちの中に膨らんで・・人に優しく・・そして・・喜びに満ちた人生を歩んでいってもらいたいと願っている・・・てなことを仰ったような記憶があるのだ。ひょっとすると・・当面の目標である志望校合格の喜びの前祝に・・といった感じだったのかもしれない。だからこそ、興味のない者は、寝ててもよし・・他の教科の勉強をしてもよし・・といった雰囲気で、歓喜のメロディーを強制されたわけではなかったのが救いだった。要するに、「喜びの歌」を主題とするベートーヴェンの作曲した楽曲の正式名称は?・・・といった入学試験問題に答えられれば、「第九」の終楽章など真面目に聴かなくともよかったわけだ。歓喜のメロディーは不思議にも我が気持ちに染み込んで、グループサウンズの甘いメロディーとも気持ちの中で同居するに至り、瞬く間に女神を彼女とする野望が消え失せたことを覚えている。心的変化の原因は今もって解らないことなのだが、「第九」=「第4楽章」との関係はその後丸十年も続いて、特に第3楽章などはへたに聴いてしまうと爆睡へと陥る危険も孕んでいた。。だから、全曲聴こうと意気込んでも、第2楽章が終ると針を上げて第4楽章へと進めたものだった。(チャイコフスキーの悲愴交響曲では当初第3楽章で打ち止め?としていた。) ベートーヴェンさんは、だからこそ、せっかくの歓喜のメロディーを夢うつつの中聴き逃す不幸な聴衆を救済するために・・ハイドンのびっくりシンフォニーにも引けをとらない第4楽章の出だしを作った。(?) マスタリング中にも・・レヴェルオーバーの心配のない第3楽章で眠ってしまうことが多々あった我が身にあっても・・アタッカで突入する時の第4楽章冒頭ではバッチリと目が覚めるから・・あの凶暴チックな雰囲気は必然的な楽想なのだろう。。
森 麻季さん(ソプラノ)◆さて、昨年(2005年)のN響「第九」公演。・・・あの 森 麻季さん が登場する!というだけの極めて不健全かつミーハーチックな理由だけでテープを回した我が身が恥ずかしい限りなのだが、なんとEXTONもライブ収録していたことを知って(2006年2月23日にライブ音盤が発売される)・・収録日の違いがあるものの・・BS音源のCD(R)と江崎さんの録ったDSD音源のSACDとの音の差を確認できる絶好の機会となり得ることを先ずは悦びEXTONの録ったN響「第九」公演2005たい。NHKの音源は、12月14日・・4日間の「第九」公演初日の一発リアルライブ。EXTONの音源は、12月15・17・18日の3日間の公演を編集したライブだ。多分、3日間といっても、どの日かの一公演が幹となって、「傷」となるような部分のみ他日の公演の音源から差し替え編集したんじゃないかと思うのだが、DGでのバーンスタインや晩年のカラヤンの音盤も、こういった編集ライブでのCDだったわけだから・・一概に非難もできまい。但し、万一EXTONが、演奏終了後の拍手まで収録した音盤としてリリースするならば・・演奏の流れの「嘘」を拍手で誤魔化したということにもなって、じゃぁ・・その拍手は何に対するものなのか?・・ってことが意味不明なとんでもない粗悪なライブ音盤ともなるのだ。この辺が、EXTONの音盤を聴く時のポイントの一つともなろう。。こういった編集ライブ音盤の場合には、きっちりと拍手のカット処理をすることが重要だ。拍手まで収録できるのは、一発リアルライブだけの特権なのだ。ただ・・お祭りだからいいようなものだが、「第九」フィナーレ演奏終了後の拍手は、往々にして間髪入れずに発せられる。終結和音が鳴って・・ホールトーン(余韻)が消えるまでの僅か2秒にも満たない時間を待ちきれないのだ。だから、ライブ収録するにも、拍手カットは簡単じゃないハズ。。従って、止む無くゲネラルプローベでの演奏終了前後の音と差し替えられることになる。(・・ハズだ。) ブロムシュテットさんがN響でブルックナーの第3交響曲(第1稿)の素晴らしい演奏をしたが、この時の拍手は滑稽なほどのフライイングだった。滑稽というのは、憤慨することを通り超えて、呆れてものが言えない状態を示す。生の演奏会で・・特に放送のための収録を意識してのことなのかは定かではないものの・・我先に拍手をするべく演奏中からカウントダウンをしているのだ。楽曲や演奏、余韻(ホールトーン)に浸ることなど毛頭無くて、ただただ「一番乗り」を目指して自己顕示に気持ちを馳せる・・という情けない御仁だ。そういえば・・かく言う我が身も・・近年毛根が無くなり・・極めて情けない有様と成り果てた。^^; 最前列にかぶりつきで座ろうものなら後列のお客には目障りな光源となるのかも?・・・(笑)。 なんでも・・DNAがそんなだから・・・ナヤミムヨオ?に電話しても絶対に復活しない(らしい)のだ。 T _ T;
◆デュトワさんの「第九」公演は、前座にオネゲルの「クリスマス・カンタータ」が演奏されたが、この時もデュトワさんが手を下ろしていない(つまりは演奏が終了していない)のに音が止んだ瞬間に間髪入れず拍手となった。最後にオルガンだけが残って・・弱音で和音を鳴らして終結に至る粋な曲なのだが、「第九」の前の・・そこそこ長い(20数分間)曲が・・先ずはやっと終ったぁ!といった気持ちの表れにしか聞こえない情けない拍手だ。歓喜のメロディーを一刻も早く聴きたい一般的?なお客にとっては、ありがた迷惑な前座の楽曲だったのかもしれない。合唱団が楽譜を見ながら歌っている中で、暗譜(それも原語で!)で歌うNHKの児童合唱団の熱演は身震いするほど感動的だったが、カーテンコールは2回で拍手が消滅した。「きよしこの夜」が絡む凡人にも聴けてしまう素晴らしい楽曲なのだが、年末「第九」公演の大多数のお客には真髄が届かなかったようだ。デュトワさんは、オネゲルとベートーヴェンでは合唱団のパートの配置を変えた。オネゲルでは、男性を奥に女性を前へと二段構えの配置(アシュケナージさんの「第九」での二期会コーラスはこうした並びだった)。その前に児童合唱が並んだ。デュトワさんの「第九」では、男性を中央に・・女性を両脇へと・・両手に花?・・みたいな並びだ。国立音楽大学合唱団の人数は二期会合唱団の倍ほどの人数で、250人を超えて300人に及ぶほどの大編成だ。ソリストはどちらも指揮者の両脇ではなく、オーケストラの後方(合唱団の前)に並ぶ。デュトワさんとアシュケナージさんが振る「第九」は、こうして連続して聴くと、その微妙な違いがよく判る。オーボエの茂木さん、コンマスの堀さん始め、何人かの知ったお顔に9年間という歳月の流れが滲み出ていることも面白かったし、1996年にはN響がステージの奥(本来のステージだが・・)で演奏してピットステージは半分だけ上げたような形になっているのに対して、2005年にはピットステージを本来のステージと面一にして、指揮者と両翼に位置する第1ヴァイオリンとビオラが載るような形となって、ステージが客席へ迫り出したような形になっている。同じNHKホールのN響でも、9年という歳月の中で、より良い「響き」を求めての痕跡が伺えるところに映像のありがたさがある。当然にして、メインマイク(吊りマイク)の位置も相対的或いは積極的な変更となって、管弦楽やホールトーンのバランスが僅かながらでも好転したことは嬉しい結果でもある。録音で聴ける「これって・・本当にNHKホールの音なの?」・・と疑うほどの豊かな響きや見事な管弦のバランスなどは、ステージ設定の変更から出た思わぬ副産物だったのかもしれない。BSのBモードでのサウンドは、ほぼリニアなダイナミクスを示し、第1楽章でのティンパニー炸裂ピークが -6dB から飛び出ようものなら第4楽章で合唱にバスドラムが加わるフィナーレの盛り上がりなど・・簡単に 0dB をオーバーしてレッドゾーンで爆死するハメにもなる。。EXTONの江崎さんによるレコーディングなど、何かの記事で読んだことがあるが、24ビットレコーダーのレヴェルメーターがビュンビュン?とレッドゾーンに飛び込んでいたとか(?)・・・。まぁ、デジタルといえども誤差範囲ってのがあって、レッドゾーンに一瞬飛び込んだくらいでは全く問題ないということも有り得る。プロ用の機器でこんなでは、家庭用の録音機のレヴェルメーターの精度などあってないようなものかもしれない。。事実、デュトワさんの「第九」フィナーレでバスドラムが一瞬片チャンネルだけレッドゾーンに飛び込んだのだが、再生しても聴感上全く歪みとして感じないのだ。聴感を優先させるという作品化への最終決断(大袈裟だが)は、アナログカセットデッキでの録音作業以来の感覚だ。許容限界レヴェルにおいて、Oか1か・・在るか無いか・・無事か爆死か?・・といったデジタルの世界にも、アナログチックにファジーな領域があった(残っていた)ということ・・・つまりは、レヴェルメーターの「誤差」或いは「精度」といったことに恥ずかしながら初めて考えが及んだことは、今回のマスタリングでの大いなる成果ともなった。当初は、片チャンネル一瞬でもレッドゾーンに飛び込んだら、再生モニターすることなく始めからやり直しをしたものだった。。ただ、聴感上で「いいじゃん!」・・となったのも、「第九」のような長い楽曲を・・ほぼ全曲テイク3までやり直す根気が無かった・・というのが本音かもしれない。。
Disc No. 412  Title No. CDR-YSHD-253A/B-00
Disc No. 413  NHK Symphony Orchestra - Lars Vogt - Herbert Blomstedt
253A 253B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-253A/B-00
ヘルベルト・ブロムシュテット
2006.02.08
ラルス・フォークト (Pf)
サントリーホール、東京
:
BS/VHS
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
on air 2006.02.17
ブルックナー:交響曲第3番 [第1稿]
34'16|71'56
:
★★★★☆
NHK交響楽団 定期演奏会  ラルス・フォークト(ピアノ)  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
◆客演コンサートマスターにドレスデン国立管弦楽団のペーター・ミリングさんを迎えてのN響定期演奏会。2006年の1月定期3公演は全てブロムシュテットさんの指揮によるもので、この公演の他・・ブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番・・モーツァルトの交響曲第34番とハ長調の大ミサ曲があった。コンサートマスターがソロを受け持つ楽曲・・例えばリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」やシュトラウスの「英雄の生涯」などがあれば、ミリングさんももう少しやりがい?があったかもしれないのだが・・まぁ、ブラ1の第2楽章も大変に重要なソロがあるわけだから・・これ1曲のためにわざわざドレスデンからやってきたことになる。。(・・んなわけないか?) ブロムシュテットさんはヴァイオリンを両翼配置として、チェロとコントラバスをステージ下手側に置く。楽器配置の変化だけでも・・いつものN響の音とは随分と違って聴こえるのだから、音響バランスの音楽に与える効果も強ちバカにできない重要な要素となる。ステージ正面の一番奥に横一列に並んだホルン軍団や、上手奥にオフセットされたトロンボーンとトランペットの響きも、客席のセンターからステージ上手側の列には直接音が飛んでこないハズだ。従って、サントリーホールの右側と左側の客席では、その響きのバランスが全く異なって・・・ブロムシュテットは金管を炸裂させない上品な指揮者・・とか・・いやいや猛爆状態だった・・・とか・・いろんな聴こえ方がしたハズ。。ピアノ協奏曲などは、こういった・・ステージを客席が取り囲んでいるようなホールでは、反響板を外した方がいいんじゃないかとも思う。実際に聴いたことはないのだが、パイプオルガンの前の席で反響板で隠れたピアノの音はどんな響きで聴こえるのだろう?。。理屈から言えば、スピーカーと同じく・・音は後ろにも回り込むわけだから、それなりの音は聴こえるのだろうが、少なくとも打鍵の瞬間にはじけた音が直接届かないということは確かなのだ。まぁ・・それなりに安い席なのだから文句をつけるほうがおかしなことなのかもしれない。。モーツァルトのピアノ協奏曲では、N響は12型(コントラバス3本)の弦楽器だったが、オーボエがスコアに無いので、クラリネットがピアノとの同調を確かめてオーケストラのチューニングの要になっていた。チューニングはオーボエとばかり思い込んでいたわけだが、なるほど編成にオーボエのない古典楽曲もあるわけだ。。そういったときにはこうするのか!・・と恥ずかしながら初めて知った事実でもある。また、通常、木管楽器は・・下段左からフルート+オーボエ・・上段左からクラリネット+ファゴットとなって、各々の主席がセンターで固まるのだが、オーボエの無い当曲では、下段左からフルート+クラリネット・・上段左からホルン+ファゴット・・といった並びとなって、オーボエの座るべきところにクラリネットが陣取っているわけだから、これもまた面白い発見(たわいもないことですが^^;)だった。フルートさんにとって、普段左耳からオーボエのツーンとした音が聴こえる代わりにクラリネットのノッペリ?とした音が聴こえてくるわけだから、「今日は何か変な気分・・・」みたいに思わなかったかどうか・・(?) まぁ・・どうでもいいことではあるといえよう。。フォークトさんの弾くスタインウェイは確かに素晴らしい音なのだが、モーツァルトにはチト硬質で音もデカすぎるような感じを受けた。もっとも・・マイクで拾ってミキシングでバランスを創った音なので・・あくまでも「録音上」の感触だ。しかしながら・・打鍵は極めて正確で、サイモン・ラットルが惚れこんだだけのことはある。チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニーとシューマンのピアノ協奏曲をオペラシティで演奏したライブ録音もあるが、是非にでもラフマニノフかチャイコフスキーのコンチェルトを一度聴いてみたい・・と思わせるだけの魅力溢れたピアニストだ。モーツァルトらしくない?第2楽章の切々とした情感など、本当に気持ちのこもった素晴らしい演奏だった。
◆さて、この演奏会は、ブルックナーの第3交響曲を第1稿で演奏することで巷の話題にもなっていたハズなのだが、画面を見てみると・・なんと客席は中央エリアこそ埋まっているものの・・両サイドのエリアはガラガラだ。もちろん、パイプオルガン前の客席も半分にも満たない有様。。ブルックナーの3番だから・・一般の音楽ファンには縁の無い(人気の無い?)楽曲なのかもしれない。これが、4番「ロマンチック」や7〜9番ともなれば客足はもっとポジティブになっていたかも?。。 極めて珍しい第1稿での演奏であれ・・第3稿であれ・・ぶっちゃけたハナシ、第3交響曲は気持ちが爆燃しないのだ。。ブルックナーの交響曲の大いなる特徴・・つまりは度々現れるゲネラルパウゼ(総休止)が魅力とも欠陥?ともなって好き嫌いを2分してるんじゃないかとさえ思うのだ。極端に言えば・・バルトークの「管弦楽のための協奏曲」と同じ。。テーマがまるっきり発展せずに寸断されて肩透かしにあったような物足りなさを味わうハメになる。。しかしながら・・これが「芸術」としての妙。バルトークもブル3も・・終り良ければ全て良し!となって、ブツ切れ・・或いはそこそこ盛り上がった魅力的なフレーズが音塊として一つに固まり・・気持ちの中で得も知れぬ重みを持った感銘に化けるのだから不思議だ。そこそこガラガラの客席が功を奏したのかどうか・・この日のサントリーホールの響きは本当に豊かだった。総休止の間にも消えずに漂うホールトーンはそれ自体が「音楽」だ。「新世界から」の終結和音にディミヌエンド+フェルマータがついているが、ブルックナーのゲネラルパウゼは正に・・ホールにそれを託したかのような感じ。。オーケストラの音(演奏)からホールの音(残響)へ・・自然に任せて音を減衰させる。従って、残響感のないドライカスカスな演説用ホールでこれを聴けば・・多分・・第1楽章の途中で席を立たねばならないだろう。しかし・・しかし・・・ブルックナーさんは・・そんなホールもあるかも?・・と思ったかどうか、フィナーレまで我慢して聴いてくれた聴衆に・・残響までは創生できないものの・・オーケストラ自体がサウンド・ディレイ(遅延反響)を創ってしまうという離れ業の音を聴かせてくれるのだ。何かの資料の受け売りなのだが・・マントヴァーニの専売特許?だった「カスケイディング・ストリングス」のようだ・・と書いてあったような。。(?) 神々しい煌きを放つフレーズなのだが・・なぜか感動しない。。ところで、通常演奏される第3稿と比べると・・この第1稿は第1楽章で約100小節、全体では25%も小節の数が多いそうな。。つまりは、ブルックナーが第1稿で助長と感じた部分をカットした形(それだけではないらしいが・・)が通常演奏される第3稿らしい。そこで、手元にあるカラヤン/ベーム/セル/朝比奈のセッション録音CD・・そしてチェリビダッケのライブCD(何れも第3稿に基づく)の演奏時間の比較をしてみた。

演奏者
演奏稿
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
全演奏時間
ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団
第1稿
23'24
16'57
7'02
15'16
62'39
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー
第3稿
21'56
16'21
6'53
11'39
56'39
ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー
第3稿
21'59
14'45
6'54
12'42
56'39
セル指揮 クリーブランド管弦楽団
第3稿
20'06
15'33
7'29
12'22
55'30
朝比奈指揮 大阪フィルハーモニー
第3稿
22'59
16'37
7'51
13'54
61'34
チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー
第3稿
25'07
16'38
7'46
15'04
65'32
DG  413 362-2  カラヤン指揮ベルリン・フィル DECCA  425 760-2  ベーム指揮ウィーン・フィル SONY  SRCR-9865/6  セル指揮クリーブランド管弦楽団 CANYON  POCL-00471  朝比奈指揮大阪フィル EMI  CDC 5  56689 2  チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル

◆ブロムシュテットの第1〜3楽章の演奏時間は次の楽章へのインターヴァルを含めてのCDトラックの演奏時間なので、その他の市販CDの演奏時間と比べる場合には、各楽章10秒〜20秒程度差っぴかねばならないが、まぁ・・そんなにシビアな問題でもないだろう。。ざっと見れば、第1楽章と第4楽章・・特に第4楽章に大いなる差があることが判る。チェリビダッケと朝比奈を除き、ブロムシュテットとカラヤン・ベーム・セルのテンポ感は良く似たように聴こえるので、平均演奏時間差分の音符が元々在った音のようだ。。FM放送でオンエアされた際の解説者が・・全体で第3稿より25%程小節数が多い・・と言ってたことは、演奏時間にすると5〜6分のことなのか?・・・。それにしても、カラヤンと同じ第3稿に基づく演奏でありながら、演奏時間差が約9分にも及ぶチェリビダッケのスローテンポは何と表現したらいいのだろう。。朝比奈隆も相当なスローテンポなのだが、チェリビダッケの・・特に終楽章のテンポなど・・4番でも7番でもそうなのだが、一端スコアの裏側(?)を見て(聴いて)しまったら最後・・対旋律や伴奏音形の中に潜む魅惑の粘液?の毒気が主旋律にも絡みついて・・解毒には数ヶ月からへたをすると数年間を要する重篤な状態に陥ることを覚悟せねばならない。従って、ブロムシュテットのマスタリングを済ませるまでは、「本格的な」リスニングなど以ての外で・・石庭の写真を使ったジャケットをシゲシゲと眺めるだけに留めていた。いよいよ今度の週末にでも、チェリさんの毒気に痺れ捲くることにいたそうか・・(?) <・・・で、早速聴いてみた。。カラヤン先生の録音は極上のブリリアントサウンド。何年ぶりに聴いただろう。。へたすると20年ぶり?かも。小生の如く凡人でも、ブロムシュテットの後で聴くと・・何かが足りない!・・と思ってしまう。マクロ的な見地から逆に申せば、どうせブツ切れフレーズが連なった楽想なのだから、余分?な楽節が混入しても気にならないどころか・・その「余分」な部分にこそ結構魅力的なフレーズがあったりして、第1稿に慣れた後に聴く改訂版は物足りないように感じてしまうのだ。ところが、チェリビダッケのテンポで聴く時の改訂版は、不思議にもそんな不足感を覚えない。第4や第7交響曲のフィナーレコーダほど極端に遅くは感じないものの・・やはりそれなりに音符の一粒一粒が最大限度に拡大された圧倒的な威圧感があるのだ。これには朝比奈先生の録音も敵わない。奇しくも・・手元のCDの指揮者たちは全て故人となってしまったが、あまり聴かないハズの「第3番」が5種類もあったことに自ら驚くことになってしまった。もっとも、ブッチャケたハナシ・・・ベームのCDは第4番との2枚組。セルのCDは第8番とのカップリング。朝比奈先生のCDは格安で分売された交響曲全集の一環。チェリビダッケのCDはブルックナー交響曲集なるボックスセットの中の1枚。・・・「第3番」を聴くために購入したCDは・・「第3番」が聴いてみたくて初めて購入したカラヤンのCDだけだったのだ。しかしながら・・そのお陰?かどうか・・・こうして少なからずあれこれと面白い発見をするわけだから、ラックのお飾りとなっていたCDも役に立つ時がくるもの・・と妙なところで感心したりもする。(笑) 細かい音符の違いなどは全く判らないのだが、そういった時にはブルックナーの研究サイトにて、気儘に勉強させていただいている。本当にありがたい限りだ。^^ なお、この交響曲・・ワーグナーに献呈したとあるものの・・ワーグナーは交響曲の世界ではズブの素人だったハズ。(というよりも・・全く興味のない音楽分野だった?) もし、ワーグナーが逆立ちするほど喜んだのなら、ブルックナーに刺激されて・・、・・そんじゃオレ様もヤツがビックリたまげるような一大交響曲でも作ったろか!・・みたいなことに発展しなかったのだから、その辺が・・案外「第3番」の真価(・・という大袈裟なものじゃなく・・単に世俗の人気?)を物語っているのかもしれない。(究極の凡人的発想ではありますが^^;) 最後に、ライブ録音のオンエアに関して・・カラヤン指揮のブルックナーを研究するConcolorさんより拙サイトBBSに「なるほど・・ガッテン!級」のご意見を賜った。>>ライヴ放送の楽しみは、自宅に居ながらにして・・演奏会が行われた会場の雰囲気も含めて・・曲の始まる前の静寂やオケメンバーのチューニング・・指揮者登場・・拍手・・演奏・・楽章間の時間の流れ・・など、演奏会が丸ごと「何も足さず、何も引かず」に楽しめるということに尽きると思います。オーディエンス・ノイズさえ楽しみになりえるものだと感じています。<<・・・といった内容だが、全く仰る通りだと思う。N響定期での第3交響曲の演奏終了を待ちかねたように・・ほんの一握りの熱心?な聴衆がホールトーンが未だ活きている余韻の最中に拍手を始めて・・それに釣られて周りの聴衆も拍手に参加?したのだが、なんか変だ?!・・と気づいたのかどうか・・すぐに拍手が萎んでしまった。。ブロムシュテットさんは呆れたように客席に向かって・・どうぞどうぞ^^・・みたいに拍手を促したが、なんとも滑稽な瞬間でもあった。どうしてそんなに焦って拍手の一番乗りをしなけりゃならないのか・・その心境はさっぱりと解らないのだが、これが「ライブ」なのだ。もはや、達観して、笑ってしまおう。。・・てなことで・・演奏開始前のチューニングを含む4分弱の「時間」と、演奏終了後・・楽員退場からなお暫らく続いたオーディエンス・ノイズまで、番組枠にあった音源はカット無しに全てCDRに収録した。楽曲の頭からすぐに聴きたい時には、トラック2を押せば5秒後に第3交響曲が始まるし、演奏終了後の拍手などは適当な時にアンプのヴォリュームを絞ればいい。。これぞ・・定冠詞"THE"を付けてもいい世界唯一無二の「本物の」ライブCDなのだ。FM放送でも、こんなライブ放送をしてもらいたいものだが。。。とにかくも・・貴重な第1稿の演奏を、かくも優秀な音源(音質)でゲットできたことを慶びたい。
Disc No. 414  Title No. CDR-YSHD-254A/B-00
Disc No. 415  Century Orchestra, Osaka + Tokyo Metropolitan Symphony - Kazuhiro Koizumi
254A 254B
大阪センチュリー交響楽団
CDR-YSHD-254A/B-00
東京都交響楽団
2005.04.09
小泉和裕
ザ・シンフォニーホール、大阪
:
BS/VHS
ハイドン:交響曲第100番
on air 2006.02.24
シュトラウス:アルプス交響曲
27'25|55'46
:
★★★★★
大阪センチュリー交響楽団 第100回定期演奏会(東京都交響楽団との合同演奏)  小泉和裕指揮
◆大阪センチュリー交響楽団は、1989年12月に大阪府が設立・・当初からプロフェッショナルオーケストラとして1990年にデビューをした10型2管編成の小型オーケストラだ。大阪府が設立したといっても、京都市のオーケストラ(京都市響)と違って、職員や楽員は公務員ではなく、財団法人として独立した組織を持つ。合同演奏で参加した東京都交響楽団も全く同じだ。どちらがいいのかは楽員さんに聞いてみないと判らないものの、東京都響では都から財団法人への「蛇口」が絞られつつあるということから・・大阪府も同様に・・と思うところなれど、こちらは必要最小限の楽員しか抱え込んでいないという経済性が功を奏して・・これ以上蛇口を絞られるようなことになれば、金沢のOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)級の超小型楽団(・・決して交響楽団とは名乗れない!)に衣替えせねばなるまい。。そんなセンチュリー交響楽団が、100回目の定期演奏会を迎えた。2003年から常任指揮者の地位にある小泉さんは、東京都響の主席客演指揮者でもあるということからかどうか、100回目の記念すべき定期公演に東京都響をゲストオーケストラとして招き、合同で演奏するという企画を組んだようだ。アルプス交響曲のような大規模な編成を要する楽曲の演奏は、さすがに東京都響の自前の楽員だけでも間に合わないほどの大曲だ。従って、両楽団(特に楽員さん)にとっては、もっけの幸い?だったかもしれない。東京都響の定期(自主公演)にかければ、赤字必至の楽曲だ。もちろん、センチュリー響にとっても、万一エキストラでこれをやれば、自前の楽員の頭数以上の「トラ」が要る。だから・・めったにプログラムに載らない。。ギャラの分配は、「楽団」としてゲストに招いた方が安上がりに違いない。いや・・ひょっとすると・・100回という記念定期へのお祝いとして・・都響は損得勘定を度外視した破格のギャラで参加したかもしれない。。(?)
◆なかなか「生」で聴く機会のないアルプス交響曲だが、エアチェックCDRコレクションには大阪フィル(朝比奈)N響(アシュケナージ)仙台フィル(外山)といった日本のオーケストラを含めて、ウィーン・フィル(小澤)ベルリン・フィル(ヤンソンス)ドレスデン(シノーポリ)という物凄いライブまで揃ってしまった。また「アルプス」かよ・・という・・誠に贅沢極まりない小言を言いつつも・・大阪のザ・シンフォニーホールでの初めての「アルプス」の音源をゲットできたのだ。ザ・シンフォニーホールのパイプオルガンがどんなふうに響く(マイクにのる?)か・・ということが、先ずは楽しみの一つでもある。さらには、ホールの響きが・・同じくマイクにのるかどうか・・・ということも重要なお楽しみの要素だ。まぁ・・ブッチャケたハナシ・・マイクで拾った残響(ホールトーン)は、余程のことが無い限り・・2chでの再生サウンドの中では何処もかしこも同じように聴こえるのだが。。それでも・・それらしく・・然も小泉和裕有げに聴こえた時には・・楽曲や演奏からの感動も倍化して気持ちを熱くするものだ。そして、合同演奏会といえども、センチュリー交響楽団の定期演奏会である以上・・まさに10型2管という小型編成の楽団にピッタリサイズのハイドンの交響曲だけはセンチリー響だけで演奏されるハズのものなので、この楽団固有の響きが100回という記念すべき節目でどんなふうに「果実」となって聴衆を納得させるのか・・・これもまた楽しみなところなのだ。常任指揮者の小泉さんは、1973年に行われた第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位となった逸材だ。1969年に東京芸大指揮科に入学・・とあるので、2006年現在55歳という・・バリバリの中堅指揮者だ。当コレクションに登場するのは、1991年の九州交響楽団東京公演でのチャイコフスキーの交響曲第1番以来15年ぶり2度目となる。その音源では、興味のベクトルはサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を弾いた数住岸子さんの方へ飛んでしまって、指揮者の創る音楽には全く関心を示さなかったのだが、今般映像をフルに見て、小泉さんの指揮姿がそれとなくカラヤン先生に似ているところが多々あって・・小泉さんの気持ちの中では・・相当な比重でカラヤン先生に感化(影響?)された部分がある(あくまでも推測だが・・)だろうことに驚きを隠せなかった。
◆さて、いよいよ・・ハイドンのシンフォニーだ。100回目の記念定期に第100番の交響曲という語呂合わせなのだろう。。「軍隊」という愛称のある交響曲だが、ハイドン自身が付けた「題名」ではない。ベートーヴェンの「運命」、ドヴォッ8の「イギリス」、チャイコフスキーの「ポーランド」などと同じく、何かの特徴や経緯をもっての愛称だ。「軍隊」などという硬派のイメージとは裏腹に、第2楽章と終楽章に軍楽隊で使われる打楽器(バスドラム・シンバル・トライアングル)が編成に加わったというだけで・・「軍隊!」となってしまったらしい。。いやはや・・もしそれが本当なら・・ベートーヴェンの「第九」はもちろんのこと・・ロマン派以降のバスドラ&シンバル付き楽曲の全ては「軍隊!」と呼ばねばなるまい。(笑) まぁ・・ハイドンさんの膨大な交響曲は「実験的」な編成やフレージングの博覧会のようなものだから・・「軍隊」といっても冗談っぽく聞こえるわけで、他の交響曲のろくでもない愛称と同様に笑って済ませられる次元のものといえよう。。しかしながら・・楽曲自体は短いながらも大変に充実した響きがあって、フツウなら滑らかに済ませてしまうハズの第2楽章に軍楽隊の打楽器を炸裂させるところなどは・・「驚愕」との愛称が付いている第94番の後継交響曲として、聴衆を眠らせないためのアイデアとしか思いようがない。ザロモンさんに破格の契約金で世話になるという幸運に恵まれたハイドンさんにとっては、専属作曲家としての演奏会を成功させることしか頭になかったハズだ。何をもって、自作の交響曲に注目を集めさせるかは・・やはり独自の仕掛け?を用意しなければならなかったのだろう。。一番の屈辱は、聴衆が退屈のあまり寝てしまうことだ。だから・・楽想の中に「刺激」を編みこまねばならない。既に、90曲を越す交響曲を書いた実績は・・「仕掛け」を忍ばせることなどわけも無かったに違いない。第100番の初演に立ち会った聴衆は、ステージ奥に置いてあるバカデカイ太鼓を見て・・どこでそれが使われるのか・・興味深々だったかも?・・・それこそ、目をギンギラギンに輝かせて、ステージ上のオーケストラを見つめていたハズだ。
◆第100回記念定期公演の前座のプログラム・・ハイドンの交響曲第100番は14型の弦楽編成での合同演奏だった。コンサートマスターは東京都響の矢部達哉さんが務め、内側にセンチュリー響のコンマスが座る配置だ。後半のアルプス交響曲はともかくも・・ハイドンでの合同演奏は大いに疑問に思う。特別演奏会でもなく、あくまでもセンチュリー響の「定期」・・・それも節目の公演だ。せめて、ハイドンだけでも自前の楽員だけで披露すべきじゃなかったのか?・・・。何のための古典楽曲専用?の編成を持ち、そのアンサンブルや音調を鍛えてきたのか・・という「成果」がまるで棚に上げられたかのようでもある。これは・・常任指揮者たる小泉さんの失態だ。ベルリン・フィルとウィーン・フィルとの合同演奏会とは趣旨がまるで違うのだ。仙台フィルの節目の記念定期公演でも「アルプス」を演奏したが、この時にも前半の「ツァラトゥストラ」共々・・自前の楽員の5割を超えるエキストラを入れての演奏だった。こういったことは・・特別演奏会の枠ですべきことで、定期演奏会・・ましておや節目の記念定期では、少なくとも前半のプログラムだけでも自前の楽員だけで演奏できる楽曲を選ばねばならないんじゃないか!?・・・と思っている。センチェリー響のハイドンの演奏など・・合同演奏自体は極めて優れたものだったが、もはや・・意味無いじゃん!の世界でのハナシでもある。後半の「アルプス」は、18型(コントラバス10挺)の弦楽器を並べて・・いやはや壮観だ。配置は Vn1 - Vn2 - Vc - Va - Cb といった一般的な並びだが、オルガン前の通路にホルンを中心にトランペットとトロンボーンの金管別働隊を並べてアルプスの山彦としてステージ上の金管と掛け合いを演じる。本来なら、バックステージに居るハズの別働隊が表舞台で演奏するということは珍しいことなのかどうか・・(?)。12Hr + 2Tp + 2Tb は 6Hr+2Tp+2Tb へと縮小されたのは、さすがに合同演奏といえども12本のホルンは間に合わなかった数なのだろう。。しかしながら、夜明けから頂上に向かう光景はすこぶるブリリアントで、吸い込まれるようなピアニッシモこそ無いものの・・まぁ、かえって・・聴き取り難さが無い分・・録音で聴く分には良かったかもしれない。肝心要の金管の演奏精度は冷や汗の出るような場面はほとんど無く、特にトランペットのハイトーンとホルンのソロはゾクゾク級の名演奏でもあった。嵐の場面でのウィンドマシンは漫画チック?でどうしようもない??のだが、オルガンのペダルが朗々と気持ちを揺さぶって・・アルプスの自然への感謝を厚く重いものとしていたことは感動的でもある。この曲のメロディーラインは、弦楽器奏者(特にヴァイオリン)にとっては最高度の気持ち良さじゃないか?と思ったりもする。奏者冥利に尽きるといっても過言じゃないほどの素晴らしい旋律は・・そのままリスナーの気持ちの中に溶け込むのだ。終演後、隣り合わせに座った両楽団のメンバー同士が握手やお辞儀を交わして、演奏会の成功を喜んでいる様子が微笑ましい限りだった。「アルプス」での感動は・・ハイドンでの「不満」など帳消しとなって、まぁ・・いいか!・・・てなことに落ち着いてしまったことも「演奏芸術」の確実な成果だったのかもしれない。センチュリー響の主席オーボエ宮本克江さん(往年のアイドル:浅田美代子さんがオーボエを咥えたような面立ちだ。^^)と同じく主席のホルン奏者ドンナ・ドルソンさんのソロは、ホンマ!・・痺れるほどの美音だった。ハイトーンがバッチリと決まったトランペット奏者がどちらの楽団所属か判らなかったことだけが残念だ。関西では、故朝比奈先生の時代において、大阪フィルハーモニーばかりに注目をしていたわけだが、こうやってオンエアながら聴く機会を得ることで、訳の判らなかったローカルオーケストラのびっくりたまげるような実体(実像)を確認できたことは本当に悦ばしい限りに思う。
Disc No. 416  Title No. CDR-YSHD-255-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
255 255(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-255-00
ロジャー・ノリントン
2005.02.18
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第1番ハ短調op.68
on air 2005.10.09
悲劇的序曲op.80
56'36
:
★★★☆☆
Disc No. 417
 Title No. CDR-YSHD-256-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
256 256(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-256-00
ロジャー・ノリントン
2005.04.15*|2005.05.05
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第2番ニ長調op.73

on air 2005.10.09*|2006.02.06

大学祝典序曲op.81*
56'34
:
★★★☆☆
Disc No. 418
 Title No. CDR-YSHD-257-00
 Radio-Sinfonieorchester Stuttgart der SWR - Sir Roger Norrington
257 257(裏表紙)
シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)
CDR-YSHD-257-00
ロジャー・ノリントン
2005.04.15*|2005.06.29
:
ベートーヴェンザール
ブラームス
FM/VHS
交響曲第3番ヘ長調op.90*
on air 2005.10.09*|2006.02.06
交響曲第4番ホ短調op.98
75'13
:
★★★☆☆
ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団(SWR) - ブラームス交響曲全集!
◆ベートーヴェン(サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団)・・・チャイコフスキー(テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー&日本のオーケストラ7団体と7人の指揮者による)・・・シューマン(サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団)・・・シベリウス(ヘルシンキ・フィルハーモニー/オッコ・カム&渡邊暁雄指揮)・・・に続く全曲セット物編集ヴァージョンでのCDR化で今回ブラームスをゲットできたことで、コレクションにほんの少しながらもズシンと重みが加わったことを慶んでいる。チェリビダッケが一時君臨した南西ドイツ放送所属のシュトゥットガルト放送響の2005年の定期演奏会は、2月から6月にかけて4回に分けてブラームスの全4曲の交響曲がプログラムに組み込まれた。いずれも、演奏会の後半にブラームスの交響曲が置かれ、前半には・・エルガーの「海の絵」、ティペットのピアノ協奏曲、ヴォーン・ウィリアムスの第6交響曲、マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」が演奏された。シンフォネアCDRの基本コンセプトは、一つの演奏会の全てのプログラムをもって一つのタイトル番号とする・・のだが、2曲の演奏会用序曲を加えたブラームスの交響曲全集として纏まってしまうことへの魅力はやはり捨てがたいものだ。ジャケットデザインも統一できて・・これもまた「お手軽?」制作となって時間の節約にはありがたい。。いずれ・・市販CDとしてリリースされるに違いないのだろうが、南西ドイツ放送のライブ録音はすこぶる上等だった。2管編成の古典楽曲なので、ダイナミクスの補正など全く必要の無い自然な抑揚が聴ける。同じオーケストラ(手兵)とのベートーヴェンの録音は未だ聴いていないものの・・・巷の評判では・・やはりピリオッドアプローチでの演奏らしい。。ロンドン・クラシカル・プレイヤーズを率いてのりこんだ「プラハの春」開幕演奏会でのスメタナ「我が祖国」は・・もちろん、ピリオッド楽器のオーケストラだから当然ながらそういったサウンドでスメタナを聴かされるわけなのだが、バリバリのモダンオーケストラにも徹底したピリオッド奏法で弾かせるところなど・・相当なこだわりがある指揮者なのだろう。シュトゥットガルト放送交響楽団 at Beethovensaal
◆さて、しかしながら・・・このライブ録音・・演奏中はもちろんのこと・・楽章間にも咳払いなどのオーディエンスノイズが聞こえないのだ。演奏終了後の拍手は奇声を伴うほどの盛大かつ熱狂的?な感じで聞こえるので、間違いなく定期公演の録音だと思うのだが、ひょっとしたら・・>>本公演はCD録音をいたしますので・・お客様におかれましては・・何卒お静かに息を潜めてお聴きくださいますようお願い申し上げます。。<<みたいなアナウンスがあったかどうか??・・・誠に摩訶不思議な録音でもある。静かなことはいいことなれど・・かくも静かだと「ライブ」という実感が湧かずに・・今ひとつワクワク感に乏しい雰囲気ともなるのだから・・楽章間の咳払いも強ち邪魔なものでもなさそうだ。。シュトゥットガルト放送響がホームグラウンドとするベートーヴェンザールは、リーダーハレという芸術センターの中にある2000席を超す大ホールだ。見たところ・・パイプオルガンは備えていないものの・・録音での響きは至極豊かで悪くない。一番驚いたのは、一階席は全くのフラットのフロアにフツウの椅子が並べられていることだ。ホテルの宴会場・・或いは体育館でコンサートをする時の雰囲気。。折りたたみの椅子じゃないのでまだいいが、このホールでは、コンサート以外に椅子を取り払って何をするのだろうか??・・などと野暮なことまで考えてしまった。もちろん、ウィーンの楽友協会やボストンのシンフォニーホールでも椅子を取り払って舞踏会やポップスコンサートをするらしいのだが。。一方、ステージ上のオーケストラは、ノリントンさんの下では古典対抗配置だ。そして、コントラバスはステージの一番奥に横一列に並んでいる。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでのお馴染みの配置でもある。ブラームスをどれだけの弦楽器で演奏したのか?・・までの情報がFMの番組中解説されなかったので残念なのだが、ピリオッドアプローチでの演奏では、少し小ぶりな弦楽器の人数となるのが常道のようなので・・少なくとも1プルトは減らしての演奏か?・・・。
◆4曲の交響曲の中で一番首を傾げたのは第1番だ。先ずは・・モニターした第1印象は最悪。。ヴィブラート無しのピリオッド奏法などは棚に上がって・・出だし(序奏)のメチャクチャに速く感じるテンポには口ポカ状態でただただ唖然!*_*; なんじゃコリャ!?!級のヘンテコリンなテンポの演奏は・・他の楽曲でも過去何回か遭遇したものの・・そんな中でもダントツ抜きん出た・・スピード違反で即免停?みたいな速度に聴こえたのだ。もし、第1番だけの単独音源だったら・・このファーストインプレッションだけで間違い無くお蔵入りとなったテープだ。単にテンポが速いだけでなく・・ティンパニーの打音に急なディミヌエンドをかけるものだから・・速いテンポに前のめり気味に加速がついて・・おいおいおい!・・てなことにも聴こえるのだから始末に悪いのだ。ノンヴィブラートのピリオッド奏法には一長一短があるようだ。速いパッセージなどはキレが良くて爽快な気分にもなるのだが、ゆったりとしたメロディックなフレーズなどは情感に乏しく・・なにか素っ気ない淡白さを感じてしまう。なにやら・・18/19世紀にまで遡らずとも・・1930年以前には、ヴィブラートをかけないで演奏するのが主流だった(?)・・というノリントンさんの仰せらしいのだが、本当なのだろうか??。まぁ・・ともかくも・・・スーパードライのようなキレ味でブラームスを聴くのも悪くはないか・・・みたいに思えてきたのはマスタリングを始めてテイク2まで至ったとき。(つまりは3度目の正直?) 不思議にも・・少なくともテンポ感だけにはあまり違和感を感じずに聴けてしまったのだ。さらには、速すぎると思われたテンポも・・ちょっと速いかな?・・くらいな感覚で納得できてしまったのだから・・感受性の変貌にも呆れてものがいえない。(笑) それにしても・・極めて珍しい部類に入る特異な表現を持ったブラームスだが、従前の演奏を否定するだけの効力は全くない。ウンザリするほどラックに鎮座するブラームスの交響曲全集だが、倦怠期?に聴くべき刺激満点のサウンドには壮絶なエネルギーがあることだけは事実なのだ。特に要となるティンパニーの満身の叩き込みがダイナミクスのエクスパンション(伸長)に大いに貢献していることは爽快な限りでもある。ロマンチックな第3交響曲では・・ピリオッド奏法が足を引っ張る部分が多々あって、今ひとつ?の感なきにしもあらずなのだが、第1交響曲のように冒頭からとんでもない演奏として耳に飛び込んできても・・フィナーレコーダではもはや興奮のルツボの中で「これもまた・・いいじゃん!」と化してしまうのだから・・楽曲自体の魅力は恐ろしいほどに奏法や表現を超えたところで展開するのだという標本のような音源でもあった。
Disc No. 419  Title No. CDR-YSHD-258A/B-00
Disc No. 420  NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy         Concert in Wien
NHK交響楽団
CDR-YSHD-258A/B-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.10.13
ソイル・イソコスキ (S)
ウィーン楽友協会大ホール
武満徹:「鳥は星形の庭に降りる」
BS/VHS
R.シュトラウス:4つの最後の歌
on air 2006.01.27
ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」
45'51|45'44
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲*
★★★★☆ OIDT*
Disc No. 421
 Title No. CDR-YSHD-259A/B-00
Disc No. 422
 NHK Symphony Orchestra - Vladimir Ashkenazy
NHK交響楽団
CDR-YSHD-259A/B-00
ウラディミール・アシュケナージ
2005.09.30
ワディム・レーピン (Vn)
NHKホール、東京
:
BS/VHS
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

on air 2005.11.11

ショスタコーヴィッチ:交響曲第8番
47'50|62'30
:
★★★★☆
ウラディミール・アシュケナージ指揮 NHK交響楽団  ウィーン公演&定期公演 2005
◆N響がウィーン楽友協会ゴールデンザールで演奏した!。・・・なんと1972年以来35年ぶりのことだという。。2005年のN響ヨーロッパツァーはベルリンからマドリードまで1週間で6公演をこなすというハードスケジュールだったらしいが、ウィーンだけは2日間に渡ってA/B2つのプログラムを演奏した。・・・ということは・・・目的は他でもなく「ウィーン!」にあったのだ。そして、Aプログラムの公演にTVカメラが入って、その模様は日本に居ながらにして・・その時空を遡って・・チューニングからアンコール演奏(フォーレ作曲パヴァーヌ op.50)・・そして楽員退場までの全ての時間の自然な流れに立ち会うことができたことを先ずは悦びたい。ショスタコーヴィッチを演奏したBプログラムの公演にも・・みたいな欲も出るわけだが・・同じプログラム(同じソリスト)の演奏を出発前の定期演奏会で聴けるので・・まぁいいか^^・・てなことにもなるわけだ。その・・「まぁいいか・・」というのには大いなる理由があってのことで、ウィーン公演のBSライブに挿入されたアシュケナージさんのコメントがヒントにもなって・・NHKホールでの演奏とゴールデンザールでの演奏の根本的な違いを同じBS(Bモード)音声の上に確認できたのかもしれない。「かもしれない・・」というのは・・Bモードといえども「録音」による音響故の・・もどかしいほどの推察なのだ。残念ながら・・オンエアで聴くゴールデンザールでの演奏からは・・素晴らしく鮮明な音質であってもゴールデンザールらしい残響感に浸れるまでには至っていなかった。同じオンエアでもNHKホールでの演奏の方がよく響くのだから・・・この辺がやはりマイクアレンジとミキシング担当者の感性なのか?・・・。さて、ホールトーンのことは棚に上げて・・アシュケナージさんが語っていた「音響飽和」のことだ。ゴールデンザールで音の飽和が心配になるのなら・・ミュンヘンのヘラクレスザールや、プラハのドヴォルザークホールなどはいったいどうなるのか??・・・ということなのだが、NHKホールが大きすぎるのだろう。。NHKホールで演奏する時のフォルティッシモをそのままゴールデンザールで炸裂させたら・・ということからのコメントだったように思うのだ。ウィーンでの演奏がオンエアされるから・・といった理由だけで・・定期公演の「ダフニス」を録らなかったことを後悔しても始まらないが、少なくともウィーン公演のオンエアを聴く限り・・「ダフニス」のフィナーレは全く爆列しなかったのだから・・さてはまた・・フェーダーに手をかけたのか?・・てなことを思ったりするものの・・真偽の程は判らない。。しかしながら・・アシュケナージさんのコメントを信ずるならば・・N響の・・特に金管と打楽器は・・相当なストレスをためながら・・抑えに抑えての演奏だったのだろうか??・・・。
◆一昨年(2004年)のヨーロッパツァーでも演奏された武満作品だが、凡人の耳には・・まるでドビュッシーだ。アカラサマな日本情緒の披露がNHKの放送80年記念としてNHK音楽祭で行われたくらいなのだから・・超高尚?な武満作品よりも外山先生の大ヒット作品を持っていってもらいたかった。。アンコールなどの余興?の楽曲としてではなく、演奏会の幕開けに「日本(放送協会)」の交響楽団としての名刺代わりでもってウィーンの聴衆の度肝を抜いたなら・・メリハリの利いたいいプログラムになったのに・・・などと勝手なことを思ったりするのだ。。レーピンとのベートーヴェンのコンチェルトも確かにいいのだが、やはり・・ここは・・喜志康一のコンチェルトしかないんじゃないか・・と考えたりしてしまう。。N響は日本のオーケストラの中でも唯一・・グローバルなシーズン制をとっていて・・官公庁の「年度」ではなく・・世界標準の9月にシーズン開幕を迎える。そして、放送交響楽団としての使命?からか・・どんな楽曲でも満遍なくこなさねばならない性格を持っている。しかしながら・・日本のオーケストラとしての看板楽曲があってもいいんじゃないか!?!・・とも思うのだ。武満さんは確かに日本人の作曲家なのだが、彼の作品には「日本情緒」が存在しない。というよりも・・高尚過ぎて凡人には解らないのかもしれない。。^^; 「鳥が星形の庭に降りて・・」・・・そんでもって・・それがどうした?・・という世界なのだ。N響の演奏精度はおそらくズバ抜けたものだったに違いない。。そして・・洗練された響きもまた・・研ぎ澄まされた究極の美音で鳴っていたのだと思う。しかしながら・・聴き終わった後に何も残らないのだ。この辺が・・音楽の専門教育をお受けになった方との大いなる感覚のズレなのか?。。^^; ・・・そういえば・・専門教育を受けた方でも・・タケミツ作品はサッパリわからへんわぁ^^・・などと・・どこかのブログで仰っていたことがあったような。。。誠に心強いお言葉といえよう。^^ まぁ・・いずれにしても・・・音楽など額縁入りの嗜好品なのだから、「解る解らん」は棚に上げても・・好き嫌いは十人十色の範疇として公言してもいいんじゃないかと・・これもまた勝手に思ったりしている。
◆ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。。本当に久しぶりだ。こうした非常にオーソドックスな演奏を聴いていると・・いつの間にか睡魔に襲われて・・フィナーレのカデンツァでハッと目が覚めることにもなる。聴きなれたメロディへの安堵感なのか・・演奏しているご本人の大変さ加減は棚に上がってしまって・・その絶妙なる抑揚が揺り籠の如く気持ちよく眠りに誘うのだ。少し濃い目のコーヒーを啜って・・始めからもう一回。。コンサートマスターの席には篠崎さんが座っている。堀さんと比べると(比べてすいません!^^;)随分とエキセントリックな雰囲気が漂う。もちろん・・いい意味でのハナシである。(笑) レーピンさんの余裕綽々の妙技には感服の極みなのだが・・N響の絶妙のアンサンブルもまた・・文句の付けようがないほど充実した演奏だ。単なる「伴奏」に甘んじず・・チャッカリ?・・いやキッチリと「N響」を主張している。ヤル気満々の演奏!というのはこういうことを言うのだ。ウィーンへの壮行演奏会のようなものなので、ここでコケたら出鼻を挫かれることにもなるわけだ。ウィーンでは・・天下のウィーン・フィルも真っ青になるような演奏をせねば・・大和の国の親方日の丸?NHKの沽券にかかわる一大事ともなる。N響の楽員さんたちも、それなりの覚悟があったに違いない。ショスタコーヴィッチの第8交響曲では、堀さんをコンサートマスターとして篠崎さんも横に陣取った。なにやら・・他のセクションでも、主席級がトップを固めた最強の布陣だったらしい。アシュケナージさんはN響の音楽監督なので、普段の定期公演でもこういった布陣を発令?できるお立場じゃないかと思うのだが・・実のところは特別なことだったらしい。。カラヤン時代のベルリン・フィルは・・音楽監督カラヤンが振る時には必ずコンサートマスターが2名トッププルトに座っていたらしい。弦楽器の編成を18型まで拡張できたのも音楽監督だけの権限だったと聞く。N響にはそういったシステムが無いのかどうかは判らないが、とにかくコンサートマスター(オーケストラの中では一番偉い?お方なのだ!)が、ソロと第1のお二人雁首揃えてお座りになっている光景を見るだけでも・・演奏への妙な先入観が生まれるのだから・・オーボエを誰が吹く?ってこと以上に凄いことのようだ。そんな中でのショスタコーヴィッチが悪いハズなどあるわけもなく・・いやはや・・N響がこんなにも研ぎ澄まされたサウンドを出すとは思いもしなかった!。アシュケナージさんの十八番ということもあってか・・5番に比べれば非常にシブチン?な終り方をする第8交響曲でも、そしてまた・・内容的にも憂鬱極まりない雰囲気が充満した曲想にもかかわらず・・不思議にも・・なぜか魂が共鳴して1943年という「戦争の時」に想いを馳せてしまうのだ。実際の戦争体験が無い分・・仮想の中にイメージを膨らませすぎてしまうのかもしれないが、我が国においても近い将来起こり得る近隣諸国との紛争が・・世界を巻き込んでの大戦争へと発展しないことを祈るばかりだ。核爆弾など・・持っていても絶対に使えないのだから・・かくなる上は、2足歩行のロボットたちに頑張ってもらうしかない。地上戦は、同じ数のロボット同士の撃ち合いをして、最初に敵のロボットをせん滅させた方が「勝ち!」といった決まりを国連(国際法)で作ったらいいのだ。・・・なんかの映画でも見たような?ないような??・・・。。 ところで、ショスタコーヴィッチがアシュケナージさんの十八番だとしても・・2年連続(2004年は第5番)でツァーのプログラムとして持って行かなくてもいいのに・・と思ったりもしている。。武満さんの「鳥は星形の・・・」も同じく2年連続だ。まぁ、ウィーン・フィルの十八番のモーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスあたりでは勝負?にならん^^;・・と思ったのかどうか・・・ウィーン・フィルの演奏頻度の無いものを見繕ってのことのようにも思えるのだが、もしそうなら・・シュトラウス(アルプス交響曲)に対抗?して・・グローフェの「グランド・キャニオン」とかホルストの「惑星」あたりなど・・「その後」のウィーンでのハナシの種として大いに賑わったに違いない・・・(かも?)。。(笑) そういえば・・・ゴールデンザールでは、音響飽和で演奏上大いに問題となる楽曲でもあった。。ストレスを溜めながらのグローフェなど・・イライラして聴いちゃおれないことも確かではある。。
Disc No. 423  Title No. CDR-YSHD-260A/B-00
Disc No. 424  NHK Symphony Orchestra - Hilary Hahn - Paavo Järvi
260A 260B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-260A/B-00
パーヴォ・ヤルヴィ
2005.05.25

ヒラリー・ハーン (Vn)

サントリーホール、東京
ペルト:フラトレス(1977/1991改訂)
BS/VHS
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
on air 2005.06.22
バッハ:無伴奏ソナタ第3番〜ラルゴ
44'18|54'39
ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番
★★★★★
Disc No. 425
 Title No. CDR-YSHD-261A/B-00
Disc No. 426
 NHK Symphony Orchestra - Truls Mork - Paavo Järvi
261A 261B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-261A/B-00
バーヴォ・ヤルヴィ
2005.06.11*|2005.06.03
トルルス・モルク (Vc)
NHKホール、東京
トゥール:アディトス(2000/2002改訂)*
BS/VHS
シューマン:チェロ協奏曲

on air 2005.06.17*|2006.06.10

カタルーニャ民謡・カザルス編:鳥の歌
48'35|63'38
ラフマニノフ:交響曲第2番
★★★★★
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団 定期演奏会 2005年5月B&C
◆BISレーベルでのシベリウス交響管弦楽作品の一連のシリーズ録音で一躍有名になった巨匠ネーヴェ・ヤルヴィのご子息だが、1962年生まれというから・・まだ43歳とお若い。・・・勝ったぁ!!(?)・・・といって・・・何が??。。 かの・・若くして亡くなったフェレンツ・フリッチャイもこうであらせられたし、シカゴのゴリ押し男?・・ショルティもそうだった。。いやぁ・・なんと・・モルクさんまでが右へ倣い!・・てな有様となって、こういった光景は実に勇気凛々とさせてくれるすばらしい瞬間でもあるのだ。^^ まぁ、そんなことなど・・どうでもいいことなので(ホンマに^^;)・・・音楽に集中することにしよう。。 さて、N響この月の定期演奏会は・・ABCの3種のプログラム全てをヤルヴィさんが取り仕切ったのだが、かくも素晴らしい熱演となろうとは夢にも思わなかったことだった。丁度、2005年の5月〜6月といえば・・前身サイト(THE SOUND DESIGN)の全面リニューアルを決意して、新たなレンタルサーバーと契約。9月初旬のリニューアルアップロードを目指して夜な夜なサイトデザインとレビューの書き直しを始めた頃だった。従って・・・エアチェックをするような精神的余裕などあるハズもなく・・9月初旬に概略完成・・新サーバーへアップロードを果たしてからエアチェック再開(本サイトトップページ→ INFORMATION → エアチェックの予定)するまでの間は、全くテープが無いものと思い込んで、N響のアーカイブなどをシゲシゲと眺めて溜息をついていたのだ。。そんなこんなの中で、「録らなかった!」と思っていたN響2005年5月定期のBS録画テープが全公演分ダンボールからお出ましになった時には、いやはや・・もう・・万歳三唱ものの悦びに浸ることとなったのだ。残念ながら・・Aプログラムとして演奏されたプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の途中で、テープ不良・・或いは伝送上のトラブルか?・・音声に耐えられないノイズ(歪み)が発生し、ホンの数秒(10秒弱)ほどのことなれど・・CDR化を断念せざるを得なかった。しかしながら・・Aプログラムの冒頭で演奏されたエストニアのゲンダイオンガク「トゥール作曲アディトス」 (協奏曲風前奏曲 - 接近/入口の意)だけは、N響打楽器軍団の素晴らしい熱演が聴けることもあってか・・同じNHKホールで演奏されたことでもあり・・シューマンのチェロ協奏曲の前にCプログラムの「前座」の楽曲として組み入れることにした。丁度、サントリーホールで行われたBプログラムにおいては、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の前座に、同じエストニアのゲンダイオンガク「ペルト作曲フラトレス」(仲間、修道士たち の意)が演奏されているので、CDR構成上は・・「対」ともなるようなプログラム構成となって・・なかなかの量感を得ることに成功している。^^ ライブ盤としての本筋(何も足さず・・何も引かず・・)からは外れることになるのだが、同じ月の定期演奏会で・・同じホールで・・同じ指揮者による同郷の作曲家の作品の素晴らしい熱演を「足す」ことに何の躊躇も無かったものの・・・コンサートマスターが誰だったとか・・各楽器の主席は誰だったとか?・・・てなことまでは・・忘れてしまった方が幸せかも。。知らぬが仏?とは・・忘却もまた理なりってことでもあるのだ。
◆さて、先ずはサントリーホールでのB定期。ヒラリー・ハーンがプロコフィエフの1番を弾く。。プロコフィエフなる作曲家は・・その昔には「ピーターと狼」くらいしか知らなかったのだが、カラヤン先生が第5交響曲を録音してから見方がガラリと変わったことを覚えている。同じ「ロシア」という土俵の中にも・・その時代時代においてかくも曲想が変わるものなのか!・・という単純な発想からか(?)・・・ショスタコーヴィッチの第5交響曲・・さらにはチャイコフスキーの第5交響曲・・・いやはや・・もう・・まるで異質な風土を感じさせるのだ。人間も違えば時代背景も違うわけだから当然至極のことなれど、「ピーターと狼」の延長線上に聴いた第5交響曲にはびっくりタマゲタものだった。そのせいかどうか・・プロコフィエフ!・・と聞いただけで拒絶反応が噴き出して、しかしながら・・そんな中でも・・小澤征爾指揮ベルリン・フィルの交響曲全曲のCDだけはキッチリと買い込んでラックのお飾りとしたり、・・・だから、コンチェルトなどには全く無関心を決め込んでいた時期が相当長く続いたようだ。1番のヴァイオリン協奏曲に惚れこむようになったのはいつのことだったのかは覚えていないが、第3楽章のテーマが低音楽器で盛り上がるところなんぞは・・もうゾクゾクの極みだ。よほどのデキだったとみえて・・アンコールに応えた「バッハのラルゴ」も気持ちのこもった超絶的な美演となった。前座に演奏されたペルトの「フラトレス」には心底痺れた。。N響の解説によれば・・当初・・(理屈に染まった)前衛音楽を作っていたペルトだが、30代半ばから中世の合唱音楽の研究に没頭した成果なのかどうか・・「フラトレス」では・・濁りの無い単純な和音を背景とする祈りの旋律を繰り返す。平置きしたバスドラムの皮の上で打つクラベスが同時にドラムの皮を打って・・弱音ながら一定した打音リズムを節目節目で載せるところなんぞは・・なるほど・・宗教的というよりも・・敬虔な「場」の雰囲気を醸し出す。「祈る・・」ということには・・宗派など関係無いのだ!・・・と単純に感激してしまうところなどは・・この上なく凡人冥利?に尽きるといえよう。(笑) まぁ・・とにかくも・・・パッヘルベルの「カノン」に並ぶ癒しの楽曲として・・今後も繰り返し聴きたい「一曲」と遭遇できたことを悦びたい。 同じエストニアの現代作曲家トゥールの「アディトス」は、「フラトレス」とは全く曲想が異なり・・冒頭からいきなりキンコンカンコン・・とベルが鳴る。解説によれば・・恩師の死をキッカケとして作曲されたようなのだが・・「レクイエム」の様相など欠片も無く・・むしろ恩師を讃えてのエネルギッシュな楽想を持つとのことだ。オーケストラは・・クラリネットにバスを含む以外は2管の木管と通常の金管だから・・そんなにも大規模な編成じゃないのだが・・N響打楽器軍団総出演となるほどの音階打楽器を含む種類の多さには・・僅かに10分弱という演奏時間ではもったいないような気分にもなって・・せめて・・20〜30分ほどに楽想を発展させてもらいたかった・・と思ってしまう。。ゲンダイオンガク・・といえども・・・決して前衛手法ではなく・・・気持ちから湧き出た楽想なのだろう。。だからこそ・・「音楽」になっているのだ。ゾクゾクのメロディも無く・・澄み切った和音も無い。。それなのに・・魂を揺さぶられつつ聴かされてしまうのだ。まぁ・・「春の祭典」にも同じようなパターンで感動するわけだから・・・その「路線」の発展形と思えばいいわけだ。一昔前までは・・ゲンダイオンガク全面否定派だったのだが、最近になってようやく・・前衛オンガクとの区別ができるようになったことは、凡人としてのほんの僅かな進歩なのかも(?)。。 もっとも・・NHKの素晴らしい収録あっての感動!ってこともあり得るのだが。。^^;
◆ショスタコーヴィッチの第5交響曲。N響は5年前(2000年4月)にも同じサントリーホールでエリアフ・インバルの指揮により演奏しているが、ヤルヴィさんも優るとも劣らずの壮絶な名演奏を残した。終楽章コーダのテンポもキッチリと落として・・決して勝利の行進と化さないところは「証言」以降の決定的な解釈なのだろう。。インバルよりも幾分遅く・・ムラヴィンスキーのテンポにまで迫ったのは・・よくやったり!といえよう。。それよりもたまげたことは・・ピアニッシモだ。コーダに入る直前の弦楽器などは、もはや・・カンタービレを表出できるような音量じゃない。。蚊の鳴くような・・というよりも・・・すすり泣きだ。精魂尽きて・・朽ち果てる寸前の命の灯り。。走馬灯のように人生を回顧しつつ歪みきったイデオロギーの中で鬱積した感情が疼く。ハープが一筋の光明を投げかけて・・未来(あした)への希望が湧き上がり・・勇気を奮って行進を始めるのだが・・・全ては監視の下に銃口を向けられつつの歩みとなったのだ。。凡人の誤解なのかもしれないのだが・・全てはそういった筋書きの前奏のように聴こえるような恐ろしいほどの緊迫したピアニッシモだった。小太鼓から始まる「入口」のテンポを落とさないが・・まぁ許せる範囲だろう。。本当は・・チョン・ミュンフン(東京フィル)のように・・ここから失速?させてもらいたいのだが、・・・この曲も「終り良ければ全て良し!」となってしまうのだから困ったものだ。。但し、一言クレーム!。・・・ショスタコーヴィッチの第1楽章冒頭から自分勝手に(?)咳を頻繁に発する御仁がいた。風邪をひいているのか・・むせ返ったのかどうかは判らないものの・・どうかしている。。しかも、前方列の多分マイクの近くだ。N響が満身のピアニッシモを奏でている最中にガンガン咳をされる。。演奏中・・咳をしてはならん・・という法律などはあるわけないのだが、1/2000のノイズのために1999(ひいては・・何万人というオンエアリスナー)のマトモな聴衆が迷惑することを思わないのだろうか??・・・。せめて、咳の防音処理(タオルで口を塞ぐとか・・)くらいはやりなはれ!・・と言いたくなる。そもそも・・咳クシャミなど頻繁に出るような風邪の症状持ちの御仁は・・いくら高額のチケットをお持ちでも・・演奏会など出かけてはいかんのだ。こういった自分勝手な御仁など・・主宰者が強権発動でつまみ出せばいい。そして・・チケット代金など返せばいいのだ。ここでの御仁・・・第1楽章冒頭だけ散々咳き込んで・・その後はパッタリとおとなしくなってしまった。どないなってまんネン!Pablo Casals
◆モルクさんとのシューマンのチェロ協奏曲。・・・ブッチャケたハナシ・・積極的に聴きたい曲じゃない。この曲目的にCDを買ったことなど一度もないのだ。しかしながら・・こういった演奏会の流れの中で聴く時には、また違った感銘を受けるのだから誠に不思議な感覚でもある。特に、本来はいきなり始まったシューマンなのだが・・Aプログラムから持ってきた前座としての「アディトス」の後に聴くと・・シューマンのチェロが心の襞を震わすのだから・・本日・・シューマンのチェロコンチェルトに開眼!・・みたいな宣言をしてもいい気持ちになってしまった。仮想コンサートとして編集したCDRも・・こういった形で役に立つとは夢にも思わなかったことだ。後半のラフマニノフが結構長いので、あえて前座を置かなかったんじゃないかと思われるのだが、やはり・・コントラストの妙を味わうには・・それなりの「前置き」があった方がいいかも。。それよりも・・カザルス編曲の「鳥の歌」がアンコールで聴けたことが嬉しかった。 なにやら・・チェロ奏者には曰くつきの楽曲らしいのだが、練習曲同然だったバッハの無伴奏チェロ組曲を至高の名曲にまで昇華させたという「チェロの神様」の分身のような楽曲をアンコールで弾くなんぞということは・・よほどの自信がない限り演奏できないことだろう。。モルクさん・・やったり!。。シューマンのコンチェルトに優る入魂の演奏に・・ただただ襟を正して聴き入ってしまった。凄い演奏だった!。・・気持ち的に。。^^; 後半のラフマニノフの第2交響曲は、CDRコレクション初登場の待望の名曲。ロマンチックを額縁に入れたような甘い楽想には・・繰り返し聴くことに警戒を強いられるようでもある。チェリビダッケの毒素?とは全く違って・・こちらは楽想そのものに罠が散らばっているのだ。子供たちには初恋の夢を・・青年カップルには幻の愛を・・新婚夫婦にはそのままBGMとして・・熟年カップルには青春回帰を・・・老夫婦には刺激的なコースター?として・・絶品のCDRになるんじゃないかと思うほど素晴らしい演奏だったことを先ずは悦びたい。問題は、「カップル」という次元?から遠ざかっておられる御仁にはどう響くかということだ。。夢の中で恋愛のできる器用なお方ならともかくも・・現実の世界はまっこと厳しいのだ。ひたすらに女神を求めても・・書類選考で落とされるようなレヴェルで喘ぐ男性諸氏には非常に酷な楽曲でもある。毎日毎朝大量に届くヴェヌスの世界からのお誘いスバムメールを中身を見ることなく削除ったりするのと同じく・・勝手に惚れこんだ女神へ・・夜を明かして辞書と首っ引きで書いたラブレターを・・中身を見ることなくゴミ箱へ放り込まれるような立場の御仁を憂いてのことかどうか・・・ラフマニノフ先生も皮肉たっぷりに甘味な中にも悲愴感の漂うフレーズを忘れずに織り込んでいるところなんぞは・・ニンゲンがよくお分かりになっている証拠でもある。。幸せの絶頂にあるカップルは・・このフレーズを聴くたびに優越感に浸り、そうじゃない御仁を嘲笑するのだ。。そうじゃない御仁は?と言えば・・・もはや・・ここまでくれば・・・覚悟を決めて白装束に身を固めねばなるまい。せめて・・果てる前に・・精魂込めて書いたラブレターに重しをつけて森の湖に放り込もう。。・・・<<この金色に輝くお手紙は貴方が投げ込んだものですか?・・・<<は・ハイ・・・イ・いや!・・違い申す!!・・・拙者が投げ込んだ手紙は・・鼻水がポタポタと染み付いた汚くて即ゴミ箱行きの運命にあるようなものでござる。<<あなたは正直者です!。・・・それではわたしと一緒に湖の底にある楽園で暮らしましょう。^^<<・・・あぁっーー〜〜〜bukubukubukubuku *_*; 〜〜〜 *_*;; 〜〜〜 >_< 〜〜〜 -_-     ・・・ここは?・・・どこだぁ??・・・目の前におわすは女神様じゃ!^^ おぉ・・・なんとも麗しく・・吸い込まれるようなブルーの瞳。。・・・??・・・あそこにある白いものはなんだぁ?・・・あそこにも・・またあそこにも!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・ガイコツだぁ!!^^; ・・・・・・・・・<<オヤジ!・・おやじッ!!・・・メガネがどこだ?って??・・・ガイコクがどうした??・・・ウィーンに行きたい気持ちは分かるけど・・・寝言もほどほどにしないと剣道合宿にいったら笑われちゃうよぉ。。。・・・こんなCDRかけながら寝てるからダメなんだよね・・・リピートになってるから喧しくて寝られないじゃん!。。 そうそう・・・音楽のテストで「カノン」の作曲者は?っていう問題出たけど・・・・・・ベートーヴェン!だよね。^^・・・<< ・・・・・・・・・・・ @_@; 気絶!!
Disc No. 427  Title No. CDR-YSHD-262A/B-00
Disc No. 428  NHK Symphony Orchestra - Suzanne Hou - Pinchas Steinberg
262A 262B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-260A/B-00
ピンカス・スタインバーグ
2005.09.16

スザンヌ・ホウ (Vn)

NHKホール、東京
:
BS/VHS
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
on air 2005.10.21
シベリウス:交響曲第2番
35'35|54'52
:
★★★★★
Disc No. 429
 Title No. CDR-YSHD-263A/B-00
Disc No. 430
 NHK Symphony Orchestra - Cornelia Herrmann - Pinchas Steinberg
263A 263B
NHK交響楽団
CDR-YSHD-261A/B-00
ピンカス・スタインバーグ
2005.09.10
コルネリア・ヘルマン (Pf)
NHKホール、東京
:
BS/VHS
モーツァルト:セレナータ・ノットゥルナ

on air 2006.10.14

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
43'50|54'16
ベルリオーズ:幻想交響曲
★★★★★
ピンカス・スタインバーグ指揮 NHK交響楽団 定期演奏会 2005年9月A&C
◆さて・・・こちらは小澤さんの前任としてボストン交響楽団の音楽監督でもあった故ウィリアム・スタインバーグ(1899-1978)のご子息だ。なぜか・・ショルティさんを彷彿とさせるゴツゴツの指揮ぶりからは全く歌心など垣間見えてこないのに・・シベリウスの超絶的な名演奏に遭遇することになってしまったのだから・・男たるもの風貌に非ズ・・心なり!・・・を額縁に入れたようなお方だ。N響の2005/06年シーズン開幕月の3プログラムを全て任されるということから・・それなりのお方なのだろう・・とは思っていたが、御年60歳にもなられていたのだ。すでに1986年から1997年までの10年間に4もはや巨匠格!ピンカス・スタインバーグ回もN響と共演されていたのだが、今回はなんと・・8年ぶりとなる客演指揮をされたわけだ。カルロスさんと同じく・・誰それのご子息!というだけで、まだまだこれから・・みたいな錯誤に陥ることもあって、カルロス・クライバーが亡くなった時・・すでに男子の平均寿命に達しておられたことを初めて認識したようなトンチンカンな意識でCDを聴いていたのだから・・・ピンカスさん(何とも歯がゆい御名ではあるが・・)の親父殿が極めて鮮烈な「惑星」でDGデビューを飾った録音が既に35年も前のことであったということからも・・光陰矢のごとし・・みたいに妙なところで驚いたりしている。。Bプログラム(サントリーホール定期・・モーツァルトの3曲の序曲と関連アリア&交響曲第41番)のテープが見当たらないのがモーツァルトイヤーとなった今年(2006年)においては至極残念だ。まぁ・・Aプログラムで珍しい編成でのセレナータ・ノットゥルナが聴けただけでも良しとせねばなるまい。弦楽四重奏(といっても・・チェロの代わりにコントラバス)と弦楽合奏(10-8-6-4 ・・これにはコントラバスが無い)・・それにティンパニーだけの風変わりな編成なのだが、カラヤン先生のCDで聴いて以来20年ぶりに聴いたのだから・・あらためてそのCDを聴き直したほどだった。「デジタル新録音!」との認識をしていたカラヤンのCDも・・もう20年も前の録音なのだから・・・その事実を認識しようとすればするほど老け込んでいく自分自身が情けなく見えてくる。^^; シベリウスのヴァイオリン協奏曲を演奏したスザンヌ・ホウさんは、当初予定されたドミトリー・シトコヴェツキの代役として登場。中国系カナダ人とのことだが、実にチャーミングな若いヴァイオリニストだ。有名な国際コンクールでの優勝経験もあるらしく、なるほど!・・と唸らせるだけのことはある。テクニック的にはどうだとかこうだとか?・・といったことなどヴァイオリンに触ったことも無いような凡人には恐れ多くて語れないことなど百も承知の上であえて申せば・・実に上手い!。いや・・上手く聴こえる・・といった方がいいのかもしれないのだが、何よりもシベリウスの音楽独特の内へと向かった激情が切々と伝わってくるところがいい。上っ面の音符の流れだけをスマートにまとめたような演奏とは次元が異なり・・演奏者の鼓動の変化までも感じられるような緊迫した抑揚が・・極寒の自然をモロに表出しているようだった。どこかのサイトで・・日本人と欧米人の弾くヴァイオリンの音色が異なる?・・などと・・国産スピーカーと舶来スピーカーとの音調の差を比喩して論じられていたことを思い出したのだが・・中国系カナダ人ともなればどんな音色で響くことになるのか??・・・お尋ねしてみたい気がしている。丁度・・モーツァルトのピアノ協奏曲を弾いたコルネリア・ヘルマンも、ドイツ人(父)と日本人(母)とのハーフだ。ヴァイオリンの音色が違えば・・ピアノの音色も違っていいハズだ。まぁ・・最近は・・昔と違って、フィギュアスケートでも欧米人のスタイルに見劣りしない日本人ばかりだ。日本人とか欧米人とか色分けするような時代じゃなくなった・・ってことをお分かりにもならず・・固定観念だけでものを仰るお方がまだまだ数多おられるということが滑稽でもある。。
◆シベリウスのヴァイオリン協奏曲でのN響は・・ソリストの奮闘ぶりに触発されたのか?・・スタインバーグさんの肝入りだったのか?・・は定かではないものの・・とにかく物凄い演奏だった。コンチェルトでもってこんなに燃え上がった管弦楽を聴いたのは・・リヒテルと競奏!したウィーン交響楽団(カラヤン指揮)のセッション録音盤以来だ。数少ない全合奏のパートでは・・後半に演奏された第2交響曲に迫る爆裂を呈して・・全楽員が一致団結してソリストの尋常ならざる熱気に勝負をしかけたようにも聴こえる。いやはや・・シベリウスはかくあるべし!。中途半端な表現では・・極寒の中で凍死する危険性もあるのだ。メリとハリとの対比・・・内に向かったエネルギーが充填しきって・・バクハツ寸前に防爆弁が開く。。その噴出エネルギーこそシベリウスの書いた数少ないテュッティーなのだ。これが不発の屁?のようでは本人のみならず周りにも大いに迷惑を及ぼすことになる。ここはひとつ・・部屋中響き渡るような瞬時一発パルス型?の大音響をもってスッキリさせた方が・・あとクサれ?が無い分大いに健康的だ。そう・・シベリウスの激情は・・極めて健康的なのだ。下手をすれば・・チャイコフスキーのコンチェルトの方がストレスが溜まる。・・・もっとも・・これとて十人十色の嗜好の問題ではあるのだが。。 シベリウスの第2交響曲。・・・デュトワ以来のN響の演奏だ。何かと中途半端に終始したデュトワさんのシベ2だったが、スタインバーグ見直したり!!。 ミッコ・フランクの天才的表現には一時棚に上がっていただくこととして・・N響はとんでもない名演奏をやってしまったようだ。もちろん・・指揮者のテンポ。。極上の流れだ。全ての聴き所が100点満点の流れ(テンポ感)とダイナミクスを伴って・・・どこを輪切りにしても理想的なシベ2なのだ。凡人評価の根底には・・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の名演奏があることだけは確かなのだが・・・カラヤンのテンポで僅かながら胃もたれ気味だったフィナーレ冒頭の淀みも一掃されたように爽快に響く。第2楽章冒頭のゆったりとしたピツィカートなどゾクゾクもの。トランペットからフルートへ弱奏で連なるフレーズにも味わい深い音香が漂う。ジワリジワリと盛り上がるフィナーレコーダの入口など・・インテンポでコーダへとなだれ込んで・・ティンパニーの打音が控えめなせいかもしれないが・・全合奏の音塊が極めて重いのに実にマイルドなのだ。本当は・・マイルドではなくて・・ワイルドに猛爆裂をしてもらいたいところなのだが・・こういった感情の高まり方もあっていい。。柔らかくも分厚いフォルティッシモ・・ってのは、こういった音なのかと認識を新たにしたほど新鮮な終結だった。N響やるじゃん!!。。^^ ・・・というよりも・・・ピンさん(失礼!)ホンマに見直したぁ!。。>>あなたは・・もう・・フツウの指揮者じゃありません。歴史に名を残す大巨匠となるべきお方です。見栄えのしない指揮姿でも・・暗譜をされてこその完全陶酔の瞬間が垣間見えたことは・・あなたの気持ちの中で「音符」じゃなくて「音楽」が生きている何よりの証拠なのです。本当に素晴らしいシベリウスでしたぁ!^^
◆さて、ヘルマンさんのモーツァルトだが・・・奇しくも5ヶ月後(2006年2月)に同じN響でラルス・フォークトが同じ23番を演奏している。バックのオーケストラの表現自体は、スタインバーグでもブロムシュテットでも大差ないのだが(但し・・ホールと弦楽器の配置が異なるので・・録音上でも若干響きが異なって聴こえる)・・同じスタインウェイでもサントリーホールとNHKホールのものでは響きが違うのか・・マイクアレンジが異なるのか?・・・やはり・・ピアニストの弾き方の問題なのか??・・・ヘルマンさんのモーツァルトの響きはキュートな容姿にも似てスリムで優しい感じがするのだ。フォークトの弾くモーツァルトは・・まるでベートーヴェンのような響きを呈するところもあるのだが・・ヘルマンさんはキッチリとモーツァルトしている。これは・・固定観念などではなく・・・少なくともヘルマンさんはハマリ役だったといえよう。フォークトさんの強烈な打鍵はモーツァルトを持て余して行き場を無くしているような感すらあるのだから・・・確かラフマニノフかチャイコフスキーを聴いてみたい!ってなことをコメントしたように思う。N響によれば・・ヘルマンさんはモーツァルテウム音楽院で学び・・モーツァルト国際コンクールで特別賞受賞・・共演オーケストラは室内管弦楽団級が多いみたいだ。女性にして珍しくも1977年生まれであることを公表されているらしく・・まだ28歳とお若い。ヘルマンさんの打鍵が優しいのは・・未だベートーヴェンやラフマニノフなどを本格的に弾き込んでおられないせいなのかもしれない。。いいことなのかどうかは棚に上げて・・とにかく素晴らしいモーツァルトだったことだけは確かなことといえよう。 ベルリオーズの幻想交響曲は、親父殿の君臨したボストン交響楽団の十八番の曲目だ。フツウに演奏してもそれなりの演奏効果が確実に出る楽曲なので・・オーケストラの音色音調(の差)を楽しむという方向で聴いてしまうことも多々ある。。リピートをするかしないかで演奏時間に相違は出るものの・・基本的なテンポ感は極端なデフォルメを誘発しないほど安定している。まぁ・・録音上(収録上)の操作で特定の楽器をデフォルメしたり・・と歪曲した音響を作った音盤は曲が曲だけに過去あるにはあったが・・ナチュラルバランスが当たり前になったCDの時代となってからは商品価値すら消滅しかかっているような有様なのだ。・・・というよりも・・・数多ある音源(音盤)から抜きん出て目立つ表現力を持った演奏(録音)が存在しないことから・・幻想交響曲という楽曲自体が地盤沈下しているような感も無きにしも非ずじゃないだろうか(?)。(と思っている。。) そんなこんなの中で、N響の華!池田昭子さんスタインバーグさんの幻想交響曲を期待もせずに聴き始めたのだが・・・いやはや・・スタインバーグさん!・・こんなにも「こだわり」を持った指揮者とは知らなかった。。音楽の根底には・・シベリウスと同じようなテンポバランスがあって・・個人的な波動にジャストフィットするのだが、ここでのピカイチは第4楽章「断頭台への行進」だった。なんと・・こんなにもイヤイヤながらの・・引きずるような重い足どりの行進を聴いたのは初めてだ。そう・・・これは・・「断頭台」への行進なのだ。元気ハツラツと歩けるわけなどないじゃん!。。夢の中とはいえ・・正にニンゲンチックな表現だ。ヤル気ないのかぁ?・・といったように聴こえるN響の音も・・緻密な表現の一端なのだ。第3楽章でのコールアングレがまた上手い!^^。 N響メンバー表によれば・・2004年1月1日入団の池田昭子さんのようだ。かつて・・カラヤン先生率いるベルリン・フィルの東京公演のプログラムとして予定されていたシュトラウスの「家庭交響曲」が、カラヤン先生のおメガネに叶ったコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)奏者の都合がつかず・・急遽「英雄の生涯」に変更されたことがあったのだが・・「英雄の生涯」にもコールアングレを使うわけなので・・当時ベルリン・フィルでコールアングレを吹いていた楽員は肩身の狭い思いをされたことだろう。。しかしながら・・・ザビーネ・マイヤーのクラリネットに惚れこんだほどのカラヤン先生ならば・・・池田さんのコールアングレにも必ず惚れこまれたに違いない!(?)。 >>あんまり誉めんといてください・・テングになると始末に困りますっ。。茂木^^;(?)<< フィナーレの「魔女の饗宴」では腰砕けになることなく満身のエネルギーを炸裂させた。ここで・・音を「上品」にまとめよう・・などと思ったら最後・・フィナーレとしての醍醐味を一気に失ってしまうのだ。幻想交響曲のフィナーレでは・・野暮極まるほど野蛮に・・そして・・下品なほど音を割って・・「ある芸術家」を悪夢から覚醒させねばならないのだ。金管が汚い・・とか・・音が割れていた・・などということは・・むしろ名演奏!だった証なのだ。幻想交響曲という楽曲は・・そういう曲なのである。。そして・・従前の一流オーケストラの録音が・・いかに綺麗にまとまっていたか!ということなのだ。 N響・・してやったり!!・・・こんな凄い演奏・・滅多に聴けるもんじゃありまへん。^^ 満足なり!。
Disc No. 431